ぼくは走友会の面々と共に、余裕を持って会場入りしたのだけれど、あれよあれよという間にスタート時間に近づてた。軽い準備体操と用を足すので精一杯。大会のゲスト高橋直子さんの挨拶の直後に、フルマラソンC郡の列に潜り込むように並ぶ。
競技場の門前で、スタートの号砲と湧き上がる歓声を聴いた。2分過ぎスタート板を通過。全てのカテゴリ(10km、ハーフそしてフル)のランナーが入り混じっているせいか、走り始めのリズムが上手く取れない。いつものことだと半ば諦めながら、道路のど真ん中を進む。
古町、礎町そして万代橋。参加ランナーにとっての新潟シティマラソンの見所はここに集約される。礎町交差点から万代橋を望むと、上昇する太陽に人々の群れが向かっていくように見えた。橋の中腹からの万代の風景は、新潟日報の新社屋が加わり重厚感を増していた。
最初は気分よく、楽に走ることに専念しようと考えていた。夏の長距離練習でスタミナ切れを数回経験したことや、丸一年ぶりのフルマラソンであることがぼくを慎重にさせる。
関屋分水の10km通過ポイントで、この日、初めて時計を確認する。予定通りかと思いきや3分以上早かった。息は弾み体は軽い。調子は?と尋ねられれば間違いなく、良好です!と答えただろう。特に抑えることはせず、このまま進むことにする。
住宅街を抜け402号線に向う。海岸をトレースするコースは折り返しを含め37km地点まで続くのだ。多少のアップダウンはあるが、あまり変わり映えのしない風景が多くのランナーにとって苦痛らしい。
海岸に出ると風が強かった。それは折り返し以降の追い風を期待できるぐらいのものに感じた。僕は同じようなペースのランナーを見つけて左斜め後ろにつく。申し訳ないが風除けにさせてもらった。目線を常に3mぐらい先に置いて頭を固定し、周囲に気をとらわれないように黙々と進んだ。
ときどき頭の中の音楽スイッチが入り、お気に入りの秦基博の曲のフレーズが断片的に再生された。アスファルトに映る細長いランナーの影が流れる楽曲に似合っていた。
17〜8kmあたりで早めのエネルギー補給をする。 折り返しまでは順調だ。正確に表現すれば、気がつくと折り返しだった、という具合に。苦しいところも痛いところもない。辛くなってくると、アトどれくらいだとか、マダこれぐらいだとか、頭の中をグルグル回りだすのだけれど、そんな兆候は微塵も感じられない。ここまでは上手くやれている。
ここでスピリットZさんを発見。まさか彼を見つけられるとは思っていなかった。折角なので離されないように後ろに付くことにする。
想い返すと、これはよい判断だった。結局、28km地点で離されてしまったけれど、お陰で新川漁港を含めた長い海岸線を緩むことなく進むことができた。
実はレース前、彼から「一緒にいきましょう」と声を掛けられて、力の及ばないぼくは丁重にお断りしたのだけれど、ほんの少しのあいだ現実となった。
折り返してからの風の恩恵は然程だったけれど、その変わりにZさんに引っ張ってもらったというわけだ。30km付近までは彼の赤いキャップを見つけては、それを追いかけるようにして走ることができた。
青山斎場の坂を下りながら、アミノ酸補給の準備をする。30kmを通過して時計を確認。時計もさることながら、ここまで無事に来れたことが嬉しくて一人ほくそ笑んだ。握りしめたアミノ酸の袋の感触が、手に心地良かったことを今もよく覚えている。
大堰橋を渡ると新潟島の先端に取り付いた気分になれた。31kmの給水で、ぼくは走りながらアミノ酸の粉末を喉に流し込み、港タワーを目指し海岸線を走る。
しばらく進むと、警備の方が道路に立っているのに気がついた。沿道に人がやけに多い。すぐに状況が掴めなかったが、コースで高橋尚子さんが、ランナーを励ましている姿が見えた。ぼんやりしていたぼくは気を引き締める。幸いなことに、僕と前のランナーとの間には少し余裕があったので、僕は「パワーをください!」と言いながら右手を挙げると「いいわよー!」とハイタッチ。右手がじんわりと熱くなった。そういえば昨年もこんなふうに応えてもらったっけ。
西海岸公園沿いから青陵大学を通過。このあたりで体調に違和感を覚え始める。疲労と脱力がジワジワと歩み寄ってくる。なぜか右の手と足が軽く痺れた。補給のタイミングが遅かったかなと思った。やり直せるものでもない。ここからがフルマラソンの醍醐味なのだと自分に言い聞かせ、あごを引き、視線を落として走ることに集中する。

「腰が落ちてるぞー」 と言われた。(と思う。)
このあたりではまだ余力があった。疲れが腰の高さに現れる。腰が落ちれば落ちるほど、非効率な走り方になる。頭では理解できていた。
双葉中の坂の降りで35kmを確認して時計を見る。上手く働かない頭で、残りの距離と時間を計算した。自己ベストを狙えるかはギリギリのところだった。
ぼくらはただひたすらに最終関門37km地点の港タワーを目指す。沿道に立ち止まりストレッチをするランナーの姿が随分と散見されるようになった。僕もお話にならないぐらいにペースは落ちていた。30kmまで快調に来たツケを払わされるようなものだ。もう、おつりなどないと自身が一番良く判っていた。このあたりで大概のランナーはフルマラソンの醍醐味を味わうことになる。
あとは心が折れるか、折れないか、それだけだ。
港トンネルで一人の男性の声援が耳に届いた。
「あと5km!ここからは楽しみなさーい!」
なにげない科白が心に響いた。
そうだ、ここまで来たんだから楽しむことを忘れちゃダメだ。次に繋がる走りをせねば。だから、なにがなんでも絶対に止まらない。
今にも立ち止まりそうだったけれど、とにかく脚を前に出す。
入船町から、ミナトピアへ。
喉が渇いて仕方がなかったことと、随分と後ろから抜かれたこと、そして抜き去るランナーのスタミナに畏敬の念を抱いたこと、それから、信濃川の河岸に出るなんてことのない緩い登りで脚が前に出なかったこと・・・などをおぼろげに記憶している。
残りの数キロは、喉と口の渇きが気持ちを削いだ。コースを外れて、水飲み場で給水して凌いだりした。
確か柳都大橋からグランドホテルの間だったと思う。口の渇きに喘ぎながら進んでいると、私設エイドのようなものがあり、そこで炭酸飲料を頂いた。一口分ぐらいのちょうどよい量だった。これが抜群に効いた。残り2kmを走りぬく力の源になった。
万代橋、八千代橋そして昭和大橋をくぐり抜ける。途中フェマンさんから声援を頂いた。陸上競技場に近づくにつれてアナウンスが聴こえてくる。もう少し、あと少し。残った力を振絞る。
競技場入り口の門をくぐるとゴールが見えた。ぼくは昨年と同じようにコースのど真ん中を通りゴールに入った。その瞬間、いままでの苦痛が嘘のように消え去った。
僕にとっては3度目のフル完走となった。今回は35kmを超えてからの苦しみを改めて堪能(笑)できた。そしてここまでにいたるプロセス、すべてをひっくるめて楽しむことができたと思う。
次、10/27は大阪。楽しみだ。
※結果 (計画)
10km 54分 (56分)
20km 1時間42分 (1時間49分)
30km 2時間37分 (2時間42分)
35km 3時間05分 (-)
40km 不明 (3時間37分)
ゴール 3時間53分 (3時間50分)
10/16まで…ラン109km
0 件のコメント:
コメントを投稿