2024年4月24日水曜日

2024年4月 宮古滞在記④ バイクからランDNFまで

 スイムアップした浜から、バイクラックまで道程は結構に長い(まことしやかに500mぐらいあった言われているが確かではない)ので、この間を利用し、ぼくはトライスーツのバックポケットに忍ばせておいたCoda(コーダ)とVESPA(ベスパ)2つの補給を入れる。口の塩辛さに耐えられず、砂浜エイドのコーラに手が伸びてしまったが、口の中のをすすいでくれるのは甘い飲み物などではなく水だとシャワーで感じた。

 バイクにたどり着きウエット下を脱ぐ。少し手間取ってしまう。脱ぎにくいのは織り込み済みだが、そろそろ新調した方がよいかもしれない。年齢を重ねたらウェットは少し大きめの方が良いと耳にした。額に大きくベテランの文字が刻まれたような妙齢の御仁がおっしゃっていたのを思い出す。
 やおらスイム用のビニールバックにウエット上下をしまい、バイクをラックから外す。さぁバイクだ。

 バイクシューズはビンディングに固定、輪ゴムがけしているので、素足で乗車ラインまで進む。乗車のすぐ先が上り坂になので、助走でサドルに跨るのを止め、ラインを超えたところでよっこらしょっとサドルに腰をかける。シューズに足を突っ込んでペダルを踏む。沿道からは、早くもヘルメットに装着した造花の感想が聞こえてくる。次々に女性の声を拾う。エグいぐらいに。花の感想がぼくへの応援に聴こえ、気分はすこぶる良かった。ペダル捌きに力がこもる。
 ヘルメットやランキャップに一輪の花を立てる(生ける)というチームテチのドレスコードにはキャプテンのアイデアらしい。
 取り立てて眺めるところもないような緑の生垣に、突如現れる赤いハイビスカス。宮古に訪れてから何度か目撃する風景だ。トライアスロンの観戦で、観客やボランティアの目を楽しませる幾ばくかは専らコスチュームとバイクだろ。歌舞いたド派手な衣装というのは無理だけれど、こういうささやかなのは、ぼくにもできる。目立ちたいということでなく、コミニケーションの手段として活用するところが素晴らしい。

 東急リゾートを出て、ほぼ追い風に押され平良(たいら)、下地(しもじ)といった街を抜ける。このあたりには沿道の声援が多く、スピードに乗っているので妙に心が踊った。ここでも花のおかげで声を掛けてもらえた。サイコンがないのは、まったく問題にはならなかった。自身の脚の感触のままに、少し重目のギアをグイグイ踏んだ。平坦に追い風のバイクコースを楽しむ。
 陽射しが強くなってきた。装備した3本のボトルすべてに補給材を装填したが、やり過ぎだったようで1本は水が正解だった。身体にかける、あるいは口ゆすぎの水として必要だった。熱を帯びた陽射しは身体に応えた。
 
 風はアゲインストとなった。池間島を半周しことを知る。かなりざっくりとした表現となるが、ここから東平安名崎までは概ね向かい風にるのか。コース形状もそこそこの起伏が出てきた。スピードが落ちる。向かい風に抗いながら進んでいくと、副キャプテンとすれ違い、互いに手を挙げて合図する。緩んでいた気持ちが少し引き締まった。ぼくはアゴを引き前を見据えた。
 宮古本島の周回コースの分岐あたりは、コースの起伏と向かい風で、捌くのが難しい地点だと感じた。2周回目もここを通らねばならないのと思うと気持ちが萎える。

 無心でペダルを踏んでいたからだろうか、要所の記憶があまり定かでない。土地勘がないことも手伝って、漠然とした記憶と印象しかない。
 1時間半ほど経過したあたりから気になりだす左の股ずれ、東平安名崎の海岸の景色、いくつもアップダウンを繰り返すアクロバティックなコース、群生するようなリゾートホテル、来間島を示す標識、95kmの里程標などなど・・・。

 100km付近あたりだったか、ふっとバイクフィニッシュでDNFを宣言しようかと思った。涼しい場所で強炭酸のビールを飲む姿を想像して、なぜこんな苦しいことをやっているのだろうと自問する。辛かったのだろうか。もう止めにしようと考えた随分と心が軽くなった。熱中症気味だったのか。体調の良し悪しというのは、直接に気持ちに影響する。水分補給を怠ることはなかったが、後半はかなり危なかった。あと少し、もう少し。そう思ってペダルを踏み続ける。

 バイクフィニッシュ。降車してバイクを押して自らのラックに向かった。ボラの学生たちが誘導してくれる。それぞれに熱が入っていて真剣な表情だった。ぼくはバイクをラックに掛け、ラン用の赤い袋を掴む。さぁランだ、走ろう。バイクトランジションの出口付近に座ってシューレスを結ぶ。空になった袋を近くにいた迷彩服のボラさんに渡した。彼は会釈しながら袋を受け取ってくれた。
 バイクトランジションをでる。すぐ傍に立つエイドで必要な補充を受ける。コーラ、水、氷、スポンジ、オレンジ…。この辺りを手にしたと思う。始めの下り勾配利用して脚を前に出した。陽射しがきつく感じる。手に握る身体を冷やす用のビニール袋の氷はどんどん小さくなっていった。ペースが上がらない。すでにこの辺りから気持ちがかなり後ろ向きだった。

 沿道の応援の方から氷をもらい、ビニール袋に入れて手のひらを冷やす。走り続けようとする気持ちが手に持った氷のように小さくなっていく。立ち止まった。歩く。ぼくはDNFを決意した。
 1週間ほどが経過して思うところはいろいろあるのだが、なんとしても完走しようという気概が足りなかったのかもしれないし、そういう気持ちを担保する体調に不安があったともいえる。DNFは自分自身で選択、判断したのだ。誰に言われたわけでなく、ぼく自身で決めたのだ。
 バイクトランジションに歩いて向かう途中、つまり選手と逆方向を進んでいるあいだは別段、後悔の念はなかった。どちらといえば、かなりすっきりしていた。この大会自体に僕自身が思う以上に大変なプレッシャーを受けていたのかもしれない。

 ぼくはあれこれ考えすぎて遠回りすることが多い人生を送っている。けれどそれが自分なので仕方がない。効率的ではないし無駄が多いのかもしれない。そんな自分がみる光景を言葉に紡いで文字に落とせるのならば、この先、改めてこの文章を読む自分自身や、近しい人々にあるがまま伝わればそれでよと思っている。また来年必ず宮古へ向かおう。そして木曜入りして体調を整えて臨みたいと思う。(了)

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