ラベル ハーフマラソン の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ハーフマラソン の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年2月10日月曜日

桐生掘マラソン参加だったけれど…。2025.2.3~2.9

 2/9(日)は桐生掘ハーフマラソンに参加する。走破目標はリミット1時間48分。可能ならば昨年の1時間41分を越えたいれど、現状では往路の10kmの50分切りができる気がしない。なので52分ぐらいで見積もって、復路の下り坂で時計は稼げるだろうがそれは皮算用として、ひとまずキロ5で計算すると先ほどの数字になる。
 走ってみなければわからないことだけれど遮二無二頑張るというよりは、ちょっと余裕を持ってフィニッシュするぐらいを想像しているのだが。

・・・と書いていたのだが金曜の夜から土曜の朝の降雪で状況は一変。桐生市には辿り着けずDNS。なんとも致し方ない。

★トレーニング備忘録
2/3(月) 週末のハーフを意識したワークアウトを組み立てる。起床時からずっと疲労感に苛まれているので、終業後のジムは加圧刺激とリフレッシュ効果を狙いスイムへ。
 ノー壁キックインターバル100m×9、1分50秒ぐらいでストロークは12.5~14。ペースが維持できなくなくなったので同int50m×12、50秒前後でストロークも同じくらい。ラストは壁キックありで50×2本はいずれも47秒。それなりに疲労を覚えた。宮古島を思うと2,000m前後のトレーニングを意識したのだがこの日はこれで終了。そう、この日に佐渡トライアスロンBタイプに申込みをした。抽選結果を待とう。

4(火) 寒波到来が予想されていたこの日。風は強いが降雪は少なかったので終業後はジムへ、ブリック練。先週同様にバイク40分(距離20km)にラン30分(5km)が目標。エアロバイクは負荷17でスタート、中盤以降はケイデンス80前後をキープし、終盤は90~100を意識して踏んだ。
 続くトレミ。すんなりサブ4ペースで入れたので少しだけペースを上げて5kmまで。次回は距離を延ばすかして、両者共にボリュームを増す方向で臨みたい。もちろん、メリハリは忘れずに。

5(水) 今日こそ寒波の影響を受けるのか。ドキドキしていたがお昼過ぎから降雪がはじまり、職場の窓からはホワイトアウトする街が映っていた。夕方頃、ぼくの使う路線の電車の一部運休、終業後のジムについてちょっと考えたが、帰りは運に任せてジムへ向かった。
 レース前のコンディショニング走としてトレミでジョグを選択。しかしジョグペースはちょっと退屈だったのでサブ4ペースで10km走。走り終える頃、閑散としていたジムはいつのような盛況感が醸されており、こんな天候でもトレーニーの意識は変わらないのだと感心した。帰宅の電車は確実に人が少なく、大概の人びとは家路を急いだようであった。

6(木) 雪かきから始まる1日。出勤時、駅の電車遅延アナウンスは冬の風物詩。乗りたい電車がどの辺りにいるかリアルタイムで確認できるアプリのお陰で、咄嗟に対応して出社定時に遅れることなく会社に到着した。終業後のトレーニングはオフにして家路につく。

7(金) 休養日。帰宅する頃には雪が舞っていた。どれぐらい積もるのか心配。

8(土) 自宅周辺はひと晩で40cm程度の雪が積もり、朝から除雪作業に追われる。翌日に備え、午前に調整走をと考えてたが、こうなると走る場所すらない。
 午後、仕事を終えた妻と群馬県桐生市へ向け出発。関越道の長岡JCTを過ぎた頃、六日町から伊香保間通行止めの表示が目に飛び込んだ。午前中、自宅で交通情報を確認したとき、六日町や湯沢では確かに雪が降っていたが、まさかこの時間から高速が通行止めとは…。
 桐生行きを諦め引き返した。

9(日) 降雪の影響で電車は運休。車でジムへ向かった。桐生で走る筈だったハーフ走をトレミで5分半イーブンでこなす。走り終えた直後は余力は残っていたが、時間経過と共に脚部のあちこちにダメージが現れた。中長距離ランニング不足だろう。長距離耐性をつけるべく、トレーニングを重ねていかねば。なにはともあれ、気持ちを切り替えて次週のトレーニングメニューを考えることにする。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
2/3(月)  スイム1.6(29)
4(火)  エアロバイク19(40)、トレミ5(28)
5(水)  トレミ10(58)
6(木)~8(土) 休養
9(日) 午前 トレミ21(118)、スイム0.7(12)
2/3~9(km)…S2.3、B19、R36、Re3

2024年2月14日水曜日

第70回桐生掘マラソンのこと 2024.2.5~2.11

  第70回桐生掘マラソンに出走した。ハーフマラソンの参加は’20年11月以来、実に3年3ヶ月ぶりだ。そしてこの大会の参加は、コロナウィルスが流行する直前の同年2月66回大会以来。その日の朝、宿泊先で眺めていた札幌雪祭り会場からのTV中継で、原因不明の病気が流行していると噂されるかの国からの観光客が多く見られるとリポーターが伝えていたことを今も記憶している。
 あれから4年、時が経つのは早い。桐生堀マラソンはぼくの冬季のローテーションの一角を担っていたので、再び参加できることを嬉しく思った。

 会場に近い宿に泊まり当日を迎えた。スタートの30分前ぐらいに会場に入って参加賞(お気に入りのTシャツ!)を受取って、スタート地点でアップして号砲を待った。
 関東らしく雲ひとつない青空だった。日向と日陰の温度差が明らかで、迷わず日向を選ぶ。時折ピューと強く吹く風は身を切るが、上昇するであろう気温に期待して、半袖でレースに臨むことにして防寒用の長袖着を脱いだ

 このレースは目下、スピード向上に努めているぼくの試金石だ。キロ5分、1時間45分以内を目標として臨んだ。凡庸な時計かもだが、しっかりやり遂げることを必達としていた。
 定刻どおりスタート。ランナー群の中段でレース号砲を聴いた。スタートラインまでは数秒と掛からなかった。直後2度ほど前が詰まったが入りの1キロは5分10秒。いまのぼくには丁度よかった。そこからキロ5を少し切るぐらいを刻んだ。
 3km過ぎから上りの気配を感じたが許容範囲だった。ゆるい上りが続き、場所によっては下りもあったので、そこで息を入れた。
 コースを進むにつれて沿道の建物が少なくなり、山道を感じさせる景色に変わる。もちろん変わらず上り坂だ。気を抜かないようにせっせと脚を前に出した。そうして10km通過は49分30秒。ほぼキロ5で踏めていた。

 折り返し。坂の重力に身を任せる。間隙をついて補給も入れる。ハーフでもやるべきことはやりる。
 着地は重心よりやや後ろ、尻やハムストリングスへ衝撃を感じながら膝下の力を抜く。ブレーキステップにならないように前進した。里程標を通過するたびに時計を確認した。概ね4分40秒前後で坂を下っていた。濃淡をつけるために体力温存。定ペースを心掛けた。
 下りの恩恵がなくなる18km付近からひとつギアを上げる。厚底シューズの性能を発揮するように、大き目のステップを意識してアスファルトを蹴った。そんな走り方でゴールまで耐えられるかは判らなかったが自身との我慢比べだ。つまらない雑念が霧のように消える。走れ、走れ。ファンランに参加する大勢のランナー達が止まっているようだ。4分30秒を上回っていた。粘れ、粘る。

 フィニッシュは1時間40分50秒。前回よりも4分遅いがネガティブ走ができたことには満足。終わってみれば、あっという間のできごとなのはいつものこと。どこか温かみを感じられ、多くの市民に支えられる大会だ。天気もよく、気分よく走れて本当に楽しかった。また来年も走ろう。(了)

★トレーニング備忘録
2/5(月) 終業後はジム。ダイナミックストレッチ(DS)から筋トレ、バーベルスクワット。30→40→45→50→40→30の各10rep。次いでスイム。先週と同様に入りからの500m泳は9分16秒。Bスクワットが身体に残した爪痕を感じながら泳ぐ。インターバルを入れてなんとか1,500mまで距離を稼ぐ。精神修行みたいなスイムだった。翌日、見返りとしてハムが軽い筋肉痛になった。

6(火) 休養。帰宅してボールクランチとサイドクランチでボディに刺激を入れた。

7(水) 終業後はジム、DSからトレミ。妙な筋肉痛と疲労感があるのだが、この日曜を考えると走らずにはいられない。アマプラをお供にゆるジョグスタート。アップからビルトっぽく上げて刺激を入れて、無難に10kmで終了。サウナで汗を取って帰路に。

8(木) 休養。

9(金) 帰宅してワンコズとジョグ。ワンコズ達が走れる距離が概ねわかっているので無理なく踏んだ、というのは言い訳か。

10(土) 午前中ジム。DSからサイドクランチ、プランクを挟んでトレミでキロ5走を30分。次いでプールへ。今週ほとんど泳いでないのでクロールの感覚を忘れないように少しだけ泳いだ。これが桐生の最終調整。午後は一路、群馬桐生市へ。

11(祝) 桐生掘マラソン。グロスタイムで1時間41分ぐらい。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

5(月)  筋トレ(8)、スイム1.5(28)
6(火)  筋トレ アクティブレスト
7(水)  トレミ10(57)
8(木) 休養
9(金) 夕 ロード8(47)
10(土) 午前 トレミ6(31)、スイム0.5(10)
11(祝) 桐生掘マラソン 1時間40分50秒
2/5~2/11(km)…S2.0R45、Re2

2020年11月11日水曜日

葛飾ふーてんマラソン 2020.11.7

 自宅から会場までは4時間程度の道のりだった。始発の新幹線に乗り、上野で乗り継いで最寄の堀切菖蒲園駅からは徒歩。電車で荒川を通過するので目的の河川敷へ向かうのは難しいことではなかった。他にも会場を目指す人々も少なくはなく、スンナリと会場に到着することができた。
 会場のである荒川河川敷対岸には東京スカイツリーが屹立する。それよりも土手に連なる巨大な橋脚は、下から見上げるとまるで空を区切るフレームのようで圧巻だ。普段目にしている五頭(ごず)の山々と田圃のパノラマとは対照的で、こうした遠征を幾度としているが、はじめての場所は心が躍り高揚を覚える。

 天候は申し分なく、寒くはなかった。トライスーツで正解だ。川上から少し風を感じ、何もしていなければ体温は奪われていくのだろうが、走れば丁度良くなる塩梅だ。週中の天気予報は常に傘マークが表示され、ある程度は覚悟をしていたがまったくの杞憂に終わる。
 河川敷の一角を占める受付会場は、スタートとゴールを兼用する黄色の半円アーチが目印だった。見渡したところ他には華美な装飾はなく、どこにでもあるテントに長机を並べた受付、飲み物を提供するエイドなどが設けられ、仮設トイレが数棟設営されるといった最低限のつくりである。
 そして肝心のマラソンコースだが、この河川敷公園内に敷設されたアスファルト道を使用する周回コースだ。エントリーの際に「周回コース」と記してあったことぐらいしか留めておらず気にしていなかったが、実際走ってみると1周目の折り返しポイントが少し長く設定されており、2周目以降が周回すると5kmのコースだった。
 またそこは大会参加者の貸切専有というわけではなく、ロードバイクや一般のランナーらが普通に使っている。彼らが差し障るようなことはなく、この場所を使う地元の方々にとっては特別なことではないのかもしれない。

 参加するランナーは枯れ芝に覆われた広場にシートを敷いて、おのおの談笑に耽ったり準備をしている。子供も多くみられ家族的な雰囲気が覆っている。HPからも小規模な市民ランナーの大会というイメージが伝わり、想像していた以上でも以下でもなかった。そんな雰囲気に救われたのか、久々のマラソン大会だったがリラックスしてスタートを待つことができた。

 ではレース邂逅。
 気がつけば整列が始まっていて「目標タイム2時間」のプラカードを掲げる最後方から、空いているところ見つけては前へ前へと移動しながらスタートを待った。
 ハーフ部門のエントリーは600名程度、自分のいる場所から前方のスタート地点と後ろを眺めてみると縦長の列ができていた。広くはないスタート地点だったが参加者たちは行儀よく並んでいる。そうこうしているうちにスタート1分前のアナウンス。ぼくは鼻を覆うように両手を顔に当て、大きく呼吸をして気持ちを整える。レース直前のルーティーン。マラソン大会ならではの緊張感が心地よかった。

 号砲と拍手。10:10分定刻にレースが始まる。
 アーチのスタート地点を抜けてすぐに右折、土手沿いのアスファルト道に出ると、目の前のランナーが横に展開して行く手が広がる。ザッザッという舗道を踏むシューズの音と自分の呼吸が耳に届く。当たり前だったマラソン大会が、そうではなくなって実に9ヶ月。漸く、目差すものに手が届いたような気がした。最初の1kmを通過、時計を覗くと4分10秒。速い。落ち着きを取り戻しつつ目標の4分30秒/kmにペースを合わせた。
以下は通過タイム。

 5km 22分35秒
10km 45分1秒 (22分26秒)
15km 1時間7分25秒 (22分24秒) 
20km 1時間29分47秒 (22分22秒) 
FIN 1時間34分36秒(グロス)  

 35分台のフィニッシュが目標だったので、余裕を持って超えることができたので満足。ネガティブ走、競られても競らない、設定ペースの遵守、それに補給タイミングなどなど・・・。計画通りだった。
 特筆すべきは4周回目、距離にして16kmあたり。若干のペースダウンに気付き重心と股関節の位置、上半身の使い方を意識したらペースがスッと戻ったことが記憶に鮮明で、フォームの改善に取り組んでいる最中でもあるので収穫の一つだった。

 10月初旬、突如思いついたようにエントリーしてからの準備だったが、結果を出せたのは喜ばしく、これからのトレーニングの励みになる。まだまだ伸び白はあるかも、そう感じることのできたレースだった。
 ところでこの大会、参加者600名のうちぼくは総合で130位ぐらいだった。醸し出される大会の雰囲気とは裏腹に、能力の高いランナーが少なくない。このブログを書いている段階でリザルトは未発表、後日よく確認したい。
 次回は来春開催予定。もしまたタイミングが合えば挑戦したい大会のひとつになった。(了)

 荒川ふーてんマラソンのHP http://katsushika-marason.net/

2020年2月10日月曜日

第66回桐生堀マラソンのこと 2020.2.8~2.9

ひっさびさのレース回顧録。Tシャツ欲しさにエントリーし続けている「桐生堀マラソン」について記します。

 今年は前日入り。2/8(土)午前、自宅とジムで汗を流しコンディションを整えてから、午後JRを乗り継いで桐生市へ向かう。
 上毛高原で景色は一変して、澄みわたる空の陽射しが眩しい。ぼくのスイッチも切り替ったように気分が上向いた。高崎からは各駅停車に乗り継ぐのだが、車窓からうかがえる赤城山が青い冬空に映えていた。
 あたりが暗くなりはじめる頃、桐生駅に到着。人通りの少ない商店街を通り徒歩5分、宿泊先に到着する。会場へも徒歩5分とかからない好立地。事前にお願をいして、走り終えたあと、お風呂を使わせていただけるようにしていただき何も言うことはなかった。時間が止まったような古びた和室ではあったが、萎びたオッサンひとりの素泊まりとしては十分だった。
 自宅から、ここ桐生の宿泊先までドアトゥドアで3.5時間。余談だが移動の交通手段は先の通りJRの週末パスを利用、宿泊は貯まったポイントを駆使するという低予算の一人旅。申請の際、我が家の財務大臣は一瞬は躊躇したが、文句をつける隙はなく即承認。これまでは早朝に冬の高速道をひた走って現地を目指すのが常だったが、こたびは身体に優しいスケジュールが実現した。

 9(日)レース当日。起床は5:30。不思議で仕方ないのだがアラームの少し前に目が覚める。すこぶる快眠だ。どこからかする部屋の物音、通過する電車の音も、すべて耳障りの良いノイズに変わる。起き抜けだったが消化を考えてもうしわけ程度に胃にものを入れ、レースとチェックアウトの準備をする。

 天候は晴れ。会場の新川公園にはAM8:20分頃に入る。なんならスタートの20分前に宿を出て、位置についてもよかったが、まずは大会の景品を受け取ることにしたのだが、とにかく外は寒く凍えた。防寒対策はそれなりだが限度はある。風(赤城おろし?)に吹かれるのと、陽が射すところに出るとのとでは感じる気温差は雲泥だった。景品の受け取り場所を目指して公園の中を突っ切る途中、猛烈な風が吹いてあたりに陣取られたビニールシートが宙に舞った。
 外にいると寒さで消耗しかねない、一目散に公園に隣接する図書館に逃げ込んだ。車で来たときにいつも場所取りをする建物だった。

 開始15分前にスタート地点へ向かう。風にあたると身をすくめてしまうような寒さだ。強く吹く風が恨めしい。これではアップをしてもスタートまでの時間で熱を奪われてしまう。容赦がない。走り終えた後に景品を取りにくればよかったと後悔した。
 ウォームアップはそこそこにして、スタート地点に集まるランナーの群れに紛れて待つことにした。はてさて、この風は走り出したらどっちから吹いてくるのだろうと考えを巡らせてみる。上半身にまとった保温のビニール袋が手放せない。

 スタート1分前のコール。いつものルーティーン、鬼滅(きめつ)ふうに表現すると「全集中の呼吸」をやる笑。
 定刻スタート。走り出しの1kmは4:44。スタートの下り坂がペースを担保してくれる。2年ぶりだったがコースの設定は寸分に変わっておらず、時折目に映る風景が記憶と合致する。ランレースとしても実に9ヶ月ぶりで、いささか走り方を忘れてしまった感はあったが、前半はやんわりと、このコースは折り返しまで上り基調となるのでペースキープ、息を整えることに注力する。
 4kmぐらいからかな、少し上り基調になる。進むにつれてところどころ傾斜がきつく感じられ、時折コースに吹き込んでくる風は弱くはなく身体を冷やした。
 傾斜は山岳コース(湯沢コスモスハーフとか)のそれにくらべれば重力に抗うようなポイントはない。どちらかといえば緩やかだろう。そんなことを考えながらペースを落とさないように地面を踏み、気がつけば折り返しまで到達していた。その手前の10kmは47分と少しで通過した。

 折り返し。言わずもがな下りが続く。すっと気持ちが楽になる。ここからはしばしイージーモード。重力に引っ張られれば良いのだ。
 目線の錯覚もあるだろうが、随分と上がってきたものだなぁと感じつつ、下りだからと言ってオーバーペースにならないように、時計をチラチラ覗きながらアスファルトを踏む。勝負は終盤。道が平坦になったところからが自分との勝負と決めていた。12km地点で思い出したかのように手持ちの補給を入れ、後半に備える。

 終盤、残り2.5kmの地点で5km走のカテゴリのランナーと交わる。ランナーの密度が上がる。そういえばそうだった。ここが特筆ポイントだったことを想い出す。前にいる大勢のランナーの背中を追いかけるようにしてBPMを上げハァゼィする。
 最後まで持つかな。商店街を挟んだ大きな通りは左右から声援が飛び交う。自分に送られているわけではないけれど、走る力に変わる。ゴールはそう遠くはない。持続できるペースで脚を、腕を、身体を動かした。
 後半の10kmは45分台。そしてフィニッシュは1時間36分台と久々のタイムで完走した。

 ゴールを通過してすぐに建物の中の荷物を取り、完走証を受け取り、そのまま宿泊先へ向かい風呂を浴びる。AM11時前には帰路につく支度を終えていた。
 次回以降、この大会に参加するフォーマットが仕上がったかもしれない。会場と宿泊が近接するというのは恩恵が大きいと感じた今年の桐生堀マラソンだった。
 そうそう、今年の参加賞のTシャツはグリーン、いつかの青のデザインに少し似ていると思った。(了)

2017年9月27日水曜日

2017 第16回 越後湯沢コスモスマラソン大会

 高速道、越後川口あたりで霧に覆われたが時間が経つにつれて視界はクリアになり、南魚沼に入る頃には、秋の気配を漂わせる空が眼前に広がっていた。
 会場の湯沢中央陸上競技場を取り囲む緑の山々は、空の青色とコントラストを描き、これでもかというほどに初秋のランニング日和を醸し出している。
 近頃参加する大会は天候に恵まれている。それは何よりにもかえがたく、とても嬉しいことだ。
 湯沢は2年ぶりの参加。2週後に行われるの新潟シティへの調整走としてエントリーしたのだった。

 スタートにあわせるように陽射しは強さを増し気温は上昇した。ひなたに出るとジワリと汗がにじんだ。
 大会MCはレース中の水分補給をしっかり取るように注意喚起のアナウンスを入れている。過去の出走経験の記憶を辿りながら、起伏に富んだタフなコースで陽射しに照らされる場所も少なくはない。アナウンス同様エイドでしっかり補給を取ることに間違いはないと思った。

 競技場に面する木立に囲まれた通りにスタートゲートは設置され、その100mほど後ろで僕らは号砲を聴いた。穏やかな歓声と共に第1ウェイブのランナーの隊列がゲートへ移動を始める。
 ゲートから押し出されるようにスタートを切ると、ランナーの隙間を見つけては割り込み前へ出た。アスファルトを踏む規則正しい靴音が周囲を支配する。コースは緩やかに上昇し先々の山間部へと続いていくのが判った。

 最初の1kmは4:55/km、次いで2km通過は5:00/kmをオーバー。思うようにペースを上げることができなかった。焦らず無理せず、されど力を抜きすぎないように注意を払う。
 起伏を続けるコースは一路、大源太峡へ向かう。山間を進むにつれて上り坂は斜度を増す。S字の登坂、コース全体でもっともキツイ坂路では5分半キープさえままならない。脚を踏み出すごとにサンバイザーから汗が滴り落ちた。

 時折、弱気が顔を覗かせる。練習量を誤魔化すことはできない。量と質を満たしていれば闘志も湧いてこようが、そんな根拠はどこにもない。期待値を込め1時間40分以内、若しくは予定通りの配分で41,2分台という漠然としたゴール目標だけを頼りに、途中のタイムを想定していなかった。コース形状から予想が立てにくく、臨機応変に対応しようと安穏としていたのが甘かった。結局、山間部の頂上を通過する7km付近は36分を超える。
 こうして振り返ってみると、この前半こそが全体時計の鍵を握る重要なポイントであることに気がついた。頑張りすぎても、手を抜きすぎても結果には繋がらず、おもしろく刺激的に走ろうとするならば、序盤をそこそこ頑張ることで後半に繋がるのだ。

 下りに入る。はじめ大きいストライドで脚を出したが、ブレーキがかかるので歩幅を小さくピッチを上げる。脚部への衝撃は緩やかになりペースも少し上がる。
 ペースは4:30/kmちょっと。軽やかに目の前を通り過ぎるランナーの背中がいくつも映った。こういうところでも練習不足を感じずにはいられない。

 陸上競技場へ戻り、13kmの里程表を通過する。反対側からは10km走のランナーがフィニッシュを目指している。僕らはあと8km。駅前の商店街の折り返しから4kmの往復だと考えたら、なんだかあっという間のことなんのだと感じた。脚にも気持ちにも余裕があった。気を引き締めるようにアスファルトを踏んだ。

 下り基調は続く。ペースキープはそう難しくなかった。ここに至るまでのコースとは打って変わって、沿道には声援を送る人々で賑わいを見せている。隣接する民家も少なくはない。応援する側にとっては清々しい秋空に違いない。
 この頃になると折り返してきたハーフの先頭集団が見えてくる。中にはとても苦しそうな表情のランナーも。自分はどちらに映るのだろう。

 弧を描くように、ぐるっと回りながら坂を上り高架橋へ出る。突然幅員の広い通りが現れるのだが、眼前には高い山がそびえ立ち、山間部ならではの景勝を楽しむことが出来る。
 突然、名前を呼ばれそちらに視線を送る。
 走友会きっての快速王のF井さんだ。その声を聴くまで気がつかなかった。すぐに振り返ると、その笑顔を残像のように垣間見る。咄嗟に声援を返す。届いたかな?橋の頂点に向かって歩を進めながらF井さんがどれほど先行しているのかを考えてみたけれど、皆目見当はつかなかった。

 高架橋を下りエイドを通過、沿道の声援を浴びながら右折すると、JR駅前通りの土産物屋などが居並ぶ商店街に出る。この通りこそ湯沢コスモスマラソンを難コースに仕立て上げるところだと思っている。これは僕だけではない筈だ。
 そこはまるで蛇腹折りのように、幾度も上ったり下ったり畝っているのだ。それらはゆっくりとそして確実に僕らの体力やモチベーションを削りに掛かる。反面、沿道からの声援はひときわに盛り上がり、絶えまない印象がある。

 その折り返し、再び来た道を戻ろうとする頃、四頭筋に疲れを感じはじめた。ペースを落とさぬように前を行くランナーの背中を追う。
 まさかハーフマラソンの途中で脚に疲れを感じるとは思わなかったので、この予想だにせぬオプションにちょっと嬉しくなり、楽しくもなった。かなりマゾっぽい発言ではあるが・・・。

  高架橋の上り手前のエイドで、スポンジを手に取り背中に入れた。そこのピークを超え下りに入った頃、またもや不意に名前を呼ばれる。F井さんの相方のKさんだ。下り坂を借りて加速する僕の背中を押してくれたような気がした。

 18kmの里程標が現れた。ゴールまでは緩やかな上りだ。車道に降り注ぐ陽射しが気になる。この夏の間に浴びた様々な陽射しに比べればどってことはないと思うことにした。ペースを落とさぬよう時計を何度も確認しフォームを意識して脚を出した。そして残り1.5km、高架の下をくぐった辺りでスパート。ピッチを上げた。

 フィニッシュは1時間42分40秒(ネット)。
 湯沢は平坦のハーフマラソンとは比較にならない面白さを感じた。最後まで気の抜けないタフな設定がこれほど楽しいとは!
 過去2度走っているが、かつてはこんな感想を持たなかった。今年走ったコースのなかで天候、ロケーション、エイドと文句なしだった。
 それから。今回はシューレスが解けず最後までしっかり走れました。これはアランさんから教えていただいた結び方のお陰です。
 今回はシティへの試走と思いエントリーしたが、来年もまたぜひ参加したい。もちろん今日の経験を活かしコースベストを狙いに行くつもりで。


【参考ペース結果】
スタート~7km(登坂のピーク通過付近) 36:11(5:10/km)
7km~13km(下りから競技場前)  27:11(4:32/km)
13km~フィニッシュ 39:19(4:54/km)

2017年3月21日火曜日

第1回新潟ハーフマラソンのこと

 先週のはなももに続き連闘のハーフマラソン。昨年、佐渡トキの後、同じように連闘で見附ハーフを走り、それなりにやれたので何の躊躇いもなくエントリーしたわけだが…。
 回復が遅く、調整に努めたが如何ともしがたい状態だった。同じく出走する家内の伴走役として走ることを相談するが、彼女は彼女で練習不足を理由に明確な目標のないまま、とりあえず前走の桐生より速く走れればいいと言う…。ペースメーカーにはなれないし困ったな。いっそDNSかと思い、当日の朝の状態で決めることにして、前日は予定通り早目に床に就いた。

 当日。朝4:30には朝食を取り、出発の6:30までに出かける支度を整える。
 外へ出ると雨が降っている。気温は3度、とても肌寒い。予報は晴れのち曇りなので、移動している間に雨は止むだろうと心配はしていなかった。そんな予報通り、会場のビッグスワンスタジアムに着く頃には、先ほどの雨が嘘のような青空になった。が、もしこの日の予報は雨で、天気が引き続き愚図つくようならば間違いなくDNSを選択しただろう。
 AM7時過ぎにビックスワンに入り、スタンドで身支度をする。トラックでは色とりどりの、大勢のランナーが既にアップに勤しんでいる。7:20分にスタジアム内のトラックは閉鎖され、出走カテゴリー毎にスタートに整列するようアナウンスが入る。
 もうすでに悩んではいなかった、4:25/km狙い。今日はこれで行こうと決めていた。

 家内と2人で簡単なアップをして、それぞれのカテゴリーに別れた。僕はAグループの中段に位置した。7:45分に整列。そこから15分、周りの会話に耳を傾けながらスタートを待った。
 定刻。オンユアマークの声の後、レースがスタートする。
 ゆっくりとスタート地点を通過する。パイロンで仕切られた簡易的なコースは、ランナーにとって広くはなかった。ごちゃつくのが嫌だったので、前へ前へと進んだ。
 ビッグスワンから公道へ出る。入りの1kmは4:17。興奮しているせいか辛くも何ともない。あれ、これはひょっとして行けるかもしれない、と淡い期待が顔をもたげる。ただし、このペースを維持できるとは毛頭思ってはいない。気持ちを落ち着かせながら狙いの時計に合わせていった。

 沿道への応対を欠かさない、いつものようにバナナのコスチュームを纏ったバナナ師匠、軽快に僕を抜き去っていくファイターズさん、サブスリーランナーのSさんと言葉を交わしたりと、おなじみの面々に囲まれて進んでいく。そうそう、沿道からスタッフジャンパーを着た男性から名前を呼ばれたが、突然のことで反応が遅れ、今以て誰か分からずじまい。大変失礼しました。

 5km通過が21分台後半。予想以上の出来栄えだった。ついで10km通過は44分後半。これにはかなり気を良くした。あわよくば自己ベストもあるかと、束の間の夢を見た。

 ただすでにこの頃、四頭筋の一部に疲れを感じ、自身の走りにバネを感じなくなっていた。歩幅を狭めピッチを速めて対応するが20秒台には乗らない。腰を落とさないようにしてペースキープに努めていたところ、ヤンバラーズのHさんに軽快に抜き去られる。本来の彼のスピードではないのは明白だったので、故障を押しての出走だと思い、無理しないでくださいね〜、と僕はひと声かける。きっと自身にも言っていたのだろう。

 12kmあたり、ジリジリとペースが落ちる。すると、後ろから「オオヒシクイ、羽ばたけ!」と声を聞く。礼子さんだとすぐにわかった。そこから13km通過付近まで仲睦まじく並走しているところをアベスポーツ様と、おっぴえ師匠様にフライデーされた写真がこれ。応援ありがとうございました。

バナナは年代優勝!

 結局、僕は14km過ぎで礼子さんの背中を失い、15km半ばで心が折れてしまう。理由は足の疲労感。ここで戦線離脱、残りの距離を消化しながら回復を促すようにジョグっぽいペースでビックスワンを目指した。

 この時期の新潟のマラソン大会としては、素晴らしい天候に恵まれたのではないか。コースはフルフラットでタイムが狙えるだろうし、沿道の声援も多くエイドも十分。フィニッシュのビッグスワンのトラックに歩を進めると、スタジアムの壮大さがよく分かりフィニッシュを目指す間、いっぱしのアスリート気分も味わえる。
 改善点としてはゴール後のタオル、完走証や補給食など幾つかの参加賞をいただいたが、全て手に持って移動するので、ひとまとめに袋にいれられたら親切だったかな。

 途中で折れてしまったけれど、ランナーとして経験値を得ることのできた大会だった。
 現地でご挨拶したランナーのみなさん、お疲れ様でした。今度はもっと頑張りますからねー!(了)





2017年2月14日火曜日

第63回桐生堀マラソンのこと 2017.2.12

 大会当日。早朝、車で群馬県桐生市へ向かう。途中、県境付近の高速で大雪に見舞われたがマラソンスタートの1時間半前に会場に到着することができた。
 天候は快晴。路面のアスファルトが凍結するほど気温は低く、時折冷たい風も吹くけれど、日向に出ると陽射しは思いのほか力強い。
 早速、楽しみの一つである参加賞のTシャツを受け取った。今年はえんじ色、相変わらずトーンを抑えた色調で、胸にはKHM64のプリントが施されている。一瞥してなんだか学生の頃に着た体操着の色に似ているなと思った。気に入らないわけでないが期待をハズされた感は否めなかった。



 スタート40分前。参加者で賑わう会場周辺の公道をジョグで2kmほど走る。軽く身体を動かしたつもりだが、ことのほか汗ばんだので、薄手のウインドブレーカーを脱ぎ、Tシャツで走ることにする。シャツの下にはミレーのドライナミックメッシュを着用し、汗で身体を冷やすことのないようにしていた。おかげで防寒対策は万全。とても重宝しており、汗をたくさんかく方にはオススメの逸品である

 スタート10分前には整列して時を待った。
 走破目標は1時間35分切りの自己ベスト。昨年末から積み重ねてきた走力を試す、そんなつもりで臨んでいた。調子は悪くない。特に作戦も立てず、気分良くキロ4分半ペースで走れば良いと思っていた。

 スタート30秒前のアナウンスで少しあたりが静まり、僕もいつものように両手を口元に当て一点を見つめてルーティンに入り、気持ちを落ち着かせる。

 号砲が鳴りスタートした。
 色とりどりのランナーが、スタートからの下り坂をひと塊になって移動を始める。僕はその中をかき分けるように、空いたスペースを見つけては飛び込んでいく。入りの1kmは4:37。流れに乗ったように感じたのでペースをキープしての2km通過は4:39。次ぐ3kmは4:38。
 この時点で30秒ほど目標に及んでいないことが脳裏をかすめるが、まぁ焦らずジワリと行けばいいさと自分に言い聞かせる。
 コース沿道の商店街からは引きも切らずに声援が飛ぶ。日曜日、街の目抜き通りを我々ランナーに開放するというのは、なかなかできることではない。歴史を重ねた大会だけに市民の理解もあるのだろう。 (5km通過 23:11)

 6km付近からコースは確かな上り基調になる。起伏を交えながら山間の道を上っていく。なんとなく見え覚えのある風景が連なり、昨年の記憶を手繰り重ね合せる。
 時折現れる集落の一角を成す古い建築物、左手の桐生川。記憶しているコースの沿道には大きな変化は認められない。ただ昨年と明らかに異なるのは、アスファルトを踏むたびに散布された凍結防止剤がプチプチ、ザッザッと足を踏むたびに音を立てることだった。
 (10km通過 23分20秒 )

 巨大なパイロンでコースを折り返してからは、下り坂を拝借してペースを上げに掛かかる。ただ似たペースのランナー達の中で、僕は下りを走るのは、まったく上手くなかったようで、抜かれることはあったが抜くことは皆無だった。
 そんな状況だったが不思議なほどに冷静で、走ることに集中できていた。吹きつける冷たい風が気持ちを騒つかせることはあったが、ただひとり静寂の中を走るように、路面を踏む一歩一歩に意識を傾けながら、淡々と脚を動かしていた。
 (15km通過 22:13)

下りの恩恵は緩みつつあったが、ゴールまでの残りの距離が僕を鼓舞した。残り5kmの看板を見てからは、1km毎をしっかり走って、ラストへ繋ごうと意欲的になれた。余力十分だった。
 そして残り3kmを過ぎ、5キロ走のランナーとコースを一緒に走る頃、それまでの静寂が一変し喧騒になる。イキの良いランナーに囲まれながら、さらにしっかり走りぬこうと気持ちを強く持った。わずかに感覚が鈍くなった脚を動かしながら、再び桐生の商店街をゴールに向けて駆けた。辛いとか、苦しいとか感情の起伏も抑揚もなく、瞬く間に過ぎていった時間感覚だけが強く印象に残った。
(20km通過 22:34)

 誘導に従い商店街を右へ曲がると細い路地に入る。もうゴールはすぐそこだ。左そして右へとクランクすると、辺りの沿道は人々で埋め尽くされ、その先にフィニッシュラインが見えた。わずかな直線をスパートしてゴールへ飛び込む。歩様を落とし数歩進み、すぐに回れ右をして一礼をした。
 今年の初戦が終わった。グロスで1:36:05。ネットでかろうじて35分台かな。目標には届かなかったけれど、清々しい気持ちになれた桐生堀マラソンだった。

 最後に。一緒に参戦したヒグマサさん、フェマンさん、H間さんにウチの奥さん、長い移動時間でしたが笑いの絶えない楽しい時間でした。また来年を楽しみにしましょう。
(了)



2016年6月20日月曜日

第43回関川マラソンのこと H28.6.19

 今年は先週行われた酒田おしんトライアスロンに続く連闘での参加となった。(ちなみに「連闘」という言い回しは競馬に於いて競走馬が開催日を連続して走ること、つまり週末を2週連続してレースに出ることを示す競馬用語なのだが、同じく身体を酷使する「レース」なのでここでも敢えて使わせて頂く。)
 見えない疲労とでも言うのか、脚の具合が芳しくないので週の半から走るのを止めていた。普段のレース前と比較するとぶっつけ本番みたいなところはあった。けれど今までの経験からまぁなんとかなるさ大丈夫!とタカを括っていた。
 ある程度走ってみて、最後まで頑張るか決めようとそれとなく考えていた。きっとこう考えていた時点でダメだったのかもしれない。端的に結果を説明すれば10k通過が48分半程度。左脚の四頭筋、ハムから膝裏に掛けて痛みが出始めたので、我慢して疲労を蓄積しても後々面倒になるのでペースダウンして12kあたりで早々に戦線離脱した。一応、入りの1kから4分30秒を設定し、道中はそれなりにもがいてみたのでまるで無駄な経験だった訳ではない。率直な感想は今日のような天候を差し引いても、想い描く走力には全然足らないということがよ〜くわかった。

 ということで12k以降は一緒に参加していた妻の伴走に終始した。もちろん彼女の目標のジャマ、ではなく一役買うつもりの伴走だったけれど、走ることを止める逃げの口実だったかもしれない。ただ中途半端に完走するぐらいならなら、エントリーフィーに相当するぐらいの想い出を作るべきだし、この春から続く一連のレースの幕引きが、家内との伴走というのも悪くはないだろうと思ったのは事実だ。この期間、満足する結果は得られなかったけれど、心折れずにレースに参加できたのは家族のそれとない応援があったからこそだから。
 結果、僕の様々な励ましの甲斐あってか辛くも目標を達成するに至った。

 さて。昨年末の故障を長期化させてしまいそれを言い訳に、ズルズルとここまで来てしまった気がしてならい。右のくるぶしを見るたびにため息が出てしまう。僕の気持ちは今の天候のようにスッキリとしないのである。
 次の目標レースは佐渡トライアスロンBタイプと大阪マラソン。ここに向けて立て直しを図りたい。このモヤっとするこの状況を打開するための次の一手は、果たして・・・。

2016年5月11日水曜日

第30回白根ハーフマラソンと五頭山麓一周マラソン応援のこと


 白根は今年で3年連続の参加。自他共に認める雨男を持ってしても、またもや快晴の空の下での開催となった。風を感じるがそれは昨年と同様。平坦な田園地帯をぐるっと回るコースなので、風はアゲンストにもフォローにも変化する。

 僕の目標はキロ4分25秒ペース狙いのネガティブ走。最初は速めに入り、チョイ落としてターゲットタイムに持ち込もうという作戦だった。

 スタートは運動公園内をクランクしながら駆けるので、他のランナーからプレッシャーを受けぬように前方に整列する。
 定時号砲。スタートは目論見通り。誘導されて気がついたのだけれど、コースレイアウトがスタートの1km区間ぐらい変更していた。この辺で思いがけず、おっぴえ師匠と会話を交えながら併走させて頂く。
 2k過ぎにファイターズさんが後方から登場。前を行くランナーの群に吸い込まれていく。それに気がついた師匠は、ファイターズさんの背中を追うようにスピードアップ。ライバル対決の始まりを目撃する。

  入りの5k通過は22分36秒。既に目標から遅れている。時計が追いつかない。少し速く入りすぎたかな。気持ちよく走れているのが時計は30秒台に留まってしまう。なんと説明してよいか言葉が見つからない。前走の見附のような感じにはならかった。

 アゲインストの風を受ける7〜8kは4分50秒台までペースは落ちる。周囲に気を配る余裕もなく、ひたすらアスファルトを見つめて走る。
 10k通過は47分。しばらく進むと集落に入り、風を遮蔽して幾分楽になった。けれどペースは40秒後半で停滞。このあたりで諦め感が漂い始める。

 12k、バイクに跨ったオレンジ色のバイクジャージを纏ったAさんに「ファイト!」とバリトンボイスで励まされるも、その応援を力に変えられない。

 14k、後方から大勢のシルバーランナーの集団に飲み込まれ、四苦八苦しながら追いすがった。ベテランの力走に頭が下がると同時に、負けてられないという気持になる。ほんの少しペースを上げるのだけで苦しかった。それでも、がんばろうと走る。

 17k、フォローの風を受けながらも楽をしているところを潟鉄バイクジャージ姿のフェマン兄さんに見つかってしまう。
 「どーしたーん?」と投げかけられ、ヘラヘラへした態度で「こーいうことも、ありまーす」と応答する。あー、情けない。
 完全に降参。無駄に疲れるのは避けようと力を抜く。5分を下回るペースまで落ちる。

 バイクに乗ったフェマンさんから背後から2度声援を貰う。ラスト1kだけは、しっかり走り込みタイムは1時間40分23秒(ネット)
 昨年秋の湯沢よりはまだマシさとうそぶきながら、先月のフル出走からここに至るまでのローテに無理があったのかなぁ、と力を出せなかった原因についてあれこれ反芻した。


 付加をかけ、それに応えてくれる身体づくりがトレーニングの目的なのだけれど、どこか、なにかが足らないのでこういうことが起こるのだろう。これにてひとまず、春のエントリーレースは終了。昨シーズンからの頭打ち感は否めないが、次のランシーズンに向けて新しい取り組みを開花させられるよう、楽しみながら頑張っていこうと気持を切り替える。

 同日開催されていた五頭山麓ウルトラマラソンにバイクで応援に行く。お目当てはもちろん走友会のリーダー、メグメグさんの感動のゴールシーンに立ち会うこと。
 コース途中、彼女を見つけ声援を送り、ゴールの瓢湖でその瞬間(とき)を待った。しっかりした足取りで彼女が現れる。伴走には朋友のゆうこりんさん。午前中、白根を走って入賞した彼女は一緒に4kほど走ったそうな。ゴールテープを切ったメグメグさんの姿を見て、ちょっぴり羨ましく、もっと頑張らなきゃなぁと、元気と勇気を貰いました。
 次は酒田おしんトライアスロン。モードを切り替えることにしよう!(了)




2016年4月30日土曜日

第2回見附刈谷田川ハーフマラソン 2016.4.24

 フルマラソンの翌週にレースを入れたのは初めてだ。キロ4分30秒を新しいフォームで刻むこと。これが今回のテーマだった。
 この週は身体に耳を傾けるように無理せず、負荷を掛けずコンディショニングに努めた。それなのにレース前日の土曜、早朝にジョグを入れたのだけれど、まるで力が入らなくて予定距離をこなせずに終了。調子は半信半疑だった。

 当日、会場の見附総合公園の一角に陣を構えて、スタート5分前までのんびりアップ。晴れ渡る青空に公園を取り巻く木々の緑が眩しくみえる。体調はともかく気持ちはお天気のおかげで爽やかだ。


 定刻9時半に号砲。上り坂からのスタートだ。こじんまりとしたランナー集団がゲートに向け移動を始める。僕は前を交わしながら位置取りを行う。
  コースは右へ左へとクランクし、学校の校舎を通り過ぎると下にさしかった。躊躇せずそこを一気に駆ける。スピードをつけるのには丁度よかった。スタッフの誘導に従い、左に曲がると村の集落に入り、一路、刈谷田川を目指す。

 大会のタイトルにあるようにコースの大半は刈谷田川の土手だ。道路と交差する場所では紅白のバリカが外してあるところから、普段は車両の通行できない道のようだ。
 5K通過は22分4秒。予定通りのキロ4分半。ゼミで教わった2軸走行、股関節にタメをつくるなどいくつかのフォームに関する課題を意識して走る。

 6k手前あたりで頑張り過ぎないように若干息を入れる。ここまで不思議なぐらい楽に走れていた。体も軽い。けれどこういう時ほど用心をと判断して、僅かな貯金を使うことにしてキロ30秒の前半を踏んだ。もちろん、全体のコーデはネガティブ走なのだからね。

 遥か先を行くランナーが疎らだった。チームバナナさんらの黄色のTシャツが新緑に映え一際目立っている。そのランナーの点と点をつなげていくと、コースそのものが刈谷田川と同じように大きく蛇行している。途中では河川敷を野焼きしていたり、かの細長い爬虫類の無残な姿がコースに横たわっていたりと、なかなかどうして風光明媚な大自然の端っこを僕らは駆ける。

 10k通過は44分57秒(22分53秒)。しばらくすると折り返し、今しがた来た道を戻る。エイドで補給を口にする。

 後半戦。前を行くランナーの背中を追う。そうすることでペースを上げに掛かった。ジリジリとにじり寄るようにして、コースの幅員が狭いので反対から来るランナーに気を配りながら追い越す。そうやって一人、また一人と背中を捉える。そんな風に頑張っているが、ペースは然程上がらずに30秒前後をうろうろしていた。

 回転(ピッチ)を上げるために踏み込みを速める。そうすると股関節のタメが小さくなる感じがして歩幅が小さくなる。これは当たり前のことだが、それではダメなのだ。まだまだ目指すフォームを獲得できていない。所詮、付け焼き刃か。サンバイザーからポタリポタリと汗が滴り落ちるのが判る。

 15k通過は1時07分50秒(22分53秒)。ペースが落ちてきた。40秒台すら見え隠れする。太もも横の筋肉が突っ張る感じがする。佐渡の終盤に出た足の疲れと同じだ。故障を引きずる右足首にも小さな痛みを感じた。
 弱気が顔を出した。時間が長く感じた。僕は尽かさずジェルを取り出しちびちび口にいれる。ラスト1kは上りがあるのでタイムは望めない。これ以上落ちないよう踏ん張るだけだった。

 20k通過は1時31分14秒(23分24秒)。上りで思いの外、気持ちよく力を出せた。それは間違いなくフォームのお陰だった。最後のキロラップは4分30秒。学校を通過し右に折れると、あとは下りだ。勝手にペースが上がるので案外に辛かった。
 グラウンドに入り、ありったけの力でゴールに飛び込む。フィニッシュは1時間37分07秒。辛うじて2月の桐生を上回ることはできた。シーズンベスト。これで次はもう少しやれそうな気がした。


 フィニッシュ目前の家内の伴走を、グラウンド前の下りで伴走していると、お馴染みのバイクジャージを着たサイクリスト達が会場に入っていくのに気が付いた。僕はスピリットZさんの姿を確認して、走りながら思わず「ガタテツ~」と大声で叫んでしまう。H澤さん、K林さん、そして鉄女ママ。ホント驚いた。あれれ、今日はみんなで輪行じゃなかったっけ。潟鉄ジャージが目に飛び込んできた瞬間、勝手に笑みがこぼれる。僕らのサプライズ応援だそうな。その甲斐あってか家内の目標ハーフ2時間切りは見事達成。良かった良かった。
 そして記念撮影はお決まりのガタテツポーズ!応援に来ていただいた皆さんホントありがとうございました。
 さて、次走は再来週の白根。コースベストを目指して頑張る!











2016年2月16日火曜日

第62回桐生市堀マラソン 2016.2.14

 今年初戦のハーフマラソン。それはちょっとした故障を伴って走るオプション付きのマラソンだった。無理をするつもりはないけれど、かと言ってDNSは絶対にない。今の自分にとってプラスにするにはどうすれば良いのか迷っていた。レースが近づくにつれ、無難なペースで走り抜けばいいと安易に考えていたのだが、いざ当日、現地に向かう途中で今一度考えてみる。何事も試してみて初めて気づくことはあるものだ。次走につなぐ内容にしたいのならば、想定を超えたところでやらなければ何かを得ることは出来ない。運転する車の中、モヤの立ちこめる明け方の関越道は物事を決めるのには案外うってつけ場所なのかもしれない。



 早朝から続く雨は段々と小降りになり、殆ど気にならない程度になった。少し肌寒いが風は感じられない。天候には恵まれたようだ。参加規模1,460人、制限時間2時間のハーフマラソンがスタートした。
 僕は後方からのスタートだったこともあり最初の2kまではキロ5:00オーバー。出だしでちょっともたついてしまう。時計を求めるなら前方に並ぶべきなのだ。
 3k通過でキロ4:30秒ジャスト。懸念した右足首の痛みはそれほどではなかった。イケる。けれど油断禁物。慎重に、丁寧にステップを踏む。以降は4:40秒前後を目安にレースを運ぶ。

 コースは桐生川に沿うように市街地から山手へと向かい、なだらかな上りの勾配が続いた。沿道の声援は疎らながら途切れることはない。派手さは感じられないがこの大会が地域に密着し支えられている様子が伺える。62回という歴史に育まれたのだろうか。
(5k 24:01)

 7kを過ぎ、明らかな上り勾配が体感できるようになるとコースは山間に入る。この辺りはちょっと息を入れただけでスピードが落ちてしまいそうだ。まだ前半。オーバーワークに気を付けながらフォームに気を配りペースを維持する。
 コンディションは悪くはなかった。ただ、ちょっとした下りになると右の足首と踵が痛んだ。それからこの2.3週間のラントレ不足から息が持つか心配だった。
 昨年この大会に参加したM谷さんから折り返し以降は下りが続くので帰路はラクだよと聞かされていたが、往路を走ってそれが理解出来た。今の僕にとっては折り返しの復路こそ対応が必要だった。
(10k 23:20)

 10kで47分台。良いとも悪いとも判断がつかない。ただできることをしっかりやるだけだ。
 右に大きく折れるカーブの先に折り返しのパイロンが目視できた。
 折り返す小回りの動作の途中、不意に右足に痛みが走る。それをかばうように今しがた来たコースを下った。次々と後方から追い越される。気が高ぶる。でも、ここは僕にとって我慢のしどころだ。
 脇を締め肩甲骨と骨盤を使って両脚を動かす。もちろん腰は高く。少し歩幅が狭まり、脚を前方に置きにいく感じの走りになる。
 目指すはコースがフラットになる地点、残り5kあたりまでは下りのアドバンテージを味方につけて走る。

 下りの道中、40分切りがみえてきた。実のところ予想外でちょっと驚いた。ほぼ自分の走力を出せている。やればできると思った一方で、もしこれがフルだったらどうなのかと考える。このまま脚は持つのか、ペースは守り続けられるのか。いくつかの不安が過ぎる。桐生を走って言えるのは、この状態でフルに出走しても力を出し切るのは難しい。30kぐらいまではやれそうな気がするけど、それ以降は良いイメージが持てない。チョット無理かも。従って来月の古賀は状態によってはDNSを検討する必要がある。でも可能ならば出走して4月の佐渡トキになんとか間に合わせたい。そう思うと引き続き経過観察が必要だし、尚更ここで何かを試さねばならない思うのだ。
(15k 23:22)

 下り坂が緩やかになる頃、桐生の市街地がみえてくる。沿道の声援も再び増した。足の痛みは我慢できる。予定通りペースアップだ。
 ラップは再び4分30秒台を刻んだ。感覚的にはもっと速く進んでいるつもりだったが、この間のキロラップは総じて30秒前半だった。スピ連不足と後半の疲れか。ネガティヴ走の実践と、少なくともこれでスピード練習が出来ているのだと思うことで良しとした。
 18kを過ぎたところ5kのランナーと合流する。僕らの白いゼッケンがピンクのそれに飲み込まれる。あっという間にコースが狭くなる。近いペースのランナーを見つけては取り付いて引いてもらう。そんなふうにコースをかき分けるように進み、残り2kの看板を確認しスパートを掛けた。
(20k 22:58)

 フィニッシュまで緩むことなくしっかり追った。ゴールを付き抜けたあと、くるりと振り返って一礼。フィニッシュは1:37:52(完走証より)。最後まで諦めず、手を抜かず、かつ計画的に事を運べたので嬉しかった。ポジティブな気持ちでレースに臨み最善を尽くせたと思う。こうして改めて振り返るともっとよくできたと思い当たることはあるのだけれど…。

 本大会を経験して想うこと。往きが上りで帰りが下り。オートマチックでネガティヴ走が経験できる。つまりは時計を望むのには悪くないコースだ。それに待合所の図書館は造りこそ年代を感じるが参加者への配慮が感じられる。全体的にホスピタリティの溢れる良い大会だった。それにノベルティのTシャツが群を抜いて格好いい。
 来年は万全のコンディションで参加したいものだ。(了)

2015年9月29日火曜日

第14回 越後湯沢コスモスハーフマラソン 2015.9.27


 第1ウェイブの真ん中あたり、いつものようにほど良い緊張感を持ってスタートの号砲を聞いた。スタートまでは周りと歩様を合わせて進み、ゲートのセンサー通過からは息をつくるつもりでランナーの群れを縫うように走る。
 あまり周りをキョロキョロ見ずに、視線は前方の道路に固定して走り続けた。アスファルトは今しがた雨が降ったように黒く濡れている。入りの1kmは4分30秒だった。
 2km、3kmと進むにつれ発汗著しい。気温は20℃前後にかかわらず、サンバイザーのツバ先から汗が滴り落ちた。これはちょっと用心と思い、最初のエイドでスポドリを口に含む。そこから左折するとコースは山道となり、上り下りの激しさが徐々に増していった。
 上り坂の途中、5km表示を通過した。辛うじて25分を切っていた。ペースが遅い。それは上り坂の所為にして、まだ始まったばかりだと気持ちに折り合いを付ける。

 大源太(だいげんた)までは緩やかな上りが続く。相変わらず発汗が著しく、思うようにペースが上がらない。一緒に走るランナーに抜かれることはあっても、抜くことはなかった。焦りが少しづつ不安に変わる。調子がよくないかもしれない。ただ「調子」という安易な言葉で片付けてしまっていいのかはよく判らないでいた。
 ようやく上り坂が終わり下り坂に入った。トンネルをくぐるその少し前に、右足の靴紐が解けたことに気がつく。背後を走るランナーから、靴紐が解けてますよ、と声を掛けられる。僕はランナーの群れから外れ、道端に寄って紐を結んだ。焦る気持ちを少しでも和らげる意味もあった。そう言えば、去年は解けた靴紐をほっておいてそのまま走ったっけ。
 下り坂は続いた。靴紐を結んだことを頼りに思い切りくだる。一歩毎にズシリと足首と大腿部に振動が伝わってくる。昨年この辺りはキロ4分を切った。今年は10秒ほど遅れて、鬱蒼とした濃い緑に覆われた山道を駆けおりた。

 山間部から里へコースは続く。下り坂をうまく利用してスピードに乗りたいが、思うように身体が反応してくれない。多少息も苦しい。辛うじてキロ5分を切る程度のペースに留まってしまう。
 小刻みな上り下りが現れる。視線を濡れたアスファルトに固定しながらフォームを点検する。腕振り、腰の高さ、歩様。それぞれを何度も執拗に。そうすることで走ることに集中して、何か変化が起こることを期待した。
 10km通過は49分台。今日は難しいな。不安が諦観に変わる。じわじわとネガティヴな思考に取り込まれていく。するとパタパタと左足から音が聞こえた。今度は左脚の靴紐が解けていた。溜め息が出そうになる。すぐに側道に寄り、解けた紐を結び直す。しゃがみ込んだ前をいくつかもの足音が通り抜けていく。ぼくはすぐに立ち上がり、その足音達を追いかけた。

  下り坂の勢いを借りながら5分を切るペースで進んだ。コースはスタート地点に戻り13km地点を通過。1時間4分台。リタイヤしてしまうことを想像してみたが、ここで走るのをやめる勇気と、レースを投げるのに相応しい理由が見つからなかった。あと残り8km。維持できるこのペースで進もう。この時は悪くてもキロ5分ぐらいで進めるだろうと高を括った。ただそれが容易でないことは何となく想像できた。けれどやっぱり走るのをやめる訳にはいかない。
 下り坂が続いている間は何となくごまかしが効いたが、上り坂になるとペースはガクッと下がった。脚にきているというやつだ。
 そんな上りの道すがら、突然、名前を呼ばれハッとする。同級生のHだ。前日SNSで簡単なやり取りをしていたが、まさかこんなところで!と思いつつ、ぼくは咄嗟に合図を返した。少なくともカッコいい姿ではないので、バツの悪さを感じたけれど、思いがけない声援が背中を押した。前に進む力に変わる。

  高架橋を渡り、上り下りが何度となく続くー畝った通りの駅前の商店街へ進んだ。消化する距離に比例するようにペースは落ちていく。何度か諦めて立ち止まろうとしたけれど、そうしたらそこで全部が終わってしまうような強迫観念が働いて、それだけは許さなかった。
 越後湯沢駅前でM谷さん、商店街の折り返しでAkiちゃんを見かけた。どちらも声を掛ける間も無く通り過ぎて行く。
 昨年もこの通りは辛かった。力を出し切って頑張るという点では似ているが気持ちが対極、正反対だ。辛いけど楽しい、ただ辛いだけ。去年は開いていたが、今年は完全に閉じている。そんな感じだ。

 再び高架橋渡る手前、エイドでスポドリと水をもらい、水は頭から被った。そうすることで何かが変わるかもしれないと思ったけれど、何も変わらなかった。シャツの背中が濡れ、ヒンヤリと冷たくなっただけだ。なす術もなく、打ちひしがれたようにコースの一番左をトボトボと走った。残り3kmを切ったと頭で理解していても、ペースを上げる元気はなかった。ならば少しでもは楽しもうと思ってみたけれど、気持ちが不貞腐れていて切り替えられない。ただゆっくりと進むことしか出来なかった。左腕のガーミンはキロ6分のペースを示していた。
 ようやくゴールが見えた。ひとまず終了だと思うとホッとした。ぼくは変わらない足取りのまま、ゴールの真ん中を通りフィニッシュセンサーを踏んだ。時計は1時間49分。脚を止め、膝に手を置いた。それから何事もなかったように、再び歩き出そうとすると大腿部が重く、鈍い痛みを感じた。

 週末にアップしたブログの締めに、昨年の自分と勝負だ!と締めた湯沢コスモスハーフマラソン。結果は大負けだ。スタート前、ゲストの千葉すずさんが、マラソンシーズン突入の秋の初戦、皆さん足慣らしのつもりで気軽に走って下さいね、と話していたのを思い出し、その言葉にすがる想いになった。次走に繋がるレースとはとても言えない内容だが、いくつもの大会に出ていればこういう事もあるのだろうと、ありのままを受け入れながら、日々のトレーニングの中で原因の糸口を掴もうと思う。次走は新潟シティマラソン、今度はフルマラソンだ。(了)

2014年9月29日月曜日

2014越後湯沢秋桜ハーフマラソンのこと

9/28(日)越後湯沢秋桜ハーフマラソンに初めて参加した。
ぼくにとって今秋の初戦。新潟シティの前哨戦だ。同日、村上ではトライアスロンが開催されていてどちらにエントリーするか悩んだ末、フル対策のスピード練習も兼ねるこちらを選択した。

晴れ渡った空のもと、湯沢は風光明媚な初秋の景色に彩られ、絶好のマラソン日和だった。
午前8時、会場の湯沢中央公園陸上競技場に到着。フィニッシュゲートの設けられた会場は想像を凌ぐ賑やかさで驚かされた。失礼だとは思うが、田舎の一大会程度にしか想像していなかったので参加者の多さ、取り分け関東からの参加が半数を占め、地元新潟からの人数を上回っているのは注目するところだ。アクセスを活かした運営者の尽力を感じる。

フィニッシュゲート

 里山の道を活かした高低差のあるコース設定とのことだった。標高差で200m以上あることは容易く理解できたけれど、走ってみなければ判らないことが多い。
走破計画は、前半の上り坂が想像出来なかったので、標高ピークの7km地点までは抑え、以降はポジティブスプリットで進み、ゴールは1時間45分とみていた。
フルに向けたスピード練習という名目で臨んだので、レースに対するプレッシャーは少なかった。とにかく最後までしっかりと完走することが目標だ。秋晴れの空と雄大な自然が、走る意欲を掻き立てくれるようだった。

 スタートゲートから15mぐらい後方で第一ウェイブの号砲を待つ。コースの幅員は待機するランナーには充分とは言えず、スタート直後の混雑が予想された。
 9時30分号砲。スタート。
 ゲートからわらわらとランナーの集団が吐き出される。集団は着実にペースを上げすぐに縦長になる。ぼくは新しい相棒のガーミン220をラップ表示に切り替える。新しい相棒といえばもう一つ、新調して間もないシューズ、ターサージール2を履いていた。重要な装備を一新して臨むレースが始まった。

 入りは4分30秒台。小気味良く息が弾む。オーバーペースにならないように自制する。岩原スキー場前を通過するコースは思いのほか平坦だった(振り返るとここが唯一の平坦道)。そこをちょっと辛いかなぁ、ぐらいの感覚で進む。
 3kmあたりから本格的な上り坂が現れる。ぼくは余計な体力を使わないように、一歩一歩効率的なフットワークを心がける。5km前後でさらに勾配がキツくなる。それに合わせるように、陽射しが強く照りつけていた。汗が滴る。ここのペースは5分10秒台。駆け上ることに集中して周りを観察する余裕はなかった。

 7km付近の大源太(だいげんた)からコースは下りになった。キロ4分そこそこで駆けた。3km程続いただろうか。脚に強い負荷が掛かった。後半へのダメージの影響もさることながら、故障の二文字が脳裏をよぎる。脚の負担を軽減するように1歩ごとステップに意識を傾ける。ブレーキがかからないように大胆かつ慎重に。足の裏の着地ポイントを拇指と小指のラインに定めて接地時間を短くする。上りも辛かったが、下りは別な意味で辛い。
 長く感じられた下りが一息ついた辺りで、右のシューレースが解けたことに気付く。止まりたくはなかった。支障は感じられないのでそのまま進んだ。

 里山を上っては下り、魚野川に沿った道を進むとスタートした競技場に戻っていた。13km地点。4分30秒台を保ちながら市街地へ向かう。ここらで漸くコースは平坦になるかと思いきや、相変わらず上っては下るをくり返す。ジワジワと疲れが増す。

 JR越後湯沢駅周辺の沿道は地元の方と思われる声援で賑わっていた。そんな街中でも、しつこいぐらいに上り下りの連続だった。まるで正弦波の上をヨチヨチと進んでいるようだ。精神的に辛く感じられたのはこのあたりだった。
 計画では後半ペースアップをしようと思っていたけれど、実際は走力値いっぱいのペース走で進んでしまったので、キープするのがやっとだった。残りの距離を意識しながら、著しくペースダウンしないように踏ん張るしかなかった。

 18kmを過ぎ、残り3km。ここまでくれば大丈夫と言い聞かせながら力を絞る。アスファルトを踏むたびにパチパチと解けたシューレースが靴に当たって弾けるような音がする。後方からスパートするランナーの息遣いや足音に混じって、その音ははっきりと聴こえた。紐は解けているもののシューズは足にフィットして、しっかり道を踏みしめることが出来る。
 競技場へと続くこのコースは緩やかな上りのはずなのに、とても険しく感じた。連続する起伏は確実に脚に疲労を与え、フォームを崩そうとした。少なくとも僕はそうだった。筋力不足。これ以上ペースを落とさないように残り2kmで背筋をシャンとして、腰が落ちないように努めた。実際出来ていたかは判らない。体幹だとか腹筋を、バランスよく鍛えるべきだと感じた。

 20kmの標識を超えたあたりで右手からランナーがぼくを追い抜こうとした。ぼくも抜かれないようにスピードを上げる。誰にも抜かせないぞという気概はあった。ゴール手前、誰彼となく複数でセリ合いながらフィニッシュゲートにダッシュした。ラスト100mは完全に、本当に息が切れた。けれど普段やっている坂道ダッシュがこの競り合いで活きたので、嬉しくて少しニヤケた。それが湯沢のフィニッシュだった。

 走破タイムはPB。5月の白根ハーフより1分速かった。思いがけない結果だ。分析は後にすることにして、計画していたフル試走的なビルドアップは何処へやら。ありがちなポジティブスプリットで自身5回目のハーフ走を終えた。
来年もまた参加したい!と言いたいところだけれど、正直このコース設定に躊躇してしまっている。心身共に強い刺激を得ることの出来る大会である事は間違いない。
そして、何よりも最高の環境で無事に完走できたことに心から感謝したい。
合掌。

計測ポイントスプリットラップ
Start00:00:15
5km00:24:450:24:30
10km00:47:140:22:29
15km01:09:160:22:02
20km01:33:080:23:52
Finish01:38:01


※5kmラップの実績
  5km 24分30秒
10km 22分29秒 (46分59秒)
15km 22分02秒 (1時間09分01秒)
20km 23分52秒(1時間32分53秒)
ゴール 1時間37分36秒(ネットタイム)

9/30までのラン走行距離…300km