結果はDNF。ランの1周目の折り返しにも満たないところで吐いてしまい脚がとまる。時間を置いては走り出すが、すぐに続けられなくなる。折れた、壊れてしまった。2周回目で自ら棄権を申し出る。フィニッシュまで歩き通す選択もあったが、さらに症状が悪くなること、そうなったときに自分はもちろん周囲にかける迷惑を考え、力が残っているうちに申告しようと決めた。
今も(大会翌日)気持ち悪い状態が続いて。胃腸が弱ったところでの熱中症や脱水によるものと考えられる。前日の食事もさることながら、この夏は遠慮なく冷たいものを大量に取った自覚がある。そういったことも含めて長時間運動する支えの胃腸の力が低下していたのかもしれない。過去、3月の関東のマラソン大会でも似た経験はあったが、あのときは途中で回復できた。だが、今回はそうではなかった。恐らく気温からくる影響だろう。
なんであれレース前の体調管理には十分に気をつけねばならない。どんなことがあっても食べられなくなることはないが、消化、吸収の能力については別立てだ。もしかして加齢もあるのかなぁと脳裏をよぎったりする。それはまだ考えたくはないことだけれど。
自らゴールフィニッシュを諦めたことへの自責はあるが、一方で、持てる力は出し切った思いもある。意味のあるDNFにするためにきちっと分析して、リセットするしかない。
話は変わるが、会場から荷物の搬出の際、同行していただいたマーシャルの方々がとても優しく、この場で伝わるとは思えないが心から謝意を表したい。温かい励ましの言葉をかけていただき、本当にありがとうございました。
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9/3(土)
ひとり始発のフェリーに乗り込む。単独行動はいつものことだが前回‘19年の大会には息子がいたことを想い出した。父親として直接なにか一緒にできることが減ったのは残念。
鉛色の空と睨めっこしながら佐渡上陸後のいくつかの予定や選択肢を選ぶ。到着したとき、わずかに小雨がぱらついていたので路線バスで宿泊先へ向かうことにした。
週末のバスは観光地をめぐる役割も担っていて、上っ面の観光気分を味わうことができた。乗り込んだバスの規格は、ぼくが小学生の頃、祖父母の家に出掛けるときに乗ったそれを思い出させる懐かしさがあり、結果的には1時間以上の乗車となったが苦にならなかった。そしてなにより、降車時に応対してくれた運転手さんの心遣いがありがたかった。
雨粒はぱらついていたがバイク自走で移動する。選手登録を済ませ、会場に掲示してある応援FAXを眺めたり、曇空の下の屋外ブース会場をまわった。まだ早い時間であり例年のような活気はなく見えた。
登録会場をあとにして、予定していた次の行動に移った。詳細は省くが、ぼくなりの義理を果たした。だがどうかな。あまり期待しないでおこう。
昼食は7月のOWSにお世話になったお宿の喫茶店に立ち寄った。ここではなかなか面白い出会いがありレース楽しみが増えた。こちらも詳細は省略するが、本当に実現したらこの場で報告することにします。多分ないと思うけれど。
そうこう時間をうっちゃってから宿泊を共にする面々と合流する。それぞれの用事を済ませて、皆でリラックスしたひとときを過ごす。特に夕食はとても楽しい時間となった。各自、翌日の支度を済ませ20時は消灯。しかし、ぼくはあいも変わらず22時半過ぎまで悶々とした。寝床が変わるのは本当に得意じゃない。
9/4(日)
午前3:00前に目覚める。入眠しやすいように安定剤を服用したせいで体が重い。もう少し眠ろうと目を閉じるが、おそらくAタイプの方々と思われる物音が耳について寝付けず、まんじりとしながら起床予定時刻のAM4時のアラームが鳴った。
起き抜けの早い朝食を摂りながら、最後の支度をして午前5時半頃、配布されたビニールバッグを2つを背負いこんで、薄明かりの道をバイク自走で会場へ向った。
10分と掛からず到着。最終受付を済ませ、ひと通り準備を終わらせた頃、定刻通りAタイプがスタート、赤いヘッドキャップが沖を目指すさまは壮観だった。ツイッターでフォローさせて頂いている松田さんに注目。やはり彼の泳ぎは突出していた。ロング挑戦に本気で取り組む彼の姿勢には胸を打たれる。全てのAタイプの選手に敬意を払う。
スイム試泳の終了15分前にスイムCK。沖に覗くオレンジのブイを目指してみたり、岸に戻るときも目印を決めてヘッドアップを確認。海は穏やかで、波はほとんどなく水温も丁度良い。
スタート地点への集合を促され、スイムアップ40分あたりと見当をつけた砂浜にひとり座ってスタート時刻を待った。刻々と時間は過ぎる。ゆったりと深呼吸を繰り返すと周囲のざわめきがだんだんと気にならなくなる。準備は整った。
AM7時半。中央よりもやや外側からスイムスタート。前方、左右ではドルフィンを繰り出しているが、ぼくは海中に身を投じ水を掻いた。バトルの始まりだ。
スイムの最大目標はブイを見逃さないこと。ヘッドアップを細かく入れる。OWSでのミスは繰り返さない。それとウエットスーツを着用しているので、掻き手は自身の体のそばを通るよう意識した。
タイミングを計ってヘッドアップ、目標ブイを視認。ひと掻きしてブレス。この繰り返し。キックを打つ選手が前方にいるとやりにくい。それを交わしながらヘッドアップを入れる。併せブレスで内側の小さなブイを確認。最内からは十分な距離があることが判り、反対外側にはライフセイバーがいらして時折、沖の目標のブイと重なった。それで大体の自分の位置取りをイメージし、それ以上外に出ないようにでそろり内側へ寄った。もちろん、目標のブイは見逃さない。
ひとつめのブイを大きく右に回った際、選手ともつれ合い、次の目標のブイを見失う。落ち着いていたと思う。毎回ヘッドアップを入れて修正。
沖に出ると潮の流れを感じ、僅かに立つ波でブイを認識するのに苦労する。でも概ね半分の距離を過ぎたことが励みとなる。
浜へ向うにあたっても基本的には同じだ、目標を見失わないこと。だが、沖からのブイの認識は困難だ。時間ロスになっても平泳ぎで確認したろうかとも思ったが、内側のブイと周囲の選手を頼りになんとなく位置を確認しつつ、準備のときにバイクトランジションであたりをつけた、並列する青いのぼり旗を手がかりにした。浜辺のスイムゲートが目視できるようになるまでにはそう時間はかからなったと思うが、左右を選手に挟まれてしまい身動きが取れなくなる。なのでブレスで視界に入る内側のブイを頼りにてしばし我慢した。
そうこうしていると海の底がうっすらと、おぼろげに見えてきた。実はそこからがまだ長いのだけれど、前方の確認しながら掻きを強めて右の選手の前に出た。さらに視界が開けそのまま真っ直ぐ、スイムゲートに向う。掻き手が砂浜に触れ、掻けるギリギリまで泳いだ。手のひらが底に着くようになってようやく立ち上がる。浮力から抜け出し、少しよろめくようにして階段をあがる。スイムCK通過までは少し息が切れるぐらいで走りこんだ。時計を一瞥する。38分台、悪くない。シャワーで止まる選手が少なくなくて、彼らに接触せずに走り抜けそうになかった。シャワーの横を通り過ぎバイクトランジションへ向う。ぼくを待つ相棒は、浜への目標とした青いのぼり旗の立つ辺りだった。(スイム141位 39分26秒)
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