2012年12月31日月曜日

2012年が過ぎ去ろうとしている…

 暦も残すところあと2日。今月はギリギリまで何かと気忙しく、長期休暇となる今年の年末年始のスケジュールを今頃になって埋めにかかっている。なんともやり切れないが仕方ないと諦めている。

 今年のランニングの振り返りをしたいと思う。
今年の総走行距離は2,311km。昨年の12月から月間200kmを走ろうと目標を立てランニングに取り組んだ年だった。走友会の諸先輩をはじめ様々な方々とランニングする機会に恵まれ、走るために必要なことの多くを学んだ。
 冬に一頓挫あったが走ることで持ち直して以降、春には諸所のレースで練習の成果を感じた。そして「秋3連戦」と銘打った初戦のフルでサブ4入りを果たす。大目標がそれだったのでひとまずクリア。その後10km、ハーフと出走。残念ながら目標タイムには届かなかったがそれぞれが自己ベストとなった。
 ぼくにとってこの期間のランニングライフは濃密だったと思う。フル完走あとのハムの抜け切らない疲労感、ハーフ完走後にふくらはぎが痙攣して歩けなくなったこと、それらすべてが達成感に直結した。レースを通じてさまざまな人たちと辛さや苦しさそして歓喜を共有することもできた。これらの体験が僕の人生における価値観のセンターコアとなり成長を始めた予感がする。大袈裟だがぼくには充分すぎるほど劇的な一年だった。


 さてさて。ランニングへのモチベーションを刺激してくださりレースの後は一緒に酒を酌み交わした走友会の皆さん、そしてレースでぼくと走ったすべてのランナーの皆さんにこの場を借りて感謝の意を表したいと思います。ありがとうございました。そして来年もランニングライフを楽しみましょう。


今月の走行距離…147km/2,311km

2012年12月20日木曜日

走友会の忘年会にて

 12/14(土)走友会の忘年会だった。20名以上のメンバーが集まり酒宴が催された。酒のつまみはもちろん「走ること」を発端にした話題が中心。いつも同じようなことを話しているはずなのだがネタは尽きない。皆、走ることが心底好きなのだ。走ることを趣味としている面々の集まりなので、当然と言えば当然なのだけど。

 走友会に入会したお陰で3月〜11月まで期間いくつものレースに参加することができた。フルマラソンはもちろん、ハーフマラソン、中短距離走、ミニ駅伝レース…。規模も様々で、地域のボランティアで催す大会、市町村主催などなど。一つ一つの大会の情景を割とはっきり思い出すことができる。走ることに関しては濃密な一年だった。きっと来年は今年経験したレースをトレースするようにエントリーするのだろう。そして、新たに挑戦したいと考えているのがトライアスロンへの出場だ。今のところ全然泳げないし、バイク購入の目処も立ってない。けれど出れるものならば村上のトライアスロン51.5でデビューしたい。
 そんな想いの一方で、海外マラソンへのエントリーも興味深くなってきている。ぼくにとって海外へ行くのにこれほど明確な理由はない。なんでこんな簡単なことが思いつかなかったのか不思議なぐらいだ。走るために国外へ。夢のある話じゃないか。ただ、一人では何とも心細い。
忘年会の席で、今年のニューヨークシティマラソン(残念ながら開催中止になったのだが)にエントリーしていたK大兄にそんな想いを話したところ「よしっ!2014年はイスタンブールだっ!一緒にいくぞー!!」2年後のことだけれどこちらのほうが一歩前進。しかもなんとも頼もしい連れの出現だ(笑)

 イスタンブールマラソンの歴史は古く1970年代から続くレースだ。参加者はファンランを含め10万人。ヨーロッパとアジア二つの大陸を結ぶ地理的条件を満たすのはもちろんここだけ。さすが大兄の慧眼。ビッグアップルのリベンジはトルコで果たそうじゃありませんか!2次会の別れ際にも「イスタンブールだゾ!」とニコニコ顔でおっしゃっていた。思わぬ愉しみが増えた。もっとトレーニングしなきゃね。


12/18までの走行距離…99km

2012年12月14日金曜日

12月ウイルス性胃腸炎

 実は、かれこれ6日ほど走っていない。外が寒くて走るのが嫌になった訳ではない。(いや、ちょっとはあるかな)先週末から急性胃腸炎に罹り体調を崩しているのだ。
老荘のどちらが言った言葉か忘れてしまったが、「人は一本の管(クダ)に過ぎない、哀れな生き物である」と。このウイルス性の胃腸炎に罹るとまさしく一本の管と化し、経口物が一瀉千里で駆け抜ける。入り口から出口へ、時には再び入り口に戻ったり。

 金曜の午後、身体が怪しげな雰囲気を醸し出していることに気づき早々に帰宅、就寝。目覚めた翌朝から悲劇は始まる。食べ物を体がまったく受け付けず、飲んだ液体は一気通貫。土曜の予定は全キャンセルで家に引きこもる。ほとほと参ったが、これで痩せられるんじゃネ?と淡い期待を抱いたことは告白しておく。
 雪が降り積もった日曜。練習会が頭から離れなかったが当然休養に充てる。午後から少し改善し、食べてもトイレに駆け込むようなことはなくなった。症状が落ち着き、ちょっとワクワクしながら体重計に乗ってみたが、なんてことはない増減なしの±0。なんでやねーん!と一人ツッコミを入れられるぐらいに回復したところで休日が終わる。
 ウイルス性胃腸炎の感染力は有無を言わせぬものがあるのが今季の特徴だとか。どうか皆さんも注意してくださいネ。手洗い、うがいが予防の基本だそうです。

12/11までの走行距離…58㎞

2012年12月7日金曜日

11月のこと

今年最後のレースとなったハーフ以降、練習方法はもちろん、練習に取り組む姿勢について思いを巡らすことが多い。走友会に入会してちょうど1年、相応の距離を走りレースの経験を積むことで多くの満足を得た。それはこれからも続くだろうし、そう願っている。
 
 なぜ、ぼくは走るのか。なぜ走ることを選択したのか。迷宮を彷徨うのと変わらない問(とい)ではあるけれど、この1年このことについて考えない日はなかったと思う。時々そんなことをブログにも書き連ねてきたが、ぼくにとって走る行為とは、内在する自分と向き合い自身と対話をする一つの方法であり手段なのだと思う。10年ぐらい前のベストセラーとなった哲学の入門書に何度も出てくるフレーズだが「ウサギの毛の中に隠れることを選ぶか、その外へ飛び出そうとするのか」この問いかけは、ぼくにとって極めて切実な問題だ。ウサギの毛の外へ飛び出すきっかけが「走る」ことであり、走り続けることで外に飛び出すことができるかもしれないと思っている。

 …と、つまらないので話題を変えよう。晴耕雨読というより晴走雨読。雨の日や、耐えられないぐらい寒い日は、体を動かすことに関連した本をてにしている。「世界のマラソンベスト50」がなかなかの良書だ。万里の長城マラソン、スイスのユングフラウマラソン、イスタンブールマラソン…極め付けは南極、北極マラソン。トップアスリートでもある著者の解説が秀逸で想像を掻き立ててくれる。そして大会の模様を撮影した写真が素晴らしい。日本を飛び出して海外の大会に行くことも決して夢ではないのだと思わせる力のある一冊としておすすめしたい。

12/3までの走行距離…30㎞

2012年11月27日火曜日

11月の連休のこと

 年末に向けかなり慌ただしい。今年は間違いなく質や量ともにMAXだと思う。繁忙を極める時ほど心理的逃避行動の一つとして強い刺激を求めることは少なくはない。ぼくは専らトライアスロンの情報を求め、体験記的な本やブログなんかを読み漁っている。

 というわけで、3連休初日の23日はトライアスリートの真似事よろしく、朝RUNのあとプールで500mほど泳ぎ、その後体育館でジョグ、トレーニングルームで筋トレ、バイクそしてトレミ。ほぼ丸一日かけてラン、スイムそしてバイクをやったわけだ。まあバイクは横に置いておくことにして、大苦戦したスイムを基本から学ぶべく、これから毎週1度はプールへ通うことに決めた。当初の目標として2ビートでゆっくり泳げるように練習をするつもりだ。

 24日は朝ラン。前日の過度なトレーニングのせいで上半身が筋肉痛だ。いつも以上に体が硬く感じる。常用している筋肉とそうでないところで大きく差が出た。どれだけ使っていない部位があったか体感できた。そんな体のこわばりがモチベーションを著しく落とし、翌日もあるもんねー、と言い訳しながら尻尾を巻くように退散、養生に当てることにした。そして翌25日は走友会のトレーニング。男女合わせて14名が集まり、各自のペースで島ラン2周(30㎞)する。ぼくもなんとかこなし、午後は出掛ける予定があったのでメンバーとの挨拶を端折って早々に帰路についた。が、アルコールをいただきながらの優雅な昼食?が迂闊だった。ぼくはダメダメ人間と化し午後の予定を反古にし爆睡。あってはならない連休最終日となった。


11/27までの走行距離…151㎞

11月第4週のこと

 11/18(日)は所用で千葉へ。ドアドアで片道4時間半。時間をうっちゃるために電子書籍はもちろん雑誌や文庫本をカバンに詰める。上野に降りると新潟の空がうんざりするほどの快晴でジョギング日和この上ない。日曜の午前中にトレーニングしないのは何ヶ月ぶりだろうか。ウーンと眉間にシワを寄せて考えるが見当がつかない。日曜日には欠かさずランニングの神様をに様々なことを悔い改めることにしている。「ミリオンダラーベイビー」のクリントイーストウッドには及ばないけれど。

 日曜の練習分を取り戻すべく平日は火、木曜と体育館で52周(10㎞)走る。これからの季節は区の体育館がメインとなる。やはり人も多く走友会の面々にお会いした。特にO女史には後ろをつつかれちょっとしたスピード走になった。そしてその成果として翌日はしっかり筋肉痛になった。ほんのちょっと練習をさぼただけなのに…不甲斐ない。皆それぞれの目標に向かって練習に励んでいる。ぼくはこの冬の大会はノーエントリーだ。だからこそモチベーションをあげ励まねばと思うこの頃である。

2012年11月15日木曜日

11/11(日)五泉紅葉マラソン

 陣取った体育館に射し込む陽の明かりが眩しかった。冷え込んだ空気が太陽の上昇と共に気温が上がっていくのがわかる。今年最後のマラソン大会に相応しいコンディションになった。
 ぼくは左腕に5㎞ごとのタイムシュミレーションを記した。
 入りは5分を切る感じで5㎞24分、10㎞48分、20㎞96分。
 凡庸なタイムだが等身大の力だ。イーブンペースを守り、巧く走れれば100分台もあるかもなんて淡い期待を込め目標を設定した。

 この大会は仮装で参加する方が多く、賑やかなコスチュームのランナーを眺めているだけでも楽しい。リラックスしたムードで定刻通り9時30分にハーフの部はスタートした。村松公園からから1キロ半ほど進んだ交差点を起点に3つのコースをそれぞれ折り返し、スタートした村松公園へ戻るコースだ。

 初めて参加する大会はコースを知らないぶん慎重になる。けれどそれに相反するように10㎞通過が47分。寺泊10㎞のタイムとあまり変わらない。平坦なコース、折り返し付近で走友会の面々と声を掛け合うことで緩まずに走ることができたからか。
 終盤の3つ目のコースが楽しかった。緩やかな登りを進み、急な坂を下ると村落に入り最後の折り返し地点を迎える。再び来た道を戻り今度は坂を登り、緩やかな下りが続く。ラッキーなことに追い風のオプションがついた。残り3㎞からペースを上げる。他のランナーも考えは同じだった。ぼくは抜き去ろうとするランナーに歩調と呼吸を合わせ並走する。キツイが不思議と粘れる。しばらくすると相手が沈む。そしてまた別のランナーがやってくる。同じように歩調と呼吸を合わせ並走する。自分にも強いプレッシャーがかかる。

 コースのレイアウトの起点となる交差点をゴールに向けて左折。エイドには手を出さず眼前の坂を登りきることに集中した。踏ん張りどころだ。坂を登り切ると緩い下りになりゴールの村松公園はすぐ目前だ。脚が重い。スピードを保ちトラックに入り最後の力で必死に走り1時間40分49秒でフィニッシュ。レースの幕が降りた。

フィニッシュ!

 コースのあちこちに県外から来られた特定のランナーへの歓迎メッセージや、出場ランナーへのメッセージが綴られた手書きのポスターが電柱にくくられていた。主催のホスピタリティを感じずにはいられない。
 早朝時ののエントリーも中学生の皆さんがゼッケンを渡していた。沿道にはおばあちゃん達が声援を送る。大勢の地域の方々のボランティアで成り立っている大会だった。来年も必ず参加しようと思う。ぼくにとっては2回目のハーフマラソンだったが、走り終えて本当に気持ち良かった。あの気持ち良さはこれからのマラソン人生(ちょっと大袈裟?)でも確実に記憶に残ることだろう。何度も「あー気持ちよかった」と声に出した。出さずにはいられなかった。間違いない、ハーフはおもしろい、そう確信した。


☆11/18までの走行距離・・・81km

2012年11月6日火曜日

11月4日(日)走友会の練習のこと

11/3(土)早朝からいつもの福島潟をぐるり周回するコースと近所のお馴染みコースをジョグ。18㎞程度を100分少々をかけて走った。早朝ジョギングは久しく、気温が下がりピンと張り詰めた空気の中を走るのも悪くない。寒ければ寒いなりに走る。これからの季節は寒さと仲良くならなければね。

 11/4(日)秋晴れだ。陽光が差し、晴れ渡る日に仲間たちと走れることに感謝しよう。練習をやろうよ!といつも声をかけてくださるO女史の運の強さか。快晴の練習会に集まったのは全員で12名。コースは北区体育館〜月岡までの往復20㎞だ。
 往路は各自ゆったりとしたペースで進む。ただ一人M谷さんがスタートからハイペースで進む。さすがの走力。来週の五泉紅葉マラソンに向けた追い込みだろうか。残されたぼくら一団は1時間程度かけて目的地に到着する。M谷さんはお土産を買い込んだらしく一人ベンチでまったりしている。ぼくらもお団子屋さんで一服。月岡RUNのささやかなお楽しみだ。団子を片手にそれぞれの話題に花が咲きちょうど良い休憩となる。
 さて、復路。ぼくはやや速いペースでスタートをすることにした。集団から抜け前を進む。残り4km付近でファイターズさんが後方から鮮やかに抜き去っていく。それが合図となり一緒に走っていたNさんが猛烈にスピードUP。もちろんぼくも必死になって追いすがろうとするがその差は広がるばかり。明らかに走力が違う。けれど諦めたアカン!そう思いながら懸命に駆けた。秋のやわらかい陽差しと向かい風の中、Nさんの背中は遥か彼方へ。ファイターズさんの背中を追いかけながら体育館へ辿りついた。ハーフ出走前の追い込み感充分の練習となった。 来週は初めての参加する五泉紅葉マラソンだ。楽しみつつ105分を切りを目指したいものだ。

11/5日までの走行距離・・・45km

2012年11月1日木曜日

10月のこと。

 今月は最大目標の「新潟シティマラソン」のフルに出走。そして中1週で「寺泊マラソン」10㎞と2つの大会に出走した。シティまでのフルを意識した練習やマインドの準備が長かったせいか大会10/7以前と以降ではまるで時間の進み方が異なる感覚がする。
 シティ(フル)〜寺泊(10㎞)〜五泉紅葉(ハーフ)が今秋の僕の3連戦。毎年恒例化しそうなローテーションだ。

 今月の10/30日までの走行距離は154㎞とやや物足りない気もするが、大会へのコンディション作りやレースのアフターなどを考慮すれば致し方ないとも思っている。なによりもレースで得た収穫は、練習の中身を問うことでもっと走力を伸ばせるのではないかと気づいたことだ。気づくという表現は適切ではないかもしれない。今までが走行距離ばかりに捕らわれてバランスが伴っていなかった。たとえば1週間の練習メニューの組み立て方で瞬発力を強化する練習を取り入れたり、週末は長距離を走り持久力を養うといったようなメリハリの効いたメニューに取り組みたいと思う。まずは有酸素運動による体重減(これ重要!)が目的なのだ。

 あまり硬っ苦しいことをばかり言っても楽しくなければ続けられない。何はともあれ変化をつけてこれからの時期は寒さにマケズ走り続けたいものだ。今月の五泉紅葉マラソンで年内のマラソン出走は一先ず終了。自己ベストを目指す。

2012年10月29日月曜日

10月第4週のこと

 今週は火、木曜日と体育館でインターバルトレを試みる。本で読み拾ったものからこれなら!という内容だ。
 軽いジョグでアップしてからまずは50秒ペースを目標に5周。1周ジョグを挟んで次は4周。ペースは45秒を目標にするが後半は50秒キープするのがやっと。また1周ジョグを挟んで50秒切りを目標に3周。3周は2セット。2本目の3周がキツイ。ゼイゼイハアハアと1周のジョグでは呼吸を整えることが難しくなる。そして2周を2本したあとジョグとダッシュの交互で3〜4本を行う。もちろん、もっとやっても差し支えないのだが十分に疲れる。段々と距離を短くしてスピード走をすることがこの練習のポイントでインターバルトレの初心者向きらしい。あたりまえだがジョグで同じ距離を走るのとは比べものにならない。
 この練習でスピードアップが図れるかどうかはまだわからない。やってみると追い込み感があり通常の練習メニューにメリハリが得られる。週ごとの練習メニューに取り入れ継続することに決めた。無酸素運動に近いので頻度や間隔を考えて実施したほうがいいのかなと思う。

 日曜は走友会の自主トレで島RUN。あまり天候がよろしくないので、集まった4名でトンネルRUNをすることに。17分ぐらいのペースで6周した後、空模様を伺いながら本川大橋まで往復することに。久々に長い距離を走ったせいで体のあちこちが痛い。土曜日は所用で何もできなかったので日曜で走り溜めをした格好だ。


10/28までの走行距離…149㎞

2012年10月23日火曜日

2012寺泊マラソンのこと

 新潟シティマラソンから中1週。エントリー種目は10㎞。45分内完走を夢見て何度かシュミレーシュンしたが、ちょいと今の実力からは無理と判断し46分を設定。折り返しの後半をキロ4分20秒を切って走る脚力はないと判断した。
シュミレーションしながら、スピード強化は今後の課題としてインターバルトレーニングなど積極的に取り入れねばと思った。

スタート。奥が僕
 さて当日。ぼくは走友会メンバーと合流し、体育館の中央に幟(のぼり)を立て我らの陣地が完成する。
歓談やウォーミングアップも束の間に、気がつけば選手はスタート地点に集合するようにアナウンスが流れていた。
定刻通りハーフ、5㎞とスムーズにスタート。ゲストランナーの有森裕子さんの激励と共に歓声が湧く。そしていよいよ10㎞のスタートだ。ぼくは走友会の快速女子R子さんの後ろについて行くことに決めた。

 スタートのペースは想像より早く、とてもついていけそうになかった。2㎞手前ぐらいから落ち着き、R子さんの後ろにこっそり(笑)取りつくことができた。
海からは強い風が吹き、ランナーの行く手を遮った。有森さんがスタート前のアナウンスで「自然とケンカしても勝てない」「風に対して思いっきり屈み込みなさい」と話していたことを思い出し、その通り実践してやり過ごす。前半は気分良く走ることができた。
折り返しまでR子さんの背中をみて23分30秒。想定より10秒遅い。

 折り返しから彼女は一気にペースアップ。トレードマークの黄色いTシャツがどんどん遠のいてゆく。追いすがろうとするが息が続かない。
風はアゲインストからフォローに変わる。風が背中を押してくれる。けれどぼくはペースキープがやっと。力が出ない、あるいは出せない状況だった。
風が再びアゲインストになり、残り4㎞あたりから雨が降ってきた。時計を見て逆算する。まだ46分台はある。

 今振り返ると、折り返し以降、追い越されることはあったが追い抜いたことは殆どなかった。今にして想えば、ペース配分の問題だろうか。
例えば、シュミレーシュンを3㎞ごとに設定をして、残り1kmを死んだ気でスパートするという考え方もあったかもしれない。そもそもバリエーションに富んだペース配分に慣れていないことが要因だが、10kmはあっという間の出来事なのだと認識した。
また当日の環境条件、今回ならばアゲインストの風をもっと考慮することも必要だったのかもしれない。

 再びレース回想。
 水族館を通過し、寺泊のメインストリートに出た。バスターミナルを抜け真っ直ぐ進む。雨が一段と強くなった。誘導に従い左折するとゴールが見える。激しく降る雨の中、有森さんがコースの真ん中でランナーを迎えていた。ぼくは左手でタッチ!
ゴールの時計が47分になろうとしている。力を振り絞りフィニッシュ。47分2秒。PBだが目標には届かなかった。

 ぼくはすぐにフィニッシュラインから踵を返した。ゴールに入ってくる走友会のメンバーに声援を送る為だった。土砂降りの雨が、さらに勢いを増したような気がした。熱い体を急激に冷やす雨だった。
今年の10㎞レースが終わった。

10/23までの走行距離…114km

2012年10月16日火曜日

10月第2週、週末のこと。

 今だに先週のフルの余韻に浸っているようだ。この週は疲れを癒すことに専念して5㎞前後のジョグを数回やった程度だ。脳がセーブをかけているのかもしれない。 

餌木3.5号 アオリイカget!!

 そして週末。この時期に恒例化している気の置けない仲間たちとの佐渡釣行。アオリイカを求めて(エギング)佐渡アイランドをさまようイベントだ。今年で5年目。7名の烏賊バカが参戦。釣果は釣り人の頭数からみたら散々な結果の11杯。昨年の激不漁(烏賊2杯/釣り人8名)からみれば飛躍的な数字だ(笑)25cmクラスが数杯揚がったことが救い。地元のベテラン釣り師曰く、先週はものすごく良かったんだ。数が揚がったんだと行く先々で聞かされる(毎年そう言われているかも)。自然相手、生き物相手はむこう合わせなので仕方が無い。決して我々のアームのせいじゃないと言い訳し、佐渡へ向かうフェリーのでのビッグマウスは何処へやら、帰りはうな垂れ2日間の疲れを癒すように爆睡。新潟港に到着したころ右投げ左巻きのぼくの二の腕が少し筋肉痛だった。
 走ることにはまってから、今まで継続してきたいくつかの物事に時間を割けなくなっている。エギングもその一つだしゴルフからも随分遠のいてしまった。時間は限られている。両立できればよいがなかなかどうして。行きつくところ、やっていて一番楽しいことを選択をした結果なのだ。

 今週10/21日は寺泊マラソン10kmにエントリー。週の練習は息を整える目的でビルドアップをちょいちょい取り入れる。45分切れるかな? 港が近いのでエギング支度も忘れずにもっていこうと思っている。鮮魚センターで買った方が早いのは間違いないけど。

10/16日までの走行距離・・・86km

2012年10月11日木曜日

'12新潟シティマラソンのこと

雨が降ってきた。
「雨が降るなんて珍しいな」隣に並んだランナーがつぶやいた。
確かにシティマラソンにエントリーするようになってから雨が降った記憶はない。
「これならきっと気温は上がりませんね」ぼくはそれとなく返した。
男性は長い海岸線が嫌になるとか30kmを過ぎてからが心配だとか堰を切ったように話し始め、ぼくは相槌を打った。スタート号砲の数分前のことだった。気が紛れて丁度良かった。

新ロゴです
 前方で歓声と拍手が湧き起こった。いよいよだ。スタートの号砲とともに花火が打ち上げられる。歓声を上げた大きな集団がコースに沿って移動を始めた。規則正しくアスファルトを踏む足音が街を圧倒する。仲間たちとおしゃべりをするランナー、後方集団をかき分けるように進むランナーなど様々だ。最初の1kmは6分20秒。ちょっと遅すぎかなと焦りを感じるが、始まったばかりの長い道のり、諸先輩方のアドバイス「最初はゆっくりとね!」を想い出しながら練習の入りの感じで進むことにした。三越の交差点を右折し礎町(いしずえちょう)へとランナーの大群が進む。前回も感じたが圧巻だ。同じ群れの中でこの光景を画像に納める方々が散見される。万代橋を駆け上がり、橋の中央に差し掛かったとき、後方から高橋尚子さんがやってきた。つかさず左手でハイタッチ!予想外にその手はあたたかくパワーを分けてもらったようでやる気にスイッチが入る。偉業を成し遂げた人物から伝播する力は尋常ではないのかもしれない。

 ビルボードプレイスを過ぎ川沿いに出る。幅員が狭く自分のペースを保ちにくいところだ。3km地点で18分。スタートから計算すれば5分50秒できている。隙間を突き徐々にペースを上げつつも、決して焦らず気持ち良く走ることを心がける。最初の給水、県庁のジグザグ道を駆け抜け千歳大橋へ。そこでぼくは大きく右にきれ、自分のペースで坂を登りおもいきり下った。有明大橋もおなじようにした。10㎞地点は58分で通過。設定目標より3分超過。4時間切りの最低限のペースである5分40秒より早く走っているのでそのまま海岸に向けてイーブンペースで進む。

 海岸通りに入った。しばらくすると骨っ子さん家の応援プラカードを発見。通り際に左手を上げながら声をかける。気付いてくれただろうか。雨の降る中の応援に頭が下がる。本当にありがとう。

 ぼくは相変わらずイーブンで進んだ。少し余裕があり全力で臨んでいないような気持ちがして少し後ろめたい気がした。まだ先は長いからと自分に言い聴かせる。ペースアップを考えたが気持ちにブレーキをかけ、その分という訳ではないがしっかりとフォームを意識して進むことで折り合いをつけた。そんな頭の中のやり取りをしていると折り返しのランナーとすれ違うようになった。すぐに走友会の面々も現れ始めた。可能な限り声援を送り、送り返された。いつかあの中にぼくも入れるのだろうかと想像したが途方もないことにしか思えなかった。

 20㎞通過は1時間52分。設定した目標をやや上回る。折り返し地点を過ぎたところで持参の糖質のエネルギーを補給し、更に25㎞のエイド手前でアミノ酸を補給する。容赦ない大粒の雨が降ってきたがキャップとサングラスを着用しているので苦には感じられなかった。濡れたシューズは今更どうにもならないので水溜りを気にすることなく駆けた。またこの日の為にあつらえたランパン、ランシャツも雨の中なんの違和感もなく装備は全く問題なかった。

 30㎞地点を通過したが時計を確認するのをうっかり忘れてしまった。というか確認したかもしれないが覚えていない。このあたりからは記憶が虚ろになる。少し先の関屋分水を超え、32㎞のエイドでバナナをまるごと1本もらう。左手にバナナ、右手に飲み物を持ちながら走る。そんな自分が妙におかしくて走りながらニヤニヤしてしまったことは鮮明に覚えている。
 残り10㎞。ここからペースを上げれば想定以上のタイムを叩き出せるのでは!そんなことを考えていたせいか、僕に対する声援には全く気付かなかった(らしい)。沿道から「キューちゃんが前にいるよー!いるよー!」と何回か同じことを言われても、何のことか理解ずに進むと、確かにあの高橋尚子さんがコースで通過するランナーに声を掛けていた。まったく素晴らしいサービス精神だ。ここは右手でハイタッチ!アイコンタクトが叶わなかったのが残念。立ち止まって両手をがっちり握りしめるべきだったかもしれない。

 入船タワーの折り返し、歴史博物館の撮影ポイント、柳都大橋、万代橋を通過して確実に陸上競技場に近づいていく。ゴール目前に関わらず歩くランナーは決して少なくない。沿道からはあと◯㎞とか、ラスト!とか、という声援が絶え間なく掛かる。周囲への認識はあるのだけれど、ぼくにはそれらがことごとく虚ろに感じた。キツくて苦しい、スパートをかける力もない。ただ止まれない、止まってはならないと強く念じながら走っていた。残り数キロは周囲を感受する能力が欠落し、表層の意識が無意識にとって変わったような状態だった。(うまく表現できない!)ただひたすら走り、前にすすむことしか出来なかった。

フィニッシュまで200m
競技場に入った。ペースは変わらない。みんなが見え右手を上げた。ゴールは目前だ。最後のコーナーに入り、ぼくは右にきれド真ん中のコースに位置をとった。少し背筋を伸ばしゴール板を越えたところで両手を挙げた。3時間47分。ほんの一瞬だが、湧き上がる感情があった。スピードを緩め足を止めた途端そこから動けなくなった。思った通りだった。

 翌日、長めの散歩をした。翌々日は全休。3日目からジョグを開始。次は寺泊10㎞だ。レースまでに強い練習はできないと思うが疲れを癒し、体調を維持して45分切り狙いたい。


10/11までの走行距離・・・72㎞

2012年10月4日木曜日

H24.10月第1週、フル直前のこと

新潟シティまであと数日となった。レース1週前の過ごし方をネットで調べると概ね以下のポイントが絞れた。

○1週間前くらいにスピード(10km程度)練習を行う。
○平日はジョグ40分〜50分を走る程度にとどめる。4日前ぐらいに6km程度を実際の目標ラップで走るのもよい。
○食生活は暴飲暴食を避けバランスのよく摂る。アルコール、カフェインなどは3〜4日前から控える。カーボローディングをレース3日前から行うのも良い。(僕には必要ないだろうな)
○睡眠、休息をしっかり取る。
要するに、レース前は肉体的な疲れが残らない範囲で練習を行ない、ココロと体を穏やかに保つことが肝要なのだ。またレース当日のことは小出監督氏のコメントが具体的で実行しやすい。これも要点をまとめる。

○起床時間はレース前の4〜5時間前。
○起床後、近所を10〜20分散歩する。
○朝食はレース3時間前に済ませる。レース前の副食は消化の良いものを選ぶ。
○アップは15分程度歩くぐらいで十分。ストレッチはこまめに。
○レース直前は体温を維持すること。

以上である。ここまでは、すべてネット上位ページのいいとこ取りでしかないが参考にしたい。(多少数字が違っているかもしれないがそこはご容赦ください)

走友会の諸先輩方からもたくさんのアドバイスはもちろん、走ることが好きで好きでたまらない姿を見せていただいているし、走る仲間をつくるともっと楽しんだぞ!ということも十二分に教わった。ほぼ精神論だけで孤独に臨んだ昨年とはまるで違う。プロセスなりの結果が出せるかは「走りたい」という気持ちを僕がピークに持っていけるかだろう。金曜日に受付を済ませるつもりだ。ワクワクしてくる。レースはすぐ目の前だ。

10/3までの走行距離・・・10km

2012年10月1日月曜日

フルマラソン前週のこと

 先週末から殆ど走れていない。本来ならハードな練習の翌日ほど鍛えがいがあるというのに走る時間がつくれなかった。
 晩酌の理由づくりに体を動かした程度で距離は稼げなかった。それなのに週末9/29(土)は気分任せで走る。理由は特にないがそうしたかったから。

 翌30(日)は走友会メンバーと合流して最終調整を行う予定だったが、こちらも急な用件のために叶わなかった。ならば2ヶ月前からコミットしていた、自宅から福島潟周辺を廻るコースを1時間以内で走り切ることに挑戦することに。フル前の調整練習としては適切ではないかもしれないが、9月の締めのRUNとしては悪くない選択だと思った。

 アップそこそこにスタート。必ず1時間以内に走り切る自信があったので、時計は気にせず進んだ。
 いつも一人で走るときは様々なことが脳裏をよぎる。それらに捉われてしまい、走りに集中を欠いてしまいがちだが、今回はフォームやピッチに、とにかく走りに集中するよう心がけた。
 姿勢を真っ直ぐ正す。一完歩を数ミリでも前に置く為にハムを、膝を上げることを意識する。ストライドを大きく取るために腕の振りにも意識を向ける。そうしたルーティンを繰り返しながら淡々と駆けた。
 目安にしているポイントで前回挑戦した時より3分ほど早く通過した。以降、ややピッチを落としフォーム(姿勢)重視で進んだ。
 ラスト1km、目標タイムまで残り5分。そしてスパートして59分50秒でフィニッシュ。3度目の挑戦で目標を達成した。自分で決めた目標を到達するのはなんとも清々しい。けれどゴール手前のスパートダッシュは決して格好いいものではなかった。次回はスパート無しのイーブンペースで走り切りたいと思った。

 同夕方。台風が近づく鉛色の空の下、僕は晩酌の理由を作るため、軽くジョグへ出掛けた。これがホントの9月の走り締めだ。天候とは裏腹に福島潟放水路は多くのジョガーで賑わっていた。すれ違い挨拶を交わす。皆さん、何か明確な目的を持って走っているのだろうか。それとも走ることが大好きで仕方がないのだろうか。別に意味がなくてもいいのだけれど、尋ねられるのならば伺ってみたいものだ。

 次の日曜日10/7は新潟シティマラソン。僕の目標のレースだ。憂いていることはスタート時の入りと、幅員の狭い区間の混雑は免れないということだ。何はともあれ持てるすべての力を発揮すのみ。

 今月の走行距離・・・245km

2012年9月25日火曜日

9月第4週週末、追い込み練習で学んだこと

 9/23(日)の練習は新潟島2周を走る。入りは6分台ペース/km。他愛ないおしゃべりをしながらゆったりと進む。体が温まるにつれジワジワとペースアップして5分後半で1周目を終了。
 2周目はペースメーカーのUさんが段階的にペースをあげる。少しづつ呼吸が苦しくなり、僕は5分を切ったあたりから先頭から徐々に離されていく。ついに皆の背中が見えなくなった。
 20kmを過ぎたあたりから5分20〜30秒あたりのペースをなんとか保つ。決して楽ではない。無駄な力は極力使わないように体の軸を意識して走る。ほとんど気にならない小雨が心地よかった。スポサンをしていれば雨が目に入らずにすんだんじゃなかったとか、ペットボトルの中身はまだ半分ぐらいは残ってるぞとか、つまらないことをを取り留めなく考えながら走り続ける。
 28キロあたり(団子屋さん)で先を行ったメンバーが僕を待っていてくれた。一息つき再びスタート。残り2キロはゆったりとしたペースで入船タワーへと向かった。
 結果的に島2周をかろうじて3時間以内で走り切ることができた。練習でしっかりと走ったのは初めての経験だった。入船タワーで着替えを終え、椅子に腰掛けてよく冷たスポーツドリンクを飲みながら僕は達成感にひたった。けれど本番はあと12キロは走らねばならないことを思うとひどく自信を失いそうになる。

 練習会後の飲み会で大先輩のSさんが、
「時間設定して走って、途中へばってダメならリタイヤしたっていいじゃない。次ににつながる何かがきっとあるよ」と背中を押される。
 今日の練習を引っ張ってくれたUさんも、
「しっかりと走破タイム設定と計画を立てるべきだ」
うん。もっともだ。
「左腕に目標時間を書いてそれを時々見ながらは走ってもいいんじゃない?」
おっ、それいただき!諸先輩方のおっしゃる通りに、とにかくできることはやってみよう、そう素直に思った。

 2次会はUさんの家で宅飲みだった。初めてお邪魔したのだけれど、何故かとっても居心地がいい。突如招集され、ビールを大量に持って現れたMさんもおかしかった。Uさんの奥さんも手品みたいにいろんなお料理を振舞っていただいた。いつお会いしても笑顔の絶えない素敵な方だ。9時頃にUさん宅を後にした。
 本当に楽しく、充足した一日だった。


9/24までの走行距離・・・207km

2012年9月22日土曜日

9月第4週のこと

9/18,19連続で朝寝坊して朝RUNが出来なかった。先週は福島、千葉、栃木と常に日帰りで行ったり来たりと、極めて非効率な移動で本当に疲れた。ほぼ1週間でこうも移動するのは生まれて始めてだと今気づいた。どちらかと言えば椅子に座って口を動かしていることが仕事みたいなもので、そうそうあることではない。トレーニングする意欲が上がってこないので開き直って連休に充てた。その甲斐あって週後半は気持ちよく走ることができた。

話は一変するが9/16に行われた村上国際トライアスロン大会で、所属している走友会のメンバーが大活躍だった。そういった力のあるメンバーと一緒にトレーニングしていることがとても誇らしく、また各人が実力をいかんなく発揮していることがとても羨ましく思えた。日頃のトレーニングの成果である。僕の今年最大の目標は新潟シティマラソンフルの完走だ。彼らのように自分の力を出し尽くし、燃焼できるのだろうか。集中力を切らすことなくただひたすら走り続けられるのだろうか。様々な不安が募る。目標はもうすぐそこまで来ている。


 9/22までの走行距離・・・177km

2012年9月19日水曜日

9月第3週のこと

秋の気配が感じられるようになった。早朝ランニングシャツに短パンだと少し肌寒く感じ、少なくとも週の前半は行き交うジョガーの格好も中間期の装いだった。週末からはまるで様相が真夏に逆戻りするのだけれど。それでもこの地域は稲刈り作業が最盛期を迎え、視覚的には秋の深まりを印象付けながら、夏を思わせるようなうだる暑さのままという、チグハグなことになっている。

9/15(土)。やまびこ通りを第二駐車場から坂を下り村杉温泉へ。いわゆるいつもとは異なった逆走コースだ。うららの森の交差点から村杉に入り、やまびこ通りを目指す。森林に囲まれた一定勾配の直線的な登り道が続く。何度走っても登りは嫌いだ。体が何倍も重くなった気がする。やはり向き不向きがあるのだろうなと思いながらヨチヨチと走る。やまびこ通りへ入ると予想に半して楽に進むことができた。頂上に到達してからはいつも息を切らしながら登る道を堰を切ったように(気持ちは)下る。あれよあれよとスタートの第二駐車場に到着した。異論はあるだろうが、やまびこRUNは第二駐車場から登るコースの方が醍醐味があるようだ。辛いけど(笑)まあ、これが体感できたことを良しとしてこれにて朝RUNはこれで終了。え?と思われるだろうが、実はこの日はAM3時にアルコール(主に焼酎)漬けで帰宅。奈良漬けみたいな状態の早朝RUNだった。これも実に体に悪いことがよーくわかった。そのまま村杉温泉で湯に浸かり帰宅。夕方、調子が戻ってきたのでいつもの自宅周辺コースを走りはこの日のRUNは終了。

今月は仕事で他県へ行くことが多い。帰宅してからのジョグの時間がつくれない分、朝RUNしつつ週末はがっちり距離を稼ごうと思っているが、先のように実際はなかなか上手く行かない。だからそれなりに頑張るとしか言いようがない。フル前の長距離走は週末(9/23予定)の走友会の練習会が最後になりそうだ。

9/17までの走行距離・・・157km。

2012年9月13日木曜日

9月第2週週末のこと

9/8(土)。入船タワーから海岸沿いをトレースするように走り関屋分水へ。たまには気分転換と思い昨年の記憶を辿りながらフルマラソンの折り返し地点を目指すことにした。

海岸線をひた走る。目的地を考えると少し気が遠くなったが、道中いくつかのうねるようなアップダウンは昨年の印象より緩やかに感じたのが救いだ。昨年は僕自身が初フルということもあったのでタフな印象が残っていたのかもしれない。

新川大橋に到達し左右の景色が広がる。下を覗くと随分と高い所を走っていることがわかる。そして海の向こうには、かすかに佐渡の輪郭が見えた。橋の頂点からゆっくり下りながら進むとフルの折り返し交差点だ。ここまで1時間40分。海岸線の片道は約1時間の道のりだったというわけだ。僕は踵を返し来た道を戻る。また1時間かと思うと気持ちが萎える。けれど戻らないわけにはいかない。

再び新川大橋にかったところで男性ジョガーにあっさり抜かれる。それが緩んだ気持ちや走るフォームを引き締めるきっかけとなった。彼との距離を縮める事は出来なかったが走ることに集中し、気がつけば小針浜に差し掛かろうとしていた。喉の渇きもあったがそれ以上に空腹を感じ始めていた。朝食を摂ってくればよかったとひどく後悔する。

関屋分水で海岸から入船タワーに戻るか、やすらぎ堤へ進路を取るか悩んだが、やすらぎ堤に向かうことに。本川大橋を越えた最初の水飲み場で水を飲み、空っぽのペットボトルに水を汲んだ。そして、再び走り始めようとすると脚や腿が軋むようだった。空腹感と重なり走ることへの気持ちが激しく萎える。要所要所にエイドがあればなあと思ったとき、マラソン大会とはなんと恵まれているのだろうと感じた。僕のようなランナーには各種エイドはなくてはならない。結局そういった何者かの助けを借りながら僕は走っているにすぎない。それは今日も同じだ。水分補給はやすらぎ堤の水飲み場が頼りだし、折り返しのジョガーよろしく目標となるランナーを見つけてモチベーションを上げなければ諦めているだろう。こうしてその時のことを振り返りながら文章にしていると、走り始めて3時間を過ぎたあたりから、心と体がこれ以上走れないんじゃない?とシグナルを送ってきたように思う。そして新ためて考えると、走ることに「強く」なる為にもっとも必要な訓練とは、もう駄目かも、というところまで本質的に追い込めることが出来るかどうかなのだと、今更ながら気付く。

どうであれ、脚を止めるわけにはいかなかった。止まれば終わりだ。とにかく走り続けることだけを想った。何人ものランナーに追い抜かれ、まれに追い抜くこともあった。食らいつこうとして速度を上げるがあっさり千切られたりもした。そうしているうちに万代橋、柳都大橋と抜け残りがみえてきた。
ヨレヨレになり入船タワーに辿り着く。3時間40分を過ぎていた。途方もない時間を走ったようだった。脚腰が軋み、痛んだ。けれどそれらと引き替えに、この日は多くのことを学ぶことができたし、ちょっぴり自信もついた。おそらく故障しない限り、僕は次のフルでは歩くことはないと思う。それは僕一人でなければ、誰か周りにランナーがいればなんとか走り続けられるコトが分かったからだ。やっぱり誰かの力を借りながら僕は走っているにすぎない。

翌日は走友会の皆さんと島RUN。僕は島を1周。走り始めから昨日の疲れや痛みは若干あったが走り終えてからが酷かった。午後から温泉に浸かってのんびり過ごした。が月曜の朝が一番辛かった。かなりの遅延ぶりに我ながら驚いた。こんなんで大丈夫なのか?

9/13までの走行距離・・・127km

2012年9月7日金曜日

H24.9月 最初の週末のこと

 9/1(土)午前1時過ぎ。突然目が覚めて眠れない。まんじりともせず横たわっていると外は涼しいはずだから走っちゃおうかと思いつく。そう考え始めると止まらない。一人きりの夜走行の始まりだ。月明かりが道路を照らし、走るのことに支障はなかった。福島潟駅伝コースを4周とその辺をプラプラして15km。帰宅は午前3時を過ぎていた。久々の深夜徘徊だった。シャワーを浴び体を横にするとすぐに眠りに落ちる。で、気がつくと朝5時前。習慣とは恐ろしいものだ。いつもの起床時刻に目覚がめる。仕方ないので5kmジョグ。翌日もあるのでこの日のトレはこれで終了。

 翌9/2(日)。笹川流れ30km走に挑戦。午前7時に瀬波上町の交差点からスタート。岩が崎を越えると正面に粟島がくっきりとその輪郭を現している。空は澄みわたっていた。
 遠くに見える浜辺からはいく条もの煙が見えた。何だろう?と思いながら進む。国道沿いには大小様々な形の田んぼが並んでいて、空にはたくさんのトンボが群れて飛んでいる。稲が朝の陽光に照らされて金色に輝き、そのほんの少し上を飛ぶトンボの羽根が銀色に燦めいていた。時折トンボの群れが海風に乗り浜から山の方へ流れるように飛んで行く。それを横切るように僕は走りつづけた。

 時間の経過と共にじわじわと陽射しが強くなってゆく。僕は日陰を捜しながら走った。ようやく上海府(カミカイフ)に辿りついたとき、先ほどの煙の正体に出くわす。浜辺に打ち捨てられた廃材、海水浴に訪れた人々が残していったのであろうゴミをクマの手でかき集め浜辺で焼いていたのだった。幾分塩気を含んだ、燻された煙の匂いがあたりに漂って鼻をついた。海水浴で賑わっていた浜辺から人々は消え歓声はもう聞こえない。穏やかな波音と夏の残骸が燃える匂いがあった。

 桑川付近から竿をシャくる釣り人が多くなる。ターゲットはアオリイカ。エギングシーズンの幕開けだ。2年前なら確実に僕もその中に混ざっていただろう。国道の橋から釣ることのできるポイントで同長(どうちょう)8cmぐらいのがあがっていた。うしろ髪を引かれる思いで横を走り抜けた。
 桑川からいくつかの短いトンネルを抜けベースキャンプの板貝(いたがい)に到着。ここまで概ね2時間。少し色あせたパラソルが浜辺にひっそりと立ち、離れたところで子供達が2人きりで砂遊びをしていた。僕はアミノ酸と水分を補給して再び走り出す。もう、いくら探しても夏の喧騒はなかった。僕だけが夏を忘れられずに海岸線を走っているようだった

僕は折り返してベースキャンプへ戻った。シューズを脱ぎ捨ておもいっきり海に飛び込んだ。この爽快感が忘れられなくて、笹川流れを好んで走るのかもしれない。今年最後の海水浴を楽しみ、弱まることを知らない陽射しに全身をたっぷり焼かれることにした。


9/6までの走行距離・・・60km

2012年9月3日月曜日

8月の締めについて

8/29(水)夕方、新しいシューズが届いた。ぼくのランニングシューズ選びは機能性よりデザイン重視でニューバランスやリーボックなんかを好んで着用してきた。今度のはミズノのシューズだ。紐なし、マジックテープで左右を固定する、ちょっと変わったタイプだ。届いたシューズを見た娘が僕に尋ねる。
「これ、大人用の瞬足?」
「まあ、そうかな」僕は答える。
「じゃあ、早く走れるんだ」
彼女はそう云いながら素っ気なく立ち去った。きっと、ぼくの買い物は無駄遣いばっかりだと嗤っているのだろう。少なくとも間違ってはいない。けれどそんなこと以上に、改めて男の欲しがるものは女性には本能的には理解できないんじゃないかと思った。逆もしかりだけれど。

8/30(木)小雨だったが早速ミズノを試走する。今までのモノより土踏まずの前方で着地する感覚で、足取りが素早くなった。ラスト(足型)のフィットも悪くない。しばらく馴らしが必要だろうが、次の大会にはこいつを相棒に走ろうと決めた。満足。

今月の走行距離は226キロ。もっと距離を稼ぎたかった。そして、内容を振り返るとスピード練習が不足している。9月はレースにエントリーしていないぶん、新潟マラソン前の長距離走を複数回行うつもり。体調管理に気をつけて、この新しい相棒と走り込むのだ。

2012年8月26日日曜日

8月第4週のこと

 今日は8/26(日)。あらためて今週を振り返ると、慌しく気忙しい1週間だった。先週末から仕事上の優先事項が発生し僕の主権はほどなく失われた。そして週中に区切りがついた途端、全く予期しなかった知らせが舞い込みバタバタとなった。今週は実にいくつもの計画や物事が同時に進んでいたので僕自身強い緊張とプレッシャーが続いた。そしてまだそれらは完全に終わってはいないのだけど。

 もちろんランニングは欠かさなかった。出勤前の定番ジョグはもちろん、出張バッグには常にランツール一式を忍ばせたていた。今月中旬のロスを取り戻したいという気持ちもあったが、忙しいことを理由に走れないとか、準備不足でやれなかったとか言いたくなかったからだ。ロスはもう過去のことだし、今更時間をつくるのが難しいなんて僕自身が納得できない。こういうときほどオフタイムでしっかり走って自分自身をキープすることは重要なのだ。

今日はそんな最中の句読点みたいな日だった。ほぼ一ヶ月ぶりに走友会のメンバーと合流し、やまびこ通りで汗を流す。重鎮の方々ともすれ違い、元気な笑顔を確認できた。この夏の間、僕は僕なりに自主トレを重ねてきたが、皆さんもまた練習を重ねてきたようだ。各自目標とする大会がすぐ目の前に控えていることもあり気合十分。よい刺激となった。

 村杉のうららの森で食べたソフトクリームが濃厚だった。更に帰り際、トライアスリートA女史から頂いたアイスが旨かった。お心遣いありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。
 来週は佐渡に浦佐。皆さんの健闘を祈りつつ僕は笹川流れで自主トレを予定。暑さ厳しく過酷な状況は続くけれど、それぞれの目標とする大会が季節が幕を開けようとしている。


8/26までの走行距離・・・213キロ

2012年8月20日月曜日

8月第3週週末のこと。

18日(土)。おおよそ12kmのタイムトライアルに挑む。明け方に起床し柔軟体操で簡単にウォーミングアップ(いつもは殆どしない)してスタートする。要所で時計を確認しながら結果的には62分でゴール。目標タイム60分には届かなかったが全体的には楽に走れたのでそれほど不満はない。けれど、どうしたらこの課題を超えられるのかが思案のしどころだ。残り20分でペースを上げて(つもり)ジャストを狙ったのだけれど。これを踏まえまた来週チャレンジしようと思う。今のところは、これが自分に相応しい練習だと考えているので諦めず取り組んでいくつもりだ。

日曜日はまた笹川流れへ。と思いきや、家族に別メニューを求められる。平和的に解決するにはヒステリックに声を荒立て一方的な主張をしたり、パフォーマンス的実力行使するのはの家長としての威厳はいずれ失墜するだろう。両者相たがわぬ意見の衝突の際は、それらもろもろの利害を全体的に包括した鳥瞰的視野でテーブルにつかなければ何も始まらないと僕は思う。あれ?なんの話だったかしら?子供達の主張は遊水館で遊びたいとのこと。え・・・?と思いながら敢えてコメントは避けて、ならば開館までの時間を自由にさせてもらうことで合意に達する。

19(日)早朝。距離をこなす為に新潟島へ向おうと一旦車に乗ったのだが、あまりにも外が涼しいので移動時間すらもったいなく感じられてしまい地元練習に切り替える。福島潟放水路RUNへ。しかし陽が昇りにつれて確実に気温は上昇。AM8時集合の走友会メンバーは暑さに耐えられるのかな?とちょっと心配になった。僕は放水路から外環道~カブトヤマへとコースを取りトンネル内を数往復。前日の疲れのようなものが腿に感じられ予定距離は諦めて帰路についた。日曜日としては久しぶりに朝食を自宅で食べた。そして目一杯家族と過ごした日となった。


 8/20までの走行距離・・・154km

2012年8月16日木曜日

8月第2週お盆期間のこと。

体調を崩した。気管支炎を患いほぼ4日間練習はおあずけ。しかもこのブログを書いている今も完治にいたらず、今月は走行目標の到達が危ぶまれる。月初の貯金でくらいついていけるかも怪しいジリ貧状態に陥っている。けれどポジティブに考え、恐らく長いであろうジョガー人生にはままあるオプションだと思い状況を楽しむことにしたい。まあ、それと体調管理はまったく別の話だけど。

さて、11日(土)は夕方、様子見程度の軽いジョグ。4日間休養明けで随分と脚が重い。脚腰の点検をしながら5kmで終了。2日間以上練習を空けてしまうのは僕にとってよろしくないことを改めて感じる。脚腰の筋肉に刷り込んできたお願いごとがかなり忘れられてしまったようだ。トレーニングを重ねるというのは各部位に、こうやって動いてくださいねと低頭してお願いに回るようなもので、ちょっとでも怠るとすぐにそっぽを向かれてしまうものなのかもしれない。

瀬波上町の交差点
翌12日(日)は恒例の笹川流れへ。これが僕にとっては病み上がりの復帰戦だ。6分ペースで瀬波上町の交差点からベースキャンプの板貝まで走る。瀬波橋~姉ヶ崎~野潟~馬下~桑川と想像以上に距離を感じたが、概ね21kmを2時間10分。決して楽ではなかったが思う存分走ることを楽しめた。あまり気温も上がらなかったことも味方してくれた。漠然と立てた目標だったがクリア出来たことでひとまず満足する。

ベースキャンプに到着

今年もお盆休みはそこそこで16日早朝は出張先の千葉の成田でジョグ。中台のトリムコースへとも思ったが、成田散策を名目にニュータウンのイオンで折り返し、成田山周辺を走る。起伏が多い地形は走っていて楽しい。蝉の声がボリューム一杯に鳴り響き暑い一日の始まりを告げていた。僕は日陰を捜しながら50分程度ジョギングした。体調は確実?に回復している。今週末はスピード練習としてマイコースで今月2度目のタイムトライアルを行う予定。秋に向けて芽が出るように、今やれることはやろうと思う。


8/16までの走行距離・・・125km

2012年8月6日月曜日

8月第1週、週末のこと。

今月はスピード強化がテーマだと言うと聞こえは良い。が、本当のところは暑いのでさっと練習を切り上げるための口実に過ぎない。さて、週末の練習について記そう。

 8/4(土)は早朝、福島潟周遊コースと名付けた距離にして約12キロのコースでペース走を実践。結果は66分。平均すれば5分30秒だが後半緩んだ結果だ。中盤は良いペースだったがスタミナが切れてしまった。次回は60分を目標に臨みたい。ゴールで給水してつかさず距離を稼ぐ目論見だったが、走り出したら妙に体が重く感じられたので練習はこれで終了。 

8/5(日)。笹川流れの板貝を起点にLSD。前日のスタミナ切れを教訓に夜はご飯をしっかり摂る。念には念を入れて早い朝食も済ませてスタート。朝7時。気温はすでに28℃と上昇の一途。容赦ない陽光に照らされて僕は桑川へ向かう。お約束の旧桑川小学校の坂は大きく後ろに腕を振った分だけ脚を前に出すイメージでダッシュ。木陰で涼しいぶん頑張れた。やまびこ通りには到底敵わないが坂路練習だ。県道に戻り、鳥越トンネルをくぐり抜け暫くしてベースキャンプの板貝へ戻るためにUターン。日陰を探しながら走るが、徐々に陽射しから逃げることが難しくなってきた。

陽光が山の真上辺りに見える。走り始めから70分程経過。ベースキャンプを通り越し次は脇川を目指す。気温は32℃を超えている。気力体力ともGOサインが出る。バックパックのハイドレーションといくつかの塩飴が頼りだ。

 陽射しに焼かれながら、不意に今川あたりで土曜のロンドン女子1万mのディババ選手のフォームを思い出す。頭から腰の曲線が的に射られんと絞られた弓のように見えた。特にラスト1周はまさに彼女自身が放たれた矢のようだった。弓以外の喩えが他に見つからない。網膜に焼きついたあのフォームを思い描き、自身のフォームに具体化しようとイメージする。そんなことをしているうちに脇川大橋を渡る。

駐車場で水を浴び体を冷やした。体が熱い。駅までは無理と判断してここでUターン。5km先の板貝を目指す。時折吹く涼風が今は生暖かい。著しくスタミナを消耗する。心の支えは海に飛び込んだときの爽快感と、クーラーボックスの中で僕を待っていてくれるビールだ。結局ベースキャンプに辿り着いたのは9時20分を回っていた。

走行距離は22km。費やした時間は2時間20分以上。前回よりも格段に透明度が増した海に飛び込んだ。


8/6までの走行距離・・・69km

2012年8月3日金曜日

H24.8月 第1週のこと

暑い。いつ走っても暑い。そもそも僕は暑さにはめっぽう弱い。さらに水分の摂り方を間違えると大抵ひどいことになるので、とにかく喉が乾く前の水分補給と、補給する量は250ml以内を心掛け練習に臨むことにしている。特にこの時期走りだす前のコップ一杯の水は絶対に忘れてはならない。

さて。8/1は早朝、放水路コースへ。今日(今月)から意識して5分台のペース走を取り入れることに。最初はキツく感じたが3kmを過ぎる頃には体が慣れてきた。5kmで体が軽くなり結構やれそうかな?なんて気になる。けれど帰宅時間は決まっているので遊水館コースを3周してジャスト50分。まずまずだ。このスピード感で距離を重ねていくつもりだ。

クールダウンしながら家に戻る途中、ラジオ体操へと向かう子供の後ろ姿を見る。夏休みに入ってからこの風景が日課みたいになっていて、僕の記憶の印画紙に焼き付くんじゃないかなぁと思う。暑いけれどこのまま夏がずっと続けばいいのになあと思った。

そして同日夕方もうひと走りすることに。たいした距離ではないが流しを入れたりしてペースを変え刺激を入れる。月初から距離を積み上げることに好感。けど疲れた。

翌8/2。同じく早朝、放水路RUN。前半は7分/kmの5km走。昨日の疲れが脚や腰のあちこちに感じられるのでペースはちょうど良かった。途中キロ5分台を意識して遊水館を1周するが気持ちがついてこないので見切りをつけ終了。
再び同夕方、今朝60cmの鱸を差し入れてくれたお隣のSさんに出会いお礼を述べる。釣果を聞いたところ、なんと立て続けに三本上げ最大級80cmオーバー!なんと羨ましい!場所は教えてもらったが使用したルアーは上手にはぐらかされた。ふふ、流石です。周囲のプレッシャーなんのその一人だけ釣り上げたそうだ。きっと隣にいた釣り師達はは舌打ちしていたに違いない。僕なら間違いない。それぞれの夏の朝があるなあと改めて感じた。その晩御飯は鱸づくし。鱸はやっぱりムニエルが最高。

今回はまだ続きます。
8/3。またもや飽きずに早朝放水路へ。途中、走友会M氏と久々のコース会い。大きなストライドでスピードに乗った力強い走りを見せていた。遊水館へ進路を取ると再び放水路でM氏と遭遇。しばし伴走。おかげで5分走をキープして朝練を終了することができた。

この流れを断ち切らないように暑さにマケズ週末も頑張る予定。 <了>


8/3までの走行距離・・・35km

2012年7月31日火曜日

7月、初めての300km

今月は300km走ること。ずっと呪文のように唱えていた気がする。毎日10km走れば達成できることなのだ。けれどそんなふうに日々コンスタントに走ることが僕にはできない。実際に10km走ろうと思って費やす時間は、準備~ウォーミングアップ~走行~クールダウン~着替えと1.5H(時間)は最低ほしい。そして週1日は必ず休みを取るとすれば、走行日数は24~25日、週末で20km走ればよい。平日は最低1.5H、週末は2.5H走るための時間を確保すれば目標達成となるのだ。

理想的計画は記した通りだが、走ることを最優先事項とするわけにはいかない。許される状況においては順位を入れ替えることはままあるだろうが、僕の場合、仕事はもっとも優先されなければならない。そして、僕自身の生活をより豊かにするためには、友人らとの付き合いも必要だし、読書やネット、音楽を聴くことやテレビを眺めることも欠くことができない。またこうしてブログを書くことなんかも含めると、僕を充足させるために必要なものが数多く存在することがわかってくる。

今月は走ることに多くの時間を費やすために日々の予定を立てた。取捨を迫られ腕組みをした。ときには気分に任せることもあった。そうした過程の中で自然に「走る」ことが上から3番目に優先させる事柄へと変貌を遂げる。分散と集中。分散していた時間の欠片を「走る」時間に結晶させる。必要かそうでないか、今やるべきか後回しにするのか。選択方法をシンプルにすると答えは簡単に導かれる。走るという極めて贅沢な時間を手に入れるために。

今月の練習を振り返りながら、次月は質を濃厚にするための取り組みをこころみたい。目標はすぐ目の前に迫っている。限られた時間で何ができるかをテーマにしつつ走行距離を重ねていくこととしたい <了>



☆7/31までの走行距離 305km

2012年7月23日月曜日

7月第3週のこと(其の2)。

今月は走行距離300kmを目標に距離を積み上げている。そして、何とかぎりぎりのところで到達できそうな気配なのだ(たぶん)。意志の強くない僕が目標達成するプロセスにおいて走友会の存在は不可欠だ。週末の練習会や自主トレ会はもちろん、平日の朝夕を問わず誰かしらメンバーと顔を合わせ、挨拶を交わしたり伴走したり、ひたすら孤独に走ることがなく、ワンパターンに陥りがちな練習にメリハリをもたらしてくれる。特に先週の福島潟駅伝コースでは遭遇率100%。日替わりで楽しく練習できた。ご一緒いただいた皆さんありがとうございました。

週末21日は明け方から福島潟界隈20kmをイーブンペース走。翌22日走友会の練習は前入りして島を1周、トンネルを2周。その後はメンバーと合流し僕は松林ランを選択。偶然?にも護国神社でフェマンさんと一緒になり皆でジェラードして再び松林へ。折り返しで今度は僕が神社のトイレでフェマンさんとお別れ。ジェラードが空腹に効いたみたい・・・。その後うだるよな蒸し暑さと戦いながら、途中何度か水を被り、へろへろになって入船タワーにたどり着く。


午後は北区の公民館で行われた「富山律子さんのピアノリサイタル」を鑑賞。ショパンのエチュードも良かったが、ポロネーズの低音が強く印象に残った。リストも良かった。あっという間にリサイタルは終了。機会があればまたライブで演奏を聴きたいものだ。体も心も充足した連休だった。

今週は福島潟駅伝。五泉ピタランに続き我がチームはダークホース的存在になりうるのか?僕は町内会の地引網イベに参加したあと合流を予定。しかとアップして襷を受け取れるようにしたい。 <了>


7/23までの走行距離・・・248km

7月第3週のこと

 7/16日は祝日「海の日」の名の通り、海へ行くにはうってつけの日だった。僕は海に行くのならば必ず山北の笹川流れ「板貝」の浜辺と決め、もう何年も通い詰めている。だから毎年少しづつ形を変える浜辺のことや、駐車場やシャワーを管理するおばちゃんやおじちゃんの顔も判る。9月中頃ともなると賑わっていた浜辺にはほとんど人の姿が消え、駐車場のおばちゃん達もいなくなる。備え付けのゴミ箱も消え、水道の蛇口を捻っても水がでなくなることも知っている。あのロケーションと海水は他の選択をゆるさない魅力があるのだ。僕の夏は板貝で始まり終える。そして昨年から浜辺を起点にジョギングすることが僕の海へ行く動機付けのひとつになった。

16日は目標20kmのところ暑さに負けて15km程度で終了。旧桑川小学校の坂を駆け笹川流れマラソンのゴールを想い、今川の民家から山道に入り小高い丘から浜を眺めた。わがベースキャンプに戻りクーラーから冷えたビールを取り出す。完全なるルーティンワークだ。今年も許す限り通うつもりだ。 <了>

2012年7月17日火曜日

7/15 ぴったしランRUNのこと。

日曜は五泉楽走会が主催する「ぴったしランRUN」に参加した。1チーム5名、各自の申告タイム通りにピッタリ走るかという老若男女を問わないマラソンイベントだ。もちろん時計は持ってはいけない。僕ら走友会の‘チームヒグマサ‘は周囲にほとんど期待されてないことをいいことに2位という輝かしい成績を収めた。アンカーHさんの腹時計とK会長の人選の賜物としか言いようがない。そして思いもよらない小さな幸せを運んでくれたマラソンの神様に感謝したい。
ちなみに1位は‘駅伝大好きランニングチーム‘さん。申告に対し15秒差。エクセレント!2位の我々は49秒差であった。結果オーライである(笑)

僕個人としての申告タイムは21分ジャスト。それに対し実際は19分35秒。チームにNO貢献。先月、同じ主旨で開催された「生涯マラソン」を経験しているはずなのにまったく活かされていない。多分走っているときに学習能力を根こそぎ落としてしまったようなので、今後は自己ベストを申請して全力で臨むことを誓います!が、そんな中ひとつ収穫があった。実は、ことのほか楽に走れたのだ。K会長も開口一番「とても楽そうに走ってたね」と、さすがのベテランランナーの慧眼である。

出発前に軽いウォーミングアップ。数キロは5分ペースを仮定しながら脚の運びや呼吸で走りのリズムを確認した。そして会場に入り実際のコースを試走する。僕は第一走だったので後半はペースを上げアップを終わらせた。おそらく十分な距離を走りペース走を行ったことが本番のコンディションに繋がったと考えたい。今後もレース直前のアップ法として試す価値はありそうだ。主旨であるところとはまるで無関係であるが成功体験として記憶に留めたい。

さて主催した五泉楽走会の皆さん、ありがとうございました。天候に左右された大変な運営だったと思いますが、来年の第10回記念大会にも必ず参加させていただきますので、どうぞよろしくお願いいします。

帰宅後、仮眠をとったのちロード練習へ。賞品のビールにありつく理由をつくるために。〈了〉



★7/16迄の月間走行距離 158km

2012年7月12日木曜日

7月第2週。早朝RUNと蓮の華のこと

今のところ今月は順調に走行距離を積み上げている。1日が日曜日という暦にも助けられ7/11まで通算111キロ。5月の走行距離を凌駕している。しかし、そんな意欲に対し体はとても正直だ。「やまびこ」RUN以降、臀部からハムストリングスにかけて筋肉痛とは一味違った気怠さを伴い回復が遅い。走ろうとする僕にブレーキをかける。体のメッセージに耳を貸さないわけにはいかないが、こちらにも都合というものがある。ハムの具合と折り合いをつけながら、気持ちを優先することにする。

そんなこともあり今朝は気分転換も兼ね「遊潟広場」へ進路をとる。思いつきであったがそれは良い選択だった。広場が一望できるところまで出ると、起立する蓮の華が眼前に飛び込んできた。

福島潟は時折々の色を織り成す場所であるが、蓮の華がこの時期であることは知らなかった。まだ蕾が多く先端はピンクに染まり、すぐにでも花開を迎えそうな勢いだった。華に喚起されるイメージはアジアンな、あるいは宗教的静謐だ。しかし実際に群生し直立する蕾や茎は躍動し、生命力に満ち溢れている。それは開花した蓮の華の静謐を醸し出すための重要なプロセスなのかもしれない。この風景が続く間は観察を愉しみに足を運ぶことにしようと思った。

* * * * * * * * * *

この日曜はピタランだ。申告タイムは21分。きっちり5分/㌔走れるとは毛頭思っていないが、一応作戦のようなもの・・・も、まったく考えていないので、明日の新幹線の中で練りに練ろうと思う。
<了>

やまびこ通りデビューのこと

7/8(日)。走友会の練習でかねてから話題にのぼっていた「やまびこ通り」を走る。僕はバックパックに水分補給システムを積み練習に臨んだ。実は前週の「わくわく」練習でやや脱水気味になり、休日の午後を台無しにしてしまったのだ。これからの季節の練習にはこまめに水分補給が必要だ。走友会の大先輩のU氏をマネし準備したのものだ。初モノだけにモチベーションも上がる。トレイルランナーもどきが出来上がる。

さて、出湯共同温泉の駐車場からスタートしやまびこ通りへ。登坂練習の喜びから前半はさほど苦にはならなかった。もちろん最初だけであったが。先導役のH氏(はじめまして)と合流し7名でゆったりしたペースで坂を登る。

通りには句碑、歌碑が立ち並んでいる。それらの句や歌の一言一句を眺め意味を考たり、詠み人を想ったりするのも悪くなさそうだ。近い将来実現するとは言い難いが、そんな時間を過ごしてもいいなと感じさせる場所が案外と身近にあることを知った。

1周目は休憩も含み概ね1時間。2周目はそれぞれのペースではいる。H氏を先頭に快速F井氏、その友人のサブスリーランナーIさん(はじめまして)、M氏と続く。僕もなんとかついていこうと頑張ってはみたが、差は開いていくばかり。上りの途中でM氏の背中を見たのを最後に完全にちぎられた。やまびこ通りにある駐車場から頂上まで約15分。それでも全体で48分以内には収めたいと思い走る。けれどそんな思いに反し50分近くかかってしまった。

練習後共同温泉で汗を流す。少しぬるめだが丁度良い。体がほぐれる。あとはビールがあればもっと良かった。帰宅後、速攻でひと缶飲み干したのは言うまでもない。
尚、バックパックはすこぶる良好。これからの季節の相棒として大切に使っていきたい。<了>

2012年7月6日金曜日

H24.7月第1周のこと

7/2(月)。10/7に開催される「新潟シティマラソン」にエントリーを済ませた。種目はフル。湧きあがるやる気と同時に、昨年のあの記憶が蘇る。

スタートからただひたすらにゴールを想い、そこに辿り着くまで5時間近く走った長い道のりは決して忘れることができない。要所の出来事をいまも鮮明に思い出すことができる。いくつかの情景は皮膚や肉体の記憶と共に残っている。多くは語ることはできないが、それらを想い出すと今回も「完走」を前提とするわけにはいかないのが、今の僕のフルマラソンに対する姿勢だ。

振り返れば本当に無謀だった。けれど時として、そういった類の思考の跳躍や実践は必要だと思う。それは年齢を重ねれば重ねるほど。けれども10kmちょぼちょぼしか走っていなかった人間が、己の執着とわずかなアドバイスを貰ったところで遂げられるほど容易なものではないのがフルマラソンなのだ。確実性を求めるのならば段階を踏み経験すべき代物である。経験した僕はそう実感している。

必達目標が定まった今、モチベーションを保ちトレーニングに専念するのみ。今週は大会エントリーに支えられ、コツコツと距離を積み上げることができた。週末も天候に関わらず走行距離を伸ばそうと考えている。フルマラソンに「まぐれ」はないと言う。少なくとも僕には決してない。これから3ヶ月間コミットに向けたプロセスを大いに楽しみたい。但し、孤独に取り組むのではなく仲間たちと共に。

うーん。我ながら今回も硬い内容になってしまった(笑)。 <了>

2012年7月1日日曜日

6月最終週のこと

6/30(土)。ー早朝から福島潟放水路、福島潟周辺をトレースしながら21km。6月かろうじて月間走行距離200kmにのせた。目標を立て走り始めて半年。僕の生活環境の中での達成のコツがようやく判りかけてきた。達成の近道として取り入れたいのが以下の2つ。

・週末合計30km以上走る。
・月に一回30km走る。

この2点を「楽しみ」ながら実行することが7月のテーマである。
6月前半は走る機会を見つけられず、怠けたせいで後半に走り固めをした。珍しくアフターの付き合いが多く、平日は軽く流す程度でしっかり距離を重ねるところまでは至らなかった。しかし相方(もちろん奥さん)がどういうわけかコンスタントに走り出したので、ぼくとしては彼女を走る動機にしたいと思っている。

さて、本日7/1(日)は走友会練習日。月岡わくわくファームラン。朝、ぼくは奥さんと5km程走り自走で集合場所へ。参加者が一通り集まり目的地を目指す。前日のランもあったのでスタミナを心配してスタートした。

しばらく走っていると、計ったかのようにいつもと同じ場所でフェマンさんがバイクで登場。感心させられる。今日はどれぐらい走るのだろう。

ゆったりとしたペースで月岡へ。僕の何気ない一言でI氏に牽引され坂路コースへ向うことに。僕にとっては嬉しいオプションだった。肘を後ろに大きく振って坂を登りきった。頂上から一望する景色はなかなかの見ごたえがあった。

通常コースに戻り月岡わくわくファームに到着。しばし休憩。大御所Y氏のアドバイスをよそに僕は水分を取る。ペット1本に飽き足らず2本目に手を出した。短時間で水分をとりすぎてしまいコンディションが低下したのは言うまもない。

帰りは不快指数が上昇。風が感じられない。その上水分の取りすぎでお腹もいっぱい(涙)。パフォーマンス云々の話ではない。戻りコースということもあり、一行は徐々にペースアップ。僕は随分と千切られてしまい、ゴールすることだけを目標に進んだ。概ね2時間15分。なんとか集合場所に辿りつく。緒先輩のポテンシャルには頭が下がった。

一息つき再び自走で帰路に着く。クタクタに疲れた。帰宅してまっさきに庭先で頭から水をかぶる。最高に気持ちよかった!!(いまとなれば熱中症気味だったかもしれない)
 これからの季節は水分補給を上手にしながら体調管理できなければ、距離を伸ばせないことを痛感した。今日U氏が背負っていた水分補給可能なバックパックを至急手に入れねば! <了>

2012年6月27日水曜日

走友会の島ランのこと

6/24(日)新潟の気候でもっとも清々しいこの季節。但し、雨が降らずに晴れればの話。ぼくら走友会は島ランで汗を流す。少し暑く感じられる中、涼やかな風が心地よかった。
入船町から松林を抜け関屋分水へ向う。途中、初めてフルマラソンに出場した際、いろいろとアドバイスを頂戴したK夫妻とすれ違い挨拶を交わす。あれから随分と時間が過ぎたように感じる。ぼくはあの頃と比較にならないぐらいにジョギングを楽しむようになった。習慣は行動によって変化する。

いつもの島ランなら関屋分水から川岸町〜大川町とやすらぎ堤左岸へ向かうのだが、今回はM女史の提案で「水と土の芸術祭」で先行公開されている王文志(ワン・ウエンヂー)氏の浴火鳳凰(よっかほうおう)を見に行こう!ということになり信濃川の右岸へ進路をとる。

マラソン大会でしか走ったことがないコースだった。川からの涼やかな風を感じ、左岸の景色を見ながら楽しく走ることが出来た。その反面、左岸とは異なり一部工事中であったり、人の手が掛けられてない箇所が多く、ランナーはあまりいない。多勢で走るには他の交通の妨げにならないように注意が必要だった。

お目当てのドーム状の建物、浴火鳳凰(よっかほうおう)に到着。
中に入った途端、なんと涼しいのだろうと感じた。川辺の恩恵だ。竹でつくられた巧緻な建造物で、中央に据えられた竹の堀テーブルで生ビールをグイグイ飲んだら最高だろうと思った。
ドーム型の塔の頂きがくり貫かれ、そこから陽光がまん丸の形で建物内に差し込んでいる。団塊Ⅱさんがその中央立ち、まるでカラオケのスポットライトだなぁ、と言いながらマイクを持つ素振りをして一同が微笑む。それから堰を切るように、竹はどこのものなのだろうとか、照明がどうなっているとか、皆口々に感想を述べている。僕は相変わらず堀テーブルを見ながら生ビールを想っていた。

柳都大橋から左岸へ。しばらく走っていると、かがみ込んでいる釣人達が目に映る。なんとそこには50cmオーバーの鱸が揚がっていた。銀色の鱗がとても綺麗だ。餌釣りで仕留めたようで、控えめながらも誇らしげに周囲に釣果を報告していた。

今回も道草しながらの楽しい島ランだった。次週コースは月岡か?。そうなると月初から走行距離を稼ぐことになるだろう。天候に恵まれることに期待したい。<了>

2012年6月23日土曜日

6月第4週のこと

関川マラソンの翌日、翌々日と軽いメニューでジョグ&筋トレをした。随分にひどい筋肉痛だったが休まずトレーニングしたことに意味があったと思い、ご褒美の焼酎をキメる(笑)
  二日で関川の後遺症的筋肉痛は幾分和らいだ。が、久々の自重筋トレで体のあちこちが痛む。特にお腹周りが痛い。イカンこれはイカン。走ることでちょっとは使っているつもりだったが、大したことはなかったのだ。筋トレを定期的に取り入れねばと思いつつも、昔から僕は自宅での腹筋&腕立&スクワットといった筋トレの黄金トリオを継続できた試しがない。致命的な欠点だ。
  どなたか継続できる良いアイデアやコツなどがあったらアドバイスをください。できるだけ面白いやつをお願いしますm(_ _)m

  木曜は自転車の伴走つきで放水路ラン。いつもよりペースアップして福島潟放水路コースへ。緩やかなアップダウンがある、僕にっとって大好きな練習コースの1つだ。息子を乗せたママチャリには負けられねーぜ、と無理を承知でがんばってみた。後ろに乗った息子3才が僕を追い抜くたびにニヤニヤ笑う。無言の嘲笑。アリスのチャシャーキャットかよ。こちらも余計意地になる。後半は生涯マラソンを思い出すぐらい辛かった。もうやめようと諦めかけそうになると、チャシャーキャットがヒヒヒと嘲るのだ。ちくそー!と何とか走り切る。それでも平均ペースで5分半/km。結果はぱっとしなかった。けれどこういう練習も悪くはないと思った。〈了〉

2012年6月18日月曜日

第39回関川マラソンのこと

 自己ベスト16kmタイムー1分=関川15kmタイム

 「関川マラソンの法則」を関川マラソンのうちあげに現れた快速王F氏がニコニコしながら教えてくれた。もっと早く知りたかった。けれど経験せずにはこの法則を理解できなかったに違いないと思った。

 例年は天候に恵まれる大会らしいが山間部独特の霧雨で少し肌寒く感じられた。山へ釣りにいく度に霧雨に遭遇する僕にとっては特別なことには感じられなかった。むしろ、あー山に来たなぁという懐かさを感じていた。むしろ走りやすい天候に思えたし実際そうだった(と思う)。

 さてレースである。スターターの方がランナーのツボを突く、上手いアナウンスをされた。毎年恒例のトークかもしれないのでネタバレしないように内容は伏せておく。スタート直前のランナー諸氏はあれでリラックスできたのではないだろうか。少なくとも僕は笑うことで力みが抜けた。

 号砲。走友会の最速ランナーズに囲まれてスタート。今思えばあまりにも身の程をわきまえない愚行。入りは自身の本来のペースより早かったと思う、まったくの想定外は大石ダムに向う約2キロの登坂だった。これがキツい。「最速ズ」は淡々と登って行く。僕は息も絶え絶えやっとの思いで登り、トンネルをくぐり抜け折り返し地点に辿り着く。さあこれから下りで遅れを相殺するぞっと気合を入れるが、下りの長さ(体感および視覚的効果)にあっという間に足が追いつかなくなった。まず一つ目の洗礼だ。5キロ地点で時計を確認。24分ちょい。まだなんとかなるとだろうと思った。

 大石橋で走友会ヒグマサさんに追い抜かれ、彼の背中を追いかける格好になる。二つ目の登坂。これが半端なくキツイ。走っているはずだよな?と何度も自問する。けれど歩いているほどのスピードしかでていないのだ。そうか。走るふうに歩いているのだ。半ば諦めて前眼のヒグマサさんの背中を見つめ進むしか手立てがなかった。山頂はなかなか見えない。ランナーの心を折るのに苦心された運営さんに降参したところで二つ目の洗礼が終わる。ヒグマサさんの背中がどんどんと離れてゆくのが見えた。

 登った分だけ下るのは必然だ。急な下りだった。けれどここしかチャンスはないと決意し、スッ転んでもいいと覚悟して大きくストライドを取り、足を思い切り蹴った。今回唯一上手にできたことだ。中盤、始めて前の走者を抜いた。最初の下りもこれをやれば良かったのだと知った。10km地点で51分。残念ながらここで僕の目標が潰える。けれどこの先平坦ならば75分内はあるだろうと走る。あきらめてはいけない。残り2.5kmぐらい手前で大先輩のIさんにファイト!と声を掛けられ抜き去られた。ついて来い!というメッセージが伝わる。そうしたかったが僕の実力では敵わなかった。

学校の入り口で家族の応援があり右手を上げる。ゴール手前でRさんのラスト!の掛け声で最終のグラウンドへと突っ込む。最後の最後で後ろからの猛追に気付き、抜かせませんよー!と言いながらフィニッシュテープを切った。関川マラソンのゴールだった。

 結果は77分。自己ベストタイム16km−1分の法則に則った結果である。ならば来年の関川に向けて1マイルのタイムに磨きをかけ練習に励むことにしようじゃないか。目標には届かなかったが、やれるだけのことはやったと感じている。階段の下りに支障をきたすほどに太腿の痛みに苛まれているのだから。〈了〉

2012年6月16日土曜日

H24.6月第3週のこと

 6/10(日)久々に走友会のみなさんと島ランで気持ちのよい汗を流した。翌週(明日)の関川マラソンに向けた調整としては申し分のない練習となる。実はこの日の早朝に軽くジョグをして出掛け、戻ってから一杯引っ掛けて午睡を貪り、夕方再びジョグ。細切れだけど距離を稼げたこと満足した一日であった。

 モチベーションを維持しながら、週の中日には最終調整としてタイムトライアルを敢行。勢いよく臨んだまではよかったのだが、肝心のタイム計測をミスり、なんだかよくわからないまま終了。これで関川の目標タイムを達成することが出来るのであろうか、いささか自信がもてなかった。けれどたまたま読んでいた本に、フックする文章を見つけた。

「努力すればするほど判断ができる。才能の無い人ほど自分の限界が早くわかる。才能がかなりあっても最終的に勝てない人もいる。才能がやや欠けていても努力で何とかしてしまう人もいる。
結局努力してみなければわからない。また努力した挙句に挫折する可能性もある」

「小さい目標は大きな目標の糧。けれども小さな目標ばかりではいけない。時に大体に荒唐無稽な目標を立て挑戦することがもっとも必要なのだ」

 この文章を読んでから気持ちが乗ってきた。理由はよくわからない。辛く、楽しいマラソンにしよう。走る行為はどんな舞台でも己との競争であり、マグレはないなのだからネ。<了>

2012年6月9日土曜日

6月第2週 名古屋でのこと

 6/5早朝。JR名古屋駅周辺のビジネスホテルから名古屋城へ向かう。朝5時半。想像以上に車の交通量、通勤する人の姿は少ない。
 錚々たる企業のビルが立ち並ぶ丸ノ内、そして三の丸へと進み名古屋城門に到達する。ホテルから4キロちょい。城の周辺を走りながら本丸がよく見える場所を捜した。

 「藤の廻廊」から名古屋城公園に出る。早朝に関わらず公園は賑わっていた。人々が集まっているのが見え、懐かしい音楽が聴こえる。夏休み、子供の頃のことを思い出さずにはいられないピアノの伴奏曲。ラジオ体操である。
 その人数と言ったら三桁超えちゃっている?至る所に体操に励む集団が見える。興味津々。体操をする集団に近づき、さも興味なさそうにしながらチラチラ眺めながら流す。これがナゴヤ的情緒なのかもしれないと感じた。


藤の回廊
 再び名古屋城周囲へ戻りもう一回り。ラジオ体操が終わりバラバラと公園から出てくる人を避けながら東門からホテルへ戻ることにした。
 丸の内に入ったところで、テレビの撮影機材をもった数人の集団が僕に向かって歩いてくる。というか、僕がそっちへ走っているという方が正しいのかもしれない。ちょっと嫌な予感がした。踵を返そうかと思ったが、今更それもおかしい。そして、こういうときの予感はほぼ100%的中するものだ。

 すれ違いざま
『走っているところ、少しいいですかぁー』
 福山雅治風のインタビュアーに呼び止められ、立ち止まるや質問をされる。
『どうしてここが、伏見通りと言われているか知っていますかー?』
 僕はサングラスを外し、とっさに問いかけとは違うことを答える。
 実は昨日所用で新潟からこちらへまいりまして云々・・・。
 完全にやぶ蛇だった。さらに質問を重ねられた。こちらとしては出来るだけ怯まずに、爽やかに歯切れ良く、しかも時折カメラ目線で返答する。
『スゴイですねー。こんな時間に走るなんて』
 雅治氏のそのコメントを合図に、僕はじゃっ!と右手を挙げ逃げるように走り出す。後方から、きっとクルーの一人だろう
「何か、朝からスゲーなー」という声を聞いた。
 君たちのほうがよっぽどすごいと思うんだけど・・・。
 あれは名古屋の地方番組か何かだったのだろうか。尋ねれば良かったなぁ後悔した。けれど、いいネタができた!とほくそ笑んだのは言うまでもない。

 ホテルへ戻る途中、名古屋の中心街は都会の様相に変貌していた。ほんの1時間半前の静謐は消え喧騒があった。足早に歩く人々の中を僕は颯爽と走る。ちょっとした自由人風で気分がいい。
 道に迷いながらも無事ホテルに辿り着くことができた。<了>

H24.6生涯マラソンのこと

 初めて『生涯マラソン』に参加させて頂いた。 
新潟市近隣のマラソン同好会が持ち回りで開催する歴史あるイベントだ。 内容は距離別に走行走破タイムを予測し申告する。そうしてその申告時間の通りに走れるかを競うのである。早すぎても遅すぎても駄目。スピードやスタミナを他のランナーと競い合うのではない。時計を持たずに各々のペースやリズム、あるいはフットワーク、風を切る感覚など培ってきた体内時計を頼りにゴールタイムを目指すのだ。目一杯のタイムでも、走り慣れた練習ペースのタイムでも申告時間は選手の裁量に委ねられる。「生涯」と名付けられた大会の趣旨がここにある。諸先輩方の走ることに対する深い愛情と35年という長きに渡る継続力に改めて敬意を表したい。

 僕はというと会場まで走って行けない距離ではないと思いつつ、迷いを感じていたが走友会の先輩に背中を押され、自走で会場に向うとにした。自宅からは約12km。目的地に着いたときには大いに満足したが、想定した到着時刻を誤った為、準備をしている力走会(りきそうかい)さんを横目に時間をうっちゃるはめに。
 体育館に入るとママさんバレーの新潟地区予選が始まろうとして、それぞれのチームの選手から大会に対する意気込が感じられカッコいいなぁと見とれてしまう。それとなく眺めているうちに、気がつくとわれら走友会の面々が会場に到着しているではないか。知った顔に合流し少しホッとする。

 申告タイム以上に走り切ることが僕の目標だったが、実際のレースは辛いものだった。中でもアゲインストの風を受ける周回コースがきつかった。走友会の爆走ランナー、ニャー女史のオレンジのシャツを見ながら走りだしたのだけれど、どんどん遠ざかってゆく。僕には到底敵わないスピードだった。
 更に2周目。向かい風が更に強くなり、1周目よりも前進するのが容易でない。疲労からくる感覚かもしれないが区別がつかない。あと少しでゴールだからと言い聞かせ頑張ってみる。
 既にニャー女史のオレンジは見えない。少しペースを落とし息を入れる。気持ちが楽になった。風に負けてはいられない。背中が丸まらないように頭から骨盤までのアライメントをとる。少しでも前に進む力を生み出さねば。あと少しでゴールなのだから・・・。  

 大会の結果は、我ら走友会レディースの上位独占であった。優勝者のメグメグさんはなんと申告タイムに対して1秒差。エクセレント!体内時計を鍛えたいのならば我ら走友会の門を叩くがよろしい(笑)

1秒差とは、すごすぎです。
入賞おめでとう!!

 今もって僕自身の結果は不明だ。あれだけ辛かったのでぜひ結果が知りたい。わかり次第結果フォームに書き込みたいと思う。そうして、また次回も出走して目一杯走りたい。楽しいレースにまた一つ出会うことができた。

2012年5月27日日曜日

5月4週のこと

月曜日。仕事から帰宅すると小学1年生の娘が一緒に走ろうよと声を掛けてくれた。先週の運動会の50m走で1着になったことが余程嬉しかったのだろう。成功体験が走ることを肯定的にしたようだ。中途半端な習慣で終わらせることのないよう、この好機を逃さないようにせねば。家族をジョガー化するという密かな計画は着々と進むのだ。

 月間走行距離を200㌔に乗せた。目標に届いたことで満足感はある。自身の体重もようやく減少傾向に入った。順調だ。ジョギング後のご褒美のアルコールが増量傾向になるのが気がかりになりつつ、鹿児島の焼酎「赤兎馬(セキトバ)」を注文した。ロックでやると旨いらしい。楽しみだ。
 今月も残りわずか。走れるときはしっかり走る。そして来週日曜は生涯マラソン。すこぶる楽しみである。よい天候を期待したい。

2012年5月23日水曜日

5月第3週週末 小学校運動会

 5/20
 週末は土日と早朝から走った。GW期間中に走友会合同練習で走った福島潟周回コースに少しアレンジを加えた15kmコース。天候にも恵まれ、気持ちよく汗を流す。この時期、晴天でも湿度は高い。走っているところは潟(ラグーン)なのだから致し方ないが、ニュースではこの週の東京は気温が高く湿度は30%を下回り地中海の国並の気候だったらしい。そんな環境で汗を流した後でビールを汲み交わせれば、これぞ我が人生!と思わず言いたくなるのではあるまいか。至福の時である。そんな話を耳にすると、もうずいぶん前になるがホノルルの朝の海岸線を走った時の清々しさが思い起こされる。バドワイザーか何かを口にして美味かったことを覚えている。

  この日曜は小学生になった娘の初めての運動会。場所を確保し親類縁者で見物だ。各人お目当ての競技に足を運ぶ。僕は正直に告白するが充二分にトレーニング出来ていたのでビールが飲みたくてウズウズしていた。さすがに一人サッサと「いただきます!」とはいかない。それでなくてもばつが悪いのに。
まずは娘の50m走をゴール前で応援する。彼女にとってはデビュー戦だ。下馬評を覆し1馬身差の1着ゴール。驚いた。練習ではいつも3,4位ぐらいだと聞いていたので驚いた。やったじゃん!思わずはしゃいでしまった。
次は甥っ子のリレー。なんと彼はアンカーだ。彼のスピードは学年でも定評があり、先程の80m走では5馬身以上の差をつけて圧勝だった。期待がかった。彼の出番。いくらか離された2番手でバトンを受け取り猛追したが、届きそうなところでゴール!惜しかった。けれど見応え充分!運動会がこんなにも楽しいものだったとは思いもよらなかった。そして昼飯のビールが本当に美味かった。まさに至福の時だった。

2012年5月17日木曜日

5月第3週のこと

5/17(木)
振替えで休み。朝5時から練習開始。定番の福島潟放水路コース。
月、火と飲み会があり両日共に終電。やりすぎだろうと思いながらも、こればっかりはやめられない。水曜はさすがに体調が優れず夕飯もほどほどにさっと就寝。つまりラントレは3連休。
そのこともあり意気込んでスタートした。走り出してスグに右腿が痛む。なんかしたかな?と記憶をたどっても関連のある出来事は思い出せない。たいした痛みでなかったので気に掛けずに走る。そうしていると今度は右膝、お皿のあたりが痛い。最近ごく、たまーにこれがある。距離が伸びると顔出す。少しペースを落として11kmでフィニッシュした。
午前中はなんだかんだと家事をやった。有意義な時間だった。でも心持がよくない。朝ランに不満が残る。いそいそと着替えて昼飯前に再びジョグ。走ることにどんどん深みにはまっていく自分に気付く日となった。


2012年5月13日日曜日

5月第2週 週末のこと

AM5時早朝ラン。空はいつ雨が降り出してもいいぐらいの怪しい鉛色だった。降ったときはそのときさっ、と思いながら先週の練習会での僕の雨男容疑を想い起こす。いかん、降ったらイカンよ!と空を仰ぎスタートした。
幸いなことに雨に降られることはなかったが、市島邸を越え福島潟へ向う途中が強烈なアゲインスト。走行時間は2時間を経過しており、疲労感や体のこわばりからかなり萎えた。周りに誰もいないことを確認して、大声で「風よ止めー」と2度叫んだ。あたりまえだが止むはずもない。けれど大声を出せて気持ちが良かった。腹の底から叫ぶとスッキリするものだ。背筋もシャンとしたのか再び脚を取り戻す。25km2時間35分。1kmあたり概ね6分ペースといったところだ。まだやれるという気持ちはあったけれど、この日これで帰宅。
翌日。朝6時からボランティアで施設の草刈り~と思いきや到着した瞬間からドブ掃除担当に任ぜられる。しかもドブ板外し係。この年齢になって初めてコンクリート製のドブ板を外す専用道具を使う。使い方などまったく判らなかったが、何枚か外していくうちにコツを掴み、この道具は誰にでも簡単に、且つ美しく使えてしまう代物であることを体感した。「美しく使う」と表現したが、ドブ板を外しては置くだけの単純作業なのだけれど、それなりの重量を持ったドブ板を道路脇に楽に、しかも整然とスマートに並べられてしまう凄いヤツなのだ。IPAD並みの直感的操作性と言ったら、すでに存在をご存知の方には笑われてしまうだろうが、日本の(たぶん)素晴らしい土木技術の一端に触れ本当に感動した。
夕方軽くトレーニング。ジョグのあとでスピード練習を取り入れる。走行距離はたいしたことはないけれど、夜の晩酌の理由付けとしては充分だった。

ここまでの月間走行距離は113km。来週はイベント事が多いが走行距離の積み上げにこだわりたい。

2012年5月8日火曜日

今年のGWの走りっぷり

ここ数年、GWには魚沼のお蕎麦屋さんに出かけることを慣わしとしている。それ以外は概ね無計画に、思いつくまま気の向くまま、ほどほどに散財しながら過ごすのが僕のGWだった。しかし、今年はまるで違う。僕には明確な目的がある。時間があれば走る。これを念頭にGWの計画を練った。天候にも助けられ6日間で75kmを走った。この勢いをもって今月はどこまで距離を伸ばせるのだろう。ちょっと楽しみだ。けれど、あまり走ることだけに一生懸命になりすぎないように気をつけたい。


2012年5月5日土曜日

4月の練習の総括

  春にいくつかの中距離レースを出走し、走る仲間たちと交わることで心と体のバランスが整ってきた。それに伴い再び練習に望む姿勢も前向きになってきた。

4/22の30km練習から月末までしっかり走り込み、課題の月間走行距離200kmになんとか届くことができた。公私ともにあまり頑張りすぎないようにJOGライフを楽しんでいきたい。4月総括と銘打ちながらも遅くなってしまったが、このブログもしっかり更新して近況報告を行っていく。

新潟ロードレースをもって、一先ずエントリーしたレースが終了した。今後の出走レースは6月以降、関川マラソンになるだろう。但しまだ申し込みは行ってはいないが。さてさて。

2012年4月29日日曜日

4月第4週 成田中台トリムコース

水曜日は千葉成田へ。首都高を運転するのは初めてだった。片道5時間。無事ホテルに到着したときには達成感があった。遅い夕飯のビールが美味い。

翌朝5時前に起床。いそいそと準備をする。兼ねてからの計画通り、走友会の会長のお墨付き?の中台トリムコースを流すのだ。時間は十分にあったので成田山新勝寺へ向った。すでに境内からは読経が響き、朝の静寂と溶け合い身の引き締まる厳粛な雰囲気に包まれていた。僕は様子を伺いながら本堂に登り、手を合わせる。他にも参拝する方が散見される。ジョギング姿の僕は場違いさを感じ早速境内をあとにすることにした。
一路、中台公園を目指した。住宅街の入り口に位置する公園までは所々アップダウンがありなかなか走り応えがあった。歩道の桜並木は完全に散っており、新潟ではなく関東にいることを実感しながら公園を1周しトリムコースへ入る。

コースは閑静な集合住宅の合間というより谷間に作られている。歩行者専用のコースだ。起伏の多い地形を活かし上手く効果的につくられている。すれ違うジョガーに軽く挨拶をして、はじめて走るコースを楽しんだ。

約1時間20分。距離にして12キロ程度の距離を走った。成田ニュータウンの一部であるが自分の足で散策したことに意義を感じる。ちなみに前回は羽田空港が見えるところまでまで足を伸ばしたのだが、さて次回はどこを走ろう。


2012年4月28日土曜日

H24.4月、第4週日曜日の練習のこと

日曜は走友会のメンバー達との練習会。予定では島を2周、つまり30㌔程度を走るのである。そう走れる距離ではないので少からず不安はあったが、今月の走行距離を稼ぎたいので臨むことにした。

金曜は仕事で徹夜作業だった。翌土曜は人(父親)としての機能が完全に停止した。やったこといえば夕方缶ビールを飲み、ほろ酔いで翌日のイメージトレーニングをした程度だ。家族には如何に明日の練習がハードかつ楽しみかをアピールして、ベットに潜り込みアルコールの力を借りて眠りについた。

さて待望の当日。残念ながら想定外の強風のため島ランは断念。モチベーションは日本海へ吹っ飛ばされてしまった。それでも桜は見頃だろうということで風ニモマケズ、やすらぎ提に向かうことに。

桜は満開だった。風は相変わらず容赦なく川から海へ吹き続ける。桜見物の人々も多くはなかった。髪を手で押さえながら桜を仰ぎ見る女性が印象に残った。今年の桜はあっというまに散ってしまうのだろうか。

僕らは風の行方を常に気を配りながら本川大橋まで目指すことに決める。あわよくば海側へとの思いもなかったわけではないが、橋に近づくにつれ、無情にも風はその力を増した。あっさり諦めて折り返し憩いの場田中屋さんを目指す。

残念なのは折り返しても依然として風は厳しく、むしろアゲインストになった。まぁ今日はそういう日なのだろうと諦めながら走る。途中、走友会のメンバーと合流。桜とチューリップをバックに記念撮影をして貰った。一行は再び風に吹かれて走る。

団子屋さんで一服しトンネルに戻る。概ね19㌔程度は走った計算になる。けれどもなぜか合点がいかない。走行距離を稼ぎたいというより、なんだか走り足りない。走れるときに走っておきたいという気持ちが体力に折り合いをつけ、同じ想いのメンバーと共に再び陸上競技場へ向うことに。

相変わらず風は強かった。想像した以上に体力の消耗を感じた。苦しいながらも競技場で折り返す。併走する仲間がいなければ簡単に根を上げてしまったことだろう。互いにキツイと言葉にしながらペースを落とすことなくジャスト1時間でトンネルに戻った。充足。というよりマジで疲れた。走りにくい環境の中、目標距離を達成したこともありご褒美はスーパードライの黒を飲むことにした。



2012年4月22日日曜日

'12新潟ロードレース出走記

 それは2年前。走ることが少しずつ楽しくなり始めた頃のことだった。
 桜咲く信濃川河岸で開催された新潟ロードレースの10マイルは、僕に走ることについて多くのことを学ぶ機会を与えてくれた。と書けば格好はよいが、それは今になって言えること。
 当時の僕はレースに出ることについてひたすら無計画に、まるで根拠も脈絡もなく、威勢の良いだけの青二才だった。良い言い方をすればチャレンジ精神が旺盛。初めて走る16kmという距離に対してまるで無防備だった。
 出たとこ勝負でレースに臨んだ結果、見事なまで仇となるレースとなった。練習や体調管理をおろそかにすると、それに見合った結果しかついてこないことを改めて教えられた。

 今回の参加はそのリベンジ的要素が少なからずある。あの忘れられない苦い経験からやや時間は経ってしまったが、あの頃とは比較にならないくらい「走る」ことに対して真摯に取り組むようになった。そして今回は5分/kmペースでの完走を目標に掲げて挑戦した。

 さて、レース内容である。
 スタートのトラック1周目の時計を確認した以外(ジャスト2分)前半は時計に気を取られず、気持ち良く、ちょっと息が苦しいかな?ぐらいの感覚を保つことを心がけ走った。
 わきまえず前の方からスタートしたので本川大橋あたりまで抜かれに抜かれまくった。自分の目標とするペースに準じているか不安を感じたけれど、出走したいくつかの大会で経験した中距離ペースの流れや感覚を信じた。

 8キロを示す看板でようやく時計を確認。38分。予想以上だった。疲労や痛みは感じられない。むしろ心地よかった。このまま後半につなげられることを確信しつつ道を進む。
 朱鷺メッセ、柳都大橋そして歴史博物館へ。
 沿道からの声援が多かった。こちらからも出来るだけ反応をするように心掛けた。送られるエールにせめてものお返しだ。

 柳都大橋をくぐり抜け万代橋を目指す。まもなくスパートだ。が、なかなかペースは上がらない。呼吸が苦しい。それに気を取られると次はフォームが崩れてしまう。
 ここから、ここから力を出し切るのだと自分に言い聞かせる。上半身の無駄な力を抜き「走ること」に集中する。あと数キロ。ペースアップ。何度も呪文のように繰り返す。
 そんなとき唐突に大きな声で僕の名前が呼ばれた。所属する走友会の兄貴的存在の方からの声援だった。全く予想していなかった声援と、多くのランナーの中で僕を見つけてくれたことがとても嬉しかった。こちらも大きく右手を上げた。走るという行為は至極孤独なものになりがちだ。だからこそ沿道からの無償の声援に背中を押されるのだろう。
 頑張ろう。
 走りに集中するスイッチが入ったような気がした。

 坂を下り競技場が見えた。あと数百メートル。門を潜り抜ける。競技場のトラックの緩やかなカーブ。僕はスライドを大きくとる。ゴールするまでにすべての力を出すつもりで駆けた。

 結果は78分。目標達成、自己ベストだ。
 ゴールした仲間たちと互いの健闘を称え合ったあと、僕は島ラン(走行会練習)憩いの場の団子屋さんへ向かった。交通規制がなくスムーズに辿りつく。最高に上手い醤油団子だった。