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2024年4月24日水曜日

2024年4月 宮古滞在記④ バイクからランDNFまで

 スイムアップした浜から、バイクラックまで道程は結構に長い(まことしやかに500mぐらいあった言われているが確かではない)ので、この間を利用し、ぼくはトライスーツのバックポケットに忍ばせておいたCoda(コーダ)とVESPA(ベスパ)2つの補給を入れる。口の塩辛さに耐えられず、砂浜エイドのコーラに手が伸びてしまったが、口の中のをすすいでくれるのは甘い飲み物などではなく水だとシャワーで感じた。

 バイクにたどり着きウエット下を脱ぐ。少し手間取ってしまう。脱ぎにくいのは織り込み済みだが、そろそろ新調した方がよいかもしれない。年齢を重ねたらウェットは少し大きめの方が良いと耳にした。額に大きくベテランの文字が刻まれたような妙齢の御仁がおっしゃっていたのを思い出す。
 やおらスイム用のビニールバックにウエット上下をしまい、バイクをラックから外す。さぁバイクだ。

 バイクシューズはビンディングに固定、輪ゴムがけしているので、素足で乗車ラインまで進む。乗車のすぐ先が上り坂になので、助走でサドルに跨るのを止め、ラインを超えたところでよっこらしょっとサドルに腰をかける。シューズに足を突っ込んでペダルを踏む。沿道からは、早くもヘルメットに装着した造花の感想が聞こえてくる。次々に女性の声を拾う。エグいぐらいに。花の感想がぼくへの応援に聴こえ、気分はすこぶる良かった。ペダル捌きに力がこもる。
 ヘルメットやランキャップに一輪の花を立てる(生ける)というチームテチのドレスコードにはキャプテンのアイデアらしい。
 取り立てて眺めるところもないような緑の生垣に、突如現れる赤いハイビスカス。宮古に訪れてから何度か目撃する風景だ。トライアスロンの観戦で、観客やボランティアの目を楽しませる幾ばくかは専らコスチュームとバイクだろ。歌舞いたド派手な衣装というのは無理だけれど、こういうささやかなのは、ぼくにもできる。目立ちたいということでなく、コミニケーションの手段として活用するところが素晴らしい。

 東急リゾートを出て、ほぼ追い風に押され平良(たいら)、下地(しもじ)といった街を抜ける。このあたりには沿道の声援が多く、スピードに乗っているので妙に心が踊った。ここでも花のおかげで声を掛けてもらえた。サイコンがないのは、まったく問題にはならなかった。自身の脚の感触のままに、少し重目のギアをグイグイ踏んだ。平坦に追い風のバイクコースを楽しむ。
 陽射しが強くなってきた。装備した3本のボトルすべてに補給材を装填したが、やり過ぎだったようで1本は水が正解だった。身体にかける、あるいは口ゆすぎの水として必要だった。熱を帯びた陽射しは身体に応えた。
 
 風はアゲインストとなった。池間島を半周しことを知る。かなりざっくりとした表現となるが、ここから東平安名崎までは概ね向かい風にるのか。コース形状もそこそこの起伏が出てきた。スピードが落ちる。向かい風に抗いながら進んでいくと、副キャプテンとすれ違い、互いに手を挙げて合図する。緩んでいた気持ちが少し引き締まった。ぼくはアゴを引き前を見据えた。
 宮古本島の周回コースの分岐あたりは、コースの起伏と向かい風で、捌くのが難しい地点だと感じた。2周回目もここを通らねばならないのと思うと気持ちが萎える。

 無心でペダルを踏んでいたからだろうか、要所の記憶があまり定かでない。土地勘がないことも手伝って、漠然とした記憶と印象しかない。
 1時間半ほど経過したあたりから気になりだす左の股ずれ、東平安名崎の海岸の景色、いくつもアップダウンを繰り返すアクロバティックなコース、群生するようなリゾートホテル、来間島を示す標識、95kmの里程標などなど・・・。

 100km付近あたりだったか、ふっとバイクフィニッシュでDNFを宣言しようかと思った。涼しい場所で強炭酸のビールを飲む姿を想像して、なぜこんな苦しいことをやっているのだろうと自問する。辛かったのだろうか。もう止めにしようと考えた随分と心が軽くなった。熱中症気味だったのか。体調の良し悪しというのは、直接に気持ちに影響する。水分補給を怠ることはなかったが、後半はかなり危なかった。あと少し、もう少し。そう思ってペダルを踏み続ける。

 バイクフィニッシュ。降車してバイクを押して自らのラックに向かった。ボラの学生たちが誘導してくれる。それぞれに熱が入っていて真剣な表情だった。ぼくはバイクをラックに掛け、ラン用の赤い袋を掴む。さぁランだ、走ろう。バイクトランジションの出口付近に座ってシューレスを結ぶ。空になった袋を近くにいた迷彩服のボラさんに渡した。彼は会釈しながら袋を受け取ってくれた。
 バイクトランジションをでる。すぐ傍に立つエイドで必要な補充を受ける。コーラ、水、氷、スポンジ、オレンジ…。この辺りを手にしたと思う。始めの下り勾配利用して脚を前に出した。陽射しがきつく感じる。手に握る身体を冷やす用のビニール袋の氷はどんどん小さくなっていった。ペースが上がらない。すでにこの辺りから気持ちがかなり後ろ向きだった。

 沿道の応援の方から氷をもらい、ビニール袋に入れて手のひらを冷やす。走り続けようとする気持ちが手に持った氷のように小さくなっていく。立ち止まった。歩く。ぼくはDNFを決意した。
 1週間ほどが経過して思うところはいろいろあるのだが、なんとしても完走しようという気概が足りなかったのかもしれないし、そういう気持ちを担保する体調に不安があったともいえる。DNFは自分自身で選択、判断したのだ。誰に言われたわけでなく、ぼく自身で決めたのだ。
 バイクトランジションに歩いて向かう途中、つまり選手と逆方向を進んでいるあいだは別段、後悔の念はなかった。どちらといえば、かなりすっきりしていた。この大会自体に僕自身が思う以上に大変なプレッシャーを受けていたのかもしれない。

 ぼくはあれこれ考えすぎて遠回りすることが多い人生を送っている。けれどそれが自分なので仕方がない。効率的ではないし無駄が多いのかもしれない。そんな自分がみる光景を言葉に紡いで文字に落とせるのならば、この先、改めてこの文章を読む自分自身や、近しい人々にあるがまま伝わればそれでよと思っている。また来年必ず宮古へ向かおう。そして木曜入りして体調を整えて臨みたいと思う。(了)

2024年4月19日金曜日

2024年4月 宮古滞在記③ レース当日からスイムまで

 宮古島トライアスロンはバイクフィニッシュして、ラン2kmあたりでリタイアを決意しDNFを申告した。

 ある方から’’DNFを含めて最後まで頑張ったんだ’’という言葉を掛けていただいたが、ぴたっと腑に落ちる感覚を得て救われた。時間が経つほど、喉もと過ぎればで後悔の念が肥大しそうになるが、この言葉を思い出して自傷的妄想をとどめている。

4/14(日)

 レースの前夜も大汗をかいて2度着替えた。それに細切れの睡眠となってぐっすり眠れなかった。それでも努めて早く就寝したのでトータルで6時間ぐらいの睡眠時間は保てたか。

 午前4時に起床。前夜に買ったお弁当を朝食として腹にしまった。荷物の確認を行い未明の下地の街に出る。宮古島在住のMさんのブラザーに合流して会場まで送ってもらう。

 現在Mブラザーさんは16頭の牛を飼う農家を営んでおり、今日も仕事だそうだ。生き物に合わせて生活をするのでお休みはない。初対面だったが思い切って牛の取引について質問すると、想像だにしなかったいくつかについて話してくれた。大変勉強になる。乗せていただいた車には飼料や仕事道具も載っていて、彼の生活の一端に触れた気がした。


 未明の東急はトライアスリートでごったがえしていた。ヘッドランプを点けてバイクラックに向かい最後の準備を行う。なにもなければ空のボトルに補給材を入れるだけだった。

 バイクカバーに触れると気温差からくる結露だろう、カバーがしっとりと濡れていた。2019年に使ったカバーを持参したが、荷物になるので次はぼくも使い捨てにしたい。どうせ預託するのだから運営に準備していただいても・・・というのは贅沢か。

 タイヤの空気が入っていることを確認。大きくひと安心。メット、シューズ、村長(アヒルの呼び鈴)を目視する。サイコンは・・・あるわけないか。スイムフィニッシュ用の袋をラックのフックに掛けて支度は完了した。


 あたりはまだ十分に暗い。あっさり準備を終えてランの赤い袋、フィニッシュ後の緑と、荷物ひとつひとつを丁寧に確認してトラックに預け入れ、あらかじめ決めておいた集合場所へ向かった。チームの2人はすでに腰を下ろして待っていた。

 3人の集合写真を近くにいた方に撮っていただく。ちょうど陽がのぼり始める頃で朝日がぼくらを照らした。皆それぞれによい表情の写真だった。


 スイムチェックへ。スイムの会場へ向かう。すでに大勢の選手が試泳をしている。潮が左から右へ流れているのがひと目でわかった。ぼくはスタートする浜から50mの立体型の黄色のブイを目指して泳いだ。ストレッチタイムを長めにとると身体が右へ流されるのがわかる。沖へ出るほどに流れがキツくなることを知るのは本番を迎えてからだった。


 スイムは1,300人の一斉スタートだ。ただしプラカードに示される泳力の目安に応じて整列する。ぼくは完泳1時間以内と1時間後のちょうど境ぐらいに位置を取った。砂浜に座ってスタートを待った。そして定刻7:00、レースがスタートした。

 ついに始まった。海へ駆ける。ぼくはゆっくり海に入り、しばらく歩いてから意を決して海に飛び込んだ。海水は透明に透き通って、波打つ砂底が鮮明に映った。しかし、そんな感慨にふけるヒマなどない。早速バトル開始。なるべくやり過ごそうとするが次々と追い立てるようにやってくるスイマーには無力しかなかった。進行方向を見誤らないよう目印のブイを目視しながら、スイマーの群れに身を置いた。


 潮の流れのおかげで折り返しのリターンの黄色のブイまでは思ったほど時間は掛からなかった。ただし、折り返すと状況は一変し、潮の流れと波で進行を妨げられ、しかも相変わらずのバトルモードでなかなか前に進めない。地元の離岸流のきつい海の練習を思い出した。行きはよいよい帰りは・・・。進行方向の目印を見つけようにも海面が盛り上がって先が見えない。周囲を観察しつつ、こまめに前方確認を入れる。

 スイムコースの形状から復路は左側に寄った方が良いとは思ったが、間違って大きく流されると厄介なので右のブイの位置を把握しながら進んだ。結果1周回コースの真ん中あたりの浜に到達した。


 2周目。給水を済ませコースロープのギリギリを狙って再入水。しかしこれは完全な選択ミスだった。潮に流されてストロークごとに右の掻き手がロープに当たった。何度か試したが潮に身体が右に流されてしまう。諦めてインから離れるが、内側すぎないコースを皆がこぞって狙っていたようで接触が重なった。

 プレッシャーエリアから抜ける頃には左右ともにストレッチタイムを長めにとり、潮の流れに乗るイメージを描き楽をした。すると思いの外早くリターンのブイが現れた。

 

 復路。往路は自由に泳げていたのだが方向転換した途端、周囲にたくさんのスイマーがいることに気がついた。潮に流されて接触が度重なる。それにヘッドアップしても前方が上手く確認できない。他を避け、かつ潮に流され過ぎないようにと、小さいキックを追加して推進力にする。そして心拍をあまり上げないように搔きのピッチにも気を配る。ここまで一定のリズムで泳げていることに安堵を感じ、一刻も早く浜に辿り着くことを願った。進むにつれて海底の景色が変わる。白砂になればあと少しだと言い聞かせた。


 はやる気持ちと裏腹に潮に阻止されてすんなり砂浜には上がれなかった。ギリギリまで泳いで立ち上がると、右のハムと左の脹脛が攣りそうだった。

 前進で重力を感じながら、砂浜を駆け足で進む。時計を確認するとスタートから1時間10分が経過していた。距離が伸びることでの泳力の劣化もさることながら、おそらく潮の流れで余計な距離を泳いでいるのだろう。給水でコーラをもらったが、口にしたシャワーの真水の方がずっと旨かった。(バイクへ続く)

2022年9月11日日曜日

2022佐渡トライアスロンBタイプ、バイクからDNFまで。

 DNFの選手の文章なんて読んでも意味ない。はい、まったくその通りだと思います。が、もしかしたら何か気づきがあるかもしれません。読む読まないは、どうぞご自由に。

 トランジションでウエットを脱いでヘルメットを被り、ゼッケンベルトを腰に装着。あれ、これで準備OK?拍子抜けするぐらいサラッと支度が整ったので、ウエットをたたんできちんと籠にしまう。再度、装着物を点検し、ラックからバイクを下ろしてスタートラインを超える。あらかじめビンデイングにセットしたバイクシューズは後ろのつばに輪ゴムを通し、バイクにひっかけて左側のシューズを下側にしている。乗車ライン過ぎざまに、パッとカッコよくバイクに飛び乗りたいのけれどさほど上手くはいかなかい。やっぱりこの練習は必要だ。実は、これ毎回思っているかもことかも。
 ーさぁ、これからよろしく頼むよ!この日のために決戦用ホイールを装備した相棒のキャノンデール エボシックスに語りかけた。

 佐和田から国仲バイパスへ。向かい風に押されているのか、あまりスピードに乗れない。BPMは高め。そうそうと思い出したように準備した補給のいくつかを胃に納める。
 選手の密度はそんなに濃くないが、ここいらの道中は抜きつ抜かれつを繰り返す。ここは気張ってはいけない。
 両津に入る。あまり見覚えのない、幅員の広い道路へ誘導され大佐度一周線入る。Bタイプ最初の難所の住吉、眞木あたり。坂を登るとパラパラといくつか声援が聴こえる。沿道からの応援にまだ慣れないせいか、ぼくはなんだか照れ臭かさい。そうそう、ここいらののぼり坂は、ー覚悟していたよりシンドくなかったのでホッとした。ホイール様さまだ。

 朝の曇り空は気がつけば青空に変わっていて、どこぞを通過した辺りから蝉の声が耳に届く。小木の坂までは大した難所はなかったよな、なんてことを考えながら前を行く選手との距離に気をつけながら、抜きつ抜かれつペダルを踏んだ。とても楽しい!サイコンの速度表示をチラっと確認すると、実力上限に近い速度が出ている。大量のアドレナリンと追い風効果だ。そして、ひょいと後輪ギアを確認すると、トレーニングより2枚上のギアを踏んでいる。苦しいわけじゃないけれど、後半のためにギアを落とす。速度は下がるけれど、そこはケイデンスでカバーする。

 断片的ないくつかの記憶が蘇る。TTバイクの下りの物凄いスピードに思わず声を出したり、上背のある脚の長い女性選手にあっという間に追い抜かれ、あれよあれよその背中が小さくなっていく。そしてふと左に顔を向けると新潟の山を背景に光が反射する青い海が広がっているのだった。

 赤泊ASで受け取った水のボトルは身体の冷却用とした。確実に陽射しが強まっていく。頭や首を狙って水を掛ける。思いの外水は冷たかった。あの、ひやっとする感覚がたまらない。

 小木の坂へ。急勾配の坂に速度を瞬殺され、ぼくはすぐにフロントギアを落として残り僅かのギアでクルクルとペダルを廻す。周囲の選手たちも同じように抗えない重力に呪縛される。そのさまはそれまでの時間の流れが急に遅くなったように感じられた。
 ぼくは少し先のアスファルトに視線を落とし前方の視界を確保し、できるだけ楽な姿勢でペダルを漕いだ。坂の一区切りとなる柿の看板まではあっという間だった、が、疲労感は一気に濃くなった。
 気温はさらに上昇し、周囲を照らす。両足の四頭筋がピクピクして引きつりそうになる。細かいアップダウンが辛い。下りではホイールの力を存分に借りることにした。

 西三川の坂で、幼子を抱いた若い夫婦に声援をもらったので右手をあげて応える。それは上り坂の真っ最中。ふくらはぎがピクピクと意図しない挙動をする。ここを抜ければあとは下り。常にそれを胸に、しまふうみさんのある下り坂に向かって一瀉千里に通過、真野湾の先に街並みが見え、時計を確認する。残すところはあと10km。予定時刻には及ばなかった。

 バイクトランジションはまだ閑散としていた。降車ポイントから自分のトランジションまでは距離があった。もちろん目印があるので迷うことはなかった。メットを脱ぎ、バイクラックに相棒を掛ける。
 ー今回もノートラブル、ありがとう、おつかれさん。
 靴下を履き、ランシューズに足を入れる。シューレスを結ぶ手はミスなくちゃんと動いてくれる。サンバイザー、サングラス、それからラックに備え付けられたカゴに準備した補給を背中のポッケにしまう。手際は悪くない。

 ランスタートのエイドで身体に水を掛けてもらった。ひんやりとした水は身体を生き返らせる。スポドリを手にし、思わずコーラも取ってしまった。ふたつともほぼ一気飲み。さぁここから。時計は11:40を過ぎている。計画からは10分のビハインド。それは真野のあたりからわかっていた。前回タイム越えは難しそうだった。そんなことを考えなら、ゆっくりとランに入った。時計は見ない。まずはペダルを踏んだ脚を、走る脚に変換することが最優先。普段のラン通りでいい。
 1km通過の時計は6分1秒。うーん、1秒余計だな。この頃は、まだそんな余裕があった。トコトコ進んでいくうちに段々と気持ちが悪く、吐きそうになってきた。風があったかどうかは覚えていないが、粥の中を走っているような感覚に陥った。胃の中の液体が込み上げてくる。脚が止まりそうになる。
 2度目のこみ上げには我慢できず、コースを外れて嘔吐する。エイドの飲み物に違いなかった。コースに戻り、走り出す。どれぐらい走れたかわからない。すぐに止まったかも。歩いた。仕方ない、歩こう。いや走ろう。またすぐに止まる。折り返しはどこだろう。緩やかに湾曲する海岸沿いを見渡し見当をつける。時計のキロラップは7分を知らせた。走ったみた。止まる。続かない。仕方ない歩こう…、…、…。

 2週目に入るところにいた審判に声をかけ危険を告げる。誘導されて芝生に座るように言われ、棄権の手続きが行われる。思っていたより手際良く、そしてとても呆気ない。
 今年、いやその前から、ずっと想い続けていた夏が閉じる。いや、自分で扉を閉めたのだった。

2022年9月8日木曜日

2022佐渡トライアスロンBタイプ、前日とスイムまで。

 結果はDNF。ランの1周目の折り返しにも満たないところで吐いてしまい脚がとまる。時間を置いては走り出すが、すぐに続けられなくなる。折れた、壊れてしまった。2周回目で自ら棄権を申し出る。フィニッシュまで歩き通す選択もあったが、さらに症状が悪くなること、そうなったときに自分はもちろん周囲にかける迷惑を考え、力が残っているうちに申告しようと決めた。

 今も(大会翌日)気持ち悪い状態が続いて。胃腸が弱ったところでの熱中症や脱水によるものと考えられる。前日の食事もさることながら、この夏は遠慮なく冷たいものを大量に取った自覚がある。そういったことも含めて長時間運動する支えの胃腸の力が低下していたのかもしれない。過去、3月の関東のマラソン大会でも似た経験はあったが、あのときは途中で回復できた。だが、今回はそうではなかった。恐らく気温からくる影響だろう。
 なんであれレース前の体調管理には十分に気をつけねばならない。どんなことがあっても食べられなくなることはないが、消化、吸収の能力については別立てだ。もしかして加齢もあるのかなぁと脳裏をよぎったりする。それはまだ考えたくはないことだけれど。

 自らゴールフィニッシュを諦めたことへの自責はあるが、一方で、持てる力は出し切った思いもある。意味のあるDNFにするためにきちっと分析して、リセットするしかない。
 話は変わるが、会場から荷物の搬出の際、同行していただいたマーシャルの方々がとても優しく、この場で伝わるとは思えないが心から謝意を表したい。温かい励ましの言葉をかけていただき、本当にありがとうございました。

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9/3(土)
 ひとり始発のフェリーに乗り込む。単独行動はいつものことだが前回‘19年の大会には息子がいたことを想い出した。父親として直接なにか一緒にできることが減ったのは残念。
 鉛色の空と睨めっこしながら佐渡上陸後のいくつかの予定や選択肢を選ぶ。到着したとき、わずかに小雨がぱらついていたので路線バスで宿泊先へ向かうことにした。
 週末のバスは観光地をめぐる役割も担っていて、上っ面の観光気分を味わうことができた。乗り込んだバスの規格は、ぼくが小学生の頃、祖父母の家に出掛けるときに乗ったそれを思い出させる懐かしさがあり、結果的には1時間以上の乗車となったが苦にならなかった。そしてなにより、降車時に応対してくれた運転手さんの心遣いがありがたかった。

 雨粒はぱらついていたがバイク自走で移動する。選手登録を済ませ、会場に掲示してある応援FAXを眺めたり、曇空の下の屋外ブース会場をまわった。まだ早い時間であり例年のような活気はなく見えた。
 登録会場をあとにして、予定していた次の行動に移った。詳細は省くが、ぼくなりの義理を果たした。だがどうかな。あまり期待しないでおこう。
 昼食は7月のOWSにお世話になったお宿の喫茶店に立ち寄った。ここではなかなか面白い出会いがありレース楽しみが増えた。こちらも詳細は省略するが、本当に実現したらこの場で報告することにします。多分ないと思うけれど。
 そうこう時間をうっちゃってから宿泊を共にする面々と合流する。それぞれの用事を済ませて、皆でリラックスしたひとときを過ごす。特に夕食はとても楽しい時間となった。各自、翌日の支度を済ませ20時は消灯。しかし、ぼくはあいも変わらず22時半過ぎまで悶々とした。寝床が変わるのは本当に得意じゃない。

 9/4(日)
 午前3:00前に目覚める。入眠しやすいように安定剤を服用したせいで体が重い。もう少し眠ろうと目を閉じるが、おそらくAタイプの方々と思われる物音が耳について寝付けず、まんじりとしながら起床予定時刻のAM4時のアラームが鳴った。
 起き抜けの早い朝食を摂りながら、最後の支度をして午前5時半頃、配布されたビニールバッグを2つを背負いこんで、薄明かりの道をバイク自走で会場へ向った。

 10分と掛からず到着。最終受付を済ませ、ひと通り準備を終わらせた頃、定刻通りAタイプがスタート、赤いヘッドキャップが沖を目指すさまは壮観だった。ツイッターでフォローさせて頂いている松田さんに注目。やはり彼の泳ぎは突出していた。ロング挑戦に本気で取り組む彼の姿勢には胸を打たれる。全てのAタイプの選手に敬意を払う。
 スイム試泳の終了15分前にスイムCK。沖に覗くオレンジのブイを目指してみたり、岸に戻るときも目印を決めてヘッドアップを確認。海は穏やかで、波はほとんどなく水温も丁度良い。
 スタート地点への集合を促され、スイムアップ40分あたりと見当をつけた砂浜にひとり座ってスタート時刻を待った。刻々と時間は過ぎる。ゆったりと深呼吸を繰り返すと周囲のざわめきがだんだんと気にならなくなる。準備は整った。

 AM7時半。中央よりもやや外側からスイムスタート。前方、左右ではドルフィンを繰り出しているが、ぼくは海中に身を投じ水を掻いた。バトルの始まりだ。
 スイムの最大目標はブイを見逃さないこと。ヘッドアップを細かく入れる。OWSでのミスは繰り返さない。それとウエットスーツを着用しているので、掻き手は自身の体のそばを通るよう意識した。
 タイミングを計ってヘッドアップ、目標ブイを視認。ひと掻きしてブレス。この繰り返し。キックを打つ選手が前方にいるとやりにくい。それを交わしながらヘッドアップを入れる。併せブレスで内側の小さなブイを確認。最内からは十分な距離があることが判り、反対外側にはライフセイバーがいらして時折、沖の目標のブイと重なった。それで大体の自分の位置取りをイメージし、それ以上外に出ないようにでそろり内側へ寄った。もちろん、目標のブイは見逃さない。

 ひとつめのブイを大きく右に回った際、選手ともつれ合い、次の目標のブイを見失う。落ち着いていたと思う。毎回ヘッドアップを入れて修正。
 沖に出ると潮の流れを感じ、僅かに立つ波でブイを認識するのに苦労する。でも概ね半分の距離を過ぎたことが励みとなる。
 浜へ向うにあたっても基本的には同じだ、目標を見失わないこと。だが、沖からのブイの認識は困難だ。時間ロスになっても平泳ぎで確認したろうかとも思ったが、内側のブイと周囲の選手を頼りになんとなく位置を確認しつつ、準備のときにバイクトランジションであたりをつけた、並列する青いのぼり旗を手がかりにした。浜辺のスイムゲートが目視できるようになるまでにはそう時間はかからなったと思うが、左右を選手に挟まれてしまい身動きが取れなくなる。なのでブレスで視界に入る内側のブイを頼りにてしばし我慢した。
 そうこうしていると海の底がうっすらと、おぼろげに見えてきた。実はそこからがまだ長いのだけれど、前方の確認しながら掻きを強めて右の選手の前に出た。さらに視界が開けそのまま真っ直ぐ、スイムゲートに向う。掻き手が砂浜に触れ、掻けるギリギリまで泳いだ。手のひらが底に着くようになってようやく立ち上がる。浮力から抜け出し、少しよろめくようにして階段をあがる。スイムCK通過までは少し息が切れるぐらいで走りこんだ。時計を一瞥する。38分台、悪くない。シャワーで止まる選手が少なくなくて、彼らに接触せずに走り抜けそうになかった。シャワーの横を通り過ぎバイクトランジションへ向う。ぼくを待つ相棒は、浜への目標とした青いのぼり旗の立つ辺りだった。(スイム141位 39分26秒)