2017年8月27日日曜日

トレーニング17.8.20〜17.8.26

 20(日) 起床すると右のハムに僅かな傷みを感じる。さほど気にせずに走友会のラントレへ。このトレで熱中症と軽いハンガーノックに見舞われて予定していたバイク練に参加せず帰宅。このところずっと家を空けていたので、この日は家族と一緒に過す。

 21(月) 起床すると右ハムがまるで肉離れしたような痛みに見舞われ、右足を引き摺るように歩くことしか出来なくなる。打撲や打ち身なのどの心当たりはない。完全休養日を設けずにトレーニングを続けてきた疲労の蓄積によるものと考え、この日は休養に充てる。就業後、お祭りの神輿作りの手伝いへ出かける。

 22(火) 前日より多少痛みはひいたもの、とてもトレーニングのできる状態ではない。遅ればせながらロキソソニンテープを貼って様子をみる。
 我ながら弱い。おそらく僕という土台や基礎の問題なのだろう。

 23(水)朝 潟鉄のグループラインで自らの状況を報告して故障に対するアドバイスを頂く。なにはともあれケアと休養は必須とのことだったので、負荷を掛けないよう就業後はスイムで汗を流した後、お祭りのお手伝いへ。

 24(木)早朝 ペダル練ぐらいやれそうな感じだったが、ちょっとひっかかりがある。安静に!という鉄女ママのアドバイスを想い出し、この日も就業後はスイムでうっちゃる。
 このところ続く天候不順、土砂降りの雨は僕の心情を映しているようだ。明日はござれや花火、開催があやぶまれちょっと心配だ。

 25(金) ほとんど痛みはなくなる。心が軽い。トレオフ休養とケア、とりわけスイムで動かしたことで改善したものと思いたい。
 夕方、繋がれていたリードから解き放たれたワンコのごとくランへ。最初はゆっくり、徐々にペースをあげてみる。5分ペースが見えてきた6km過ぎ、右ハムにピリリと違和感を感じてからは慎重に歩を進めペースを落とす。まだ調子に乗ってはイケナイぞ。この日は12kmを消化することで良しとした。

 逢魔が時、夏の日の終わりを告げる夕日と、草むらから聞こえる虫の声が季節の移ろいを感じさせる。遠い向こうの空からは花火の音が聞こえてきた。

※ ※ ※ ※ ※  今週のトレーニング  ※ ※ ※ ※ ※
テーマ : ケアと休養

日 朝 豊栄走友会練習会 キャノンボール 20km 復路54分

月,火 レスト(右ハムに肉離れのような痛みあり→筋膜炎?)

水 スイム2,000m(up,ドリルSK,100m×10,500m:9’25)

 スイム1,800m(500m 1本目9’20,2本目9’15,3本目不明,全力泳25m,50m)

金 ロード12km 66分 ジョグ

土 バイク練 豊浦経由胎内 78km 2時間45分

【 8/26までのトレーニング(km) …Swim11.0  Bike408(62)  Run184 】

2017年8月20日日曜日

トレーニング17.8.13〜17.8.19

 13日の海練でスイム動画を撮ってもらったところ、左右の掻き手のタイミングに違和感を覚える。掻きが無駄に早い。リカバリーからキャッチへ向かう手の甲が、頭上を越えるあたりから、反対の手を掻き始めるのが理想的なのだができてない。

 火曜はドリル中心のスイム練、もちろん上記の課題をメインに。ナカナカしっくりこない。ブレスや他の動作にも影響しそうだ。佐渡までに修正できそうにはないなぁ。

 木曜日から短期的にダイエット開始。お腹がグゥとなったら食事をとり、よく噛むことが基本ルール。まず手始めに身体からエネルギーを抜くことを目的にジョギング。ついでに口にするモノを記録しながら今一度、食べる量<運動量 の関係を構築したいと思う。

※ ※ ※ ※ ※  今週のトレーニング  ※ ※ ※ ※ ※
テーマ : ノーレスト。

日 朝 ちょこっと海練 in関屋浜
    午後 体育館10km (30周TG走+トレミでいろいろ走)

月 夜涼 ロード12km 60分(10kmTG走+ジョグ)

火 朝 バイク練 30分
    夜涼 オフロード5km 30分(ジョグ)
    スイム1,200m(200,100,50×10,ドリルKS)

水 夜涼 帰宅走15km 90分 ジョグ

木 夜 ロード12km 67分 ジョグ

金 朝 ペダル練 
     夜 ロード10km 54分 ジョグ

土 朝 バイク練(雷と雨で途中棄権)〜ブリックラン
     午後ロード12km 67分ジョグ

【 8/19までのトレーニング(km) … Swim7.3  Bike330(62)  Run152 】

2017年8月14日月曜日

ツバキ日記’17.8.13

 お盆のこの日、お天気は雨模様。湿度はあがり鬱陶しさは甚だしい。そんな中、僕らは毎年恒例の早朝のお墓参りへと出かける。今年はツバキが一緒だ。
 ツバキと墓地に入るのはナントなく憚れるものがあって、菩提寺の境内で僕とツバキは先にお墓参りにいった3人を待つ。
  物分かり良く横でお座りをするツバキを見た参拝者から「かわいいですねぇ」と声を掛けていただくこともしばしば。
 こんなに大人しいのは珍しい。
 小雨の空、どこからともなく聴こえてくる読経、お線香の香り・・・、そんな雰囲気がそうさせるのか。が、それも束の間、お寺の雨どいから落ちる雨のしずく見つけると、あれよあれよと昂ぶりをみせ、落下する雫を口で受け止めるたびに興奮し、その表情はお盆に相応しく地獄の門番ケルベロスと化すのであった・・・。

 お墓参りを済ませた僕らは、お寺を後にして近くの海岸へ赴く。
 浜辺で尻込みするツバキをお姉ちゃんが抱っこして海に入れると、上手に犬掻きでスイスイ泳いでみせる。ツバキにとっての初泳ぎ。とにかく浜へ戻りたくて必死なのだ。
 面白がる子供たちが水の中へ連れて行く以外、自分からは入るそぶりは見せないツバキ。とても塩辛い、大きな大きな水溜りがあることを教えてあげることができたお盆の休日でした。
関屋浜にて

トレーニング17.8.6〜17.8.12 行動補給食のこと

 佐渡で使う補給食について考える。
 いつも愛用しているサバスのカフェイン入りのジェル(170kcal)はもちろん、グリコのCCD(170kcal)やら、井村屋のチョコ羊羹(190kcal)の他に、梅干しなど味覚のアクセントになるような、自分好みのお菓子のようなものを組み合わせる。
 ここで何か工夫しようと思い立ち、ネットで既製品の類を調べてみる。興味深い商品はいくつかあったが、ふと「粉飴」の存在を思い出した。
「粉飴」を溶かして補給食や手作りジェルに当てようとネットで調べてみると・・・出てくる出てくる!
 早速、お試しに粉飴100g(384Kcal)を70ml(13Kcal)のスポドリ(アクエリアス)で溶かしてみると、ブログの記事通りに粘性が高く、ジェル感たっぷりの補給食が出来上がる。これで概ね400Kcal。実際の使用としてはバイクボトルで作ったので非常に飲みにくく、さらにスポドリをプラスする。
 これを皮切りにラン、バイク練の時に粉飴を試しながらクエン酸、アミノ酸を加えてみる。今のところ一般的なバイクボトルには粉飴150g、スポドリ200ml、そこにクエン酸を3~4g適量加えるのが僕のお薦めレシピ。
 これとっても気に入ってます。クエン酸の酸味が効いてスポドリ特有の甘みが口に残ることもなく、そこそこのジェル感があります。冷えてるともっと美味しいでしょう!
 作る際の注意としては粉飴150gをボトルに入れる際の注意が必要。紙で漏斗を作ってサラサラとゆっくり粉飴をボトルに流し込むのが肝要かと。粉飴は油断すると宙に舞います。そこにクエン酸適量をふりかけるように加え、スポドリを入れてシェイク。すぐには溶けないのでそのまま冷蔵庫に保管。これで614kcalの補給ドリンク完成!ひと手間掛けて試してみる価値は十分にありますね。


※ ※ ※ ※ ※  今週のトレーニング  ※ ※ ※ ※ ※

テーマ : ラン!

日 佐渡合宿2日目 
    朝 ジョグ5km
        佐渡OWS 2,000m リザルト41:03

月 朝 ペダル練 少々
    夜 ロード8km 46分 ジョグ

火 朝 ペダル練25分&ポジション確認と調整
    夜 体育館ギャラリー 10km 53分(30周TG,トレミジョグ)

水 朝 ペダル練25分
    夜涼 ロード8km 46分 (tg7km 4:40,down)
       スイム1,000m+ドリル(50m×10,100×5,ドリルS)

木 アクティブレスト(朝 ペダル練)

金 朝涼 ロード25km 2時間30分 ジョグ

土 朝涼 バイク練 胎内周辺 115km
      ロード15km 90分 ジョグ

【 8/12までのトレーニング(km) … Swim6.1  Bike300(52)  Run76 】

2017年8月8日火曜日

オレナツからの佐渡OWS’17.8.6のこと

 朝、2階のリビングに脚を運ぶ。テラスから思いがけない色をした真野湾がパノラマに広がる。僕は一気に目が覚める。夏の佐渡の恩恵だ。
AM4時台の真野湾
 朝ラン前、前日の大野亀で1cm程上げたサドルを再度微調整して今日のサイクリングに備える。
 昨年は練習不足からギリギリまでポジションが決まらなかった。今期はそこそこいい感じにポジションが決まってきているので、この辺で決めてしまいたいものだ。

 朝ランは宿を基点に河原田の海岸通りを往復して5km。僕は先週から殆ど走っていないので短い距離でもステップに注意を払いラスト1kmは上げる。
 シャワーで汗を流した後、皆で談笑しながらの朝食は例年のOWSにない心の余裕を与えてくれる。会場はすぐ目の前。今までのレースやイベントでもっとも優雅な時間を過すことができた。

 OWSの受付を済ませ、当日入りした面々にご挨拶。ウエットに着替えて準備を整えて試泳する。スカーリングからの軽いクロール、装備の不備がないかを確認する程度でさっさと海から上がる。再び皆と談笑してスイムチェックへ。いつものように淡々と物事は進んでいった。

 筋肉の痙攣には十分気をつけなきゃねと、水を持参してスイムチェックに向かった。暑さには滅法弱いのでマメに水分を補給することが重要なのだ。実は昨晩から気をつけていたのだが、残念なことにこの予測は見事に的中してしまうのだが・・・。こればかりは、どうしようもないのかな。
 
 海水につかって体温を冷ましながらスタートを待つ。この間、ゆーサーモンさんやスイムブロガーのヨッシーさん、それから以前お山で一緒になったYさんを見つけて声を掛ける。

 スタート30秒前のコールが聞こえる。今回のスイムアップの目標は37分台。大きく息を吸って水面を見つめ一点に集中する。準備は整った。
 目の前のヨッシーさんを追いかけるようにスタートする。落ち着いて水を掻く。焦らず騒がず、周りに惑わされず自身のペースで。ポイントはブレスをしっかりとること。300mぐらい泳げば息は落ち着くはずだと言い聞かせる。
 特に際立ったプレッシャーもなく最初のコーナーを廻る。ただここまでの直線400m程度が割と長く感じた。
 インコースにいたせいで軽くプレスを受ける。僕は逆らわず進路変更をする。時々ヘッドアップして前方を確認して、ポカンと浮かぶ二つめの黄色いコーナーブイを目指した。


 2周目。スタート付近は浅く立ち上がって、飛び込む動作を繰り返す選手を見受けた。それも悪くないなぁ、気分転換にはイイのかも、なんて思いながら僕は水を掻いた。
 底が見えなくなる頃になると水温が低くなって心地いい。と、同時に波に煽られることも多くなる。波に負けないように最後までしっかり水を掻く。時々、海水にディーゼルオイルが混じり、揮発性の臭気が鼻から胸を突く。この匂いで元気になるという方もいらっしゃるが僕にはマイナスの効果しかない。今こうして思い出してもムカつくほどなので、よっぽど嫌いなのかも知れない。

 最後のブイをカーブするとロングスパートよろしく、じわりペースを上げようと画策した。意識してしっかりとキックを打つ。潮の流れの影響から、内側にいるとプレッシャーを受けるので外へ逃げた。このペースアップで左の脹脛に違和感が出る。まだ浜は遠かった。スゴクいやな予感がした。すると次のキックを打った途端、左の脹脛が痙攣する。ハイ予感は的中。すぐさま左の足首をグイと立て、こむら返りを阻止しながら水を掻く。これはこれで、ナカナカしんどい。泳ぐのをやめようかとも思った。この脹脛の緊張がほぐれた後、今度は右のハムがこわばる。アカン。片方の緊張からくる無理な体勢が影響したようだ。これで完全にキックをやめざるを得なくなる。推進力にして15%減だなぁと漠然と思う。もはや掻き手で進むしかなくなった。

 いよいよ底が浅くなる。もう少し。けれど立ち上らねばならない。躊躇する。エイヤっと立ち上ると右ハムが身体の内側に切れ込んでくように痙攣した。思わず身体をよじりながら右ひざに手を置いて悶絶する。しばし水際に立ち尽くす。動けない、でも、進まなきゃ。ゴールを見上げながら、一歩二歩、引きずるように右脚を前に出した。

 プリントして頂いた記録証には41分03秒とあった。ラストの痙攣を差し引いてもどうだったか。9月の本番に向け、教訓にするしかない・・・。

 正午「On・The・美一」さんを後に、タカさん、ソファさん、そして僕の3名は両津を目指しペダルを漕ぎ出した。
 右手にはちょうどOWS5,000mがスタートして、水しぶきを上げながら進む選手たちの背中が見える。
 海からの風を感じた。オレナツ2日目が始った。(了)

2017年8月7日月曜日

オレナツ(佐渡合宿)のこと

 7/29.30の富士登山に続き、8/6は佐渡でOWS。ちなみに7月初旬は琵琶湖をロードバイクで一周した。つまり直近1ヶ月内で日本で一番の湖、山、島をたて続け立に訪れたことになる。
 これって地味にスゴくない?と家内に尋ねると、それが出来る環境にあることを感謝しなさいっと一言。ウン、ハイ、ごもっともです・・・。

 さて。佐渡OWS(オープンウォータースイミング)前日8/5(土)の佐渡上陸は、僕にとって今回で3年目となる佐渡で一日遊ぶ「俺たちの夏休み」略して「オレナツ」であり、トライアスロンチーム潟鉄の「佐渡合宿」という位置付けだ。どういう理由であれ暑く短い夏を佐渡で満喫するイベントなのである。

 10時半頃、河原田のお宿「On・The・美一(ビーチ)」さんから二手に分かれて出発する。
 タカさん&ソファは佐渡名所コース、鉄女ママ、ブリオ様そして僕の3人は大佐渡コースだ。
 僕らは大佐渡の海岸線をトレースして両津を目指し、多田から小倉を経由して大河原へ戻ろうという計画だ。


 序盤、ロングライドの記憶を辿りながらいくつもの起伏を超えた。相川にたどり着く前にすでに汗だくだ。
 眼前に飛び込んでくる海は夏の日差しを浴びてさらに透明度を増していた。バイク練よりも海水浴だよなー、と冷たい海に飛び込むことを幾度も想像する。


 Z坂の手前にある商店さんで小休止。それぞれに涼を取り、Z坂から大野亀までは一気通貫。大野亀周辺ではすべての風景を独り占めしているようで気持ちが上がる。
 昼食をとる為に大野亀の食堂に入る。店内は決して多いとは言えない観光客でそれなりに賑やかに映った。汗だくの僕らにクーラーの効いた空間はパラダイスだった。

 根を張りそうな重い腰を上げ再びバイクへ。昼食後と言うこともあって僕は垂れ気味だった。すると反対方向からジャージ上着のチャック全開の男がバイクに跨って現れる。
 おー、待ってましたぜ!Xさん。予定通り無事合流。これで今回の合宿参加メンバーが揃う。
そして、ここから第二部バイク練スタート。Xさんの鬼引きに以下3名がピリッと引き締まる。気を抜くとちょっとした坂で置いていかれる。
 僕としては彼にこのまま牽いていただくのは忍びないので、無謀を承知で前に出る。スピードの1割り増しを除けば佐渡ロングライドの再現だった。
 ・・・しかし残念ながらこのローテーションはすぐに潰えてしまい、最初に仕掛けた僕は足が売り切れトレインから早々に千切れてしまう。
 結局、両津手前5kmでXさん&鉄女ママに待ってもらう始末。まぁこれが実力なのである。

 15時、両津に到着。計画を変更して大河原を目指す。Xさんの提案で「フルーツカフェ」さんにお邪魔しながらのサイクリング。このメリハリ感はさすがの采配。
 ちなみにサイコンの距離145kmを示していたけれど、実質的には河原田から両津の100kmがトレーニングに相当する内容でした。

  17時頃、先にチェックインしていたソファさんと合流する。するとブリオ様の提言で河原田の海岸通りをブリックランをすることに。やけに前向きだナァと思っていたらなんてこたぁない、通りがかりにOWS会場の競泳水着の女性を発見し、それを間近に見たかっただけらしい。先週のギックリ腰から、この日のバイク練でもイマイチ調子の悪かったブリオ様。さすが「腐ってもブリ」を感じさせます。
 こうなってくるとトレーニングは忘却の彼方へ。この後は和気あいあいのディナー&おしゃべりタイム。翌日のOWSのこともすっかり忘れ、床に就くまで他愛のない談笑が続きました。(続く)

2017年8月6日日曜日

トレーニング17.7.31〜17.8.5

 富士登山後、稀にみる筋肉痛に苛まれて完全休養の連休を頂いてしまった。日常生活に支障が出るクラスの筋肉痛はここしばらく覚えがない。初めてフルマラソンを走った以来かも。
 原因は富士下山にあり、つづら折りの下り坂を走ったせいだ。まさかここまでダメージを残すとは思いも寄らなかった。四頭筋、脹脛、ハム、もっとも痛みがひどいのは何を置いても四頭筋である。下山から3日間は階段の下りが苦痛すぎて普段使わないエレベーターやエスカレーターを使い、それらがない場合は手すりを使ってそーっと階段を降りていた。
 昨年の同じ頃は400mlの全血献血をもって、擬似的高地トレーニング状態をつくりだした。あれはもう二度とやらなくていいが、この下山トレは大いにありだ。近所でどっかないものだろうか。
 ・・・ということで今週は筋肉痛に伴うトレ内容。走れる状態でなはいのでスイムやバイクのペダル練でトレを組み立てる。
 週末はOWS。前日入りで佐渡合宿と銘打ってのトレーニングを予定している。

※ ※ ※ ※ ※  今週のトレーニング  ※ ※ ※ ※ ※

テーマ : 富士下山ダメージの回復

日 富士登山 (7合目の下りから吉田PAまでトレラン)

月火 レスト

水 夜 スイム1,500m+ドリル(50m×20,100m-120s×4,down)

木 朝 ペダル練30分
    夜 スイム1,600m+ドリル(500m-9:00,50m×10,100m×6)

金 朝 ロード ペダル練30分
  夜 ロード5km ジョグ

土 佐渡合宿
    バイク145km(両津~河原田~大佐渡経由~両津~河原田)
    ブリックランという名の散歩

【 7月のトレーニング(km) … Swim14.9  Bike477(46)  Run194 】
【 8/5までのトレーニング(km) … Swim3.1  Bike160(26)  Run5 】

2017年8月3日木曜日

富士登山のこと 下山編 ’17.7.29,30

 先達(せんだつ)のヤング渡辺氏から、山頂の鳥居前に4時05分集合を申し渡される。僕らは1時間ほど山頂に滞在した。
 暗闇の中、周辺の景色がまるで見えないので想像していたような頂上感はなかった。僕はお鉢周りのルートをウロウロしたり、山小屋で木材の手紙を書いたりと、あれこれしているうちに約束の時間になった。

 4時05分というのは日の出、つまりご来光の時間だった。雨風の中、そんなものは期待できるハズはなく、白んだ空の分厚い雲の切れ間から、わずかにオレンジ色の光が滲んでいて僕らはそれをご来光のつもりで見つめる。
 ここまでを振り返ると、全くもって天候にそっぽを向かれている。日本一高いお山に居るというのに眼下に広がる景色を眺めることすら出来ない。ホントまったくついてない。

 山を覆っていた闇が消え、薄明かりと共に周囲の状況が視野に入ってくる。荒涼たる山肌に蛇腹状の一本道が覗く。吉田ルートの下山道、ここを登ってきたのだと自らの軌跡を知る。上から見下ろせばこそであるが、下から見上げたならば心は折れていかもしれないという数人の意見に同意した。

山頂から下山ルートへ

下山ルート赤土の斜面

8合目あたり

7合目の山小屋&トイレ

須走(すばしり)ルートと吉田ルートの分岐となる下江戸小屋まで隊列を組んで進む。トイレ休憩を挟んで吉田ルートへ誘導されると、ここからどうぞお好きなペースで下山してくださいと渡辺両氏に言われ俄然やる気になる。
 おー!トレランじゃー!この週末ノートレであることに少しだけやましさのようなものを感じていたので、ここぞとばかりつづら折りの山道を駆け下りる。
 右に折れ、左に折れるとワンセット。経路表示の看板で数えると12~3セット。地面の柔らかい所でスピードを調整しながらひたすら降る。残り6つぐらいで周囲にガスが漂い視界が遮られる。先を行く人の背中はなくなり、走りながら不安になる。
 つづらを終えると起伏があったり、屋根付きの階段が現れたりと、急な坂を下りたせいで脚が棒のようになり力が入らない、膝が笑う。
 ジョグで進んでいくと前日通過した記憶のある道に出た。ほっとしていると向こう側からこちらへ歩いてくる登山者とすれ違うようになった。
 「おはようございます」と声を掛けながらスロージョグ。あたりはガスに包まれ昨日のスタートの風景と重なる。6時過ぎ吉田の登山口に辿りついた。

朝6時の吉田登山口

  登りは休憩と仮眠を含め12時間、降りは2時間ちょい。この下山ランニングが僕の脆弱な両脚にとてつもないダメージを残し、この翌日から数日間歩くのが嫌になるほどの筋肉痛をもたらすことになるとは・・・。
 しかるに僕の今回の富士登山は、頂きまでのプロセスとか、そこに辿りついた喜びとかは殆ど残っておらず、今も痛みが残る四頭筋の筋肉痛を招いたこの富士下山に尽きるのであった。
 いろいろと体験できなかった残念な富士登山。もしかしたらまた来年も?と帰りのバスで盛り上がる我々でした。
 先達の渡辺両氏、ありがとうございました。(了)

先達のダブル渡辺氏と記念撮影







2017年8月2日水曜日

富士登山のこと 登頂編 ’17.7.29,30

「富士山」について今更説明する必要はない。誰しも漠然といつかは…と思っていても、本当に富士の山頂を目指すには、それなりのきっかけや動機が必要で、自分が本当に登るなんて思ってもみなかった。
 2年前、ひょんなことから富士登山の計画が持ち上がったが、計画の半ばで頓挫してしまった。その頃から富士を意識するようになり、昨年、家族でドライブのついでになんとなくその周辺に脚を延ばしてみたが、おぼろげなその頂きを垣間見る程度に終わってしまい、脳裏に描かれる雄姿と重ね合わせることは叶わなかった。
 そして今回再び計画が立ち上がり、それは昨年末辺りのことだったと思うが、当然のように僕は参加メンバーの1人となり、このたびの実現となった。
 富士山に登るのは自分の意思に関わらず、運命的にセッティングされていたような気がしないでもない。しかし最近読んだ小説のセリフのごとく、それは運命でも偶然でもなく、全て自分が選択してきたことの積み重ねによる結果らしい。ようやく機会が訪れたということなのだ。


吉田口ルート詳細

 7/29(土)有志13名による富士御来光参拝を目的とした2日間の日程が幕を開ける。クリアにならない天候に少々の苛立ちを抱きながら富士スバルラインを目指し、早朝の新潟を出発する。
マイクロバスをチャーター
 所々渋滞に巻き込まれながらも、ほぼ予定通り我々を乗せたマイクロバスは目的地に到着。残念なことは富士山の2,305mに位置する吉田パーキングは土砂降りの雨。僕らは高地順応を兼ねて出立時刻までゆっくりと時間を掛けて準備を整える。

 ちょっと階段を登っただけで息が切れ目眩がすることに面喰らう。順化の重要性を早速認識すると同時に不安に駆られる。それに恨めしいのは、さらに勢いを増す雨。僕の装備は少し年代物で、水が浸透するのにそう時間は掛からない。天を仰いで空を呪うしかなかった。


雨の吉田PA



先達2人から注意事項説明

 参加メンバーはみな登山の素人なので念を入れ先達を2人お願いした。この判断は後に評価されるのであるが、まだこのときは先達を2人もつけるとは、なんと贅沢なんだろうと思われていたに違いない。
 15時過ぎ、この道40年超の先達、渡辺氏に率いられ、今夜の宿泊先である7合目の「東洋館」を目指す。僕は隊列のしんがりで、僕の後ろにはもう1人の先達、若手の渡辺氏がついている。
 僕らはベテラン氏に先導され、ゆっくりとした足取りで登山道を進みだした。


5合目からの登り



 吉田パーキングから富士の登り口までしばらく下り坂が続く。それはウォーミングアップと環境順化を兼ねているそうだ。先達のヤング渡辺氏は、僕らにここで亡くなった登山者についてのエピソードを披露する。富士登山、特にこの吉田ルートはシーズン登山者の6割以上を受け入れるのだが、登頂を目指すすべての人々の生命を保障しているのではないことを端的に伝えようとしているようだった。彼は今後、要所要所でグロくおぞましい話をする役目を担うのである。

 ガスのために全く周囲の景色がわからないのがこの上なく残念だった。視覚情報が閉ざされた僕は、ヤング氏と他愛のない会話を交わしながら道を進んだ。そんな中、同じようなペースで進む韓国から来た李さんという女性と知り合い、1人ならばとパーティーに誘い、我々の隊列に加わって頂く。

 僕らはジリジリと歩を進める。歩き出して1時間ほどで雨は小降りになった。相変わらず周囲はガスに覆われ景色は全く伺えず、まるで雲の中を歩くようだった。運動量としても物足りないが、まぁ仕方がない。

 17時過ぎに7合目に入った。最初の山小屋で李さんとお別れをする。少し進んでからふと後ろを振り返ると、彼女がまだ僕らを見送ってくれていたのが印象的だった。外国から1人で富士を訪れるその行動力に感服するばかりだ。


7合目、最初の山小屋にて

 我々の目指す東洋館は7合目の最上位に位置していた。足元の岩場を踏みしめながら、ひとつまたひとつと山小屋を通過し、19時前に東洋館に到着。
 あたりはもうほとんど暗闇に覆われていた。館内に導かれると濡れた装備の始末を促されつつ寝床に案内される。寝床はちょうどヒト1人が横たわるスペースに寝袋が敷いており、我々にスペースをあてがうのがスタッフの作業の一つだった。
 広間に用意された夕食のハンバーグをそこそこかっ込み、みなで寝床に横一列に整列して横になる。22時起床を言い渡されて僕らは眠る努力をした。僕は眠剤を一錠飲み込んで眠りにつこうと瞼を閉じた。すると突然建物を激しく叩く雨音がして、それは徐々に増していった。激しい雨音にまんじりとせず、僕らは容赦ない天候の仕打ちに暗澹とせざるを得なかった。

東洋館のハンバーグディナー。ご飯おかわりアリ。

22時起床。山頂へ向け荷造り

 不意に意識を取り戻すと起床時刻の3分前。ちょっと寝ぼけながら僕は支度を始める。それに続けとばかり周囲も動き始めた。半分以上のメンバーがまんじりともせず過ごしていたそうだ。僕がしきりに眠剤を進めていたことに、あの時に貰っておけば良かったと後悔する者もいた。いつだってそんなちょっとしたことが、これから先に起こることへの備えになるものだ。富士山だろうと日常だろうとその本質は変わらない。

 雨の気配はなかった。すぐに宿のスタッフが広間へ荷物をもって集まるようにと、命令めいた指示があり、僕らは素直に従う。広間には我らの先達渡辺両氏がおり、気温は高いので薄着で良いことと、これからの登山道での渋滞は避けられないことを端的に伝えた。

 22時半、8合目に向けて出発。気温は15℃、雨も風もない。先ほどの激しい雨音は夢だったのかと思うぐらい辺りは静けさを取り戻していた。ふと見ると山小屋の照明に蛾のような虫が数匹飛び回っている。標高3,000mに近い所で明かりに群がる虫がいることに不意に胸をすくわれ、しばらくその姿を見入ってしまう。

 登山道へ脚を運ぶと状況は一変する。山道は登山者で大混雑の大渋滞。急斜面の岩場をヘッドライトの明かりを頼りに、一歩一歩ゆっくりと進む。8合目はすぐそこなのだが、とにかく渋滞していて遅々として進まない。少し上に進み後ろを振り返ると、ヘッドライトをつけた人々が延々と列をなしているのが見る。暗闇の中に光るそれは、どこかにぎやかでお祭り屋台の明かりのようにも見えた。

暗闇の中ヘッドライトが登山道を浮かび上がらせる

 8合目、2つ目の山小屋を通過したあたりで休憩が告げられた。と、同時にメンバーの1人が頭痛と吐き気を訴える。見れば顔面蒼白。僕は頭痛薬を半錠だけ彼に渡し、先達2人に協議して頂く。ベテラン氏が体調不良者に付き添いに回り、ヤング氏が我々を誘導することで合意する。先達2名体制がここで功を奏す。僕は引き続きしんがりの役目を負った。1人抜けたパーティはしばし無言となり、渋滞する岩場を一歩また一歩と進んだ。

 1つ山小屋を超えたところで、ヤング氏がルートを変更することを告げた。どうやら渋滞に業を煮やしたらしい。僕らは彼の後をついて行くしかなかった。その時は分からなかったが須走(すばしり)ルートの登り、吉田の下山ルートを使って頂上を目指すことになったのだ。
 それまでの足場が一変し、柔らかな砂礫の斜面となった。一応の登り方、脚の使い方を手解きされた僕らは砂塵を踏みながら再び上昇を開始する。
 するとすぐに隊列にいくつかの間隔が空き始めた。ヤング氏の足取りは至極ゆっくりなのだが、環境変化、順化がうまくいかずに体調を崩したメンバーが、ペースを合わせられなくなっていた。僕はそんな彼らの背後から様子を伺い、それとなくヒアリングしながらヤング氏に進言しつつ、ペースの遅いメンバーを前方に送った。時計は1時を回っている。7合目を出てから3時間が経過していた。

 標高3,000mの漆黒の闇、ヘッドライトに照らされた足元の赤黒い礫を食い入るように見つめながらひたすら斜面を登る。ルートは蛇腹折りで、折れ曲がるところで短くて3分、長くて7分の休憩が入る。

 僕はメンバーに声を掛け様子を伺う。皆それぞれ苦しい中、頂上を目指し頑張っているのがよくわかった。ここまで来て、後戻りの出来ないことも理解しているのだ。とにかく頂上まで辿り着くこと。もうそれ以上でもそれ以下でもないようだった。
 ちなみに僕は疲労感は殆どなく、ただただ酸素欠乏せぬように意識して深呼吸を繰り返した。日頃体を動かしているおかげで体力的には問題はない。継続的にトレーニングを重ねているお陰で、高地での行動も無難にこなせるようになっていたようだ。

 蛇腹をあと2つ登れば山頂という所で、8号目で体調を崩したメンバーがベテラン氏に率いられ我々に追いついてきた。聴けば自身を鼓舞して皆を追いかけたらしい。本人の意思もなかなかだが、それをサポートするベテラン先達の腕に舌を巻いた。

 3時10分すぎ山頂に到着。山頂で突然、雨と風が激しくなった。登頂を果たした人々でごった返して賑わっている。3軒の山小屋はまだまだ空席が目立ち、すぐに入ることが出来た。人々の表情は悲喜こもごも、疲れを癒すと同時に下山に向けての準備をはじめているようだった。(続く)
山頂にて、スマイル!