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2026年4月23日木曜日

2026.4 宮古島滞在記②(4/18)

 4/18(土) ひとり、大神島へ

 朝の涼やかな空気の中、宿泊から徒歩数分のパイナガマビーチを副キャプテンと散歩する。宮古の海はどこを切り取っても透明に近い青色をしている。

 歩きながら怪我の修復と痛みのメカニズムについての講義が始まり、腑に落ちるところが多く参考になった。痛みという信号とそれへの対応を改める必要性を感じながら、今後のトレーニングを構築するヒントにしたいと思う。

 今度の怪我の対応のまずさは、痛みを我慢して早期に身体を動かしたことが1番の原因だっと反省する。同じ轍を踏まぬようにしたい。


 さて、この日はご承知のようにレースに参加する選手はバイク預託やスイム会場の下見などがあるが、どうにも心が落ち着かなくなるから逃げることにして、大神(おおがみ)島を訪問することにした。池間島へ向かう途中、島尻の港からフェリーで渡る離島だ。朝食のあと宮古島出身のMちゃんに車で送ってもらい、港で降ろしてもらう。



 島尻は宮古島の奇祭と呼ばれる「パートゥン」で有名な村だ。国営放送のぶらなんとかという番組で、宮古島を紹介する放送を観たが、まさにここがその撮影地だった。時間があるので村を散策して時間を潰す。人や車とすれ違うことはなく、牛舎の牛とハイビスカスがぼくの心を癒す。陽光に照らされて汗が止まらない。持ったタオルを手放せなかった。


 島尻漁港の真ん中にフェリーが接岸する天蓋のある乗り場、その入り口に佇むプレハブのフェリー搭乗券販売所がある。フェリーは1日往復4便。販売所に掲示された時刻表を確かめるとまだ時間は十分にあったので港を散策する。

 人の姿は見当たらなかった。海から吹く風、整備された護岸壁にぶつかる波の音。時折、鋭い鳥の鳴き声がきこえる。眼前には大神島。海と空に切り取られた島は浮かんで見えるぐらい、稜線がはっきりしていた。


島尻湊からみる大神島

 海上の珊瑚礁の切れ目では激しい波を打っている。太平洋で発達した台風の影響だ。大気は、海は一体で繋がっている。遥か遠くの小笠原あたりの力がここに伝播しているのだ。

 防波堤から眼下を見下ろし海面をじっと見つめていると、潮の流れが止まり、突然流れ出す様子が伺える。海面のさざ波の向きと潮の流れてが異なっていることにも気がついた。

 伊是名島でのOWS(オープンウォータースイミング)の経験から、この海で泳ぐのは容易でないと想像がついた。

 大神島と島尻港の間、小波立つコバルト色の海上には柱のような突起物が規則正しく何本も立って島まで延びていた。若いイケメンのフェリー操舵士の方から伺ったところによると運行の目印だそうだ。名称は忘れてしまった。珊瑚の海底を掘って通り道があって、柱をみて右側を航行する。

 干潮時には姿を隠した珊瑚礁が隆起するように海面から顔を出す。浅瀬に乗り上げないように操舵するのにはコツが必要だとおっしゃっていた。30人乗りの小型フェリーを操るのは容易ではない。干潮と満潮、風と波を掴んで変化する海を予測する。豊富な知識と経験が必須なのだ。


 片道15分で大神の港に到着する。途中、波が荒くなって何かに掴まっていなければ立っていられないほど激しく上下する場所があったり、なかなか興奮した。やはりただの美しい珊瑚の海ではなく、例外なく容赦のない自然が横たわっているのだ。

 船着場から上陸すると、体高30cm胴長50cmほどのみるからに年老いた犬が船に向かってワンワンと吠えている。このときの乗客は6名。皆が老犬を横目に皆が通りすぎたあと、ぼくはしゃがんで犬の鼻先に手の甲を向けじっとする。老犬はクンクンと匂いを嗅ぎ、ぼくの左右を行ったりきたりする。胴を優しくさすると、さらさらとした毛が柔らかくてさわり心地が良かった。傍らにいた島民と思われるお婆さんが、名前はユリ15歳、と教えてくれた。なんでも飼い主がここ2週間ほど宮古島へ出かけ(入院?)ていて、船が着くたびに主人が帰ってきたか見にきているそうだ。ユリの容姿が哀愁を帯びているせいで、物言えぬ彼女の吠えが切なく聞こえてくる。

 尚、なんと偶然にも、ぼくの帰路のフェリーでご主人が戻ってきて、ワンワンと吠え続けるユリをみることができた。飼い主のお爺さんはなんてことない表情で餌をあげていたのが印象に残った。



 大神島は島そのものが神聖な場所とされている。口承、口伝で語り継がれているようだ。 絶え間ない波の音、草木にそよぐ風。時折、土鳩の鳴き声が混じる。今は花の季節で路傍には白い百合の花がここそこに咲いている。草むらには無数の黒い蝶がハラハラと舞いあがり、またすぐにゆっくりと舞い降りるを繰り返していた。
 時間が止まったような、あの世とこの世の境界とでも言うか、これまで味わったことのない雰囲気を感じる。神社仏閣の荘厳などではなく、もっとずっと原始的で無垢な神々しさだ。

 さっそく遠見台に脚を向ける。多くは無人なのだろうか、コンクリート平屋作り民家が傾斜面に張りつき、その間を縫うように歩行者がすれ違える程度の坂道が続いていた。

 手作り感しかない看板に従って進むと、そう古くはない木造の階段が現れる。急な段差の階段を登っていくと、二間ほどの木柵で仕切られた遠見台にたどり着く。



遠見台からの池間島
 遠見台からは島を囲む珊瑚礁、池間島まで眺められることができす。このときは空に雲が掛かっていたが、晴天ならば陽光に照らされた宮古の海を眺められたかもしれない。この場所からなら神様が宮古島を見下ろす想像は難しくない。

 帰りの船までの時間はたっぷりある。時間を掛けて島の外周を散策した。

 路傍に咲く白い百合の花、はらはら舞っては着地を繰りかえす黒い蝶々たち。ちょうど干潮時を迎えたので浜に降り、海辺てサンゴの残骸や貝殻を拾ったりした。真っ青な小魚、巻貝を背負ったヤドカリを見る。海岸に沿って敷設された道沿いには、毒々しいムラサキ色をしたヤシガニがアダンと呼ばれるパイナップルに似た形状の実を食べていたり、砂地には赤い花びらのようなカニなどをみることもできた。ただ残念だったのはあたりに放置された廃棄物や、海岸に漂着する数々のゴミ。島に住む人々だけでは、もうどうにもならない量なのだろう。

奇石ノッチ


 滞在時間は3時間半。なにもないことに価値を見出す島だった。ぼくは14時のフェリーで塩尻に戻る。ちょうどよく接続するバスに乗って平良港へ戻る。(まだつづく)

 

2026.4 宮古島滞在記(4/16,17)

 4/16(木) 宮古島へ

 正午過ぎ、新潟空港から伊丹に向け飛行機が離陸する。この時間に短い昼寝をする習慣があって、このときもいつものように眠気に誘われるままに眼を閉じた。そして薄ぼんやりした意識のもと尾てい骨の鈍い痛みを感じ眼をひらく。すでに大阪上空に到達。着陸態勢に入る直前だった。

 ぼくは飛行機に自前の円座を持ち込んで座席に座っている。座高が微妙に高くなって違和感は座り心地は悪くない。長時間座るには円座が必須だった。もちろん痛めてしまった患部の保護のためで、今回の宮古島をDNSするぼくの判断がいかにやむを得ない事情なのかを表すアイテムでもあった。

 今回、先輩アスリートのKさんと共に宮古島を目指す。同行は初めて。ちょっと不思議な感じがするが、こうなる縁があったのだろう。

 伊丹空港内の移動の最中、お尻のあたりになにか詰め物をされたような感覚になって気になって仕方がなかった。テーピングで患部を固定しているが油断はならないようだ。


 空港で那覇行きの便を待ちながら大会についてのあれこれ話していた時のことだった。那覇へ向かう機材に整備不良が見つかり代替え機を準備するので、伊丹出発は18時過ぎ那覇空港到着は20時を過ぎる。そうなると那覇からの各離島への乗り継ぎはできないという旨のアナウンスがあった。つまり本日中に宮古島に着けなくなったのだ。

 ぼくらは顔を見合わせる。離発着の時刻が遅れることはあるが、ここまで計画変更を求められたのは初めてだった。予期せぬ事態とは額面通り予測不能なのだ。


 搭乗口で館内の食事代として1、000円分のチケットを受け取り、乗り換えの変更手続きのために航空会社の窓口へ向かう。乗り継ぎを待つ間に搭乗口を出るのは初めてでドキドキしたが、お陰で伊丹空港の様子を眺めることができた。

 似たような状況の乗客の列に連なりながら、宮古島で合流予定の副キャプテン殿に状況を報告してレンタカーや宿のキャンセルをお願いして、もしも那覇で宿が取れないときはご自宅に泊めてくださいとお願いをする。当然とも言わんばかりに快諾をいただき、ひとまず宿を担保。つづき実際の宿泊の確保に取り掛かる。那覇滞在時には確実に利用する赤嶺のホテルに連絡をしたところ部屋を用意していただでけることとなった。荷物が少なくはないので空港から近い場所はなにかと助かる。

 航空会社の窓口で翌朝の宮古島行きの席を確保。変更の追加料金はなく、また嬉しいことに宿泊費用も上限はあるが補償されることがわかり安心する。おなかもへったので遅い昼食をとり、那覇行きの便を待った。


 伊丹から那覇へ向かう機内で機内サービスのコーヒーを頂いた。レース前ならば絶対に口にしない。黒い液体が舌を、喉を通るのが感慨深く、ささやかながらに幸せを感じてしまう。小窓に黄昏の空が映る。闇のとばりと陽の残光が溶け合い境界線ができていた。右の席では外国の男性がポテチを貪り、すっかり袋を空にしてパンパンと手の塩を解いている。それ横目に、残ったコーヒーを口に流し込んむ。今回の旅はいつもとは相当に異なっている。本来ならばレースを兼ねた遠征なのだが、その主たる目的を喪失してしまっていた。なので、いつも以上に感じたことを言葉に落とそうと思った。


4/17(金) 宮古島入り、準備開始


 赤嶺から始発のゆいレール(モノレール)で那覇空港へ向かい、搭乗手続きを行う。同じような乗客が多いのだろうか、予想以上に時間は掛かったけれど無事に宮古島へ向かう飛行機に乗ることができた。

 宮古島空港の建物から外にでると、強い陽射しと高い湿度に怯んでしまいそうになった。まだ午前8時半だというのに!新潟とはまるで違う気候を皮膚に感じながら、副キャプテンが手配してくれたレンタカーに荷物を積み込んだ。経年からくる使用感が滲む車だった。ハンドルに慣れて置く必要もあったので宿へ向かう前に伊良部大橋へ向かう。宮古ブルーと呼ばれる青く透明な海にかかる伊良部大橋を自分の運転で進むのは初めてで気分はあがる。


 ぼくは選手のピックアップのため宮古島空港へ向かう。予定の到着時刻から40分ぐらい遅れて副キャプテン殿にMちゃん、同じくM君の3名。伊是名トライ以来、5ヶ月ぶりの再会にグータッチ。気の置けない仲間たちだ。

 この待ち時間の間、空港のみやげもの屋さんを物色する。これまであまりしたことのない散策に心が躍った。数あるおみやげの中でコミカルに描かれたパートゥンのTシャツがフックして思わず購入。さっそく自分のお土産ができた。小腹も少し減ったのでポークたまごおにぎりを頬張る。ささやかな観光気分だ。

 

 空港の目と鼻の先にある宮古ドームへ移動して選手登録を行った。大会運営にDNSの旨を伝えると、事務局の方とメールでやりとりして欲しいと言われ、届けは受理される。あっけなく物事は進んだ。これで一応の区切切りついたのだけれど、まったく心は晴れない。自分にしかできない判断は自分で責任を負うしかない大会に出ようが出まいがそれは同じだ。しかし、現地を訪れてまでの判断はこれまで経験がないので、これ以降、どういう身の置き方をすればよいのか判らなかった。どうすれば判断の責任とやらが取れるのかがよくわからない。この場合の責任の取り方とは一体なんなのだろう?滞在期間で見つけられると良いが、この時点では全くもって判らないでいた。


 昼食、宿のチェックイン、荷物整理、談笑。時間の経過はあっという間で、このたび宿が一緒のはじめましてのHさん、そしてまだ選手登録を済ませていないKさんと共に競技説明会の会場へ向かう。

 物販ブースを散策していると、今回、絶対に会いたかったご婦人に会うことができた。実のところ、会うのはこのタイミングしかないと思っていた。

 ぼくはすぐさま駆け寄り、手を握り、お会いしたかった、元気になって本当によかったと伝えた。すると、彼女はご自身の近況を手短に話した後、前置きもなく、あなたが今回こうなったことには何かの意味がある。今は辛いかもだが生きているんだからなんとでもなる、と仰った。

 生きているんだからどうにでもできる、なんて科白はそうでるものじゃない。今の彼女だからこそ吐ける台詞だ。頬にピシャリと平手打ち、冷水を浴びせられたみたいにハッとなった。そしてほんの一瞬だけ涙腺が緩んだせいで鼻がグズる。そのまま話していると気持ちが落ち着かなくなりそうなので、咄嗟に周囲の方に言葉を向けた。

 今回の忘れられないひと幕である。


 参加する選手すべてが眩しくて、自信に満ち溢れる選手が妬ましく思えた。パーティに脚を運んだこと、そもそも宮古島に来てしまったことを悔やんだ。またそう思うほどに惨めさが増し、幾重に積み重なった己の卑しさに辟易する。そういう思いがどこから来て、どう消化されねばならないかを考えた。

 楽しみは喜びと豊かさを、苦しみは生をより実感する。今この心理状況に蓋を閉まってはダメな気がした。(つづく)

2026年4月21日火曜日

宮古島トライアスロン開催週 2026.4.13~4.20

★トレーニング備忘録
4/13(月) 終業後、患部をテーピングしてジム、スイムへ。キックターンなし100mインターバル泳。途中、審判長とコースシェアする格好になり互いに今週のスケジュールを話し合う。
 ついに宮古島トライアスロンの開催週となった。トラック諸島に発生した勢力の強い台風は小笠原方面へ向かい当日の心配はなくなった。ぼくの心境は複雑なままだが予定通り16日に宮古島へ向う。

14(火) 終業後スイム。壁キックターンなしのインターバル泳。100m泳16本+α。常に試行錯誤している技術面だが、初心に戻って体重の載せ替えを重視しつつ下肢のグライド姿勢を同期させることに集中。気になる患部はテーピング固定で具合は悪くない。

15(水) 終業後、筋トレ。バタフライ32kg10rep×3set、ラットプルダウンノーマルグリップ45k10r×3s、クローズドニュートグリップ45k 10r×2s、54㎏ 5rでギャフン。キックバック9k左右12r×3s、サイドレイズ9k10r×3s。
 スイムはキックターンなし100mインターバル泳5本。2本目に左の掻きを修正したところ無茶苦茶に跳ねる105秒切りを連発する。暗闇の中の光明かな。

16(木)~19(日) 宮古島へ別記

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
4/13(月)  スイム1.55(27)
14(火)  スイム2.1(37)
15(水)  筋(11)、スイム0.7(12) アクティブレスト
16(木)~19(日) 休養
4/13~19(km)…S4.0・Re.5

2025年4月25日金曜日

第39回宮古島トライアスロン当日編③ バイクトランジションからフィニッシュまで

 バイクから降車。バイクを押しながら裸足でラックへ向かう。ボランティアの学生に自分のラックまで誘導してもらう。バイクをラックに掛けてランの支度に入る。バイクに乗っていて感じなかったが、晴れた空からの陽射しはまぶしく熱を含んでいた。
 バイク溜まりの横に設営された着替え用のテント周辺が賑わっている。ぼくはシューズを履くのにちょうど良い高さの腰を掛ける場所を見つけシューレースを結んだ。補給を入れたポーチを装着、サングラスを掛け通過チェックに向けて走り出す。上出来だった。昼前にランに入れるなんて。そしてついに、待ちに待った昨年の雪辱でもあるランパートへ突入した。高揚と期待とともにスタートした。

 時間予報通り太陽が顔をだしていた。アスファルトに出るとさらに陽射しを、熱を感じた。陽よけのネッククーラーに合わせて冷かけシートを首に巻く。実践遣いは初めてだが強いメンソール感で悪くなかった。あれ?ここで違和感。陽射しが強烈に感じ…あ、帽子を被ってないや…。昨年の佐渡や伊是名で活躍した両サイドと首に長い陽よけヒダのある帽子を被ってなかった。バイクの荷物バッグから取り出したし、靴を履くときに横にあったはずだ。被り忘れたのだ。一瞬踵を返し取りに戻ろうかともした。いやランチェックを再び戻れるのだろうか…。帽子はあの靴を履いた場所にあるのだろうか?

 これから走る距離と今のこの陽射し。ぼくは帽子を諦めてそのまま歩を進めることを選択した。


 脚が上手く出なかった。走りはじめということもあって両脚の膝上、四頭筋が強張っている。まるで丸太棒が骨盤からのびているみたいに。それにちょっとした衝撃があれば右のハムが攣りそうなワナワナとする気配もあった。遅くともいつものように走れたのなら…。ちょうど1kmのところで止まり、歩道に脚をかけて脹脛を伸ばし、膝裏の足底筋を押した。脚に不調が出たときに副キャプテンから教わったやつだ。再び走りだすが特に変化はなく脚の出しにくさは変わらない。35kmの距離がとてつもなく重く感じた。


 ひと息入れる目的もありGSのトイレを使った。回復を待つしかない。現在ランペースはキロ6分半。想定はイーブン6分15秒、調子を上げてあわよくばサブ4ペースも、なんて考えたがそれは浅墓だった。この状態ではまったく難しい。さてどう対応しよう。

 陽射しは容赦なく降り注ぐ。後方から、抜かれることはあっても抜くことはなかった。エイドもしばらくはない。自問自答を繰り返す孤独な時間が始まった。


 7km過ぎ脚を止める。吐き気がしてムカムカしたので、道の端っこに寄って胃に溜まった水分を吐き出した。2つ目の冷かけシートに手を掛ける。残りはひとつ。顔はもちろん、身体の熱が冷めない。このままだと熱中症、最悪途中で意識を失ってしまうかもしれない。ネガ思考に絡め取られる。昨晩殆ど眠れていないことも弱気にさせた。うつむき歩きながら残りの距離と制限時間を勘案する。それはもう何度も何度も・・・。とにかく完走する。完走したい。昨年の轍はゼッタイに踏まない。なんとしても競技場へ戻るのだ・・・。


 自分史上、最も歩いたランパートだろう。辛くなったら歩くを繰り返した。ちょっと走っては止まり歩く。走っては歩く。上りは無理はしない、下りは走ろう。とにかく少しでも楽をして進んだ。

 熱中症対策をおこなった。確実なのは氷を持つこと。持ち歩けるようにエイドでビニール手袋をもらい氷嚢とし、道に落ちていた袋を拾った。見つけたときに奇跡だと思って飛びついた。それらを左右に持ち替えながら体温を冷ました。

 走っては止まるを繰り返しながら、歩き通しても制限時間内にはゴール可能かを常に計算した。


 城辺(ぐすくべ)の折り返しまでくると随分と身体が楽になった。さらにこの頃から陽が雲に隠れることもあった。気温のピークを過ぎたようだ。走っては歩くを繰り返す。ペースは上がらなかったけれど、走破予想した16時頃のフィニッシュが可能であることに気がついた。

 今回の走破タイム予測は9時間6分。スイム、バイクで十分過ぎる余裕ができていた。ギリ予測に届くかもしれない。

 ーすごいことを成そうとしているんだよ。家内のひとことが脳裏を掠める。宮古島トライアスロン完走は一般的にはすごいと言われる挑戦。

 2019年平成最後の宮古島に初めて参加して完走した。当時は今よりも距離が長い。6年前、49歳のときの誇らしい出来事でありトライアスロンにはまる分岐点だった。

 心に火が灯った。歩は早くなくていい、ときに止まってもいい。まずは目標を目指そう。54歳になった今の力を、ここに至るまでの成果を発揮しよう。


 25kmに到達、あと10km。商業施設が建ち並ぶ街中に入る。走っては歩くを繰り返すのは変わらないが、走る時間が確実に長くなった。ぼくへの声援も聞こえた。ゼッケンから名前を調べて名前で声援を送ってくれる。突如名を呼ばれたものだからつい振り向いてしまうし、性格上、何か物を申さねばと、とにかく「ありがとう」を繰り返した。


 空は完全な鉛色だった。氷嚢は必要ないくらいの気温になった。随所にある私設エイドありがたい、氷をほおばり、塩や果物を口にした。


 空港付近から新しい市役所、そして公設市場までの道のりが長かった。ありがたいのか良くわからない雨降るシャワーランになった。暑くなるよりはいいに決まっているけど。

 宿泊するゲストハウスのそばを通過、残り3km。もう全然大したことのないのに途方もなく感じた。

 わずかな上りで足が止まった。これを最後に立ち止まるのをやめよう。そう決めたはずまたが止まってしまう。走り出す。ペースは上がらずとも良い。とにかく止まらない。


 ゴールの陸上競技場の入り口までは緩い上り坂だ。レースを終えバイク回収し帰路に着く競技者と目が合い、ナイスランと声を掛けられた。励みになった。あともう少しでぼくも・・・。


 門をくぐり競技場のトラックに脚を踏み入れると万感込み上げてくるものがあった。左手のフィニッシュゲートを横目で確かめる。案外長いな。コーナリングで加速。一歩ずつ近づいていく。ぼくのゼッケンナンバーと名前がアナウンスされる。さぁラストスパートだ。ゲートの時計はちょうど目標時間を表示している。間に合う。スピードを上げる。まだこんな力が残っていたのか、そう思ったとき、横からぼくの名を呼び掛けて寄る3名が。なんと!チームテチ、スーパーサポーターズ3人との同伴ゴールじゃないか!

 ぼくは彼らを背にフィニッシュゲートに飛び込んだ。9時間5分53秒。昨年の雪辱は果たした。

(まだつづくかも)

宮古島トライアスロン当日編② スタート、スイム、バイクフィニッシュま

 鉛色の空の下、青い海に浮かぶ来間大橋が見える。ぼくはスイム会場を早速試泳をする。水は少し冷たかった。選手の芋洗いのなか浜から1番近い立法体の黄色いブイを目印にする。浜からすぐのところでも潮の流れは強くグライドが揺さぶられる。
 ぼくは意識して手の甲を内に、肘を上げてゆっくり肩を回した。身体の各所のセンサーを働かせて水を感じる。眼前にひろがる透き通る水と海底の白砂に心が揺さぶられた。トライアスロンで世界を転戦するチームメイトに言わせると、この宮古の海は別格らしい。
 浜から黄色のブイを1往復もしなかったが試泳は終了。プラカードを参考におおよそのスタート位置を決め、砂浜で体育座りをしてその時を待った。ふと脚の親指に目が止まる。足につく砂はよく見知ったそれではなく珊瑚なのだろうか。乳白色できめ細かい粒に星を思わせる形状のものがついていた。
 待機しているあいだ昨年の伊是名を想い出した。ぼくにとってのスイムの苦い経験のひとつで、教訓にもなった出来事だった。予測し得ないことが起こったとき、冷静に対処できるかがスイム(バトル)の肝かもしれない。泳ぐ速度は然程変わらないけれど、ようやく自分なりのフォームの抑えどころを見つけ、この宮古島の海で通用するのかを楽しみにしていた。
 両手で両頬をパンパンと叩き喝を入れる。勇気を持てと鼓舞する。ここまできたのだからあとは自分を信じるだけだと。

 定刻7:00。号砲と共に第39回宮古島トライアスロン大会の幕が開く。歓声が上がる。皆につられるように海に入り数歩進んで水へ飛び込んだ。始まった。澄明な海水が浅瀬の隅々を鮮明にする。海底の砂の様子までもが手にとるようだった。
 お約束のバトル。もみ合いながら沖へ向かう途中、今回はゴーグルが2度もずれた。そのうち1回は盛大に外れ立ち泳ぎながら装着し直した。何事もないように冷静に対応したが、改めて思うと我ながら感心する対処だった。

 1周目は27分台と想定以上だった。気を良くして2周目はコースの内を突いてブイに沿って進んだ。流れが強烈だとブイやロープに途端流されるのだが、潮流はそうでもなかく一定の距離を保つことができた。
 海底の様子がよく見えるのでヘッドアップで前方を確認しつつ珊瑚の形状や特徴を重ね合わせ進行した。ヘッドアップとブレスの数を軽減、顎を引いて頭頂のセンサーで水面を感じストリームラインの形成を心掛ける。他選手との接触さえなければ普段のプールスイムの練習みたいだった。
 終盤、浜に設置されているオレンジの三角錐のポール目掛けていたら、ややコースの外側に膨らみライフセイバーから方向修正の指示をもらう。
 目論見通りにスイムを終え砂浜に立った。無事に泳ぎ切った安堵を感じ、スイムフィニッシュ地点まで小走りで進む。息を弾ませながら背中に忍ばせた補給で海水で塩辛くなった口直しをした。
(スイムアップ57:06)

 シャワーでウエットを脱ぎバイクラックへ向う。両手に荷物を持っていたのでエイドはスルー。自分のバイクに到着し両手の荷物をスイムバッグに突っ込んだ。DHバーに掛けたメット、ネッククーラー、ゼッケンを順に装着、ラックからバイクをおろし裸足のまま乗車ラインを目指す。
 ラインを超えたところでサドルに飛び乗ろうか迷ったが、周囲に人がいたので接触を懸念して一時停止。右脚でバイクを跨いでビンディングに装着済みのバイクシューの上に脚を置き、ペダルを踏んで助走する。サドルに跨ってペダルを回しながらシューズに脚を入れる。
 東急からコースに出ると補給ボトルを口にした。かけ水も使う。自身の状態を鑑みながら次のエイドまでにボトルをひとつ空にすることを忘れなかった。

 薄雲っていた空がいつのまにか青空になる。雲はいつも風に乗っている。ぼくらはバイクで移動する。とにかく天気はよく変わる印象だ。太平洋に浮かぶ島国ならではの気候だろう。
 平良(ひらら)では沿道から「ワイドー」といくつもの声援が飛んだり、トントントントンと乾いた太鼓が鳴った。シャァァーと鳴るアスファルトとタイヤの摩擦音が耳に心地いい。
 不意に空から雨がぱらつきヘルメットのシールドに水滴がつく。そこに陽光が反射して視界を妨げる。それも悪くなかった。DHバーを握りながら右手でシールド水滴を拭う。眼前のアスファルトが濡れて光る。いくつもにきらめく光の中を知らない道路を愛車と共に風を切った。ペダルを踏むのが楽しかった。宮古島の天気と人々の応援に乗った。いくつかの瞬間ごとの風景を想起できる序盤だ。

 池間へ向かう直線は風に押されて背中に翼を得る。ぼくは調子に乗り過ぎないようにセオリー通りのペダルに終始する。ペダルを踏み込むのほんの手前のところでもう片方の脚に意識をやって同じようにペダルを踏む。それらを交互に繰り返す。左右に踏むリズムがケイデンスとなり、背中の翼と合わさる。ギアを上げてリズムを自分好みにする。ハンドルや体重移動を気にしなくて良いところではチェーンがアウターに絡め取られる想像をする。
 Garmin(サイコン)の示すアベレージ速度が気分を上げる。冬期間のバイク練はもっぱらジムのエアロバイクと筋トレで屋外の実走は直前の2度だけだった。この感じだと練習は間違ってはいなかったようだ。以降のバイクとの関わりについて想像すると楽しみしかない。
 無数にある短い上り坂もセオリー通りサドルポジションを変え踏破する。下りはフルクラム(ホイール)に仕事をしてもらう。DHばかりを握るのでなく下ハンも使う。走り終えたので言える台詞だが、長いようで短いバイクパートだった。ペダルに集中、というか没入できていたのかもしれない。

 再び平良を通過する頃には午前中内のランスタートを意識した。そしてあまりにも無事にこれたので、突如として起こる厄介にに巻き込まれないよう、周囲をよくみて慎重にペダルを踏んだ。
 (バイクアップ3:51:03)

宮古島トライアスロン当日編①

 レース前夜というのは興奮や不安に苛まれることがしばしばで、ぼくは簡単にそれらに呑まれる人間だ。慎重に事を進めていたつもりだが、ここにおいて殆ど眠れずに大会当日の朝を迎えた。睡眠不足というのは少なくないのだが、ここまでひどいのは初めて佐渡大会に参加したときに匹敵する。
 あれから遠に時間は経ちそれなりに経験を積んできたのだが、根本にある性質はそう簡単には変わらないだろう。気持ちが入るほど一方では抗う力が作用する。用意した入眠剤の効力はほぼ無効化し、時間を空けて追加で服用したが効果はわずかだった。部屋の気温、湿度、物音、寝具との相性、ぼくを取り巻く環境も上手くなかったのかもしれない。
 そしてもっと最悪なことは相部屋の方に多大な迷惑を掛けたことだ。この場を借りて彼らに今一度謝罪したい。たいへん申し訳ありませんでした。

 過度な睡眠不足でトライアスロンに臨めるのかと問われると答えに窮するのだけれど、これまでの経験では興奮が優って眠気を感じることはないが、思考能力や判断力の緩慢というべきか、気持ちが陰に入り易いというのも忘れてはならない。
 今回はこういう不利な状況に落ちても、なにかを諦めようとまったくは考えなかった。トライアスロンの悪魔との契約は継続中とでもしておこう。

 そんな状態で迎えた大会当日の朝3:30。ベッドから身体を起こし身支度に掛かる。ひとり朝食をかっ込み(朝ごはんは皆で食べようねと言っていた張本人が!)、手荷物の最終確認を行う。
 トライアスロンは荷物の準備が少なくはない。何度も大会に参加しているので準備の慣れはあるが性格上複数回の確認をおこなう。準備の肝は、ずばりどれに何が入っているかの認識だ(定物定位)。ぼくは競技の順序で上から下に向かって確認するのを毎度の作法にしている。本大会はトランジションが2箇所なので荷の分別に心を砕く必要もある。
 最終確認を終え今一度ベッドに横たわり、出発の合図があるまで身体を休める。満腹感も手伝ってほんのわずかな時間だが意識を失った気がした。

 5:00を回った頃、宿を出る。この日のために駆けつけてくれたスーパーサポーター3名と彼らが作った応援旗、そして我らがチームテチの選手総勢5名で出発前の記念撮影。
 この宮古島滞在、そして本命のトライアスロンを隅々まで楽しもうとする彼らと一緒で本当に良かった。ぼくのだらだら続く終らない話に確かな句読点を打ち込んでくれるようだ。何を得るかではなく何を与えられるか。彼らの根っこにある無意識的行動規範ではあるまいか。彼らと再会するたびに温かい気持ちになり敬意を払わずにはいられない。

 車2台に分乗してスタート地点(スイム会場)へ向った。ぼくは移動中も目を閉じていた。軽バンの後部座席なのでちょっと窮屈だった。時々、目を開けて窓の外を眺める。雨に濡れたガラスに前を走る車のテールライトが滲んでいる。この時間の車なのだからきっと同じ目的なのだろう。未明の空、街灯は乏しくあたりは真っ暗だった。

 東急ホテルリゾートの競技会場の入り口はアスリートの送迎の車で混雑していた。闇夜に人がわんさかいるのは違和感しかないが、これまで何度か目撃したことのある光景で既視感に近い感覚があった。前方にみえるバイク溜まりを煌々と照らすいくつかの照明が、準備する選手達の輪郭を描いている。ざわざわと物音に声が静かに聞こえる。これぞ宮古島大会早朝の1ページ。ぼくらは車を降り忘れ物がないか確認して両手で荷物を持った。「頑張って」と声をかけられたので「いってきます」と言葉を返し頭を下げた。

 バイクラックへ赴き自身のバイクを点検する。照明の灯りが届かない場所なので持参したヘッドライトが頼りだった。夜露対策のバイクカバーを外し補給剤、ヘルメット、ゼッケンベルトにネッククーラーをセットして、スイム道具をしまう用に配られた白い袋を備え付けのフックに掛ける。これでバイクトランジションでの支度は完了する。
 前日のバイク預託の際に決めておいた場所で仲間達と合流する。空が白んで周囲が輪郭を取り戻す頃、会場のアナウンスが大会実行決定を告げた。どよめきと拍手が起こる。予定通り競技が開催されるのだ。ぼくはデュアスロン用のシューズをレースフィニッシュ用の緑の袋に入れて自衛隊のトラックに預ける。

 参加する5名のチームメイトと互いの指を絡め輪を作る。副キャプテンの掛け声と共に「あんぜんだいいちー」と元気よく声を上げる。長い1日がはじまろうとしていた。ぼくはスイムチェックを通過して宮古ブルーの海と白い砂浜へ降り立った。(つづく)

宮古島滞在記2025.4.17~19

 宮古島へ向かう空港の売店で買った超有名キャンディの包みに「止まない雨はない、噛めないハ◯◯ュウもない」とあった。商品開発とコピーライターのちょっとした遊び心だろうが、こういうことこそ人の心を豊かにするのだとぼくは思う。余白や空白を埋める遊び。ぼくにとっての宮古島行きは日常に空白を設け心を広く豊かにするためのアソビなのだ。

 今は19(土)午前。滞在3日目。多湿の環境に幾らか慣れてきたと思う。今も曇空だが風がそよいでいる。
 現地入りした木曜は雨で宮古到着時にレンタカーを駆って(ナビなし笑)、初めて宮古島の道路を運転、スマホをナビ替わりにするも迷いながら宿に到着する。宿にチェックインした際、部屋のすえた匂いが強く鼻を点いた。湿度のせいだろう。我が家も獣臭が酷いので他所のことは言えないが、想像していた南国の海風吹く清々しさとは、あまりにかけ離れていることに萎えた。1人ぼっちというのも応えた。
 競技説明会のある18(金)。午前の早い時間に仲間を宮古空港に迎えに行くという課題をこなし、皆がバイクを組み立てたり準備をしている間、ぼくは伊良部島大橋までランニングに出かける。宿は平良(ひらら)にあって伊良部大橋まで片道約3km。走りはじめた途端、ぶ厚い雲が散霧して強烈な陽射しが降り注いだり、急坂のアップダウンに出くわしたりと大汗のうえに顎が出てしまう。
 競技説明会までには十分時間があるので、宮古の副キャプテンの知り合いへの挨拶回りやチームメイトのご実家訪問に同行。お土産を携えそれぞれのお宅にお邪魔する。それぞれの会話が感慨深く、ほんのり地元の人びとと交流を持てたひとときだった。夕方、大本命の競技説明会に参加してこの日の予定を終える。いまひとつ盛り上がりを欠いたが悪くない会であった。

 そして今朝はひとり伊良部島をバイクで1周。曇り空の下、やや風が強かったが2019年のバイクコースの一部をトレースして、いくつかの港へも赴いた。急坂があってバイク練習としては十二分に刺激的だった。橋のたもとにある道の駅で休憩して観光気分も味わえた。午後はバイク預託。確実にレースの時刻が刻々と近づいている。