2024年4月19日金曜日

2024年4月 宮古滞在記②

4/12(金)

 17:05分宮古島空港に着陸。この便で訪れるトライアスリートはわずかで、明らかにそれとわかるのは片手程度だった。バイクの受け取り口で待機していると、新潟空港で見かけた方がいたので声をかける。バイク梱包はオーストリッチの肩掛けでとても重そうだった。
 ぼくを空港に迎えにきてくれているチームTechi(テチ)の副キャプテンに事情を話すと2つ返事で大丈夫よ~と4人で会場へ向う。やはり心強い。運転手をしてくださるMさんも超絶の笑顔でお出迎え。みなで再会を喜んだ。2人とは昨年12月の那覇マラソン以来だが、時間を感じさせない。人の手本を心得る人物たちだ。今回の宮古はこの2人と行動を共にする。

 会場に到着。ドーム入口付近に設けられた出店ブースに集う人影はそう多くはなかった。お陰で顔見知りを含め、ご挨拶を差し上げたい人々を次々に発見。はじめましてのご紹介もいただき気分は上がる。
 受付でリストバンド、トランジションの袋、そして参加Tシャツなどを受け取った。場内では、このあと予定している選手説明会や歓迎パーティーの準備やリハーサルが行われていた。
 この日の宮古の夕方は風が吹いていた。2019年のときもそう記憶している。時間につれてすでに夕方なのに陽射しの強さを感じる。新潟との気温の差がそう感じさせるのか。前回の参加ではこの気温変化をなんとか凌ぐことができたが、今回はどうだろう。風邪で体調を崩していたこともあり不安は拭えなかった。

 歓迎パーティーでは地元の料理が振舞われ、皆で腹ごしらえをした。話に夢中になっていてあっという間に時間は過ぎ、ぼくらは会場を後にした。宿は下地(しもじ)のゲストハウス。車で数分の距離の場所だ。
 宮古入りの初日は、期待と不安が入り混じりながらも高揚が抑えられずに興奮してしまった。宿では声が大きかったようでお叱りを頂いた。猛省。それでも懲りないぼくらは、笑い声をおさえながらひそひそと話を続け、宮古の初夜は更けていった。


4/13(土)

 なかなかの寝汗をかいて2度着替えをする。びしょ濡れだ。布団も当然湿っている。着替えが早々になくなったので朝、洗濯機を回す。滞在2日目にして洗濯物を干すとは思いも寄らなかった。完全に想定外だ。
 寝汗は身体の熱を取り除こうとする副交感神経のはたらきのひとつだ。暑さに順応するための反応なのか、それとも風邪を引きずってのことかはわからない。気を張れているので倦怠感や寝不足感は少ないが体調への不安は拭えなかった。

 早い時間に目が覚めてしまったので折角なので、バイクを組み立てて試走に出たが、即迷子になる。土地勘のないぼくにとって今回のお宿は、入り組んだ路地の一角に位置しており、地図の苦手なぼくは寝汗以上に冷や汗をかいた。
 みなで簡単な朝食を済ませた後、バイク預託まで十分に時間があるので宮古プチ観光を2人にお願いする。「伊良部島大橋」を通り、「通り池」や宮古島でもっとも綺麗だといわれる海岸を散策した。おっさん3人だが心の底から楽しい。移動中レース参加とおもわれるロードバイカーを何台かみかけた。宮古を訪れたなら伊良部大橋は誰もが走りたいと考えるコースだ。初めてこの橋を渡った光景は今も忘れられない。
 この伊良部大橋は、伊良部の村長のひとことからはじまったんだよ、と助手席の副キャプテンから聞かされる。島の人びとの熱が橋を架けたらしい。裕福な時代の産物だと思った。
 砂山」へ歩いていく途中、草むらでみた目が蛾のような蝶々(ベニモンアゲハと言うらしい)が、桜の花びらが舞い散るように草叢をハラハラといたるところで舞っている。
 砂山の砂浜の砂の粒は手に触ると粉のように微細で、星の砂が手につくこともあるとMさん。ビーチに寄せては返す波の音が穏やかな時間に規則性を生み、どこからかサンシンの弓の音が聞こえてくる・・・。地元のガイド(Mさんは宮古出身)のお陰でぼくは大いに観光気分を味わうことができた。

砂山ビーチ

 午後、バイク預託会場へ向う。宿から10km程度なのでアップもかねて自走だ。漕ぎだしから滝汗だ。気温に適応できていない。午前中のプチ観光の途中、暑熱順化のはなしを2人にして、車中のエアコンを切って天然クーラー(車窓を半開きで)移動してもらったりしたが、まだ時間が掛かりそうな気配だ。
 そしてこの道すがら、サイコンを紛失してしまった。装着の仕方が甘かったようだ。自分なりに手を尽くしたが見つからない。2人の協力を得たが、やはり見あたらなかった。
 副キャプテンいわく、サイコンないとおもしろくないだろう、それはまさにその通り。ケイデンス、速度が判った方がいい。けれど、ガーミンがあるからたぶん大丈夫、と返答しながら、腹を括った。

 遅い昼食を食堂でとる。宮古ではじめての外食だ(パーティー除く)。微塵の飾り気を感じさせないその食堂は、おばぁ一人が切り盛りしているようで完全セルフ。幼子を連れた夫婦や若い人たちがテーブルに着いていた。ぼくらは小上りに陣取って、皆で味噌汁とご飯を注文。こちら沖縄の味噌汁は具沢山で牛肉や豆腐に野菜などもろもろ入っていて、昆布だしがとても利いている。
 Mさんに、他もだいたいこういう感じなの?と質問すると、具はさまざまと教えてくれた。それがこの味噌汁らしい。想像以上に口に合ったけれど、ご飯は少し残してしまう。

 必要なものの買いだし、ランコースの下見など、宮古を知りつくす2人すべてお任せして、ぼくはくだらない話をしながら、車窓から街並みを眺めたりして観光気分を味わっていた。見るものすべてが興味をひいて新鮮だった。南国の街並みの風情は、低層コンクリート造りの建築物に時間のヤスリが掛かっていて灰褐色の硬質感がある。そこにビビットカラーが施されることで特有の色彩感が生まれるのか。ぼんやりと街並みを眺めていても飽きなかった。このまま宮古観光でもいいぐらいだ。しかし、そうはいかない。翌日はレースだ。それを思うと期待と不安は募るばかり。共に行動する2人も実は似たような感覚なのかもしれない。弱音は禁物。後部座席のぼくは努めて笑いを誘う会話を続けた。

 夕方。ひとりで宿から伊良部大橋に向って30分ほどランニングをした。平良(たいら)港のバイクコースの一部をトレースする。観光と思われる人々や地元の方の散策といった、宮古の何気ない街の光景を垣間見た。そういう何気ない風景の中を走るのはぼくは好きだ。滝汗を流しながら、いつかレース以外で気楽に滞在してみたいと思った。(つづく)

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