2024年4月24日水曜日

2024年4月 宮古滞在記④ バイクからランDNFまで

 スイムアップした浜から、バイクラックまで道程は結構に長い(まことしやかに500mぐらいあった言われているが確かではない)ので、この間を利用し、ぼくはトライスーツのバックポケットに忍ばせておいたCoda(コーダ)とVESPA(ベスパ)2つの補給を入れる。口の塩辛さに耐えられず、砂浜エイドのコーラに手が伸びてしまったが、口の中のをすすいでくれるのは甘い飲み物などではなく水だとシャワーで感じた。

 バイクにたどり着きウエット下を脱ぐ。少し手間取ってしまう。脱ぎにくいのは織り込み済みだが、そろそろ新調した方がよいかもしれない。年齢を重ねたらウェットは少し大きめの方が良いと耳にした。額に大きくベテランの文字が刻まれたような妙齢の御仁がおっしゃっていたのを思い出す。
 やおらスイム用のビニールバックにウエット上下をしまい、バイクをラックから外す。さぁバイクだ。

 バイクシューズはビンディングに固定、輪ゴムがけしているので、素足で乗車ラインまで進む。乗車のすぐ先が上り坂になので、助走でサドルに跨るのを止め、ラインを超えたところでよっこらしょっとサドルに腰をかける。シューズに足を突っ込んでペダルを踏む。沿道からは、早くもヘルメットに装着した造花の感想が聞こえてくる。次々に女性の声を拾う。エグいぐらいに。花の感想がぼくへの応援に聴こえ、気分はすこぶる良かった。ペダル捌きに力がこもる。
 ヘルメットやランキャップに一輪の花を立てる(生ける)というチームテチのドレスコードにはキャプテンのアイデアらしい。
 取り立てて眺めるところもないような緑の生垣に、突如現れる赤いハイビスカス。宮古に訪れてから何度か目撃する風景だ。トライアスロンの観戦で、観客やボランティアの目を楽しませる幾ばくかは専らコスチュームとバイクだろ。歌舞いたド派手な衣装というのは無理だけれど、こういうささやかなのは、ぼくにもできる。目立ちたいということでなく、コミニケーションの手段として活用するところが素晴らしい。

 東急リゾートを出て、ほぼ追い風に押され平良(たいら)、下地(しもじ)といった街を抜ける。このあたりには沿道の声援が多く、スピードに乗っているので妙に心が踊った。ここでも花のおかげで声を掛けてもらえた。サイコンがないのは、まったく問題にはならなかった。自身の脚の感触のままに、少し重目のギアをグイグイ踏んだ。平坦に追い風のバイクコースを楽しむ。
 陽射しが強くなってきた。装備した3本のボトルすべてに補給材を装填したが、やり過ぎだったようで1本は水が正解だった。身体にかける、あるいは口ゆすぎの水として必要だった。熱を帯びた陽射しは身体に応えた。
 
 風はアゲインストとなった。池間島を半周しことを知る。かなりざっくりとした表現となるが、ここから東平安名崎までは概ね向かい風にるのか。コース形状もそこそこの起伏が出てきた。スピードが落ちる。向かい風に抗いながら進んでいくと、副キャプテンとすれ違い、互いに手を挙げて合図する。緩んでいた気持ちが少し引き締まった。ぼくはアゴを引き前を見据えた。
 宮古本島の周回コースの分岐あたりは、コースの起伏と向かい風で、捌くのが難しい地点だと感じた。2周回目もここを通らねばならないのと思うと気持ちが萎える。

 無心でペダルを踏んでいたからだろうか、要所の記憶があまり定かでない。土地勘がないことも手伝って、漠然とした記憶と印象しかない。
 1時間半ほど経過したあたりから気になりだす左の股ずれ、東平安名崎の海岸の景色、いくつもアップダウンを繰り返すアクロバティックなコース、群生するようなリゾートホテル、来間島を示す標識、95kmの里程標などなど・・・。

 100km付近あたりだったか、ふっとバイクフィニッシュでDNFを宣言しようかと思った。涼しい場所で強炭酸のビールを飲む姿を想像して、なぜこんな苦しいことをやっているのだろうと自問する。辛かったのだろうか。もう止めにしようと考えた随分と心が軽くなった。熱中症気味だったのか。体調の良し悪しというのは、直接に気持ちに影響する。水分補給を怠ることはなかったが、後半はかなり危なかった。あと少し、もう少し。そう思ってペダルを踏み続ける。

 バイクフィニッシュ。降車してバイクを押して自らのラックに向かった。ボラの学生たちが誘導してくれる。それぞれに熱が入っていて真剣な表情だった。ぼくはバイクをラックに掛け、ラン用の赤い袋を掴む。さぁランだ、走ろう。バイクトランジションの出口付近に座ってシューレスを結ぶ。空になった袋を近くにいた迷彩服のボラさんに渡した。彼は会釈しながら袋を受け取ってくれた。
 バイクトランジションをでる。すぐ傍に立つエイドで必要な補充を受ける。コーラ、水、氷、スポンジ、オレンジ…。この辺りを手にしたと思う。始めの下り勾配利用して脚を前に出した。陽射しがきつく感じる。手に握る身体を冷やす用のビニール袋の氷はどんどん小さくなっていった。ペースが上がらない。すでにこの辺りから気持ちがかなり後ろ向きだった。

 沿道の応援の方から氷をもらい、ビニール袋に入れて手のひらを冷やす。走り続けようとする気持ちが手に持った氷のように小さくなっていく。立ち止まった。歩く。ぼくはDNFを決意した。
 1週間ほどが経過して思うところはいろいろあるのだが、なんとしても完走しようという気概が足りなかったのかもしれないし、そういう気持ちを担保する体調に不安があったともいえる。DNFは自分自身で選択、判断したのだ。誰に言われたわけでなく、ぼく自身で決めたのだ。
 バイクトランジションに歩いて向かう途中、つまり選手と逆方向を進んでいるあいだは別段、後悔の念はなかった。どちらといえば、かなりすっきりしていた。この大会自体に僕自身が思う以上に大変なプレッシャーを受けていたのかもしれない。

 ぼくはあれこれ考えすぎて遠回りすることが多い人生を送っている。けれどそれが自分なので仕方がない。効率的ではないし無駄が多いのかもしれない。そんな自分がみる光景を言葉に紡いで文字に落とせるのならば、この先、改めてこの文章を読む自分自身や、近しい人々にあるがまま伝わればそれでよと思っている。また来年必ず宮古へ向かおう。そして木曜入りして体調を整えて臨みたいと思う。(了)

2024年4月22日月曜日

2024.4.15~4.21 レース後の週

 さぁさぁ気持ちを切り替えトレーニングに臨もう。身体づくりをベースに3種目それぞれに課題を設けて、ひとつひとつ丁寧に対処しようと思う。具体的な内容は備忘録で触れていきたい。
 ところで、サイコンを紛失し、新しいもを買い替えるにあてってパワーメーター内蔵のクランクを導入することにした。それから、エアロバイクの購入も前向きに検討しようと思っている。ここのハードルは経済的金銭的に高いが楽しみのひとつとして熟考したい。

★トレーニング備忘録

4/15(月) 宮古からの帰路。沖縄で洪水警報が発令、宮古発の飛行機が大幅に遅れる。那覇から新潟には定刻通り。17:00前に空港に降り立った。

16(火) 終業後、宮古で紛失した道具のいくつかを購入して帰宅。少し筋トレ。ボールクランチ、サイドクランチ、ダンベルフライ。

17(水) 終業後ジム。バーベルスクワット60kg 8r×5s。スイムは板キック、ドリルを含め1.0km。

18(木) 終業後ジム。ダンベルプレス、ダンベルフライ、サイドレイズからエアロバイクへ。バイクは10分アップして3本タバタを入れてメリハリでやめ。さらにプールへ。リカバリーの肘、キックの膝などこまかーいところを意識する。途中、左の踝に違和感を感じたのでキリのよいところでヤメ。

19(金) 休養

20(土) 朝、少し早い時間にロード。いつものコースを2周回する。ちょっと左の足首が気になる。帰宅後、宮古の後片付けをした後、バイク持参でバイクショップに赴き、いくつかのお願いをする。
 次いでジム。エアロバイクとスイムで汗を流す。スイムはリカバリーの肘、スイッチ動作のそれぞれのタイミング、かつ適度なグラインドに気を配る。右に傾くのが苦手なのかも。この日の500m泳は8分53秒。この冬、実は9分を切れなかったのに久々のタイム。やはりフォームである。

21(日) ロード。アップジョグから10kmペース走。前半5kmは5分、後半の4分40秒台をキープ。その後、長めにスロージョグ。先週の日曜はDNFなだけ元気だ。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

13(土) 夕 ロード5(30)
14(日) 宮古島トライアスロン DNF S3.0(71)、B123(240)

15(月) 休養
16(火)  筋トレ(10) アクティブレスト
17(水)  筋トレ(10)、スイム1.0(18)
18(木)  筋トレ(12)、エアロ10(22)、スイム1.0(18)
19(金) 休養
20(土) 午前 ロード8(47) 午後 エアロ20(45)、スイム1.0(18)
21(日) 午前 ロード20(110)
4/15~21(km)…S3.0、B30、R28、Re3

2024年4月19日金曜日

2024年4月 宮古滞在記③ レース当日からスイムまで

 宮古島トライアスロンはバイクフィニッシュして、ラン2kmあたりでリタイアを決意しDNFを申告した。

 ある方から’’DNFを含めて最後まで頑張ったんだ’’という言葉を掛けていただいたが、ぴたっと腑に落ちる感覚を得て救われた。時間が経つほど、喉もと過ぎればで後悔の念が肥大しそうになるが、この言葉を思い出して自傷的妄想をとどめている。

4/14(日)

 レースの前夜も大汗をかいて2度着替えた。それに細切れの睡眠となってぐっすり眠れなかった。それでも努めて早く就寝したのでトータルで6時間ぐらいの睡眠時間は保てたか。

 午前4時に起床。前夜に買ったお弁当を朝食として腹にしまった。荷物の確認を行い未明の下地の街に出る。宮古島在住のMさんのブラザーに合流して会場まで送ってもらう。

 現在Mブラザーさんは16頭の牛を飼う農家を営んでおり、今日も仕事だそうだ。生き物に合わせて生活をするのでお休みはない。初対面だったが思い切って牛の取引について質問すると、想像だにしなかったいくつかについて話してくれた。大変勉強になる。乗せていただいた車には飼料や仕事道具も載っていて、彼の生活の一端に触れた気がした。


 未明の東急はトライアスリートでごったがえしていた。ヘッドランプを点けてバイクラックに向かい最後の準備を行う。なにもなければ空のボトルに補給材を入れるだけだった。

 バイクカバーに触れると気温差からくる結露だろう、カバーがしっとりと濡れていた。2019年に使ったカバーを持参したが、荷物になるので次はぼくも使い捨てにしたい。どうせ預託するのだから運営に準備していただいても・・・というのは贅沢か。

 タイヤの空気が入っていることを確認。大きくひと安心。メット、シューズ、村長(アヒルの呼び鈴)を目視する。サイコンは・・・あるわけないか。スイムフィニッシュ用の袋をラックのフックに掛けて支度は完了した。


 あたりはまだ十分に暗い。あっさり準備を終えてランの赤い袋、フィニッシュ後の緑と、荷物ひとつひとつを丁寧に確認してトラックに預け入れ、あらかじめ決めておいた集合場所へ向かった。チームの2人はすでに腰を下ろして待っていた。

 3人の集合写真を近くにいた方に撮っていただく。ちょうど陽がのぼり始める頃で朝日がぼくらを照らした。皆それぞれによい表情の写真だった。


 スイムチェックへ。スイムの会場へ向かう。すでに大勢の選手が試泳をしている。潮が左から右へ流れているのがひと目でわかった。ぼくはスタートする浜から50mの立体型の黄色のブイを目指して泳いだ。ストレッチタイムを長めにとると身体が右へ流されるのがわかる。沖へ出るほどに流れがキツくなることを知るのは本番を迎えてからだった。


 スイムは1,300人の一斉スタートだ。ただしプラカードに示される泳力の目安に応じて整列する。ぼくは完泳1時間以内と1時間後のちょうど境ぐらいに位置を取った。砂浜に座ってスタートを待った。そして定刻7:00、レースがスタートした。

 ついに始まった。海へ駆ける。ぼくはゆっくり海に入り、しばらく歩いてから意を決して海に飛び込んだ。海水は透明に透き通って、波打つ砂底が鮮明に映った。しかし、そんな感慨にふけるヒマなどない。早速バトル開始。なるべくやり過ごそうとするが次々と追い立てるようにやってくるスイマーには無力しかなかった。進行方向を見誤らないよう目印のブイを目視しながら、スイマーの群れに身を置いた。


 潮の流れのおかげで折り返しのリターンの黄色のブイまでは思ったほど時間は掛からなかった。ただし、折り返すと状況は一変し、潮の流れと波で進行を妨げられ、しかも相変わらずのバトルモードでなかなか前に進めない。地元の離岸流のきつい海の練習を思い出した。行きはよいよい帰りは・・・。進行方向の目印を見つけようにも海面が盛り上がって先が見えない。周囲を観察しつつ、こまめに前方確認を入れる。

 スイムコースの形状から復路は左側に寄った方が良いとは思ったが、間違って大きく流されると厄介なので右のブイの位置を把握しながら進んだ。結果1周回コースの真ん中あたりの浜に到達した。


 2周目。給水を済ませコースロープのギリギリを狙って再入水。しかしこれは完全な選択ミスだった。潮に流されてストロークごとに右の掻き手がロープに当たった。何度か試したが潮に身体が右に流されてしまう。諦めてインから離れるが、内側すぎないコースを皆がこぞって狙っていたようで接触が重なった。

 プレッシャーエリアから抜ける頃には左右ともにストレッチタイムを長めにとり、潮の流れに乗るイメージを描き楽をした。すると思いの外早くリターンのブイが現れた。

 

 復路。往路は自由に泳げていたのだが方向転換した途端、周囲にたくさんのスイマーがいることに気がついた。潮に流されて接触が度重なる。それにヘッドアップしても前方が上手く確認できない。他を避け、かつ潮に流され過ぎないようにと、小さいキックを追加して推進力にする。そして心拍をあまり上げないように搔きのピッチにも気を配る。ここまで一定のリズムで泳げていることに安堵を感じ、一刻も早く浜に辿り着くことを願った。進むにつれて海底の景色が変わる。白砂になればあと少しだと言い聞かせた。


 はやる気持ちと裏腹に潮に阻止されてすんなり砂浜には上がれなかった。ギリギリまで泳いで立ち上がると、右のハムと左の脹脛が攣りそうだった。

 前進で重力を感じながら、砂浜を駆け足で進む。時計を確認するとスタートから1時間10分が経過していた。距離が伸びることでの泳力の劣化もさることながら、おそらく潮の流れで余計な距離を泳いでいるのだろう。給水でコーラをもらったが、口にしたシャワーの真水の方がずっと旨かった。(バイクへ続く)

2024年4月 宮古滞在記②

4/12(金)

 17:05分宮古島空港に着陸。この便で訪れるトライアスリートはわずかで、明らかにそれとわかるのは片手程度だった。バイクの受け取り口で待機していると、新潟空港で見かけた方がいたので声をかける。バイク梱包はオーストリッチの肩掛けでとても重そうだった。
 ぼくを空港に迎えにきてくれているチームTechi(テチ)の副キャプテンに事情を話すと2つ返事で大丈夫よ~と4人で会場へ向う。やはり心強い。運転手をしてくださるMさんも超絶の笑顔でお出迎え。みなで再会を喜んだ。2人とは昨年12月の那覇マラソン以来だが、時間を感じさせない。人の手本を心得る人物たちだ。今回の宮古はこの2人と行動を共にする。

 会場に到着。ドーム入口付近に設けられた出店ブースに集う人影はそう多くはなかった。お陰で顔見知りを含め、ご挨拶を差し上げたい人々を次々に発見。はじめましてのご紹介もいただき気分は上がる。
 受付でリストバンド、トランジションの袋、そして参加Tシャツなどを受け取った。場内では、このあと予定している選手説明会や歓迎パーティーの準備やリハーサルが行われていた。
 この日の宮古の夕方は風が吹いていた。2019年のときもそう記憶している。時間につれてすでに夕方なのに陽射しの強さを感じる。新潟との気温の差がそう感じさせるのか。前回の参加ではこの気温変化をなんとか凌ぐことができたが、今回はどうだろう。風邪で体調を崩していたこともあり不安は拭えなかった。

 歓迎パーティーでは地元の料理が振舞われ、皆で腹ごしらえをした。話に夢中になっていてあっという間に時間は過ぎ、ぼくらは会場を後にした。宿は下地(しもじ)のゲストハウス。車で数分の距離の場所だ。
 宮古入りの初日は、期待と不安が入り混じりながらも高揚が抑えられずに興奮してしまった。宿では声が大きかったようでお叱りを頂いた。猛省。それでも懲りないぼくらは、笑い声をおさえながらひそひそと話を続け、宮古の初夜は更けていった。


4/13(土)

 なかなかの寝汗をかいて2度着替えをする。びしょ濡れだ。布団も当然湿っている。着替えが早々になくなったので朝、洗濯機を回す。滞在2日目にして洗濯物を干すとは思いも寄らなかった。完全に想定外だ。
 寝汗は身体の熱を取り除こうとする副交感神経のはたらきのひとつだ。暑さに順応するための反応なのか、それとも風邪を引きずってのことかはわからない。気を張れているので倦怠感や寝不足感は少ないが体調への不安は拭えなかった。

 早い時間に目が覚めてしまったので折角なので、バイクを組み立てて試走に出たが、即迷子になる。土地勘のないぼくにとって今回のお宿は、入り組んだ路地の一角に位置しており、地図の苦手なぼくは寝汗以上に冷や汗をかいた。
 みなで簡単な朝食を済ませた後、バイク預託まで十分に時間があるので宮古プチ観光を2人にお願いする。「伊良部島大橋」を通り、「通り池」や宮古島でもっとも綺麗だといわれる海岸を散策した。おっさん3人だが心の底から楽しい。移動中レース参加とおもわれるロードバイカーを何台かみかけた。宮古を訪れたなら伊良部大橋は誰もが走りたいと考えるコースだ。初めてこの橋を渡った光景は今も忘れられない。
 この伊良部大橋は、伊良部の村長のひとことからはじまったんだよ、と助手席の副キャプテンから聞かされる。島の人びとの熱が橋を架けたらしい。裕福な時代の産物だと思った。
 砂山」へ歩いていく途中、草むらでみた目が蛾のような蝶々(ベニモンアゲハと言うらしい)が、桜の花びらが舞い散るように草叢をハラハラといたるところで舞っている。
 砂山の砂浜の砂の粒は手に触ると粉のように微細で、星の砂が手につくこともあるとMさん。ビーチに寄せては返す波の音が穏やかな時間に規則性を生み、どこからかサンシンの弓の音が聞こえてくる・・・。地元のガイド(Mさんは宮古出身)のお陰でぼくは大いに観光気分を味わうことができた。

砂山ビーチ

 午後、バイク預託会場へ向う。宿から10km程度なのでアップもかねて自走だ。漕ぎだしから滝汗だ。気温に適応できていない。午前中のプチ観光の途中、暑熱順化のはなしを2人にして、車中のエアコンを切って天然クーラー(車窓を半開きで)移動してもらったりしたが、まだ時間が掛かりそうな気配だ。
 そしてこの道すがら、サイコンを紛失してしまった。装着の仕方が甘かったようだ。自分なりに手を尽くしたが見つからない。2人の協力を得たが、やはり見あたらなかった。
 副キャプテンいわく、サイコンないとおもしろくないだろう、それはまさにその通り。ケイデンス、速度が判った方がいい。けれど、ガーミンがあるからたぶん大丈夫、と返答しながら、腹を括った。

 遅い昼食を食堂でとる。宮古ではじめての外食だ(パーティー除く)。微塵の飾り気を感じさせないその食堂は、おばぁ一人が切り盛りしているようで完全セルフ。幼子を連れた夫婦や若い人たちがテーブルに着いていた。ぼくらは小上りに陣取って、皆で味噌汁とご飯を注文。こちら沖縄の味噌汁は具沢山で牛肉や豆腐に野菜などもろもろ入っていて、昆布だしがとても利いている。
 Mさんに、他もだいたいこういう感じなの?と質問すると、具はさまざまと教えてくれた。それがこの味噌汁らしい。想像以上に口に合ったけれど、ご飯は少し残してしまう。

 必要なものの買いだし、ランコースの下見など、宮古を知りつくす2人すべてお任せして、ぼくはくだらない話をしながら、車窓から街並みを眺めたりして観光気分を味わっていた。見るものすべてが興味をひいて新鮮だった。南国の街並みの風情は、低層コンクリート造りの建築物に時間のヤスリが掛かっていて灰褐色の硬質感がある。そこにビビットカラーが施されることで特有の色彩感が生まれるのか。ぼんやりと街並みを眺めていても飽きなかった。このまま宮古観光でもいいぐらいだ。しかし、そうはいかない。翌日はレースだ。それを思うと期待と不安は募るばかり。共に行動する2人も実は似たような感覚なのかもしれない。弱音は禁物。後部座席のぼくは努めて笑いを誘う会話を続けた。

 夕方。ひとりで宿から伊良部大橋に向って30分ほどランニングをした。平良(たいら)港のバイクコースの一部をトレースする。観光と思われる人々や地元の方の散策といった、宮古の何気ない街の光景を垣間見た。そういう何気ない風景の中を走るのはぼくは好きだ。滝汗を流しながら、いつかレース以外で気楽に滞在してみたいと思った。(つづく)

2024年4月17日水曜日

2024年4月 宮古滞在記①

 ついにやってきた。宮古島へのフライトだ。

 渡航が近づくにつれ、ぼくはレース対策に神経を砕くより、モノの準備とか持っていく方法に力を注いだ。トレーニング部屋にモノを集結させ、あれこれ吟味し引き算をしてコンパクトに荷物をまとめる。思いがけず普段使いしているミズノのリュックが活躍する。これには大いに満足だった。
 話題は一変するが、今回はいくつかの課題をこなさねばならなかった。まずひとつがエアのチケットの取得だ。大したことではないと高を括っていたのだが、そうはさせないのが世の常だ。
 宮古島トライアスロンの参加受付の最終日に移動するのに、時刻に間に合わないとういう由々しき問題が発生。最初は運営の配慮と理解で解決したのだが、エアの時刻改変に伴うさらなる時間遅延についてはそうはいかなかった。これはいけないと出発の10日前だったがエアのチケットの全てを取り直した。
 ハードモードだったが「旅慣れた御仁」から知恵をお借りし、かつ追加の経費をかけて往復共にベストな形をとった。
 お陰でエアに関する知識は拡充した。自分でチケットを購入することなんて片手にも満たないので、わからないことが多い。そのくせチケット代を安く済まそうとするものだから今回のようなことになるのかも。そしてこの最中、思いがけないところからありがたい声もいただき、ぼくの心の琴線に触れた。その方にとっては当然だとしても、やや乾いた世界にいるぼくには砂漠のオアシス、慈悲の雨だった。

 そしてもう一つ。ロードバイク専用ケース『シーコン』を用いて、荷物として一緒に移動するという課題だ。年明け、ばったり会った御仁から、シーコン貸そう?と声を掛けていただき、一も二もなくぼくは返事を返したのだった。
 『シーコン』は欲しい品のひとつだった。近年の円安に伴い、どんどん新品の価格が上がり、今では6桁に到達する代物だ。欲しい。けれど使ってみなければその有効性はわからない。それを今回の宮古島行きで試せることになった。
 梱包の手順を教えていただき、実際やってみると実に簡単だ。ぼくの場合はDHバーを外すだけなので手間を取らない。それにバイクショップから梱包材を分けていただいてさらに捗った。
 実際の荷物預け入れの際、シーコンは概ね17kg、リュックと空気入れを合わせ規定の20kgをいくばくか超えて¥4、000-の追加料金となった。こうして20kgを超えたのは初めてでよい経験になった。これを参考にして費用が掛からないように、帰路は預け入れる荷物を組みなおしたい。

 そんなこんなでエアチケットの手配から始まり、自転車輸送を含む手荷物、そして飛行機に搭乗する一連の流れまで全てをひっくるめ勉強になった。

 実は、「旅慣れた御仁」と「シーコンの御仁」は同一人物であり、さらに搭乗でその奥方と一緒になり、出発までお話することができた。そのエア搭乗寸前、携帯電話をどこぞに見失ったぼくを奥方が適切に対処し、かつなだめるという珍事もあった。できるカッポー(夫婦)はどこか違う。
 自宅を出る直前、唐突に家内から「搭乗の時は落ち着いて」と言われたのを思い出し、まるで予言のようだった。携帯電話を見失いおろおろしていたとき、その台詞を思い出して冷や汗ぶわっと吹き出てた。

 新潟を定刻に出発した飛行機は14:35沖縄に到着。天候は曇り。飛行機の通用口をでると、一瞬モワッとした空気を感じたがエアコンの効いたロビーは快適だった。
 ANAのロビーで宮古への出発を待つあいだ、職場からメッセが届いてドキリとしたが、特に大きな問題はなく、胸を撫で下ろす。
 宮古行きも定刻通り出発。ぼくはバウンディーの「融解SINK」を聴きながら離陸を待った。睡魔に誘われて少し眠り、機長のアナウンスで目が覚める。20分ほど意識を失っていた。宮古島への降下が始まっていた。(つづく)

2024年4月12日金曜日

2024.4.8~4.11 宮古島出発と新潟シティエントリー

 金曜日は宮古島へ向けて出発。忘れ物がないように何度も荷物を確認した。でも、なにか忘れるんだろうなぁ、支度とは元来そういうものなのだとして梱包を終えた。
 不安と期待がごちゃごちゃと混在し、もろ手を挙げて南国バカンスを楽しんできます!という心持ちになれない。そういう自分がイヤだ。もっと割り切ってしまえばいいのに。自分の中だけであれこれ想いを巡らしているてもそんな感じなので、現地で落ち合う気の置けない面々に想い寄せることに。チームテチの旗を背にフィニッシュする自分を描いて鼓舞するしかない。なるようにしかならない。
 どんなマネジメントが要求されるか想像がつかないが、ゴールに辿り着けるよう、死なないように力を尽くそう。それでは、いってきます。

 さて、4/10から新潟シティマラソンのエントリーが開始した。いつものように反射的に申し込む。2011年、40歳のとき、初めて走ったフルマラソンがこの新潟シティだ。完走証がもらえるギリギリの4時間50分でフィニッシュした。それから13年。今年も参加が叶えば、自分史上初の同一レース10回目の参加となる。つまりコロナなどでの参加中止を除けば、走り始めてからずっと参加している大会だ。
 9月の佐渡トライからの10月新潟シティ、そして12月の那覇。これが今年のスケジュールだ。

★トレーニング備忘録

4/8(月) 週末の疲労感、特に四頭筋を思いやり休養。

9(火) 終業後ジムへ、最後のウエット練。打ちあわなしでTさんと遭遇。折角なのでバトル練を申し込んで25m×4本。実践に勝るとも劣らない緊張感を持ってた、かな?捨てる上あれば拾う神あり。Tさん本当にありがとう。

10(水) 終業後ジムへ。ストレッチからエアロバイク、トレミ。エアロはいつものワット数にave30km狙い、トレミはジョグからキロ5分、終盤レースペースと短い距離ながらメリハリをつける。追い込まず、気持ちよくである。

11(木) 朝、翌日の準備のことを考えて少し悩んだがジムを選択。ダイナミックストレッチからトレミ走ジョグ。出発の前日に業務上の問題が発生し、そちらに集中を持ってかれた。

12(金) 朝ワンコズと散歩をして新潟空港へ。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

4/8(月) 休養
9(火)  スイム1.3(24)
10(水) エアロバイク20(42)、トレミ5(28)
11(木) トレミ6(28)
12(金) 宮古島へ。
4/8~12(km)…S1.3、B20、R11、Re2

2024年4月8日月曜日

2024.4.1~4.7 ついに宮古島ですが・・・。

 さぁ宮古島だ。実はこの記事の該当週、航空便の到着時刻による参加受付問題で宮古島の大会実行委員会の方々をはじめ、さまざまな方々からご尽力意ただいた。島へ行かせないようとする闇の力が働いているのか心を砕いた。諦めなければ、手を尽くせばなんとんかなると思った。
 そんなこんながあり、ようやく気持ちが広がって宮古島へ想いを馳せているところだ。渡航が楽しみで仕方がない。周囲に自慢したいけれど、軽々しく口にした瞬間、その価値が下がりそうなのでグッと我慢している。この齢になってっもこういう高揚感が持てるのは幸せなことだ。D.Bの孫悟空が強敵に相対したときの台詞しか、ない。

 果たして天国となるのか、それとも思いも寄らない地獄が待っているかはお楽しみ。前回参加の5年前と比べるとぼくを囲む様相は随分変化している。現地で合流する気の置けない友人達もさることながら、もっと島を覗きみて、宮古を、この大会を好きになるように努めたい。
 以前の参加のあと、宮古島トライアスロンをぼくの一年の節目にしようと決めたが、残念ながらコロナによる大会の中止、前回はぼくの問題もあって仕切り直しになった。心の中に雑念のようなものが渦巻いていているけれど、取るに足らない考えは早々に捨て去って、宮古島ブルーの海とハイビスカスの紅を全力で楽しみたい。


★トレーニング備忘録
4/1(月) 終業後ジムへ。ストレッチから1,100m泳を1本。20分4秒。目標より100m多かった。ちなみに通過の時計は18分16秒。ようやく泳げるようになってきた気がする。スモールステップは大切。

2(火) 朝、筋トレ。ボールクランチ、サイドクランチ、ダンベルプルオーバー(立ち)、サイドレイズ。
 終業後はジム。夕方も筋トレ、ダンベルスクワットを70kgまでしつこめにやる。続いてエアロバイク40分、トレミはビルトで30分。時間は短いが、それぞれしっかりやれた。特にランが良かった。

3(水) 休養。風邪気味。実は長期間、風邪をひいていなかったがここできたかも。そして航空券の取り直しに奔走する1日となった。さまざまな人からアドバイスや助けを借りて無事に収まった。航空券の取得の勉強になった。

4(木) 終業後、ジムに行きたかったけれど体調がよろしくないので自重。

5(金) 終業後、ジムはお休みあので久々に近所のプールへ。水流のせいでジムプールよりも速く泳げてしまう。もしかしたら宮古島のスイムの予行練習になった?

6(土) 仕上げ練。午前中、点検を依頼していたバイクを受け取りつつ、自家用車を車検に出すなどして午後からスタート。バイクは練習コース70kmをAve.32kmには及ばなかったが、まぁ及第点。整備していただいた愛車はすこぶる調子はよい。
 続くランもいつもの練習コースを10kmを5分半と余力を持って終了。もう少し距離を稼いでもよかったかなぁと思うが良しとしよう。

7(日) 大会前、最後の日曜のトレーニング。島ラン。お願いしていたラン友との10kmペース走。訳けあって途中を弛めてしまったが、後半はしっかり。その後はゆるジョグでコンディショニング。
 朝はとても寒かったけれど、日中の気温予測で半袖半パンで臨んで大正解。休日の青空は人を呼び、信濃川安らぎ堤は賑わっていた。
 昼食を挟んでジムスイムでウエット練の準備をしていたが、実は軽い風邪をひいていて、疲労感からか寒気がしたので無理は禁物と自重。身体のアラートは見逃さないようにしている。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

4/1(月)  スイム1.5(27)
2(火)  筋トレ(12)  筋トレ(13)、エアロバイク20(42)、トレミ5(28)
3(水)、4(木)  休養
5(金)  スイム1.2(21)
6(土) 午後  ブリック練 バイク70(135)、ロード10(55)
7(日) 午前 ロード20(120)
4/1~4/7(km)…S2.7、B90、R37、Re2

2024年4月1日月曜日

2024年3月のまとめ。宮古島をめざして・・・。

 宮古島トライアスロンに参加することになってから、ぼくはそれをずっと意識してトレーニングしてきた。そして遂に開催月となった。さまざまに足りないことはあるけれど、まずは無事に参加できることを喜びたい。コンディションもさることながら、仕事に関してもなんとか目処がついてホッとしている。
 この記事を書いている今の自己評価としては、そこそこやれそうな感触だ。ここまでのトレで宮古島トライのスケールに相当する内容はしておらず、再現性についてはまるで根拠はないのはいつものことだが。

 それはさておき、今期はランの力が戻ってきた気がする。筋トレによる背中や下半身の強化が厚底シューズとマッチしたのかな。4分50秒/km程度のペース走を15km、割りと楽にこなせたのがその根拠のひとつ。そして感覚的だがジョグペースも上がっているので、ランの調子の良さを印象つけている。
 トライアスロンを意識していると、ランニング一辺倒ではなく、ほどほどの間隔でやれるのが良いのかもしれない。相変わらず左の足首はモヤモヤしているが、いまは痛みはほとんどない。ただし患部に疲労がたまる感覚はあるので気をつけたい。この月末のブリック練でも実際危ない場面があった。特に坂の下りは要注意。気を抜かず自分の弱点として意識していく。
 今日、佐渡トライアスロンBタイプ当選の通知が届いた。早速、次ぎの目標が設定された訳だが、まずは眼前の宮古島。全力を尽くしてもがき苦しもうと思う。


3月のトレーニング・・・Swim12.8(10)、Bike398(12)Run139(14)、Rest.6
3/1(金)  筋トレ(17) アクティブレスト
2(土) 午前 エアロバイク57(120)
3(日)  筋、固R16(60)

4(月)  トレミ11(60)
5(火)  スイム1.5(27)
6(水)  、エアロ20(40)、スイム1.0(19)
7(木)  トレミ11(60)
8(金) 休養
9(土) 午前 エアロ59(120)、トレミ5(30)
10(日) 午前 トレミ15(80)
3/4~3/10(km)…S2.5、B79、R42、Re1

11(月)  スイム1.65(30)
12(火)  スイム1.0(18)、トレミ5(30)、エアロ10(20)
13(水)、14(木) 休養 
15(金) 夕 ロード7(40)
16(土) 午前 ロード15(85)、スイム1.5(27)
17(日) 午後 筋(22)、固定ローラー(25)
3/11~3/17(km)…S4.1、B16、R27、Re2

18(月)  トレミ10(53)
19(火)  エアロ30(60)
20(祝) 午前 スイム1.1(20)エアロ28(60)、トレミ3(18)
21(木)  スイム1.5(27)
22(金) 休養
23(土) 午前 スイム1.0(18)エアロ42(90)、トレミ10(53)
24(日) 午前 ロード 20(105)
3/18~3/24(km)…S3.6、B100、R43、Re1

25(月) 休養 
26(火)  スイム1.3(24)、エアロバイク20(43)
27(水)  トレミ10(55)
28(木)  スイム1.35(24)
29(金) 休養
30(土) 午前 バイク45(75)、ロード12(64)
31(日) 午前 バイク65(130)、ロード5(28) 
3/25~3/31(km)…S2.6、B130、R27、Re2