T1(スイム➝バイクのトランジション)。ぼくの両脇にバイクが掛けられることはなかった。こういうこともあるんだな。ラックの角だったので十分すぎるほどパーソナルスペースを確保できた。
2025年12月1日月曜日
第38回伊是名88トライアスロン(2025年)のこと③ バイク~ラン編
T1(スイム➝バイクのトランジション)。ぼくの両脇にバイクが掛けられることはなかった。こういうこともあるんだな。ラックの角だったので十分すぎるほどパーソナルスペースを確保できた。
2025年11月28日金曜日
第38回伊是名88トライアスロン(2025年)のこと② スイム編
1.スイム (1,000m 2周回)
潮の流れのせいだろう、三角形(500m-90m-410m)に設営されるコースロープの沖のほうが膨らんでいる。浜に近い方は左からの潮の流れが、離れたところでは右からの流れがあるのかと推測した。満潮は8:58分。スタート時刻は9時。つまり泳いでいる途中に引き潮になる。
進行方向が変わると突如、大きなうねりに巻き込まれた。ブレスで前後不覚になるほどで、きっとコースから離そうとする潮の流れだと思い、ヘッドアップを細かく入れて旗を見失わぬようにする。そのときはじめて旗色の赤、青、黄色の3色の並びに規則性がないことに気がついた。(もしかしたらロングスパンでは色の規則あったかもだが、2本連続で黄色の幟旗が続いたところがあった。)もっとよく観察しておけばと後悔する。色の順序とその間の距離を前日の試泳で把握していれば、きっと何かの役にたったに違いない。昨日のコース試泳では海水の冷たさと伊是名のビーチの美しさに完全に頭が持っていかれてレース対策を考えるどころではなかった。
浜へ向かう410mは長く感じた。コースロープに沿ってやや右を意識して泳ぐことができれば最短なのだろうが、何度か離されそうになった。また途中、ウェット着用をしているのに関わらず、急に海水が冷たく感じる場所なんかもあった。そういうところはまた別な潮の流れがあったのだろうと想像した。
1周目を終え砂浜にあがる。時計をみると20分と少し。時計はもう少し出ている感覚だったがそうでもなかった。砂浜のエイドで給水をもらい2周目に向かう。ここも潮を考慮し、内から離れた右から入った。(つづく)
第38回伊是名88トライアスロン(2025年)のこと①
その頃はこの日が来ることを楽しみに思っていたが、いざこうして迎えてみると当時感じていた高揚感や期待感は消え失せて、すべての準備と目的地に無事に到着することへの使命感の方が勝ってしまい、淡々とスケジュールをこなしているだけでどこか味気なさを感じている。
そもそもこの伊是名行きは自分にとって、レースへの挑戦もあるが南国バカンス的要素の割合が優っているのだがどうしたものか。軽く一杯引っ掛けて、お気楽に移動なんてことはルーティーン化した体調づくりに反するので流石にないが、何か移動の際の楽しい仕掛けが欲しいと思う。
伊丹空港に到着して携帯のメッセージを確認する。こういうときは普段ないような類いの業務連絡の一つや二つ入るものだが今回は何もなかった。その変わりとは言ってはなんだがトライアスロンチームの面々が、宮古島トライアスロンの抽選結果を報告しあっていた。そう、今日は宮古島の当選発表日。沖縄の3名に京都の1名は当選。やったね、おめでとう!
昨年は沖縄3名とぼくは落選して2次抽選待ちとなった。結局は皆無事に参加できたから良かったけれど、1次で落選したときは気持ちが沈んだ。
40回記念大会にフルマラソンの復活ということもあって是が非でもという参加者は多いと耳にしている。旅の途中でぼくだけ取り残されることなんて…。メールを開く。当選の通知だ、よかった。
肚の奥底にズシンとくる感じがする。こういうのをなんていうのかうまく言えないが大会へ向かう覚悟が整った。エアチケットも取得してるのでまずは一安心。
ちなみに昨日、とある講習会の参加申し込みの当選メールが届いた。こちらも抽選だった。そして今日は宮古島の当選の知らせ。こちらの望み通りにことが進もうとしている。どちらも仕事以外で、ぼく個人と世の中との接点をもたらすものなので、どちらも誠実に臨みたいものだ。
共に宮古島へ向かう予定の友人らにメッセージを送る。果たして彼らはどうだろ。当選しているといいな。
那覇空港には予定より20分遅れで到着。自宅を出てからおおよそ7時間が経過していた。たそがれの那覇はまもなく日が沈もうとしていた。我がチームのキャプテンが空港まで迎えにきてくれた。彼の運転で市内にある彼の自宅へと向かいバイクを組み立てる。作業を終えてバイクを車に積み込んで再び出発。伊是名島へ向かう船の出る運天港に近い本部(もとぶ)という街を目指した。しかし、移動中の何気ないぼくのひと言で、副キャプテン殿の自宅に立ち寄ることになり、そのままキャプテンと共に泊まることになった。
皆で買い出しをしてノンアルビアで家族の皆さんと乾杯。楽しい夜のひとときを過ごす。翌朝に備えて23時前には就寝する。
この旅のどこかで楽しいと思える自分に出会えることを期待していたが、那覇に到着してからの思わぬ展開に笑顔が絶えなかった。気の置けない友人というのは貴重な存在だとつくづく思う。(つづく)
2025年9月16日火曜日
第37回(2025年)佐渡トライアスロンのこと
佐和田の海の浅瀬には白波がいくつも見える。
Aタイプがスタートする朝の海といえば、鏡面のような穏やかな印象があるが今年は違った。浅瀬には波が立ち、海面のところどころがうねってみえる。今年のスイムはハードモードだなと思った。
波立つ海を泳ぐことより、ぼくは波酔いを心配した。かつて海で練習を始めた頃、二日酔いみたいなひどい波酔いを経験してから、海で泳ぐときには必ず酔い止めを服用することにしていた。普段は1錠を割って半錠ほどで済ますのだが、今日は1錠を使うことにした。
Bタイプのスイムチェックが始まったあたりから進行役の新田さんが
「体調が心配だったり、泳力に自信のない選手はスイムスキップの申請をしてください。無理はしないでくださいね。」と、しきりに自制を促している。安全第一のお知らせぐらいにしか気に留めていなかったが、海からの風が強まり、幾重もの白波が立つのを目の当たりにすると、時間経過とともに高くなる波を危惧しているのが理解できた。待機する選手からスイムスキップを選択するといった声も聞こえてくる。
ぼくらBタイプの選手がスイム会場へ移動を終えた頃、スタート15分前ぐらいだろうか、審判長からスイムの距離変更が告げられた。今年のB.Rタイプのスイムは1、350mに短縮された。短縮コースは事前に準備されていたのではなく、たまたま中間付近にあったブイで周回させることで短縮対応ができたことをレース後に知った。
ぼくは腹を括ってスタートを待っていたので距離短縮の措置に別段なにも感じないままに海上に浮かぶ目標物の説明を聴いていた。
定刻7:30。号砲を合図に選手たちは一斉に海へ向かう。ぼくはちょっとだけ浅瀬を歩き空きスペースを見つけ海へ飛び込んだ。ひどく濁った海底を見ながら水を掻きストリームラインの姿勢で波に翻弄されてみた。波の間隔や強さを掴もうとした。波の通過にあわせて水中を進み、通過後にブレスができればと考えていたのだった。
最初の何度かは上手く行った。しかし、今思えばそれはほんの僅かだったかもしれない。周囲からのプレッシャーを受けた途端にタイミングが合わなくなった。ブレスの最中に波に揺られると自分がどこへ向かおうとしているかが判らなくなる。ヘッドアップしても眼前には高い波が現れ視界を塞がれてしまう。その高く盛り上がった波の斜面には必死に泳ぐ選手らの姿しかみえなかった。
波に翻弄されながら周囲の選手達から離れないように努める。すると腕の時計が振動し、スタートから10分が経過したことを伝えてくれた。自分の泳力なら一つ目のブイまであと150mぐらいだろうか。そんなあたりをつけてヘッドアップを繰り返し、ようやく視認できた周回用のブイはそう遠くはなかった。
第1ブイを通過して第2ブイへ。ここはブイの間を繋ぐロープをつたった。第2ブイを折れて岸に向かう。ここは後ろからやってくる波に乗れれば楽に進む。ぼくは前を泳ぐリレーの選手をみつけ、その左後方につく。きっとぼくより泳げる方なのだろうと考え、先導役として利用させていただいた。
眼下の海底にごろた岩が見えた。岸は近い。それでももうしばらくは泳がなければならないのだけど、言わずもがな沖に向かうのとは気持ちはまったく異なる。終わりがみえる。あっという間のスイムだったなと思ったとき、あらためて距離が短縮されたことを思い出した。
海底がより迫ってくる。ブレスするとすでに立ち上がっている選手がみえる。つられるように思わずぼくも立ち上がる。しかし、岸まではまだ50mほど距離があった。2度ほどドルフィンぽいことをしたがまったく上手くできないので、海中に飛び込んでギリギリ岸まで泳いだ。
※スイムアップ0:22分
2.バイク
拍手と声援。ロードバイクのタイヤとアスファルトの摩擦音にホイールの回転音。朝の佐和田の街にトライアスロンの音が響く。第2幕、バイクパートの始まりだ。
まずは両津をめざす。追い風だ。漕ぎ出しは力んでしまうのか、ハムストリングスやら四頭筋がものすごく疲れてしまってペダルを漕ぐのが嫌になる。いつもそうだ。なので回りにつられずに自分の気持ちいいペースでペダルを踏むように努める。追い風にもつられてはいけない。入りは自分のリズムが大切。左手に展開する大佐渡の雄大な山々に時折目をやりながら国仲バイパスを走る。
新穂を経て両津、佐渡1周線に辿りつく。両津海岸から河崎、真木、入桑、姫崎を通って水津までくるとスタートの河原田から距離にして約30km。特徴的な佐渡島の形状の釣針のような地形をトレースすると風は完全な向かい風となった。
AS(エイドステ-ション)で補給ボトルを受け取る。今年のボトルは黒、ソフトタイプでとてもカッコいいボトルだった。そしてすぐ目の前にはリレー参加の佐渡市長殿のバイクがいて、ボランティアの子らが、市長速いねーと話し合っているのが耳に届いだ。白いTシャツをまとった彼の株は上がったに違いない。
向かい風とは喧嘩しない。無理に頑張らない。30㎞/hキープは難しいが焦らずいつもの自分の漕ぎ方を通す。チョイ重いと感じるぐらいのギアで自分の体重を乗せるように、そして踏み込みすぎないようにペダルを踏む。ケイデンスは高くはない。風が強いと感じたらギアをひとつ落とす。ひたすらそれらを繰り返す。
岩首、多田、城ヶ崎に赤泊、そして羽茂を超えて小木。距離にして概ね80km。スイム会場に続いて小木ASで待ち構えていたIさん夫婦の応援が背中を押した。
スタッフのコース誘導に従って右折すると斜度のある上り坂が現れる。小木の坂だ。速度はあっという間に削がれ減速する。陽射にあたってすぐに汗だくになった。自分としてはリズムよく、これ以上ないぐらいうまく坂を上っているつもりだが、後続に次々と抜きさられる。力の差をみせつけられた。小木の坂はいつも試練が詰まっている。
登坂の途中、反対車線、右手側に順位を教えてくれる男性がいらっしゃった。過去にもこの坂で通過順位を教えていただいたことがある。おそらく同一人物だろう。ぼくが通過するときに「44番!」といわれ励みになった。レース中の順位なんて知りようがないので本当にありがたかった。サドルは前乗り、上ハンドルを軽く指先でつまみ腹圧をあげる。セオリー通りのロードバイクの登坂に徹底した。
上りの難所を越えると素晴らしいほどの追い風になった。そしてコースを進むにつれて空は暗転する。分厚い曇が陽射しを遮ってくれるので歓迎だが、あまりの急激な天候の変化に驚いてしまった。
下り坂ではホイールに仕事をしてもらいぼくはバイクコントロールに専念した。最後の上り坂となる西三川は追い風が背中を押してくれたので楽に上ることができた。
その背中を押す風は真野まで続いた。八幡館を通過したあたりからやや弱まった感はあったが、サイコンに目をやるとAve.30km/hを表示していた。終盤の追い風と下り坂のおかげだ。河原田まで気をよくしてペダルを漕いだ。
こうしていま一度、記憶を手繰っていくと、場面において適宜やらなければいけないことをちゃんとやり通せるかが肝要だ。とはいえ環境が良かった、つまり気温がさほど高くならなかったことがバイクパートに耐えられた一番の要因に間違いないと思う。
※バイクアップ3時間37分
3.ラン
トランジションで審判長から声をかけられた。まさかのペナルティー!?なんてことはなく小佐渡の風の状況とバイクへの影響をヒアリングをされた。端的に答えたつもりだがアレでお役に立ったのだろうか心配だった。
肩書きに「長」の着く方の重責は計り知れない。スイム短縮の判断なども含め、現場の情報収集に勤しむ彼の姿をみて頼もしかった。ぼくらは運営に関わるあらゆる人々によって競技に没頭できることをゆめゆめ忘れてはいけない。
さてランへ。宮古島のときのように忘れ物をしていないか身の回りの確認をしてスタートした。空は一面の鉛色でいつ雨が降ってもおかしくない様相だった。進行方向から強めの風が吹いてくる。海をみると緩むことのなさそうな白波がいくつも立っていた。
走り出しは悪くなかった。バイクからランの動作移行の違和感もあまり感じなかった。なにより陽射が照りつけないのが大いに助かった。気温はさほどではなかったけれど携帯したビニール袋に氷を詰めてもらって身体を冷やしながら走った。
1周目は調子に任せた。かなり前(赤泊あたり)から気になっていた生理現象を沢根ASで済ませる。トライスーツがワンピースなので着脱に手間取った。ミドルのレース中に用を足すのはこれまでほとんどなかったが、今回の道中は汗をかかなかったということかもしれない。
沢根の折り返しから河原田まではサブ4ペースぐらいで走れたが、以降はキロ6分以下に落ちた。当然時計は把握していたがまだ中盤なのでキープに徹する。エネルギー切れもあり得るのでひとつジェルを口に入れた。右足の中指が靴に当たって痛かったがそれはペースダウンの原因ではなかった。
海岸沿いコースの2週目。顔見知りの選手に声を掛け合う。周回コースの良いところのひとつ。広角を上げて笑顔に努める。
頭で何度もフォームをチェックする。この5月ぐらいからフォーム改善として、骨盤周りと上半身の連動動作、腕振りにピッチ、それから厚底シューズを上手に利用できているかなどなど。これまでやってきたことを同じように繰り返すように努めるがペースアップに結ばなかった。
次のASまでは止まれないと自分との交渉を繰り返す。その頃はペース維持がやっとだった。終盤はペースを上げられるだろうと楽観的だったが、実際に走ってみるとそんな余地はわずかもなかった。
限界を超えるとか、自身に抗えなんていう言葉はぼくには空虚でしかない。頑張るという言葉も嫌いじゃないけれど具体性に欠けている。自分のできること、これまでやってきたことを愚直に繰り返すしかない。同じことやっているつもりでも疲労によって精度が低下している。なのでしつこく繰り返す。終盤はこれしかない。今回は気温もほどほどで力を発揮できる環境にあったが、どういうわけか走ることができなかった。これが今回のランパートのざっくりとした総括であり、これからの課題である。
※ラン 2:07分 ゴールフィニィッシュ 6時間9分
2025年4月25日金曜日
第39回宮古島トライアスロン当日編③ バイクトランジションからフィニッシュまで
時間予報通り太陽が顔をだしていた。アスファルトに出るとさらに陽射しを、熱を感じた。陽よけのネッククーラーに合わせて冷かけシートを首に巻く。実践遣いは初めてだが強いメンソール感で悪くなかった。あれ?ここで違和感。陽射しが強烈に感じ…あ、帽子を被ってないや…。昨年の佐渡や伊是名で活躍した両サイドと首に長い陽よけヒダのある帽子を被ってなかった。バイクの荷物バッグから取り出したし、靴を履くときに横にあったはずだ。被り忘れたのだ。一瞬踵を返し取りに戻ろうかともした。いやランチェックを再び戻れるのだろうか…。帽子はあの靴を履いた場所にあるのだろうか?
これから走る距離と今のこの陽射し。ぼくは帽子を諦めてそのまま歩を進めることを選択した。
脚が上手く出なかった。走りはじめということもあって両脚の膝上、四頭筋が強張っている。まるで丸太棒が骨盤からのびているみたいに。それにちょっとした衝撃があれば右のハムが攣りそうなワナワナとする気配もあった。遅くともいつものように走れたのなら…。ちょうど1kmのところで止まり、歩道に脚をかけて脹脛を伸ばし、膝裏の足底筋を押した。脚に不調が出たときに副キャプテンから教わったやつだ。再び走りだすが特に変化はなく脚の出しにくさは変わらない。35kmの距離がとてつもなく重く感じた。
ひと息入れる目的もありGSのトイレを使った。回復を待つしかない。現在ランペースはキロ6分半。想定はイーブン6分15秒、調子を上げてあわよくばサブ4ペースも、なんて考えたがそれは浅墓だった。この状態ではまったく難しい。さてどう対応しよう。
陽射しは容赦なく降り注ぐ。後方から、抜かれることはあっても抜くことはなかった。エイドもしばらくはない。自問自答を繰り返す孤独な時間が始まった。
7km過ぎ脚を止める。吐き気がしてムカムカしたので、道の端っこに寄って胃に溜まった水分を吐き出した。2つ目の冷かけシートに手を掛ける。残りはひとつ。顔はもちろん、身体の熱が冷めない。このままだと熱中症、最悪途中で意識を失ってしまうかもしれない。ネガ思考に絡め取られる。昨晩殆ど眠れていないことも弱気にさせた。うつむき歩きながら残りの距離と制限時間を勘案する。それはもう何度も何度も・・・。とにかく完走する。完走したい。昨年の轍はゼッタイに踏まない。なんとしても競技場へ戻るのだ・・・。
自分史上、最も歩いたランパートだろう。辛くなったら歩くを繰り返した。ちょっと走っては止まり歩く。走っては歩く。上りは無理はしない、下りは走ろう。とにかく少しでも楽をして進んだ。
熱中症対策をおこなった。確実なのは氷を持つこと。持ち歩けるようにエイドでビニール手袋をもらい氷嚢とし、道に落ちていた袋を拾った。見つけたときに奇跡だと思って飛びついた。それらを左右に持ち替えながら体温を冷ました。
走っては止まるを繰り返しながら、歩き通しても制限時間内にはゴール可能かを常に計算した。
城辺(ぐすくべ)の折り返しまでくると随分と身体が楽になった。さらにこの頃から陽が雲に隠れることもあった。気温のピークを過ぎたようだ。走っては歩くを繰り返す。ペースは上がらなかったけれど、走破予想した16時頃のフィニッシュが可能であることに気がついた。
今回の走破タイム予測は9時間6分。スイム、バイクで十分過ぎる余裕ができていた。ギリ予測に届くかもしれない。
ーすごいことを成そうとしているんだよ。家内のひとことが脳裏を掠める。宮古島トライアスロン完走は一般的にはすごいと言われる挑戦。
2019年平成最後の宮古島に初めて参加して完走した。当時は今よりも距離が長い。6年前、49歳のときの誇らしい出来事でありトライアスロンにはまる分岐点だった。
心に火が灯った。歩は早くなくていい、ときに止まってもいい。まずは目標を目指そう。54歳になった今の力を、ここに至るまでの成果を発揮しよう。
25kmに到達、あと10km。商業施設が建ち並ぶ街中に入る。走っては歩くを繰り返すのは変わらないが、走る時間が確実に長くなった。ぼくへの声援も聞こえた。ゼッケンから名前を調べて名前で声援を送ってくれる。突如名を呼ばれたものだからつい振り向いてしまうし、性格上、何か物を申さねばと、とにかく「ありがとう」を繰り返した。
空は完全な鉛色だった。氷嚢は必要ないくらいの気温になった。随所にある私設エイドありがたい、氷をほおばり、塩や果物を口にした。
空港付近から新しい市役所、そして公設市場までの道のりが長かった。ありがたいのか良くわからない雨降るシャワーランになった。暑くなるよりはいいに決まっているけど。
宿泊するゲストハウスのそばを通過、残り3km。もう全然大したことのないのに途方もなく感じた。
わずかな上りで足が止まった。これを最後に立ち止まるのをやめよう。そう決めたはずまたが止まってしまう。走り出す。ペースは上がらずとも良い。とにかく止まらない。
ゴールの陸上競技場の入り口までは緩い上り坂だ。レースを終えバイク回収し帰路に着く競技者と目が合い、ナイスランと声を掛けられた。励みになった。あともう少しでぼくも・・・。
門をくぐり競技場のトラックに脚を踏み入れると万感込み上げてくるものがあった。左手のフィニッシュゲートを横目で確かめる。案外長いな。コーナリングで加速。一歩ずつ近づいていく。ぼくのゼッケンナンバーと名前がアナウンスされる。さぁラストスパートだ。ゲートの時計はちょうど目標時間を表示している。間に合う。スピードを上げる。まだこんな力が残っていたのか、そう思ったとき、横からぼくの名を呼び掛けて寄る3名が。なんと!チームテチ、スーパーサポーターズ3人との同伴ゴールじゃないか!
ぼくは彼らを背にフィニッシュゲートに飛び込んだ。9時間5分53秒。昨年の雪辱は果たした。
(まだつづくかも)
宮古島トライアスロン当日編② スタート、スイム、バイクフィニッシュま
浜から黄色のブイを1往復もしなかったが試泳は終了。プラカードを参考におおよそのスタート位置を決め、砂浜で体育座りをしてその時を待った。ふと脚の親指に目が止まる。足につく砂はよく見知ったそれではなく珊瑚なのだろうか。乳白色できめ細かい粒に星を思わせる形状のものがついていた。
定刻7:00。号砲と共に第39回宮古島トライアスロン大会の幕が開く。歓声が上がる。皆につられるように海に入り数歩進んで水へ飛び込んだ。始まった。澄明な海水が浅瀬の隅々を鮮明にする。海底の砂の様子までもが手にとるようだった。
お約束のバトル。もみ合いながら沖へ向かう途中、今回はゴーグルが2度もずれた。そのうち1回は盛大に外れ立ち泳ぎながら装着し直した。何事もないように冷静に対応したが、改めて思うと我ながら感心する対処だった。
1周目は27分台と想定以上だった。気を良くして2周目はコースの内を突いてブイに沿って進んだ。流れが強烈だとブイやロープに途端流されるのだが、潮流はそうでもなかく一定の距離を保つことができた。
(スイムアップ57:06)
シャワーでウエットを脱ぎバイクラックへ向う。両手に荷物を持っていたのでエイドはスルー。自分のバイクに到着し両手の荷物をスイムバッグに突っ込んだ。DHバーに掛けたメット、ネッククーラー、ゼッケンを順に装着、ラックからバイクをおろし裸足のまま乗車ラインを目指す。
ラインを超えたところでサドルに飛び乗ろうか迷ったが、周囲に人がいたので接触を懸念して一時停止。右脚でバイクを跨いでビンディングに装着済みのバイクシューの上に脚を置き、ペダルを踏んで助走する。サドルに跨ってペダルを回しながらシューズに脚を入れる。
東急からコースに出ると補給ボトルを口にした。かけ水も使う。自身の状態を鑑みながら次のエイドまでにボトルをひとつ空にすることを忘れなかった。
薄雲っていた空がいつのまにか青空になる。雲はいつも風に乗っている。ぼくらはバイクで移動する。とにかく天気はよく変わる印象だ。太平洋に浮かぶ島国ならではの気候だろう。
無数にある短い上り坂もセオリー通りサドルポジションを変え踏破する。下りはフルクラム(ホイール)に仕事をしてもらう。DHばかりを握るのでなく下ハンも使う。走り終えたので言える台詞だが、長いようで短いバイクパートだった。ペダルに集中、というか没入できていたのかもしれない。
再び平良を通過する頃には午前中内のランスタートを意識した。そしてあまりにも無事にこれたので、突如として起こる厄介にに巻き込まれないよう、周囲をよくみて慎重にペダルを踏んだ。

