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2026年8月18日火曜日

いろいろありすぎた今年のお盆 2026.8.10~8.16

★トレーニング備忘録
8/10(月) 終業後のジム、エアロバイク。漕ぎはじめて20分ほどで低血糖状態に陥る。しばらく我慢していたが意識がぼんやりするので、あわててロッカーに戻り持参しているジェル補給を口にして事なきを得る。夕方のトレはときどきこれが起こる。ここでトレーニングを終了とする。

11(祝) 午前の早い時間からロード走。曇り空のお陰で外気温は27℃。観測史上初の進路をとる台風15号の影響だろうか。おかげで涼風を感じるランニングとなった。
 キロ6分10~30秒くらいのペース30㎞程踏むつもりでスタート。しかし、こういときほどトラブルに見舞われるようだ。走りはじめた早々につまずいて転倒、受け身をとって大事には至らなかったと思いきや、両手のひらと肘に擦り傷ができてそこそこの出血。立ち上がると右の大殿部が痛い。
 衣服に血が付かないように気をつけながら走る。流血と傷みが伴い流石に何事もなっかったという訳にはいかなかった。けれど時間経過と共に放出されるアドレナリンやらなんやらが勝って痛みは和らいでいった。
 実戦さながらに早め早めの補給を入れていたが、何かで集中が切れてしまい結局20㎞走でヤメ。走っているあいだは右大殿部の痛みは大したことはなかったが、走り終えると痛み始める。視認すると派手な青あざができていた。横になると寝返りができない。まったくなんだかなぁ。
 ちなみに、午後は休日らしくお出かけへ。買い物と食事そして映画「Michael」を観る。キングオブポップスで気分はノリノリ。どうやら第2弾の製作が決定しているらしい。2000年代の彼をどう描くのか楽しみで仕方がない。

12(水) 職場の同僚の訃報に胸を衝かれる。昨晩から連絡は回っていたのだが、その知らせが届く頃、ぼくは既に就寝し(寝返る度びに痛みに悶絶しながら)、朝は自身のルーティーンに没入してしまい、大した内容ではなかろうと高を括ってメッセージの確認を怠っており、出勤してから知ることとなった。
 まったく言葉がでない。20年近く同じ職場で働き、ここ10数年間は定例ミーティングでほぼ毎日申し送りなどを行い闊達に意見を交わす間柄だった。話し上手で話題の絶えない人物だった。
 夕方、支度をして焼香へ向かった。時間は限られていたが大勢の人々が参列されており駐車場は混雑していた。式場に入ると祭壇の棺に横たわる蝋細工ような彼の姿を目の当たりにし、本当のことなのだと認識はするが、それでもまだどこかで信じられないでいた。
 唐突すぎる別れというのは感情を持ち去っていくのだろう。きっと彼もまだ自分が亡くなったことに気づいてないんじゃないかな。

13(木) 恒例のお墓詣り。今年は諸事情により家内と2人きり。早々朝から各所を巡ってお参りをする。途中合流したお義母さんとお墓に供えるお花の話題になり、その価格を聞いて物価高の波及に舌をまいた。
 そして一路、村上瀬波の海水浴場へ車を走らせる。新しいウエットを着用する海錬OWS。現地に到着したのは午前中で、陽射はまだそう強くなかった。陸は風が強かったが波は穏やかだった。帰省期間中なので人込みを覚悟していたが、砂浜にはいくつかテントが設営されていたが海を泳いでいる人はひとりもいなかった。

 早速着替えて砂浜からスタート、波消しテトラに沿って泳いだ。深さがあるので海水は温かすぎず冷たくなかった。テトラ群の切れめ、沖からの波が入る場所ではうねりがあり、そのせいだろうか水の透明度はぜんぜん高くなかった。しかし泳ぐにはまったく問題はない。
 新調したウエットは上々。これまでのものはサイズが小さかった。想像のはるかうえをいく泳ぎやすさで、いくらでも泳いでいられそうだった。概ね2㎞、約40分ほど泳いで自信を回復する。そこそこ遠出にはなるけれど、ドライブがてらにまた訪れたいと考えた。
 そして。この日も亡くなった同僚について感慨に耽った。もちろん、泳いでいるときも。しばらく頭から離れないのだろう。

14(金) 出勤日。通勤電車は「千と千尋の神隠し」の湯婆の姉さんだったかしら?の家に行くようながらんとした車内に連休を感じる。翌日の佐渡行きの準備もあり、この日はノートレ。

15(土) 始発フェリーで佐渡両津港へ。今回の目的は9月のトライアスロンのバイクコース佐渡1周190㎞の走破だった。
 両津港に到着。バイク完成車での搭乗で最後の下船となり、上陸したのは到着時刻からずいぶん遅れた。ぼくは荷物の詰まったトライリュックを背負い、自走で宿泊先の河原田を目指す。
 容赦ない陽射に照らされながら、お盆を迎えた佐渡の風景を眺めながらペダルを踏んだ。この時期に佐渡に訪れるのは初めてだった。観光客はもちろん、この島から出た多くの方々が帰省されているのだろう。佐和田へ向かう国仲バイパスでは車が連なって走っている。間違いなくいつもより交通量が多い。
 宿に荷物を預かってもらいスタートの佐和田海水浴場へ移動する。補給材は本番を想定して準備していた。定期的かつ状況に応じて補給をしようと考えていた。バイクボトルは道すがら適宜補給しながら進むつもりだった。

 9時40分スタート。足慣らしは自走で充分できているので出だしは好調だが、ちょっと頭痛がして体調は万全とは言えなかった。しかしこの機会を逃すわけにいかない。実走での気づきは間違いなくアドバンテージとなるだろう。それと直近、3種目のどれも正距離をこなしていないというのは本番での自信を欠いてしまうだろうから、頭と気持ちのためにもなんとしてもやり遂げたかった。

 スタートからの二見、七浦のトリッキーな上り下りはバイク(機材)に頼った。どこまでも楽をしようと目論んだ。
 相川の街に差しかかる頃には陽射はカンカン照りのうえ向かい風になった。風はとてもぬるい。日向で減速しようものなら秒でうだりそうだった。
 尖閣周辺は平坦道。ひまわり畑で観光客と思われる人々が撮影している。そんな風景を横目に落ち着ついてペダルを踏んだ。平根沢の坂のピークにあるトイレで水補給と用を足す。
 高千。ここからZ坂までは平坦道が続く。途中、小野見の知り合い宅を訪問するという小クエストが設けられていた。Googleマップで確認した目印を探しながらペダルを踏む。向い風がさらに強くなり、強い陽射と合せ容赦ない。風は変らずにぬるい。先月、ここを通過したときは追い風で涼しかったことを思い出す。今日は真逆。ここでへばりたくないので、とっておきの補給を入れる。ちょうど口にしているときに目印を見つけ停車。連絡して知人と合流し、ご自宅の軒先で冷たい補給をゲット。ここまで1時間半とちょっと、無事、クエストを完了しこれこれで胸をなで下ろした。

 バイクに跨る。この休憩が良かったようで体調不調も晴れた。まもなくZ坂が見えた。坂にかかったところで、ギアをすぐにインナーに入れ、スパイラルカーブに沿って上った。普段ならトンネル手前で写真撮影ぐらいはするのだけれど、このときは停車せず坂の感触を確かめながらそのまま進んだ。
 大野亀(スタートから67㎞)の意地悪な坂を越えロッジで下車して水分補給。手持ちの補給ジェルを口にしながら弾崎を回り、外海府別れを告げ両津を目指す。ここから一転、追い風に乗った。上り下りがあってトリッキーな場所のイメージがあったが、風に助けられて余力をもってAve.を稼いだ。ボトルの掛水が力を繋ぐ。有名なダイビングスポットは、みたことのないほどの大勢の人が集っていた。また集落ごとにある公民館では、提灯が飾られて夕方あたりになにかあるのだろうかと想像させられた。お盆ならでは光景か。

 両津港ターミナル(102㎞、時刻にして14時ちょい前)で「されどおにぎり」さんの塩ムスビをほおばりつつ、ボトルを満タンにする。振り返るとこのおにぎりがかなり力になった。2個食べてもよかったかもしれない。

 小佐渡に突入。走り馴れたコースだ。サドルの上で指折り数え、17時前には佐和田に戻れるかなぁと期待した。追い風に乗れればいけるかもなんて考えてしまった。
 両津の海岸線で小トラブルに見舞われ下車。しかし難なく納めて再び走りだす。天気予報によるとピークに近づく時間だった。陽射がきつく感じる。真木の坂も最初からギアをインナーに入れて必要以上にハァゼィせずに終えたのでひと安心する。
 水津を抜けたところで、大佐渡のような追い風を期待したもけれど、さほどの恩恵はなかった。このあたりから小木までの間、水分補給のあてが思いつかなかったので手持ちを大事に使うことにする。

 岩首、多田(オダ)そして赤泊。淡々と無心でペダルを踏んだ。お尻が痛い。サドルポジション変えが頻繁になる。両津港下船直前にシャモアクリームを大量に塗ったお陰で股ずれはまったくなかった。本番はどのタイミングで塗り込むべきか考えあぐねるが、バイク直前がいいのだろうか?

 小木に到着。たらい船乗り場(155㎞地点)でボトルをすべて満タンにする。手持ちのジェルは残り2つ。すでに16時を回っていた。思いのほか時間が掛かっていた。
 小木坂にアタックを開始。脚に力が残っていなかった。それでもバイクのおかげでゆっくりだがハァゼィせずに坂を上った。ここを過ぎればなんとかなるだろうと思ったが、残念なことに風は向かい風に相殺され、羽茂区間ではスピードには乗れなかった。それと同時ペダルを踏む力が足りなかった。
 羽茂?の山間部を抜け海岸線に向かう長い下り坂に期待するが、前を行く乗用車が予測不能な動きをして、坂に身を任せることがきない状態で三川の坂を迎えた。
 これは修行なのだ、試練なんだと軽いペダルをクルクルまわして坂を上った。ペダルを踏む脚には力はなかった。ふと振り返ると夕暮れの空、斜陽に照らされた海を背にしていた。この時間帯この場所でバイクに乗るのは初めてだなと思った。絶景の美しい夕日だった。いつか観光で訪れたいと思った。
 坂を越え真野へ。風は真正面から吹いている。ドラマの撮影で使われて聖地化したバス亭に女性が数人群がっていてその横をバイクで通過する。

 八幡へ。本番ではこのバイクのあとにランが待っていると思うと不安しかない。このバイク走の後あと、少しでもランシュを履こうと決める。
 残り5㎞。補給を口にせずにはいられなかった。Ave.速度がこれ以上落ちないようにペダルを踏んだ。そして17時20分、出発した佐和田海水浴場に戻ってきた。(ネットタイムは6時間50分、27.5㎞/h)

グロスタイムは 7時間40分

 宿に戻って、ランシュを履く。僅かだが走って感触を確かめた。案外、脚の疲労感みたいなものはなく、やんわり入ればいけそうだった。これがバイク(シナプス)の効果なら嬉しいかぎり、機材の選択や見立てに間違いがなかった。

 実走の走破タイムの見積を大きく誤って、友人らとの約束の時間を超えた。慌ただしく後片付けやら、ついでに翌日の支度をして皆と合流する。本番について考えを巡らさずにはいられなかったけれど、計画通りこなした充足感に満足した。
 ずばり気づきは補給の量とタイミング。取捨と増量を組み立てたい。

16(日) 朝6時。Aタイプのレーススタート時刻に合わせて佐和田の海水浴場へ。ノーウエットだが沖へと泳いだ。ウエットは持って来ていたのだが着るのが億劫になった。海面は穏やかで静かだった。水温はちょうど良かった。目視で海底がみえるところまで行ったり来たりしていると、佐渡の友人が合流した。 
 宿に戻り、おもむろに着替えてランへ。7時半を過ぎていた。すでに陽射が強くなって、先ほどまでの涼しさは潜んでしまっていた。ランコースを1周しようとスタートしたのだが、陽射と汗に負け半周で折り返す。そんなこんなでアクテイブレスト風の佐渡の朝を堪能した。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
8/10(月) 夕 エアロバイク13(30) アクティブレスト
11(祝) 朝 ロード20(128)
12(水) 休養
13(木) 午前 OWS2.0(40)
14(金) 休養
15(土) 午前 佐渡 バイク20(46)、バイクコース189(ネット 6時間54分)
16(日) 朝 佐渡OWS1.0(20)、ロード5(32)
8/10~8/16(km)…S3.0、B209、R25・Re.3

2018年1月16日火曜日

さらば、麻礼。

 昼休み、ボケーとしながらヤフーニュースを眺めていたら、突然目に飛び込んできた。漫画原作者・狩撫麻礼の訃報である。
 僕にとっての狩撫麻礼は「迷走王・ボーダー」「ハード&ルーズ」だ。
 他のペンネームの作品もだいたい読んでいる。まぁ、どちらかと言えば狩撫麻礼の方が好みである。

 ※参考 https://brandnew-s.com/2018/01/15/kribumarei/

 10代後半の僕にとって、ある意味において本当の「大人の漫画」であり生き方の選択であり、当時のバブル絶頂の世相と反する、光の当たらない場所の日常は反逆的でリアルなファンタジーに映った。
 金やモノでは満たせない魂を揺り動かすような何か、たとえば人生を変えてしまうほどの力を持った音楽、拳闘(ボクシング)のルールに則りながら生死を掛ける世界観、無為こそ脅威とする虚無(ニヒル)思想、その当時まさに廃れていこうとする価値観を提起しながら大人の男の焦燥や孤独のようなものを表現していた。

 どの作品をとっても根底に流れる精神は普遍であり、読み手の僕はそんな漫画を読んでいること自体、特別なかっこよさを感じていたものだ。
 いまでも「ボーダー」は大切に保管してある。できれば子供たちが高校生くらいになったら我が家の本棚にこっそり並べようと思っていた。
 時代背景がイミフで、理解できない台詞が散りばめられた変な漫画としか思われないかもしれない、が、それでも我が家では彼を読み継ごうと思うのである。ノスタルジアではなく希望のファンタジーとして・・・。
 合掌。

2016年1月29日金曜日

友よ、さらば。

 初対面は会社の営業会議の場でした。僕は新参者で彼は古参。経験という名の彫刻刀で彫られたような彼の面構えは一瞥して近づき難い雰囲気がありました。のちにこの初見の感想のことを彼に話すと、彼は彼で僕を見て恐そうな奴が現れたなと思ったそうです。
 それが彼との出会いでした。
それから時は流れ、同じ職場となり毎日顔を合わせるようになりました。業務上、連携することが多く、職位は同じ、年齢もそう違わなかったこと、そしてなによりも彼の強面から時折覗かせる屈託のない笑顔のおかげですぐに打ち解けることが出来ました。

 お互い時間を見つけては他愛のない話題に花を咲かせました。共に過ごした時間は多くはなかったかもしれませんが、僕にとって気の置けない同僚の1人でした。
 彼との会話で特に記憶しているのは、彼の次男くんの話題です。当時、小学生だった次男くんは、興味を持ったことにあたり構わず没頭するらしく、そんな彼にまつわる幾つかのエピソードを面白おかしく語りながら、息子のそばに出来る限りいてやりたいんだと話していました。そのとき彼が家族を大事にする父親に映りました。ただし言動が一致していたかは定かではありませんが・・・。

 いつしか彼は起業を決断し職場を去ることになりました。それとなく聞かされていたのですが、その実行を知った時は尚早ではないかと思いました。
 当時の職場は新しい体制で立ち上がってまだ間もなかったこともあり、ちょっとしたことで揺らいでしまうような脆弱さがありました。そんな中だったからこそ卒なく業務を遂行する彼の存在は大きく、彼を失ってしまうことは組織にとって大きな痛手に感じました。しかし彼が考え抜いた上での決断だということを良く知っていたので気持ちよく送り出すことにしました。そんなとき彼は僕に忘れられない一言を放ったのです。
「あなたのような人がいればこの組織はきっと大丈夫」
 信頼を寄せる彼からのその台詞が、後の僕の原動力になったことは言うまでもありません。

 昨年12月、遅ればせながらお見舞いに伺い、久しぶりに顔を合わせて近況報告をたっぷり話すことが出来ました。また期せずして成長した次男くんともお喋りすることも出来ました。彼の横たわるベットを挟んで盛り上がる僕らを見つめ、相槌を打っていた彼の姿をつい昨日のことのように想い出すことが出来ます。
 退院したら見舞いに来たみんなの処へ自分から挨拶に行くんだ、という彼らしい目標を聞いて安心しました。きっと近いうちに、よう!とか言いながら少しはにかんだ表情で僕らの前に現れるのだと信じていました。
 これから彼のことを想い出したときこそ、彼が会いにきてくれた時だと思うことにします。
 安らかに眠ってください。
 合掌。

2013年10月23日水曜日

ベイビーアイラブユー

 ベイビーアイラブユー / TEE
 このラブソングを知っているだろうか?ぼくは今年5月結婚式の二次会にて、新郎の妹さんのパフォーマンスで初めてちゃんと聴いた。
 歌詞を新郎新婦の出会いから結婚に至るまでのストーリーにアレンジし、そして自作の映像を合わせたものだった。クオリティーの高さに会場がどよめいた。二人を祝福する彼女の想いがたくさん詰まっていてクールで、とびきりチャーミングなパフォーマンスだった。ぼくの心に強い印象を残した。

 その彼女が逝ってしまった。 体調を崩して入院していることは耳にしていた。あの快活な姿からすぐに回復するものだと思っていた。突然の知らせに絶句してしまった。悲しい知らせはいつだってぼくらを待ってくれやしない。
 ベイビーアイラブユー。
 きっとこれから、この曲を聴く度にあのライブのことを、あの姿と歌声を思い起こさずにはいられない。

 Baby I love U ,I love U ,I love U 何度も
 Only one ,Only one 感じあえる
 You always on my mind 強くなる
 全て 大切に思える
 I love U ,I love U ,I love U これからも
 Only one ,Only one 変わらない
 I always by your side 見上げよう
 二人だけの空 ずっと ずっと

 ぼくたちはただ彼女の冥福を祈ることしかできない。
 合掌。