2013年11月22日金曜日

練習と糖質制限のこと。

11/24(日)走友会の島ランに参加した。1周約15kmの新潟島を周回するのだ。朝の天候は予報を裏切って小雨模様。着込んだ割に寒く感じた。
いつものメンバーに加え、練習会初登場のスピリットZさんやトライアスリートA女史が参加。顔ぶれが違うと気分も変わる。薄暗い曇り空下、それぞれのペースに合わせた、幾つかの小さな集団で走り始める。ぼくは一番後ろについてキロ6分ぐらいのペースで進んだ。
そうしているうちに徐々に晴れ間が広がり明るさを増し、この時期には貴重なランニング日和となった。
ぼくはこの週の中頃から、糖質制限ダイエットを始めていた。一回の食事の糖質(炭水化物から食物繊維を引いた量)を20g以内に抑えるのが基本ルールとされている。簡単に言うと主食を食べない。一日三食、それをキチンとやるのは難しいので、しばらくの間は朝と夜は主食を摂らないか、あるいは大幅に控えるようにしている。週に幾度かトレーニングするぼくにとって、主食を抜く、つまり体を動かすエネルギー源を大きく制限することが、練習にどんな影響を与えるか大変興味あるところだ。トレーニングと糖質制限とのバランスを計らなければならない。今日の習会はそんな状況で臨む初めての長距離ランだった。無理をせず体調と相談しながら走ろうと思っていた。

いつものように海岸から河川敷、やすらぎ堤を周りお団子屋さんで小休止。想像していたよりは疲労感が少なかったので2周目に挑戦することにした。甘味の補給はせず水を飲むだけとした。
2周目もジョグペースで進んだ。海岸から望む海の色は濃い青に見えた。水面は柔らかな陽の光を反射して、見た目だけは夏の雰囲気を醸していた。走り始めた時よりも明らかに天候が良くなっている。皆「天気が良くて気持ちいいねー」と口にする。この時期に晴れ間を走る機会はとても貴重なのだ。
20kmを過ぎたあたりからヒラメ筋が辛くなってきた。アスファルトを踏むたびに鈍い痛みを感じ、それに伴い脚が重くなってきた。細かく水分補給を入れ、脚への衝撃の少ない河川敷の芝生を走る。一緒に走る仲間がいたので、なんとか最後まで持ちこたえることができた。
島を2周、概ね30kmを踏んだ。
この練習を経験通してダイエット中とは言え20km以上をやる場合はエネルギー補給した方が良さそうだと思った。(あたりまえか(笑))

糖質制限ダイエットはこちら↓
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11/27まで…ラン203km。

2013年11月11日月曜日

ごせん紅葉マラソン2013

 今年のごせん紅葉マラソンは10kmにエントリーした。1年ぶりの10km出走。目標は自己ベスト更新だ。

 予報通り天候は雨。レースに近づくにつれ小降りだった雨脚は激しさを増す。走り始めてしまえば、どうということはないのだけれど待機中は辛い。雨は容赦無く体温とモチベーションを奪っていく。幸いなことに雨対策のビニール袋(大)を持ち合わせていたので凌ぐことができた。

 ハーフスタートの5分後ぼくらがスタートする番だ。
 雨の降る曇り空に花火が打ち上がり会場から大きな歓声が湧いた。ぼくは空を見上げ霞んで消えてしまう花火の白い煙を目で追った。鉛色の空に浮かぶ小さな雲のように見えた。

 号砲と歓声。
前に行くランナーの隙間に飛び込むように人混みを捌く。トラックを1/3周ぐらいして公道へ。沿道の観衆が拍手や声援を送るなかを、同じ色のゼッケンを背にしたランナーの群れが一方向へ移動を始める。ぼくもその一人。呼吸が弾んだ。最初の1kmは4分29秒。入りとしては上出来。ペースキープに努める。

 コースは風光明媚な山間部だ。左右には稲刈りの済んだ田圃が広がり、紅葉で色づく山々が見える。それはすぐ手が届きそうなほど近い。
 塗り替えたばかりのアスファルトの舗装が雨に濡れ、前を行くランナーの姿をはっきりと映す。まるで鏡のように。ぼくは顎を引き視線を落とす。無駄に力の入っている上半身をリラックスさせる。アスファルトに映るランナーの背中が目に飛び込んでくる。
 3kmまでは呼吸が整わずとても辛かった
 レース直前のメグメグさんのセリフを想い出す。
「突っ込みすぎても10km走ればゴール。辛くてもあっという間だから」
 さすがだよ姉さん。核心を突いている。

 目の前にスノーマンらしき仮装ランナーが走っていた。着ぐるみのお尻が歩様に合わせて左右に揺れる。とても滑稽だった。
 ぼくとスノーマンの差はなかなか縮まらなかった。速い。恐れ入った。けれど抜かないわけにはいかない。気持ちにムチを一つ入れた。
 5kmの通過は22分41秒。
 ちょっとした下り坂に差し掛かり、左手から追い抜こうとする男性ランナーと一緒に思い切り駆けおりる。下りの駄賃は帰りの上りで支払わなければならいだろう。だからこそ思い切り駆けた。

 2度目の折り返しは小さな橋を渡ったところ。沿道にチョコレートのエイドが設けられて少し賑やかだった。
 すぐに6km表示が見えた。眼前には先ほど下った坂が待ち構えている。ここを上り切ると緩やかな下り勾配になった。次々とランナーが追い上げて来た。この辺りから仕掛けが始まる。
 ぼくは追い上げて来る彼らと歩様を合わせ離されないようにする。競りかけられれば競返す。少なくとも気持ちだけはそんな感じ。ペースが上がることで呼吸の苦しさが増す。

 8km通過で時計に目をやる。36分台。ゴールの村松公園に向けて左折を示す道路標識が見えた。
 (あと少しだ)
 終わりが想像できるところまで到達したことで少し安堵する。残りの脚力を使う上での担保みたいなものだ。
 最後のエイドで水を口に含みラストスパートを準備する。
 上り坂。幅員が広いので坂が大きく見える。上りの途中にポツンと「残り1km」の看板が立てある。ややチープな作りが印象に残る。それでも最後の標識というのは希望の糧に映る。
 時計は40分を回っていた。坂は左に切れながら緩やかな上りが続く。沿道から声援が掛かる。
 (なんとか45分を切りたい)
 想いはそれだけだった。
 スパートする。
 腕を振りアスファルトを蹴る。さらに呼吸が乱れる。前のランナーに近づくけれど捉えられそうで届かない。皆、必死だ。
 村松公園のトラックは雨でぬかるんで心許なかった。励ます声援が聴こえる。カーブを曲がりホームストレッチ。呼吸ができない。目の前がフィニッシュ。最後に脚を、腕を、身体を目一杯に動かしゴールを突き抜けた。
 ネットタイムで44分47秒。45分を切った。


 走り始めた頃のこと。生まれて初めて本気で臨んだ10kmマラソンは1時間切りが目標だった。そして、いつかは50分を切ることが大目標になった。
 2011年春の新潟ロードで辛うじて50分を切り、同じ年の新潟シティのフルマラソンに挑戦して、なんとか完走証を手にすることが出来たけれど、その中身は不満だらけのものだった。そして一昨年リベンジでサブ4を、今年は大阪マラソンで3時間40分を切った。そして今日、走り始めた頃、到底無理だろうと思っていた10km45分を切った。
 もっと自分の可能性を信じていいんだ、と思った。

 今一度、ぼくを支えてくれる全ての人たちに、ありがとうの言葉を述べなければならない。一人ではここまで辿り着くことはなかっただろう。
 これで今年のエントリーは全て終了。次は来年いわきサンシャインマラソンだ。新たなる気持ちで臨む。
〈了〉