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2024年2月14日水曜日

第70回桐生掘マラソンのこと 2024.2.5~2.11

  第70回桐生掘マラソンに出走した。ハーフマラソンの参加は’20年11月以来、実に3年3ヶ月ぶりだ。そしてこの大会の参加は、コロナウィルスが流行する直前の同年2月66回大会以来。その日の朝、宿泊先で眺めていた札幌雪祭り会場からのTV中継で、原因不明の病気が流行していると噂されるかの国からの観光客が多く見られるとリポーターが伝えていたことを今も記憶している。
 あれから4年、時が経つのは早い。桐生堀マラソンはぼくの冬季のローテーションの一角を担っていたので、再び参加できることを嬉しく思った。

 会場に近い宿に泊まり当日を迎えた。スタートの30分前ぐらいに会場に入って参加賞(お気に入りのTシャツ!)を受取って、スタート地点でアップして号砲を待った。
 関東らしく雲ひとつない青空だった。日向と日陰の温度差が明らかで、迷わず日向を選ぶ。時折ピューと強く吹く風は身を切るが、上昇するであろう気温に期待して、半袖でレースに臨むことにして防寒用の長袖着を脱いだ

 このレースは目下、スピード向上に努めているぼくの試金石だ。キロ5分、1時間45分以内を目標として臨んだ。凡庸な時計かもだが、しっかりやり遂げることを必達としていた。
 定刻どおりスタート。ランナー群の中段でレース号砲を聴いた。スタートラインまでは数秒と掛からなかった。直後2度ほど前が詰まったが入りの1キロは5分10秒。いまのぼくには丁度よかった。そこからキロ5を少し切るぐらいを刻んだ。
 3km過ぎから上りの気配を感じたが許容範囲だった。ゆるい上りが続き、場所によっては下りもあったので、そこで息を入れた。
 コースを進むにつれて沿道の建物が少なくなり、山道を感じさせる景色に変わる。もちろん変わらず上り坂だ。気を抜かないようにせっせと脚を前に出した。そうして10km通過は49分30秒。ほぼキロ5で踏めていた。

 折り返し。坂の重力に身を任せる。間隙をついて補給も入れる。ハーフでもやるべきことはやりる。
 着地は重心よりやや後ろ、尻やハムストリングスへ衝撃を感じながら膝下の力を抜く。ブレーキステップにならないように前進した。里程標を通過するたびに時計を確認した。概ね4分40秒前後で坂を下っていた。濃淡をつけるために体力温存。定ペースを心掛けた。
 下りの恩恵がなくなる18km付近からひとつギアを上げる。厚底シューズの性能を発揮するように、大き目のステップを意識してアスファルトを蹴った。そんな走り方でゴールまで耐えられるかは判らなかったが自身との我慢比べだ。つまらない雑念が霧のように消える。走れ、走れ。ファンランに参加する大勢のランナー達が止まっているようだ。4分30秒を上回っていた。粘れ、粘る。

 フィニッシュは1時間40分50秒。前回よりも4分遅いがネガティブ走ができたことには満足。終わってみれば、あっという間のできごとなのはいつものこと。どこか温かみを感じられ、多くの市民に支えられる大会だ。天気もよく、気分よく走れて本当に楽しかった。また来年も走ろう。(了)

★トレーニング備忘録
2/5(月) 終業後はジム。ダイナミックストレッチ(DS)から筋トレ、バーベルスクワット。30→40→45→50→40→30の各10rep。次いでスイム。先週と同様に入りからの500m泳は9分16秒。Bスクワットが身体に残した爪痕を感じながら泳ぐ。インターバルを入れてなんとか1,500mまで距離を稼ぐ。精神修行みたいなスイムだった。翌日、見返りとしてハムが軽い筋肉痛になった。

6(火) 休養。帰宅してボールクランチとサイドクランチでボディに刺激を入れた。

7(水) 終業後はジム、DSからトレミ。妙な筋肉痛と疲労感があるのだが、この日曜を考えると走らずにはいられない。アマプラをお供にゆるジョグスタート。アップからビルトっぽく上げて刺激を入れて、無難に10kmで終了。サウナで汗を取って帰路に。

8(木) 休養。

9(金) 帰宅してワンコズとジョグ。ワンコズ達が走れる距離が概ねわかっているので無理なく踏んだ、というのは言い訳か。

10(土) 午前中ジム。DSからサイドクランチ、プランクを挟んでトレミでキロ5走を30分。次いでプールへ。今週ほとんど泳いでないのでクロールの感覚を忘れないように少しだけ泳いだ。これが桐生の最終調整。午後は一路、群馬桐生市へ。

11(祝) 桐生掘マラソン。グロスタイムで1時間41分ぐらい。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

5(月)  筋トレ(8)、スイム1.5(28)
6(火)  筋トレ アクティブレスト
7(水)  トレミ10(57)
8(木) 休養
9(金) 夕 ロード8(47)
10(土) 午前 トレミ6(31)、スイム0.5(10)
11(祝) 桐生掘マラソン 1時間40分50秒
2/5~2/11(km)…S2.0R45、Re2

2023年10月13日金曜日

第39回新潟シティマラソンのこと

 ラグビーワールドカップ、仏ナントで行われる日本 vs アルゼンチン戦を眺めながら、この日のマラソンの忘備録を書こうとしている。
 ジェイミー ジョセフ率いるラガーマンらが目指す高みには逆立ちしたって及ばない。ぼくは毎年恒例の催事、自分以外の何者からも特別な期待をされていないので、なにか圧を背負っているとするならば、せいぜいベテランとして他人様の迷惑にはならないようにと思うぐらいだ。
 しかしながら、彼らとぼくとでは職業選手としての立ち位置と趣味の領域という決定的な違いはあるものの、自身の全身全霊を用いて、悔いを残さぬようにする点は同じだ。
 今年は4時間以内(ペースはキロ5分30秒)で完走、次走に繋がるレースならば御の字。言い訳に聞こえるだろうが佐渡トライ以降、思い通りに調整が進まないことがあって、ほどほどのところで折り合いをつけて臨んむことにした。

 秋の陽射しは手放しでは歓迎できなかったけれど、この夏に比べればどうってことはなかった。スタートのビッグスワンから信濃川左岸、そして萬代橋や古町の折り返しまで、ぼくは大勢のランナーに囲まれながら殊更にペースが上がらないように慎重に走った。
 10kmの通過は54分。計画より1分のアドバンテージ。昨年、このあたりからどうペースを刻むか考えた。まだ序盤、調子の良し悪しの判断はしづらい。
 念のため封を開けた補給材を持った。これで3つ目。スタート整列の直前、空腹感を抑える為にひとつ、10km手前でひとつ補給をした。実際エネルギーの補給というより、専ら脳を騙すためのもので、ぼくの中で1番利己的なヤツ(脳)に気分良くしてもらうのが狙いだ。チビチビと少量を口に含みながら進んだ。

 港トンネル。今や新潟シティマラソンの名物地点のひとつではなかろうか。沿道の声援は少なくない。15kmのエイドでタレントの杉ちゃんを見つけてびっくりしたのと同時に、そういうことに全く関心を持たずに臨んでいた自分に気がついた。走ることばかりに気がとられているのか。
 海からの風だろうか、涼風を感じながら復路のトンネルに潜らんとしていたところ、不意にぼくの名を呼ぶ声を耳にする。反対車線のランナーの群れからだ。すぐにどなたか理解できたので振り返りはしなかった。次は、ぼくから先に声を送ろうと思った。

 20km通過は1時間46分。アドバンテージが広がる。ペースはキロ5分20秒に少しお釣りがくるぐらい。レース特有の興奮状態がこれをさせた。控えめにみても今季の練習ではこれほどの時計で走ってはいない。オーバーペースだろう。きっと終盤この対価を支払わされるのだ。

 旧双葉中学校前の信号は、港トンネルの出口から緩やかに続く上りの終わりを告げる目印だ。信号手前の急勾配を駆け上がるとしばらくは概ね平坦で走りやすくなる。

 坂を上がると左手に波消しブロックで仕切られた海岸が映る。この夏一度だけOWS練習として泳いだ場所だ。このとき、海面は雲や光の加減だろうか、目を疑うような青白さが幻想的で、その絵もいわれぬ海の紺碧が脳裏に焼き付いた。

 ピッチを刻むと滑らかにペースが上がった。どこまで継続できるかはわからない。キロ5分近いスピードは周囲を走るランナーとは少しだけ異なり、前へ押し出された。


 西海岸公園、通称タコ公園の25kmを通過。関屋分水から火葬場のあたりは折れ曲がりや起伏があって、ぼくの気を削ごうとする難所のひとつだ。そこを越えると防砂林に囲まれた見通しの良い直線道に出て、道路の中央を隔て、折り返してくるランナーと互いに励まし合える場所だ。行き交う顔見知りに合図を送り、トンネルで声を掛けてもらった方々とはすれ違い様にタッチを交わした。

 30km通過は2時間38分。直近で30km走をやっていなかったので、ここまで辿り着いたことへの感慨があった。コース形状もあってペースはやや落ちていが状態は悪くはない。補給をちびちび口にしながら信濃川の土手をトレースする。しばらくはお世辞にも走りやすいとはいえない道だ。その代わりと言ってはなんだが、沿道の応援が多いところのひとつでもある。
 昨年の斜め向かいからの風を想い出した。それに比べれば今回は楽だった。徐々に疲労に苛まれ、例の対価を支払わされることを思へば、少しでも楽な方がいいに決まっている。

 35km地点の土手を降りたあたりから怪しくなってきた。どこかが痛いわけではない。ただ止まりたい、歩きたいと願うようになっていた。
 いやいやどこも悪くない。四頭筋は全然大丈夫。
 消極的思考と身体を引き離しに掛かる作業は必須だ。しかし、残念ならがペースは下がっていく。
 37km付近、平成大橋の歩道が脚に応える。そこから本線大橋までのあいだ、何度も歩が止まりそうになる。しかしそれに相反して、いかに走り続けられるかが自己満足感や肯定感を高めてくれる。このフルマラソンのオプションに向き合いながら、走る動作をやめないことこそがマラソンの醍醐味だとぼくは思う。こういうときは、これまでの様々なレースの記憶を手繰り寄せ、もっと辛かったと思い出したり、いずれ到達するゴールの達成感などで自尊心を刺激する。肉体的な故障が伴わなければなんとでもなる。
 里程標はゴールまでのカウントダウンだ。確実に陸上競技場へ近づいていく。ペースはガタ落ちだが絶対に止まってはいけない。
 スタートのビッグスワンから市陸のフィニッシュに辿り着くまでに要した3時間46分57秒。21度目のフルマラソンが終了した。(了)

2020年11月11日水曜日

葛飾ふーてんマラソン 2020.11.7

 自宅から会場までは4時間程度の道のりだった。始発の新幹線に乗り、上野で乗り継いで最寄の堀切菖蒲園駅からは徒歩。電車で荒川を通過するので目的の河川敷へ向かうのは難しいことではなかった。他にも会場を目指す人々も少なくはなく、スンナリと会場に到着することができた。
 会場のである荒川河川敷対岸には東京スカイツリーが屹立する。それよりも土手に連なる巨大な橋脚は、下から見上げるとまるで空を区切るフレームのようで圧巻だ。普段目にしている五頭(ごず)の山々と田圃のパノラマとは対照的で、こうした遠征を幾度としているが、はじめての場所は心が躍り高揚を覚える。

 天候は申し分なく、寒くはなかった。トライスーツで正解だ。川上から少し風を感じ、何もしていなければ体温は奪われていくのだろうが、走れば丁度良くなる塩梅だ。週中の天気予報は常に傘マークが表示され、ある程度は覚悟をしていたがまったくの杞憂に終わる。
 河川敷の一角を占める受付会場は、スタートとゴールを兼用する黄色の半円アーチが目印だった。見渡したところ他には華美な装飾はなく、どこにでもあるテントに長机を並べた受付、飲み物を提供するエイドなどが設けられ、仮設トイレが数棟設営されるといった最低限のつくりである。
 そして肝心のマラソンコースだが、この河川敷公園内に敷設されたアスファルト道を使用する周回コースだ。エントリーの際に「周回コース」と記してあったことぐらいしか留めておらず気にしていなかったが、実際走ってみると1周目の折り返しポイントが少し長く設定されており、2周目以降が周回すると5kmのコースだった。
 またそこは大会参加者の貸切専有というわけではなく、ロードバイクや一般のランナーらが普通に使っている。彼らが差し障るようなことはなく、この場所を使う地元の方々にとっては特別なことではないのかもしれない。

 参加するランナーは枯れ芝に覆われた広場にシートを敷いて、おのおの談笑に耽ったり準備をしている。子供も多くみられ家族的な雰囲気が覆っている。HPからも小規模な市民ランナーの大会というイメージが伝わり、想像していた以上でも以下でもなかった。そんな雰囲気に救われたのか、久々のマラソン大会だったがリラックスしてスタートを待つことができた。

 ではレース邂逅。
 気がつけば整列が始まっていて「目標タイム2時間」のプラカードを掲げる最後方から、空いているところ見つけては前へ前へと移動しながらスタートを待った。
 ハーフ部門のエントリーは600名程度、自分のいる場所から前方のスタート地点と後ろを眺めてみると縦長の列ができていた。広くはないスタート地点だったが参加者たちは行儀よく並んでいる。そうこうしているうちにスタート1分前のアナウンス。ぼくは鼻を覆うように両手を顔に当て、大きく呼吸をして気持ちを整える。レース直前のルーティーン。マラソン大会ならではの緊張感が心地よかった。

 号砲と拍手。10:10分定刻にレースが始まる。
 アーチのスタート地点を抜けてすぐに右折、土手沿いのアスファルト道に出ると、目の前のランナーが横に展開して行く手が広がる。ザッザッという舗道を踏むシューズの音と自分の呼吸が耳に届く。当たり前だったマラソン大会が、そうではなくなって実に9ヶ月。漸く、目差すものに手が届いたような気がした。最初の1kmを通過、時計を覗くと4分10秒。速い。落ち着きを取り戻しつつ目標の4分30秒/kmにペースを合わせた。
以下は通過タイム。

 5km 22分35秒
10km 45分1秒 (22分26秒)
15km 1時間7分25秒 (22分24秒) 
20km 1時間29分47秒 (22分22秒) 
FIN 1時間34分36秒(グロス)  

 35分台のフィニッシュが目標だったので、余裕を持って超えることができたので満足。ネガティブ走、競られても競らない、設定ペースの遵守、それに補給タイミングなどなど・・・。計画通りだった。
 特筆すべきは4周回目、距離にして16kmあたり。若干のペースダウンに気付き重心と股関節の位置、上半身の使い方を意識したらペースがスッと戻ったことが記憶に鮮明で、フォームの改善に取り組んでいる最中でもあるので収穫の一つだった。

 10月初旬、突如思いついたようにエントリーしてからの準備だったが、結果を出せたのは喜ばしく、これからのトレーニングの励みになる。まだまだ伸び白はあるかも、そう感じることのできたレースだった。
 ところでこの大会、参加者600名のうちぼくは総合で130位ぐらいだった。醸し出される大会の雰囲気とは裏腹に、能力の高いランナーが少なくない。このブログを書いている段階でリザルトは未発表、後日よく確認したい。
 次回は来春開催予定。もしまたタイミングが合えば挑戦したい大会のひとつになった。(了)

 荒川ふーてんマラソンのHP http://katsushika-marason.net/

2018年5月15日火曜日

白根マラソン2018.5.13

 不甲斐ない話から始めなければならない。
 白根マラソンの当日、食卓で朝食を摂りながら、今日はDNSにしようかと思いあぐねていた。とにかく身体が怠い。風邪の引き始めみたいな感じだった。
 近頃は仕事が忙しいため、精神面の様々な要因がもつれて体調を崩したものと思い込み、尚のこと大事を取ろうかと考えていたのだった。
 気持ちは7割DNSだったが、今年はいまだにレースに出ていないこと、ここすら取りやめてしまうと、この後が全てなし崩しになってしまいそうな気もして、ギリッギリのところで決めかねていた。
「走らずに後悔するより、走って後悔したほうが良いのでは?」という、一足先に会場へ向かった家内の台詞を頭の中で反芻する。

 ヨシッと膝を叩いて早速支度に取り掛かかり、バイクに跨った。
 DHバーを握り、アスファルトを踏むタイヤの音を聞いているうちに、なんだかやる気が湧いてきた。
 ー最初の5kmを計画通りに走ってみて、気持ちがついてこないのならばファンランでもいいや。
 自分と折り合いをつける思考が廻り巡る。我ながら面倒くさい性質(タチ)だと思う。

 460号線をトレースして会場に到着。ドアドアで1時間とちょっと。会場に到着していた家内と、走友会の面々を見つけてご挨拶。家内のアレレ?と言わんばかりの表情に、こちらはちょっと大袈裟な笑顔を返す。

 10km走はAM9:25スタートで、40分以上待たなければならなかった。もう少し家を出る時間をみてもよいなと思いながら、AM9:00を回る頃、アップを兼ねてグランドへ向かう。
 空は完全な鉛色。時折ほんの僅かだが雨粒が落ちてきた。例年と比べれば悪くないコンディションだ。

 僕らはハーフのスタートにささやかな声援を送ったあと、ゲートの配置についた。
 ー10kmはあっという間さ。
 自分に言い聞かせる。スタート30秒前のコールで、いつものように鼻を両手で覆い、気持ちを一点に集中させる。
 スタート。
 前のランナーの背中を追い駆けながらオーバーペースに気をつける。
 自走で呼吸はできている。脚や身体もおかしなところがない。オールグリーン、問題はない。
 ペースタイムを確認しながら速力をキープしつつ、フォームが乱れないように心がける。
 入りの1kmから、4:23,28,29,34,34と前半5kmの折り返し。
 後半5kmは4:26,28,28,25,17、手元の時計でのフィニッシュは44分32秒。ゴールテープを切った。

 ラスト1kmはともかく、全体的に余力を持って走り通すことが出来たと思う。ラップを覗いてみれば10km走というよりハーフの理想的ペース配分にも見える。難しく思えた45分切りができたので気を良くせずにはいられない。たとえ気温と湿度のアドバンテージのおかげだとしても。

 そそくさと着替えて、帰りの身支度を整える。今にも降り出しそうな空模様と、一刻も早く帰宅して、休日の午後を満喫したい気持ちが僕を駆り立てる。
 同じレースに出た家内のゴールすら待たずに帰路に着いた非道をお許し下さい。

 帰路。白根から新津まではちょっとした向かい風だったが、水原に入ってからは追い風に乗ってスイスイスーとペダルを踏めた。
12時前に帰宅、シャワーを浴びてアト片付けをして、家内の戻りを待ちながら昼食の支度に取り掛かっていた。
 ささやかな一家団欒の後、とにかく身体がだるく時間経過と共に口内炎やら喉に炎症の兆候があらわれる。
 あー、やっぱり風邪だったのね・・・。

 以上が、僕にとっての今年最初のレースの出来事であった。次は「秋葉区マラソン大会」。これも10km走、もちろんバイク自走での参加予定だ。
(了)

2017年10月3日火曜日

新津秋のマラソン大会(10km部門)のこと ’17.10.1

 受付開始の8時半を過ぎた頃、会場の新津第三小学校の体育館は7〜8割程度は埋まっていた。
 様々な年齢の成人ランナーに、体操着を着た小中学生らが入り混じるという地区のマラソン大会らしい賑わいを感じさせる。

 受付で係りの方に自分の名前を告げると、布製のゼッケンナンバーと両面印刷のわら半紙刷りの大会要綱を手渡してくれる。
 メラミンの長机には大小様々な安全ピンが入っている缶が置いてあり、ゼッケンをそれで留めてね、どうぞご自由にとあるので僕らは好きなのを選択する。またその横には同じように参加賞である「花の種」も置いてあった。

 そんな昔か変わらない方法で運営されるこの大会の参加費は¥1,000也。このリーズナブル感が僕を魅了するのだけれど、実は、県縦断駅伝の予選会も兼ね備える少数精鋭のマラソン大会なのでもある。


 会場では思い寄らず、いろいろな方々とお会いすることが出来た。
 チームバナナのぐるぐる練でご一緒した快速ランナーさんに声を掛けられたり、ご存知ヤンバラーズの面々、ときランのHさん、そして先週に引き続きわれら走友会のF井&Kさん。さらには職場のビルの同フロアの見知った方。そして、もっとも感慨深かったのは新津走友会の方から、6月の生涯マラソンのお礼を述べられたこと。待機時間を飽くことなく過すことができた。

 スタートの10分前、グランドに集合してゼッケンナンバーの点呼、確認を行ったあと、石灰で引いた白線と三角コーンで仕切られたコースのスタートラインに、銘々が整列し号砲を待つ。
 茶色の土のグランドには、秋を思わせる柔らかな陽射に風が吹いていた。

 オンユアマークの声の後、号砲が鳴った。
 皆についていくようにグランドから小学校の周辺を通り、田園の広がるコースへ出る。辻に立つ誘導スタッフの指示に従いコースをなぞる。
 4:13,4:15,4:28,4:30,4:38で前半の5kmを折り返し、4:35,4:41,4:45,4:45,4:08でフィニッシュ。
 ラスト1kmは小学生に入り混じってゴール。フィニッシュラインを超えた後、肩で息する小学生に、ありがとうお陰で最後まで頑張れたよ、と声を掛けると、ニコッっと笑顔を貰った。手元の時計でぎりぎり45分(44:53)を切ることが出来た。

 実際7km通過で44分台を諦めかけていただけにラスト1kmが全てだった。全体を通してしっかり走ったつもりだったが存外の結果であることは否めない。バイク自走で現地へ向かい、アップは万全だったのだが、これが今の実力と受け止めよう。
 まぁ、成績はともあれ、なんとも清々しい秋晴れのマラソンだった。また次回!

2017年9月19日火曜日

2017リレーマラソンのこと 2017.9.16

 新潟市陸上競技場で行われるこのイベントは、フルマラソンの距離42.195kmを10名以内の走者のリレーで繋ぐ。今回、レギュラーメンバーに欠員が出て、僕はそこに滑り込むようにして参加させていただくことになった。
 市陸の400mトラックを持てる力で精一杯走る機会なんて一年を通じてこれぐらい。誰かに頼まれたワケではないのだけれど、普段、適当に走っている僕は何度か繰り返されるほぼ全力走の800mのローテーションにBPMは上がりまくり息は切れ切れ、疲労に比例するようにちょっとづつ嫌気も差してくる・・・。

 今年はドナルドの被り物で参加した計6kmのトラック走。
 2周800m×6・・・計測忘れ、3:08、3:06、3:04、3:05、3:08
 1周400m×3・・・1:24、1:25、1:28

 目標は2周で3分切りだったが、そんな能力はいまだ備わっていないようで・・・。
 湯沢ハーフに向けた足慣らしにはなったか。この日の午前のバイク練もなかなかのハムいじめだったが、このトラック走と掛け合わさって、この翌日ではなくて、翌々日にハムが悲鳴を上げ、歩くのに一苦労する破目となる。

マリオ&ルイージ(実物)とドナルド

記念撮影!

 会場ではヤンバラーズのS田さんや、トキランのHさんをはじめ各走友会の方々にお会いできました。できることならまた来年、ぜひぜひ参加させていただきたい。

  チーム完走タイムは2時間50分46秒、総合22位。盛り上げたで賞をいただきました。
 ミニー(メグメグ)、ビット(GO)、マリオ(ヤワラ)、ルイージ(N村)、小悪魔(やっちゃん)、パンプキンマスク(ヒグマサ)、パンプキンハット(団塊II)、マウスカチューシャ青(H山)、チームバナナ(M谷)にN村監督。皆さんおつかれさまでした!

尚、大会の詳細は・・・
https://gicz.jp/open/06457926/

2017年6月7日水曜日

第40回 生涯マラソン '17.6.4

 ニューヨークシティマラソンには制限時間がない。
 最後のランナーがゴールテープを切る、あるいはリタイヤするまで続けられる。
 NYCMを走ろうとするランナーはどんなに時間がかかろうと、走らなければならない理由がありフィニッシュを目指して走り続ける。
 そんな彼らの姿にニューヨーク市民の多くは魅了され、途切れることにない声援が続くそうである…。

 今回、僕ら豊栄走友会がホストを務めることになった「生涯マラソン」は今年で40回目を迎える。新潟市周辺のランニングクラブによって持ち回りで開催、運営、参加するこの大会の特色は、参加者のそれぞれが事前に申告する走破タイムに、実際にどれだけ近いタイムで走れるかを競うものだ。もちろん時計の類は一切携帯は出来ない。
 速い遅いは二の次で、7.8kmのコースを申告タイムに近く走れるかが重要なのだ。キロ3分台でもファンランでも、もちろん途中で歩いたってOK。
 ゴール時間は参加するランナー自身が予め決め、老いも若きも入り混じり、走る時間感覚の精度を競い合うという極めてユニークな大会なのである。
 主催する我々としては先述のNYCMとの理念は共通していると言っても過言ではないと思っているのだが・・・。


  総勢112名のランナーとボランティアによる大会及び懇親会は無事幕を閉じた。
 我ら幹事の至らぬ点は少なくなかったかもしれないが、終わってみれば結果オーライ。参加したクラブのみなさんの笑顔ですべてをお許し頂いたということにしたい。
 このイベントを通じて、ちょっと考え違いをしていたことに気が付いた。それは、このイベントは汗を流した後の情感を、それぞれに共有し分かち合いつつ、各クラブチームの近況やこれからのことを、その場にいる人々と共有し認識し合う場であるということだ。
 つまりランニングクラブ同士の交流の要素が最も重要なのだ。そんなことに気がつかないのは、どうかしていると言われても仕方ないが、実際は現場でハタと気が付いた訳だ。
 ここに気が廻っていれば、アプローチが変わったのだが…残念。

 そして大会終了後、豊栄走友会の反省会と称した飲み会の際、オニバスさんから、懇親会で僕が話したことについて、
「みなが言って欲しいことを、ちゃんと言葉にしてくれてありがとう」
次いで横にいたK大兄からは、
「よっ!気配りのシグナス」といつものあの笑顔で言葉を頂いた。
  僕にとってはごく自然なことで、そもそもあの場の雰囲気を言葉に変換しただけなのだ。それにこのイベントの役員として参加させていただいたことで、豊栄走友会自身の直面する問題を改めて自分ごととして真剣に考えることが出来たから。実際、今まで何もしてこなかった反省を踏まえ、せめてもの気持ちを言葉にした次第です。
 第40回目の生涯マラソンは、僕の役割がちょっと垣間見れた1日でした。
 なにはともあれ来年の内野走ろう会さんの「生涯マラソン」は参加させていただきます。
 さてその頃、走破タイムはどれくらいに設定出来るのかな?




2017年3月21日火曜日

第1回新潟ハーフマラソンのこと

 先週のはなももに続き連闘のハーフマラソン。昨年、佐渡トキの後、同じように連闘で見附ハーフを走り、それなりにやれたので何の躊躇いもなくエントリーしたわけだが…。
 回復が遅く、調整に努めたが如何ともしがたい状態だった。同じく出走する家内の伴走役として走ることを相談するが、彼女は彼女で練習不足を理由に明確な目標のないまま、とりあえず前走の桐生より速く走れればいいと言う…。ペースメーカーにはなれないし困ったな。いっそDNSかと思い、当日の朝の状態で決めることにして、前日は予定通り早目に床に就いた。

 当日。朝4:30には朝食を取り、出発の6:30までに出かける支度を整える。
 外へ出ると雨が降っている。気温は3度、とても肌寒い。予報は晴れのち曇りなので、移動している間に雨は止むだろうと心配はしていなかった。そんな予報通り、会場のビッグスワンスタジアムに着く頃には、先ほどの雨が嘘のような青空になった。が、もしこの日の予報は雨で、天気が引き続き愚図つくようならば間違いなくDNSを選択しただろう。
 AM7時過ぎにビックスワンに入り、スタンドで身支度をする。トラックでは色とりどりの、大勢のランナーが既にアップに勤しんでいる。7:20分にスタジアム内のトラックは閉鎖され、出走カテゴリー毎にスタートに整列するようアナウンスが入る。
 もうすでに悩んではいなかった、4:25/km狙い。今日はこれで行こうと決めていた。

 家内と2人で簡単なアップをして、それぞれのカテゴリーに別れた。僕はAグループの中段に位置した。7:45分に整列。そこから15分、周りの会話に耳を傾けながらスタートを待った。
 定刻。オンユアマークの声の後、レースがスタートする。
 ゆっくりとスタート地点を通過する。パイロンで仕切られた簡易的なコースは、ランナーにとって広くはなかった。ごちゃつくのが嫌だったので、前へ前へと進んだ。
 ビッグスワンから公道へ出る。入りの1kmは4:17。興奮しているせいか辛くも何ともない。あれ、これはひょっとして行けるかもしれない、と淡い期待が顔をもたげる。ただし、このペースを維持できるとは毛頭思ってはいない。気持ちを落ち着かせながら狙いの時計に合わせていった。

 沿道への応対を欠かさない、いつものようにバナナのコスチュームを纏ったバナナ師匠、軽快に僕を抜き去っていくファイターズさん、サブスリーランナーのSさんと言葉を交わしたりと、おなじみの面々に囲まれて進んでいく。そうそう、沿道からスタッフジャンパーを着た男性から名前を呼ばれたが、突然のことで反応が遅れ、今以て誰か分からずじまい。大変失礼しました。

 5km通過が21分台後半。予想以上の出来栄えだった。ついで10km通過は44分後半。これにはかなり気を良くした。あわよくば自己ベストもあるかと、束の間の夢を見た。

 ただすでにこの頃、四頭筋の一部に疲れを感じ、自身の走りにバネを感じなくなっていた。歩幅を狭めピッチを速めて対応するが20秒台には乗らない。腰を落とさないようにしてペースキープに努めていたところ、ヤンバラーズのHさんに軽快に抜き去られる。本来の彼のスピードではないのは明白だったので、故障を押しての出走だと思い、無理しないでくださいね〜、と僕はひと声かける。きっと自身にも言っていたのだろう。

 12kmあたり、ジリジリとペースが落ちる。すると、後ろから「オオヒシクイ、羽ばたけ!」と声を聞く。礼子さんだとすぐにわかった。そこから13km通過付近まで仲睦まじく並走しているところをアベスポーツ様と、おっぴえ師匠様にフライデーされた写真がこれ。応援ありがとうございました。

バナナは年代優勝!

 結局、僕は14km過ぎで礼子さんの背中を失い、15km半ばで心が折れてしまう。理由は足の疲労感。ここで戦線離脱、残りの距離を消化しながら回復を促すようにジョグっぽいペースでビックスワンを目指した。

 この時期の新潟のマラソン大会としては、素晴らしい天候に恵まれたのではないか。コースはフルフラットでタイムが狙えるだろうし、沿道の声援も多くエイドも十分。フィニッシュのビッグスワンのトラックに歩を進めると、スタジアムの壮大さがよく分かりフィニッシュを目指す間、いっぱしのアスリート気分も味わえる。
 改善点としてはゴール後のタオル、完走証や補給食など幾つかの参加賞をいただいたが、全て手に持って移動するので、ひとまとめに袋にいれられたら親切だったかな。

 途中で折れてしまったけれど、ランナーとして経験値を得ることのできた大会だった。
 現地でご挨拶したランナーのみなさん、お疲れ様でした。今度はもっと頑張りますからねー!(了)





2017年2月14日火曜日

第63回桐生堀マラソンのこと 2017.2.12

 大会当日。早朝、車で群馬県桐生市へ向かう。途中、県境付近の高速で大雪に見舞われたがマラソンスタートの1時間半前に会場に到着することができた。
 天候は快晴。路面のアスファルトが凍結するほど気温は低く、時折冷たい風も吹くけれど、日向に出ると陽射しは思いのほか力強い。
 早速、楽しみの一つである参加賞のTシャツを受け取った。今年はえんじ色、相変わらずトーンを抑えた色調で、胸にはKHM64のプリントが施されている。一瞥してなんだか学生の頃に着た体操着の色に似ているなと思った。気に入らないわけでないが期待をハズされた感は否めなかった。



 スタート40分前。参加者で賑わう会場周辺の公道をジョグで2kmほど走る。軽く身体を動かしたつもりだが、ことのほか汗ばんだので、薄手のウインドブレーカーを脱ぎ、Tシャツで走ることにする。シャツの下にはミレーのドライナミックメッシュを着用し、汗で身体を冷やすことのないようにしていた。おかげで防寒対策は万全。とても重宝しており、汗をたくさんかく方にはオススメの逸品である

 スタート10分前には整列して時を待った。
 走破目標は1時間35分切りの自己ベスト。昨年末から積み重ねてきた走力を試す、そんなつもりで臨んでいた。調子は悪くない。特に作戦も立てず、気分良くキロ4分半ペースで走れば良いと思っていた。

 スタート30秒前のアナウンスで少しあたりが静まり、僕もいつものように両手を口元に当て一点を見つめてルーティンに入り、気持ちを落ち着かせる。

 号砲が鳴りスタートした。
 色とりどりのランナーが、スタートからの下り坂をひと塊になって移動を始める。僕はその中をかき分けるように、空いたスペースを見つけては飛び込んでいく。入りの1kmは4:37。流れに乗ったように感じたのでペースをキープしての2km通過は4:39。次ぐ3kmは4:38。
 この時点で30秒ほど目標に及んでいないことが脳裏をかすめるが、まぁ焦らずジワリと行けばいいさと自分に言い聞かせる。
 コース沿道の商店街からは引きも切らずに声援が飛ぶ。日曜日、街の目抜き通りを我々ランナーに開放するというのは、なかなかできることではない。歴史を重ねた大会だけに市民の理解もあるのだろう。 (5km通過 23:11)

 6km付近からコースは確かな上り基調になる。起伏を交えながら山間の道を上っていく。なんとなく見え覚えのある風景が連なり、昨年の記憶を手繰り重ね合せる。
 時折現れる集落の一角を成す古い建築物、左手の桐生川。記憶しているコースの沿道には大きな変化は認められない。ただ昨年と明らかに異なるのは、アスファルトを踏むたびに散布された凍結防止剤がプチプチ、ザッザッと足を踏むたびに音を立てることだった。
 (10km通過 23分20秒 )

 巨大なパイロンでコースを折り返してからは、下り坂を拝借してペースを上げに掛かかる。ただ似たペースのランナー達の中で、僕は下りを走るのは、まったく上手くなかったようで、抜かれることはあったが抜くことは皆無だった。
 そんな状況だったが不思議なほどに冷静で、走ることに集中できていた。吹きつける冷たい風が気持ちを騒つかせることはあったが、ただひとり静寂の中を走るように、路面を踏む一歩一歩に意識を傾けながら、淡々と脚を動かしていた。
 (15km通過 22:13)

下りの恩恵は緩みつつあったが、ゴールまでの残りの距離が僕を鼓舞した。残り5kmの看板を見てからは、1km毎をしっかり走って、ラストへ繋ごうと意欲的になれた。余力十分だった。
 そして残り3kmを過ぎ、5キロ走のランナーとコースを一緒に走る頃、それまでの静寂が一変し喧騒になる。イキの良いランナーに囲まれながら、さらにしっかり走りぬこうと気持ちを強く持った。わずかに感覚が鈍くなった脚を動かしながら、再び桐生の商店街をゴールに向けて駆けた。辛いとか、苦しいとか感情の起伏も抑揚もなく、瞬く間に過ぎていった時間感覚だけが強く印象に残った。
(20km通過 22:34)

 誘導に従い商店街を右へ曲がると細い路地に入る。もうゴールはすぐそこだ。左そして右へとクランクすると、辺りの沿道は人々で埋め尽くされ、その先にフィニッシュラインが見えた。わずかな直線をスパートしてゴールへ飛び込む。歩様を落とし数歩進み、すぐに回れ右をして一礼をした。
 今年の初戦が終わった。グロスで1:36:05。ネットでかろうじて35分台かな。目標には届かなかったけれど、清々しい気持ちになれた桐生堀マラソンだった。

 最後に。一緒に参戦したヒグマサさん、フェマンさん、H間さんにウチの奥さん、長い移動時間でしたが笑いの絶えない楽しい時間でした。また来年を楽しみにしましょう。
(了)



2016年9月26日月曜日

第116回秋葉区秋のマラソン大会のこと

 10kmレースはごせん紅葉マラソン以外走らなくなった。
 それは10kmへの思い入れが希薄なったことが一番ではあるが、マラソン大会のエントリーフィーは、それはなかなかのインフレ傾向にあり、ワザワザ同距離を走る為にお金を払うことに、ためらいを感じずにはいられなくなったことが大きい。
 ではなぜ、今回ここにエントリーをしたのか。
 それは、昨年の佐渡トラB〜湯沢コスモスハーフ〜新潟シティフル〜柏崎フルのローテーションで9月、10月のスケジュールを組んだのだが、佐渡の疲労が抜けなかったせいか湯沢、新潟ともにレース中に撃沈、戦意喪失してしまい、締めの柏崎こそなんとか目標は達成できたものの、忸怩たる想いの残る秋の内容になったのだ。
 今年はそれらを踏まえたローテ、でも刺激はシッカリ入れようということで、こちらにエントリーをした。まぁ現実は佐渡は途中棄権になってしまい、疲労というより故障からの回復が目下のテーマとなっているのだが…。いつだって思い描いた計画通りにならないことは、折り込み済みさと嘯いてみるのが精一杯だ。

 さて、秋葉区マラソン大会である。
 こじんまりした草レース、と思いきや秋葉区陸協主催による県縦断駅伝の候補選出を兼ねるという、超ハイレベルかつ逸材揃い、生粋のランナーが集まるガチンコマラソン大会であることが当日会場に訪れて判明した。
 敷居の高さを感じつつ、受付の際に渡されたA3両面の藁半紙に印刷された僕のカテゴリ「壮年B」総勢22名のエントリーリストを見ながら、はははと半笑いになりながらも、アランゼミで学んだストレッチを入念に行い臨戦態勢をとる。どっちみちこちらは45分で走る準備しかしていないので、これもまた如何ともし難いのであった。

会場の第三小学校

 レース10分前。スタート地点でゼッケンによる点呼という、手動集計の手順を運営スタッフは淡々とこなしていく。
 スターターの「オンユアマーク」の声と共に号砲が鳴る。
 男女混合総勢94名のランナーの小隊が早速列になって小学校のグラウンドから公道へ向かった。僕はほぼ真ん中に位置していたと思う。気の抜けない10km走の始まりだ。

 涼やかな秋の風に対抗するように、ギラついた陽射しに照らされて、僕らは公道を走る。最初の1キロは4:40秒に少しお釣りがくるぐらい。すぐ前には超有名女性ランナーTさんがいるのがわかった。
 勢いをそのままに、前方の集団に離されまいと頑張ってついて行く。2km通過は4:10秒台。うーん通りで息が苦しいわけだ。オーバーペースにイカンイカンと思い息を入れる。以降、時計を気にせず、苦しいけど走り続けられるペースを守り、かつフォームに気を配りながら進んだ。

 高速の下をくぐるとしばらく直線が続く。両脇を田んぼで挟まれた珍しくない農道だ。そこを指示に従い左に折れると集落に入り、しばらくすると折り返しだ。折り返しポールはスタッフのおじさんだ。おじさんを軸にをぐるり折り返すと、次いでかわいい給水所が現れる。左手で2つ紙コップを取って1つは頭からかぶり、もう1つは口へ運ぶ。

 この頃になると流石に息は落ち着いた。ただその分ペースダウンしてるだろうなぁと左腕のガーミンが気になった。今期は明らかにランニングのはぁはぁゼィゼィ不足で、僕にとっての「はぁ、ゼィ」はスイム練ぐらい。それがここでも生きてくればいいなぁと思った。ランの「はぁ、ゼィ」とスイムのそれはやっぱり違うのだろうか。走りながら真剣に考えてしまう。

 再び農道に戻ると、残りこんぐらいかなとかゴールまでの距離を逆算したりして、自分を励ました。気落ちするといけないので、頑なに時計は見ない。とにかく苦しいけど続けられるペース、かつゼミで教わった幾つかのフォームを再現し楽に走る続けることに心を砕いた。

 残り3キロあたりから後方からランナーの息遣いが聞こえてきた。力のあるランナーはもうスパートなのかと、自分の力量と比較して不貞腐りそうになる。こっちはギリギリ現状キープがやっとなのにな。
 そう思っていると現れたのは先ほどのT女史。流石のネガティヴ走と感心しつつ、僕は豊栄走友会のシャツを着ていたので、何者かはわからなくても、因縁浅からぬライバルの所属する会ということでお分かりだろうと思い、この機会を逃さず伴走を試みた。

 楽じゃない。けれど誰かと競い合うというのは力を出せるもので、そこからは確実にペースを上げることができ、差されたランナーを差し返すこともできた。そして何より、最後まで諦めずもっと速く走ろうとする工夫をゴール直前まで続けられたことが最良だった。

 小学校のグラウンドに入る手前で「ラストです、行きましょう!」と僕から声を掛け、お互いしっかりラストスパートをしてフィニッシュ。
 手元の時計は45:16。惜しくも目標には届かなかったけれど久々の、はぁゼィに満足。
ゴールまであと少し!

ゴールはすぐそこ!

 暫くしてからT女史と少しおしゃべりをした。
 50歳を超えてからの一年一年が大事だとか、好敵手たちが戦線を離れていくのは本当に寂しいとか、セリフが印象に残る。
 そう遠くない未来、加齢や故障に抗えなくなった僕は、マラソンをはじめとする幾つかの有酸素運動と、どう接しているのだろうか。そう考えると元気に動ける今をもっと磨くべきだと思うのだけれど、一方で、明日の自分のことではないとも思えてしまう。
 マラソンはツライけどスゴく楽しい。それは距離に関係なく。

 きっとまた来年、今度はもう少しスピード練習をして、第三小学校のグランドに足を運んでいることだろう。(了)

2016年6月20日月曜日

第43回関川マラソンのこと H28.6.19

 今年は先週行われた酒田おしんトライアスロンに続く連闘での参加となった。(ちなみに「連闘」という言い回しは競馬に於いて競走馬が開催日を連続して走ること、つまり週末を2週連続してレースに出ることを示す競馬用語なのだが、同じく身体を酷使する「レース」なのでここでも敢えて使わせて頂く。)
 見えない疲労とでも言うのか、脚の具合が芳しくないので週の半から走るのを止めていた。普段のレース前と比較するとぶっつけ本番みたいなところはあった。けれど今までの経験からまぁなんとかなるさ大丈夫!とタカを括っていた。
 ある程度走ってみて、最後まで頑張るか決めようとそれとなく考えていた。きっとこう考えていた時点でダメだったのかもしれない。端的に結果を説明すれば10k通過が48分半程度。左脚の四頭筋、ハムから膝裏に掛けて痛みが出始めたので、我慢して疲労を蓄積しても後々面倒になるのでペースダウンして12kあたりで早々に戦線離脱した。一応、入りの1kから4分30秒を設定し、道中はそれなりにもがいてみたのでまるで無駄な経験だった訳ではない。率直な感想は今日のような天候を差し引いても、想い描く走力には全然足らないということがよ〜くわかった。

 ということで12k以降は一緒に参加していた妻の伴走に終始した。もちろん彼女の目標のジャマ、ではなく一役買うつもりの伴走だったけれど、走ることを止める逃げの口実だったかもしれない。ただ中途半端に完走するぐらいならなら、エントリーフィーに相当するぐらいの想い出を作るべきだし、この春から続く一連のレースの幕引きが、家内との伴走というのも悪くはないだろうと思ったのは事実だ。この期間、満足する結果は得られなかったけれど、心折れずにレースに参加できたのは家族のそれとない応援があったからこそだから。
 結果、僕の様々な励ましの甲斐あってか辛くも目標を達成するに至った。

 さて。昨年末の故障を長期化させてしまいそれを言い訳に、ズルズルとここまで来てしまった気がしてならい。右のくるぶしを見るたびにため息が出てしまう。僕の気持ちは今の天候のようにスッキリとしないのである。
 次の目標レースは佐渡トライアスロンBタイプと大阪マラソン。ここに向けて立て直しを図りたい。このモヤっとするこの状況を打開するための次の一手は、果たして・・・。

2016年5月11日水曜日

第30回白根ハーフマラソンと五頭山麓一周マラソン応援のこと


 白根は今年で3年連続の参加。自他共に認める雨男を持ってしても、またもや快晴の空の下での開催となった。風を感じるがそれは昨年と同様。平坦な田園地帯をぐるっと回るコースなので、風はアゲンストにもフォローにも変化する。

 僕の目標はキロ4分25秒ペース狙いのネガティブ走。最初は速めに入り、チョイ落としてターゲットタイムに持ち込もうという作戦だった。

 スタートは運動公園内をクランクしながら駆けるので、他のランナーからプレッシャーを受けぬように前方に整列する。
 定時号砲。スタートは目論見通り。誘導されて気がついたのだけれど、コースレイアウトがスタートの1km区間ぐらい変更していた。この辺で思いがけず、おっぴえ師匠と会話を交えながら併走させて頂く。
 2k過ぎにファイターズさんが後方から登場。前を行くランナーの群に吸い込まれていく。それに気がついた師匠は、ファイターズさんの背中を追うようにスピードアップ。ライバル対決の始まりを目撃する。

  入りの5k通過は22分36秒。既に目標から遅れている。時計が追いつかない。少し速く入りすぎたかな。気持ちよく走れているのが時計は30秒台に留まってしまう。なんと説明してよいか言葉が見つからない。前走の見附のような感じにはならかった。

 アゲインストの風を受ける7〜8kは4分50秒台までペースは落ちる。周囲に気を配る余裕もなく、ひたすらアスファルトを見つめて走る。
 10k通過は47分。しばらく進むと集落に入り、風を遮蔽して幾分楽になった。けれどペースは40秒後半で停滞。このあたりで諦め感が漂い始める。

 12k、バイクに跨ったオレンジ色のバイクジャージを纏ったAさんに「ファイト!」とバリトンボイスで励まされるも、その応援を力に変えられない。

 14k、後方から大勢のシルバーランナーの集団に飲み込まれ、四苦八苦しながら追いすがった。ベテランの力走に頭が下がると同時に、負けてられないという気持になる。ほんの少しペースを上げるのだけで苦しかった。それでも、がんばろうと走る。

 17k、フォローの風を受けながらも楽をしているところを潟鉄バイクジャージ姿のフェマン兄さんに見つかってしまう。
 「どーしたーん?」と投げかけられ、ヘラヘラへした態度で「こーいうことも、ありまーす」と応答する。あー、情けない。
 完全に降参。無駄に疲れるのは避けようと力を抜く。5分を下回るペースまで落ちる。

 バイクに乗ったフェマンさんから背後から2度声援を貰う。ラスト1kだけは、しっかり走り込みタイムは1時間40分23秒(ネット)
 昨年秋の湯沢よりはまだマシさとうそぶきながら、先月のフル出走からここに至るまでのローテに無理があったのかなぁ、と力を出せなかった原因についてあれこれ反芻した。


 付加をかけ、それに応えてくれる身体づくりがトレーニングの目的なのだけれど、どこか、なにかが足らないのでこういうことが起こるのだろう。これにてひとまず、春のエントリーレースは終了。昨シーズンからの頭打ち感は否めないが、次のランシーズンに向けて新しい取り組みを開花させられるよう、楽しみながら頑張っていこうと気持を切り替える。

 同日開催されていた五頭山麓ウルトラマラソンにバイクで応援に行く。お目当てはもちろん走友会のリーダー、メグメグさんの感動のゴールシーンに立ち会うこと。
 コース途中、彼女を見つけ声援を送り、ゴールの瓢湖でその瞬間(とき)を待った。しっかりした足取りで彼女が現れる。伴走には朋友のゆうこりんさん。午前中、白根を走って入賞した彼女は一緒に4kほど走ったそうな。ゴールテープを切ったメグメグさんの姿を見て、ちょっぴり羨ましく、もっと頑張らなきゃなぁと、元気と勇気を貰いました。
 次は酒田おしんトライアスロン。モードを切り替えることにしよう!(了)




2016年4月30日土曜日

第2回見附刈谷田川ハーフマラソン 2016.4.24

 フルマラソンの翌週にレースを入れたのは初めてだ。キロ4分30秒を新しいフォームで刻むこと。これが今回のテーマだった。
 この週は身体に耳を傾けるように無理せず、負荷を掛けずコンディショニングに努めた。それなのにレース前日の土曜、早朝にジョグを入れたのだけれど、まるで力が入らなくて予定距離をこなせずに終了。調子は半信半疑だった。

 当日、会場の見附総合公園の一角に陣を構えて、スタート5分前までのんびりアップ。晴れ渡る青空に公園を取り巻く木々の緑が眩しくみえる。体調はともかく気持ちはお天気のおかげで爽やかだ。


 定刻9時半に号砲。上り坂からのスタートだ。こじんまりとしたランナー集団がゲートに向け移動を始める。僕は前を交わしながら位置取りを行う。
  コースは右へ左へとクランクし、学校の校舎を通り過ぎると下にさしかった。躊躇せずそこを一気に駆ける。スピードをつけるのには丁度よかった。スタッフの誘導に従い、左に曲がると村の集落に入り、一路、刈谷田川を目指す。

 大会のタイトルにあるようにコースの大半は刈谷田川の土手だ。道路と交差する場所では紅白のバリカが外してあるところから、普段は車両の通行できない道のようだ。
 5K通過は22分4秒。予定通りのキロ4分半。ゼミで教わった2軸走行、股関節にタメをつくるなどいくつかのフォームに関する課題を意識して走る。

 6k手前あたりで頑張り過ぎないように若干息を入れる。ここまで不思議なぐらい楽に走れていた。体も軽い。けれどこういう時ほど用心をと判断して、僅かな貯金を使うことにしてキロ30秒の前半を踏んだ。もちろん、全体のコーデはネガティブ走なのだからね。

 遥か先を行くランナーが疎らだった。チームバナナさんらの黄色のTシャツが新緑に映え一際目立っている。そのランナーの点と点をつなげていくと、コースそのものが刈谷田川と同じように大きく蛇行している。途中では河川敷を野焼きしていたり、かの細長い爬虫類の無残な姿がコースに横たわっていたりと、なかなかどうして風光明媚な大自然の端っこを僕らは駆ける。

 10k通過は44分57秒(22分53秒)。しばらくすると折り返し、今しがた来た道を戻る。エイドで補給を口にする。

 後半戦。前を行くランナーの背中を追う。そうすることでペースを上げに掛かった。ジリジリとにじり寄るようにして、コースの幅員が狭いので反対から来るランナーに気を配りながら追い越す。そうやって一人、また一人と背中を捉える。そんな風に頑張っているが、ペースは然程上がらずに30秒前後をうろうろしていた。

 回転(ピッチ)を上げるために踏み込みを速める。そうすると股関節のタメが小さくなる感じがして歩幅が小さくなる。これは当たり前のことだが、それではダメなのだ。まだまだ目指すフォームを獲得できていない。所詮、付け焼き刃か。サンバイザーからポタリポタリと汗が滴り落ちるのが判る。

 15k通過は1時07分50秒(22分53秒)。ペースが落ちてきた。40秒台すら見え隠れする。太もも横の筋肉が突っ張る感じがする。佐渡の終盤に出た足の疲れと同じだ。故障を引きずる右足首にも小さな痛みを感じた。
 弱気が顔を出した。時間が長く感じた。僕は尽かさずジェルを取り出しちびちび口にいれる。ラスト1kは上りがあるのでタイムは望めない。これ以上落ちないよう踏ん張るだけだった。

 20k通過は1時31分14秒(23分24秒)。上りで思いの外、気持ちよく力を出せた。それは間違いなくフォームのお陰だった。最後のキロラップは4分30秒。学校を通過し右に折れると、あとは下りだ。勝手にペースが上がるので案外に辛かった。
 グラウンドに入り、ありったけの力でゴールに飛び込む。フィニッシュは1時間37分07秒。辛うじて2月の桐生を上回ることはできた。シーズンベスト。これで次はもう少しやれそうな気がした。


 フィニッシュ目前の家内の伴走を、グラウンド前の下りで伴走していると、お馴染みのバイクジャージを着たサイクリスト達が会場に入っていくのに気が付いた。僕はスピリットZさんの姿を確認して、走りながら思わず「ガタテツ~」と大声で叫んでしまう。H澤さん、K林さん、そして鉄女ママ。ホント驚いた。あれれ、今日はみんなで輪行じゃなかったっけ。潟鉄ジャージが目に飛び込んできた瞬間、勝手に笑みがこぼれる。僕らのサプライズ応援だそうな。その甲斐あってか家内の目標ハーフ2時間切りは見事達成。良かった良かった。
 そして記念撮影はお決まりのガタテツポーズ!応援に来ていただいた皆さんホントありがとうございました。
 さて、次走は再来週の白根。コースベストを目指して頑張る!











2016年2月16日火曜日

第62回桐生市堀マラソン 2016.2.14

 今年初戦のハーフマラソン。それはちょっとした故障を伴って走るオプション付きのマラソンだった。無理をするつもりはないけれど、かと言ってDNSは絶対にない。今の自分にとってプラスにするにはどうすれば良いのか迷っていた。レースが近づくにつれ、無難なペースで走り抜けばいいと安易に考えていたのだが、いざ当日、現地に向かう途中で今一度考えてみる。何事も試してみて初めて気づくことはあるものだ。次走につなぐ内容にしたいのならば、想定を超えたところでやらなければ何かを得ることは出来ない。運転する車の中、モヤの立ちこめる明け方の関越道は物事を決めるのには案外うってつけ場所なのかもしれない。



 早朝から続く雨は段々と小降りになり、殆ど気にならない程度になった。少し肌寒いが風は感じられない。天候には恵まれたようだ。参加規模1,460人、制限時間2時間のハーフマラソンがスタートした。
 僕は後方からのスタートだったこともあり最初の2kまではキロ5:00オーバー。出だしでちょっともたついてしまう。時計を求めるなら前方に並ぶべきなのだ。
 3k通過でキロ4:30秒ジャスト。懸念した右足首の痛みはそれほどではなかった。イケる。けれど油断禁物。慎重に、丁寧にステップを踏む。以降は4:40秒前後を目安にレースを運ぶ。

 コースは桐生川に沿うように市街地から山手へと向かい、なだらかな上りの勾配が続いた。沿道の声援は疎らながら途切れることはない。派手さは感じられないがこの大会が地域に密着し支えられている様子が伺える。62回という歴史に育まれたのだろうか。
(5k 24:01)

 7kを過ぎ、明らかな上り勾配が体感できるようになるとコースは山間に入る。この辺りはちょっと息を入れただけでスピードが落ちてしまいそうだ。まだ前半。オーバーワークに気を付けながらフォームに気を配りペースを維持する。
 コンディションは悪くはなかった。ただ、ちょっとした下りになると右の足首と踵が痛んだ。それからこの2.3週間のラントレ不足から息が持つか心配だった。
 昨年この大会に参加したM谷さんから折り返し以降は下りが続くので帰路はラクだよと聞かされていたが、往路を走ってそれが理解出来た。今の僕にとっては折り返しの復路こそ対応が必要だった。
(10k 23:20)

 10kで47分台。良いとも悪いとも判断がつかない。ただできることをしっかりやるだけだ。
 右に大きく折れるカーブの先に折り返しのパイロンが目視できた。
 折り返す小回りの動作の途中、不意に右足に痛みが走る。それをかばうように今しがた来たコースを下った。次々と後方から追い越される。気が高ぶる。でも、ここは僕にとって我慢のしどころだ。
 脇を締め肩甲骨と骨盤を使って両脚を動かす。もちろん腰は高く。少し歩幅が狭まり、脚を前方に置きにいく感じの走りになる。
 目指すはコースがフラットになる地点、残り5kあたりまでは下りのアドバンテージを味方につけて走る。

 下りの道中、40分切りがみえてきた。実のところ予想外でちょっと驚いた。ほぼ自分の走力を出せている。やればできると思った一方で、もしこれがフルだったらどうなのかと考える。このまま脚は持つのか、ペースは守り続けられるのか。いくつかの不安が過ぎる。桐生を走って言えるのは、この状態でフルに出走しても力を出し切るのは難しい。30kぐらいまではやれそうな気がするけど、それ以降は良いイメージが持てない。チョット無理かも。従って来月の古賀は状態によってはDNSを検討する必要がある。でも可能ならば出走して4月の佐渡トキになんとか間に合わせたい。そう思うと引き続き経過観察が必要だし、尚更ここで何かを試さねばならない思うのだ。
(15k 23:22)

 下り坂が緩やかになる頃、桐生の市街地がみえてくる。沿道の声援も再び増した。足の痛みは我慢できる。予定通りペースアップだ。
 ラップは再び4分30秒台を刻んだ。感覚的にはもっと速く進んでいるつもりだったが、この間のキロラップは総じて30秒前半だった。スピ連不足と後半の疲れか。ネガティヴ走の実践と、少なくともこれでスピード練習が出来ているのだと思うことで良しとした。
 18kを過ぎたところ5kのランナーと合流する。僕らの白いゼッケンがピンクのそれに飲み込まれる。あっという間にコースが狭くなる。近いペースのランナーを見つけては取り付いて引いてもらう。そんなふうにコースをかき分けるように進み、残り2kの看板を確認しスパートを掛けた。
(20k 22:58)

 フィニッシュまで緩むことなくしっかり追った。ゴールを付き抜けたあと、くるりと振り返って一礼。フィニッシュは1:37:52(完走証より)。最後まで諦めず、手を抜かず、かつ計画的に事を運べたので嬉しかった。ポジティブな気持ちでレースに臨み最善を尽くせたと思う。こうして改めて振り返るともっとよくできたと思い当たることはあるのだけれど…。

 本大会を経験して想うこと。往きが上りで帰りが下り。オートマチックでネガティヴ走が経験できる。つまりは時計を望むのには悪くないコースだ。それに待合所の図書館は造りこそ年代を感じるが参加者への配慮が感じられる。全体的にホスピタリティの溢れる良い大会だった。それにノベルティのTシャツが群を抜いて格好いい。
 来年は万全のコンディションで参加したいものだ。(了)