2013年10月31日木曜日

遅ればせながら10月のことと、これからのことについて

10月は2度フルマラソンに出走した。13日に新潟、27日に大阪を走った。
大阪は本当に恵まれた環境だったと思う。
天候、コース、エイド、運営スタッフ、そして沿道の声援。どれをとっても今までに経験したことのない好条件が揃っていた。
また大阪は前泊の遠征だった。この旅ランは収穫が多かった。当初の計画通り運んだ訳ではないけれど、強行軍をこなした達成と安堵で満足している。今後もこの経験を活かして遠征をこなしていきたいと望んでいる。

そして、これら二つの大会を通してランへの関心が大きく動いた。
今年の春頃からショートトライアスロンに参加するためにバイクやスイムの練習を取り入れてきた。それぞれの面白さ、または難しさに触れた程度だけれどラン以外の持久系スポーツに取り組むことで持久力アップの相乗効果を期待した。他に時間を割く分、ランへの取り組み方がやや薄れたことは否めない。けれど出場を強く希望していた村上トラの落選を機に一変、出来る限りランに時間を割いた。8月の中旬から土日はトータルで40km以上を走ることを目標とした。お陰で長距離ラン耐性が向上し、ついては月毎、或いは週単位の練習スキームのようなものが出来上がった。走行距離で言えば月間200kmから300km台が伺える内容にステップアップしたと思う。
サブ3.5。いつかは達成できれば良いなぁと漠然と思っていた。前述の通り、トラへの関心が優先を上回っていたけれど、改めてサブ3.5を目標に掲げ練習に取り組んでいきたい。
来年の2/9いわきサンシャインマラソン、3/16はなももマラソンにエントリーした。

この短期間で新潟、大阪とそれぞれに違ったフルマラソンを間隔を開けずに経験したことがぼくにとっては幸運だったと言える。新潟の経験があったからこそ、大阪があった。フル出走4回目にして、やっとフルマラソンが面白くなってっきた。
今週は五泉紅葉マラソン10kmに出走する。自己ベストを狙いたい。

11/4までの…ラン46km

大阪マラソン2013

 北上する台風の影響を心配していたが、予定通り飛行機で大阪へ向かうことができた。
 3万人が出場する大阪マラソン。
 その言葉だけで心が沸き立つ。経験しなければその規模がどんなものなのか見当がつかない。
 当日。余裕を持ってスタートに立つ為に、早めの行動を心掛け午前7時過ぎにはスタートの大阪城に入る。

 想像をはるかに超える人の多さに圧倒される。大阪城へ向かう人々で、見たことのない長蛇の列ができていた。ぼくは道案内のパンフを片手に、手荷物を預けたり、着替えをしたりと、あれこれ用事を済ませ早速スタートブロックへ向かう。それでも時間はあっという間に過ぎ、スタート整列を促すアナウンスが流れる。スタートの45分前ぐらい前のことだった。

 スタートブロックはA〜Qまであり、ぼくはBグループ。大阪府庁前に設置されたスタートゲートはすぐ目の前だった。新潟シティの時より前方に位置していた。申し分なかった。周囲を気にしながらストレッチをする。ふとシューズに目が留まる。そして、ここで今季最大級の失態に気づく。
 (あれ…ない。チップが無い!やっちまったぁ)
 計測チップを装着し忘れていたのだ。

 前日の記憶がふと蘇る。受付の際に、渡された物の中から、ゼッケンとチップの入ったビニール袋だけがスルリと抜け落ちてしまい、ボランティアのスタッフに拾ってもらった一幕のことを。
「これがないと出走できひんよー」
 笑顔で手渡され、ぼくはお礼を言いながら、そそくさと受け取った。きっとあの時から暗示されていたのだ。スタート20分前。もう、どうすることもできない。
 (どうなるんだろう。完走証とかもらえないのかぁ?折角、大阪まで来たのにぃ…。)
 不安と焦燥。ぐるぐる何度も頭の中を巡る。悔やんでも悔やみきれない。チップを付けていない、お間抜けランナー。大勢のランナーの中で孤独感に苛まれる。

 大阪の空は晴れ渡っていた。ぼくは天を仰ぐ。青い空、白い雲。爆音をたてる報道のヘリコプター。深呼吸して思考を整理する。そして右手首につけた相棒のタイメックスを見つめた。
(時計はこいつを信頼するしかない)
(ゼッケンつけてるからなんとかなる、かな)
半笑いになった。なるようにしかならない。

 スタート10分前。90%ぐらい平常心を取り戻す。けれど、なるべく他のランナーのシューズに目を配らないように努めた。

 1分前。ぼくらランナーはゴールへ詰め寄るように何歩か前にで出る。
 カウントダウン。そして、号砲。ゲート周辺にドライアイスが勢いよく吹き出され群衆が拍手する。
 Bグループのぼくはすんなりゲートを通過した。ゲート通過まで概ね1分30秒ほどだったと思う。通過ポイントで時計の計測ボタンを押す。ぼくの大阪マラソンの幕開けだ。

 スタートは道なりに蛇行するコースで前を走るランナーの背中を追いかけるように走り出した。所々で幅員が狭くなり、その度にランナーの群れにブレーキがかかり歩様が乱れる。入りの1km通過は5分30秒。アップを兼ねる。
 ぼくは走りながら考える。そもそも、どうして大阪にエントリーしたのかを。何を目的としていたのだろうと。幾つかの想いが脳裏をかすめてゆく。
 突然、後ろから声をかけられる。
「新潟からですか?亀貝からきました。頑張りましょう!」
 また、しばらくして、
「新潟からですか?佐渡から来ました!!」
 今度は握手を求められる。
 ぼくのネイビーのランニングシャツの背中には「にいがた」と割と大きな平仮名でプリントされている。シャツのバックプリントは侮れない。このあと沿道からの声援をたくさんもらい、更にこの重要性を感じることになる。

 最初の5km通過は27分。イメージより1分ほど遅い。どうしようかと迷ったそのとき、ぼくの左をルフィ、そう、ワンピースのルフィの仮装をしたランナーが颯爽と追い越してゆく。
 ここでぼくの脳裏に閃く。
(ギアセカンド)
 ワンピースの主人公ルフィは奥歯のスイッチを押して、自らの能力を高めることができる。
これは天啓かもしれない。だから、ぼくも迷わずギアセカンド。もちろん、あのポーズを頭に思い浮かべながらペースアップする。
腰をより高く、股関節を意識して歩幅を広く、そして腕のふりも大きくとる。

 御堂筋は4車線と道が広く、どこまでも並木が連なるようで走っていて気分が良かった。都会を走るというのはまさにこれだ。淀屋橋を右折して、しばらく進むと10km地点。ここで50分。過去3度のフルでは経験したことのない通過時計だった。
(やり過ぎ、かな)
前半5kmが27分だけにややセーブする。

 レンガ造りの中央公会堂の建物が青空に映えて美しかった。そこでは学生応援団がランナーにエールを送っている。軽くクランンクした道沿いのチア達に連続タッチ。
「にいがたぁ、がんばりぃー」
黄色い声援はいくつになっても嬉しいものだ(笑)

 折り返し再び御堂筋。15km通過で75分。春の15kmの新潟ロードレース、惜しくも70分を切れなかったレースを想い出す。あの時は雨の中、苦しかった。その時と5分しか違わない。

 沿道から「カエルさんやぁー」とか「カエルー」とやたらに声が聞こえた。ぼくのすぐ右後ろに上半身ミドリのタイツのカエルの被り物をしたランナーがいた。彼は併走するランナー何かおしゃべりをしながら軽く走っている。
 「ルフィー!」 やや前方にあのルフィーもいた。5km付近でぼくを抜いたギアセカンドの彼だ。そして、少し先にはダイコンが走っている。緑の菜っ葉を頭に載せたダイコンの着ぐるみだ。ちなみにもう少し先にはナスの着ぐるみも確認できた。
 カエル、ルフィー、ダイコン、ナス、ドラえもん、マリオ、ルイージ、ジーンズ姿の普段着ランナー。
 分かり易いキャラクターは沿道からもウケがいい。優しい関西弁で、「カエルやー」とか「ダイコンさんー」とか呟きにも似た声援を耳にするとつい笑顔になってしまう。気が紛れる。

 なんばから京セラドームに向かう17km付近で一回目の補給を行う。先々週の新潟シティの経験を活かし早めにとる。
 大正橋を渡ると街並みはノスタルジックな町工場といった言葉が似合う風景に変わる。製造業の街、大坂の一面が垣間見える気がした。20km通過の時計は1時間40分。ちょうど5分ペースできていた。折り返して再び大正橋からなんばへ向かう。
沿道からは「にいがた、頑張れ!」とたびたび声援を受ける。右手でそれに答える。私設のミニエイドなどもポツポツ見える。

 なんばから通天閣そして大国(だいこく)へ。25km通過も計ったように2時間5分。この頃になると併走するランナーの顔ぶれが、だんだんと見覚えのある姿になっていく。京都鴨川の赤いTシャツの方とはずいぶんと長い時間を走ったはずだ。
 この辺りから少し苦しさを感じるようになる。ぼくは少しでもエネルギーを無駄に使わないように頭を固定するように視線を落として走った。2度目の補給タイミングを計りながらジェルを右手に準備した。相変わらず声援は途切れることがない。「にいがた」の声援に背中を押される。

 国道26号線は前表通り長い直線だった。
 西成区のあたりから一気に観衆が増える。「にいがたぁ!」の声援を浴びる。ハイタッチを求められる。盛り上がり方がハンパじゃない。陽も高くなり暑さを感じる。あのテンションで何時間もやっている方も大変なはずだ。大坂の下町で印象に残ったのはスーパー玉出の黄色い看板だった。あちこちにあった気がする。
 30km通過は2時間31分。あと12km。
 32km付近のエイドが賑やかだった。どんなものがあったか正確には覚えていない。、口にしたのは干し梅とパイナップル。らっきょう漬けを取りそこなった。酸味を味わえたのは精神的に効果は大きいと思う。元気になれそうな心持ちになる。そして沿道からはつかさずアドバイス声援が聞こえる。
 「ペースを守れ、残り10km!!」
間違いない。ぼくは頷きながら脚を運んだ。

 住之江公園を過ぎるとモノレールの高架橋の下がコースになる。片道2車線道の左側では歩いたり屈伸するランナーの割合が確実に多くなる。補給エイドもランナーが群がり混雑しているのでパスをした。ぼくは高架のおかげで日陰になっている歩道側を進む。時より吹いてくる風が心地よかった。
 「苦しいのは気のせいだ」と書いてあるプラカードを発見。通りがかりに看板を指差して「その通り!」と言って通り過ぎる。常套句ではあるが好きな言葉だ。彼らは笑って声援を送ってくれた。
(このままいけそうだ)
新潟のときのようなスタミナ切れは起こさない気がした。そして自己ベストの可能性を意識したのもこの辺りだった。

 35km地点で2時間58分。確実にペースは落ちていた。左の脹脛がピクピクし始めた。また同じく左の親指が痛んだ。拇指よりに着地するよう意識する。そうこうしているうちに目の前にはコースの難所、南港大橋が現れる。平坦コースに突如現れる登坂だ。彩り豊かなたくさんのランナーが坂を登っていくさまは不思議な風景だった。
 坂は得意だと言い聞かせながら頂点を目指す。しっかり一歩づつ登る。登坂の途中「にいがたぁ、がんばれぇ!」の声援に右手で答える。どこからか音楽が聞こえ気が紛れる。左の脹脛がピクピクするのを気にしながら踏み上がる。
 下り坂は登りのロスを相殺するつもりで傾斜に身を預ける。「やまびこ通り」の坂に似ていると思った。息切れそうになったけれど、並走するランナー達のお陰で駆け切ることができた。

 交差点を右折。港湾らしい風景が広がる。積まれた鮮やかな色のコンテナ、JFEスチールのヤード。いつもならひと気のほとんどないと思われる歩道には、ランナーに惜しみない声援を送る人々がいる。
 残り3km。最後の給水ポイント。こまめにエイドがあるというのは本当に有難い。
 ラスト2km。沿道の人が一層濃くなり、幾重にも列になって声援を送る。ぼくはできる限りペースを落とさないように進む。いつもの練習コースで2kmを想像してみるが、まだ油断できない距離だ。
 残り1km。ゴールは見えない。周囲のランナーのペースが上がる。歩いてゴールを目指すランナーもいる。30分台でゴール出来るか時計を確認する。ギリギリだった。ゴールが見えるまではペースをキープする。
 左折。フィニッシュゲートが見えてもいいはずだった。けれど道がクランクしていて目視できない。時計を見る。30分台はいけそうだった。
そして遂に見えた。フィニッシュゲートだ。
ぼくはサングラスとキャップを外し、思い切りゲートに駆ける。
ゴール。ネットで3時間39分25秒。自己ベストだった。

 右手に持ったサングラスをかけ直し、通過したフィニッシュゲートに軽く一礼をした。涙腺が緩み、もう少しで涙が出そうになった。
踵を返しフィニッシャーの姿を撮影するカメラマンに右の拳を挙げて見せた。ぼくの大阪マラソンが終わった。


10/31までのラン・・・219km

2013年10月23日水曜日

ベイビーアイラブユー

 ベイビーアイラブユー / TEE
 このラブソングを知っているだろうか?ぼくは今年5月結婚式の二次会にて、新郎の妹さんのパフォーマンスで初めてちゃんと聴いた。
 歌詞を新郎新婦の出会いから結婚に至るまでのストーリーにアレンジし、そして自作の映像を合わせたものだった。クオリティーの高さに会場がどよめいた。二人を祝福する彼女の想いがたくさん詰まっていてクールで、とびきりチャーミングなパフォーマンスだった。ぼくの心に強い印象を残した。

 その彼女が逝ってしまった。 体調を崩して入院していることは耳にしていた。あの快活な姿からすぐに回復するものだと思っていた。突然の知らせに絶句してしまった。悲しい知らせはいつだってぼくらを待ってくれやしない。
 ベイビーアイラブユー。
 きっとこれから、この曲を聴く度にあのライブのことを、あの姿と歌声を思い起こさずにはいられない。

 Baby I love U ,I love U ,I love U 何度も
 Only one ,Only one 感じあえる
 You always on my mind 強くなる
 全て 大切に思える
 I love U ,I love U ,I love U これからも
 Only one ,Only one 変わらない
 I always by your side 見上げよう
 二人だけの空 ずっと ずっと

 ぼくたちはただ彼女の冥福を祈ることしかできない。
 合掌。

2013年10月15日火曜日

'13新潟シティマラソンのこと

 会場の新潟陸上競技場は総勢1万人を超えるランナーと関係者で埋め尽くされていた。天候は晴れ。涼やかに吹き抜ける風の中に、秋に似つかない鋭い陽射しが気温の上昇を予感させた。
 ぼくは走友会の面々と共に、余裕を持って会場入りしたのだけれど、あれよあれよという間にスタート時間に近づてた。軽い準備体操と用を足すので精一杯。大会のゲスト高橋直子さんの挨拶の直後に、フルマラソンC郡の列に潜り込むように並ぶ。

 競技場の門前で、スタートの号砲と湧き上がる歓声を聴いた。2分過ぎスタート板を通過。全てのカテゴリ(10km、ハーフそしてフル)のランナーが入り混じっているせいか、走り始めのリズムが上手く取れない。いつものことだと半ば諦めながら、道路のど真ん中を進む。
 古町、礎町そして万代橋。参加ランナーにとっての新潟シティマラソンの見所はここに集約される。礎町交差点から万代橋を望むと、上昇する太陽に人々の群れが向かっていくように見えた。橋の中腹からの万代の風景は、新潟日報の新社屋が加わり重厚感を増していた。

 最初は気分よく、楽に走ることに専念しようと考えていた。夏の長距離練習でスタミナ切れを数回経験したことや、丸一年ぶりのフルマラソンであることがぼくを慎重にさせる。

 関屋分水の10km通過ポイントで、この日、初めて時計を確認する。予定通りかと思いきや3分以上早かった。息は弾み体は軽い。調子は?と尋ねられれば間違いなく、良好です!と答えただろう。特に抑えることはせず、このまま進むことにする。

 住宅街を抜け402号線に向う。海岸をトレースするコースは折り返しを含め37km地点まで続くのだ。多少のアップダウンはあるが、あまり変わり映えのしない風景が多くのランナーにとって苦痛らしい。
 海岸に出ると風が強かった。それは折り返し以降の追い風を期待できるぐらいのものに感じた。僕は同じようなペースのランナーを見つけて左斜め後ろにつく。申し訳ないが風除けにさせてもらった。目線を常に3mぐらい先に置いて頭を固定し、周囲に気をとらわれないように黙々と進んだ。
 ときどき頭の中の音楽スイッチが入り、お気に入りの秦基博の曲のフレーズが断片的に再生された。アスファルトに映る細長いランナーの影が流れる楽曲に似合っていた。
 
 17〜8kmあたりで早めのエネルギー補給をする。 折り返しまでは順調だ。正確に表現すれば、気がつくと折り返しだった、という具合に。苦しいところも痛いところもない。辛くなってくると、アトどれくらいだとか、マダこれぐらいだとか、頭の中をグルグル回りだすのだけれど、そんな兆候は微塵も感じられない。ここまでは上手くやれている。
 ここでスピリットZさんを発見。まさか彼を見つけられるとは思っていなかった。折角なので離されないように後ろに付くことにする。
 想い返すと、これはよい判断だった。結局、28km地点で離されてしまったけれど、お陰で新川漁港を含めた長い海岸線を緩むことなく進むことができた。

 実はレース前、彼から「一緒にいきましょう」と声を掛けられて、力の及ばないぼくは丁重にお断りしたのだけれど、ほんの少しのあいだ現実となった。
 折り返してからの風の恩恵は然程だったけれど、その変わりにZさんに引っ張ってもらったというわけだ。30km付近までは彼の赤いキャップを見つけては、それを追いかけるようにして走ることができた。

 青山斎場の坂を下りながら、アミノ酸補給の準備をする。30kmを通過して時計を確認。時計もさることながら、ここまで無事に来れたことが嬉しくて一人ほくそ笑んだ。握りしめたアミノ酸の袋の感触が、手に心地良かったことを今もよく覚えている。

 大堰橋を渡ると新潟島の先端に取り付いた気分になれた。31kmの給水で、ぼくは走りながらアミノ酸の粉末を喉に流し込み、港タワーを目指し海岸線を走る。
 しばらく進むと、警備の方が道路に立っているのに気がついた。沿道に人がやけに多い。すぐに状況が掴めなかったが、コースで高橋尚子さんが、ランナーを励ましている姿が見えた。ぼんやりしていたぼくは気を引き締める。幸いなことに、僕と前のランナーとの間には少し余裕があったので、僕は「パワーをください!」と言いながら右手を挙げると「いいわよー!」とハイタッチ。右手がじんわりと熱くなった。そういえば昨年もこんなふうに応えてもらったっけ。

 西海岸公園沿いから青陵大学を通過。このあたりで体調に違和感を覚え始める。疲労と脱力がジワジワと歩み寄ってくる。なぜか右の手と足が軽く痺れた。補給のタイミングが遅かったかなと思った。やり直せるものでもない。ここからがフルマラソンの醍醐味なのだと自分に言い聞かせ、あごを引き、視線を落として走ることに集中する。

 マリンピア手前で走友会の旗を確認する。34km地点、noboさんnの予告通りの陣取りだ。Noripさん、ファイターズさんの姿が見え声援を頂く。
「腰が落ちてるぞー」 と言われた。(と思う。)
 このあたりではまだ余力があった。疲れが腰の高さに現れる。腰が落ちれば落ちるほど、非効率な走り方になる。頭では理解できていた。

 双葉中の坂の降りで35kmを確認して時計を見る。上手く働かない頭で、残りの距離と時間を計算した。自己ベストを狙えるかはギリギリのところだった。

 ぼくらはただひたすらに最終関門37km地点の港タワーを目指す。沿道に立ち止まりストレッチをするランナーの姿が随分と散見されるようになった。僕もお話にならないぐらいにペースは落ちていた。30kmまで快調に来たツケを払わされるようなものだ。もう、おつりなどないと自身が一番良く判っていた。このあたりで大概のランナーはフルマラソンの醍醐味を味わうことになる。
 あとは心が折れるか、折れないか、それだけだ。 

 港トンネルで一人の男性の声援が耳に届いた。
「あと5km!ここからは楽しみなさーい!」
 なにげない科白が心に響いた。
 そうだ、ここまで来たんだから楽しむことを忘れちゃダメだ。次に繋がる走りをせねば。だから、なにがなんでも絶対に止まらない。
 今にも立ち止まりそうだったけれど、とにかく脚を前に出す。

 入船町から、ミナトピアへ。
 喉が渇いて仕方がなかったことと、随分と後ろから抜かれたこと、そして抜き去るランナーのスタミナに畏敬の念を抱いたこと、それから、信濃川の河岸に出るなんてことのない緩い登りで脚が前に出なかったこと・・・などをおぼろげに記憶している。 
 
 残りの数キロは、喉と口の渇きが気持ちを削いだ。コースを外れて、水飲み場で給水して凌いだりした。
 確か柳都大橋からグランドホテルの間だったと思う。口の渇きに喘ぎながら進んでいると、私設エイドのようなものがあり、そこで炭酸飲料を頂いた。一口分ぐらいのちょうどよい量だった。これが抜群に効いた。残り2kmを走りぬく力の源になった。 

 万代橋、八千代橋そして昭和大橋をくぐり抜ける。途中フェマンさんから声援を頂いた。陸上競技場に近づくにつれてアナウンスが聴こえてくる。もう少し、あと少し。残った力を振絞る。
 競技場入り口の門をくぐるとゴールが見えた。ぼくは昨年と同じようにコースのど真ん中を通りゴールに入った。その瞬間、いままでの苦痛が嘘のように消え去った。

 僕にとっては3度目のフル完走となった。今回は35kmを超えてからの苦しみを改めて堪能(笑)できた。そしてここまでにいたるプロセス、すべてをひっくるめて楽しむことができたと思う。
次、10/27は大阪。楽しみだ。

※結果 (計画)
10km 54分 (56分)
20km 1時間42分 (1時間49分)
30km 2時間37分 (2時間42分)
35km 3時間05分 (-)
40km 不明 (3時間37分)
ゴール 3時間53分 (3時間50分)

10/16まで…ラン109km

2013年10月11日金曜日

新潟シティ2日前。

 レースのある週、特に目標にしているレースの週というのは、様々な想いが濃密になる期間だと思う。不安、後悔、焦燥、期待、希望、成功、失敗、諦観。それは定期的にマラソン大会に出走するようになって知った掛け替えのない時間でもある。本番を間近に控えた独特の緊張感が存外心地よく、普段よりも冷静にさせてくれる効果があるような気がする。
 レットイットビー、ケセラセラ、エブリシングイズビーオーライ。
 あれこれと想い悩んでも結局は腹を括って臨むしかない。自身の挑戦に対して方針を打ち出し判断をする稀な機会だ。

 今週もいつものように朝ランやら帰宅後にジョグをして過ごした。基本的にはスロージョグで体をほぐし、体の状態を大づかみで点検する。そして数キロをレースペース5分30秒あたりで意識して走った。力を出せるコンディション造りを心がけハードな内容にならないように調整をした。

 昨年はサブ4入りを大目標として新潟シティに臨んだ。そして今年も昨年とほぼ同等(実は3分遅い)のシュミレーションで時計は設定している。結果オーライでより速いタイム、つまり自己ベストを更新できるのならばそれに越したことはないが、ここに至るまでのまでの練習を総合的に鑑みると高い目標に感じてならない。時計を追いかけるのではなく、時計に追いかけられるようで自信が持てない。
 ということで思考を整理して、今月末の大阪マラソン、来年のいわきサンシャインといった次のエントリーレースに繋がるように課題をもって臨むことに決めた。そう想った途端にとても広々とした気持ちになった。

 ぼくはこれから幾つものフルマラソンを経験するつもりだし、そうしたいと望んでいる。やり続けることで、きっと今とは違う景色が現れてくるに違いないと信じている。

あと2日。いよいよだ。

10/11まで…ラン62km。

2013年10月2日水曜日

もう10月かぁ。

 もう10月だ。衣替えとなり昨日から長袖シャツにネクタイ、ジャケットを羽織り出勤する。この格好に気持ちが追いついてこないのは僕だけではないと思う。秋晴れの空にはまだ夏の余韻が残っている。

 シティまで2週間を切った。ぼくはフルを意識して8月の中旬あたりから週末は20km以上の距離をこなしてきた。昨年の練習記録と比較すると一回あたりの練習量は今年の方が長く、期間の走行距離も多いけれど、目指すペースで走り切れるかは甚だ疑わしい。故障明けからのながれというのも心許ない。はっきり言って完走できるかが不安だ。当日の天候とコンディションに気を配り、給水と補食でフォローするしかない。

  フルマラソンは今回で3度目の挑戦だ。初挑戦、昨年の2度目の挑戦とは明らかにモチベーションが異なる。今回で本来の実力がわかるのかなぁとも思っている。昨年は天候にずいぶん助けられた。今年も同等の時計を目指し完走せねば。10/27には大阪マラソンが控えている。走ることを楽しむ気持ちを忘れずに、この週末は短いところをサクッとやって調整とするつもり。

そういえば、東京マラソンは3度目の正直とはならず、またもや落選。2014年の冬の計画を立てねば。

9月末まで…ラン280km