2025年4月25日金曜日

第39回宮古島トライアスロン当日編③ バイクトランジションからフィニッシュまで

 バイクから降車。バイクを押しながら裸足でラックへ向かう。ボランティアの学生に自分のラックまで誘導してもらう。バイクをラックに掛けてランの支度に入る。バイクに乗っていて感じなかったが、晴れた空からの陽射しはまぶしく熱を含んでいた。
 バイク溜まりの横に設営された着替え用のテント周辺が賑わっている。ぼくはシューズを履くのにちょうど良い高さの腰を掛ける場所を見つけシューレースを結んだ。補給を入れたポーチを装着、サングラスを掛け通過チェックに向けて走り出す。上出来だった。昼前にランに入れるなんて。そしてついに、待ちに待った昨年の雪辱でもあるランパートへ突入した。高揚と期待とともにスタートした。

 時間予報通り太陽が顔をだしていた。アスファルトに出るとさらに陽射しを、熱を感じた。陽よけのネッククーラーに合わせて冷かけシートを首に巻く。実践遣いは初めてだが強いメンソール感で悪くなかった。あれ?ここで違和感。陽射しが強烈に感じ…あ、帽子を被ってないや…。昨年の佐渡や伊是名で活躍した両サイドと首に長い陽よけヒダのある帽子を被ってなかった。バイクの荷物バッグから取り出したし、靴を履くときに横にあったはずだ。被り忘れたのだ。一瞬踵を返し取りに戻ろうかともした。いやランチェックを再び戻れるのだろうか…。帽子はあの靴を履いた場所にあるのだろうか?

 これから走る距離と今のこの陽射し。ぼくは帽子を諦めてそのまま歩を進めることを選択した。


 脚が上手く出なかった。走りはじめということもあって両脚の膝上、四頭筋が強張っている。まるで丸太棒が骨盤からのびているみたいに。それにちょっとした衝撃があれば右のハムが攣りそうなワナワナとする気配もあった。遅くともいつものように走れたのなら…。ちょうど1kmのところで止まり、歩道に脚をかけて脹脛を伸ばし、膝裏の足底筋を押した。脚に不調が出たときに副キャプテンから教わったやつだ。再び走りだすが特に変化はなく脚の出しにくさは変わらない。35kmの距離がとてつもなく重く感じた。


 ひと息入れる目的もありGSのトイレを使った。回復を待つしかない。現在ランペースはキロ6分半。想定はイーブン6分15秒、調子を上げてあわよくばサブ4ペースも、なんて考えたがそれは浅墓だった。この状態ではまったく難しい。さてどう対応しよう。

 陽射しは容赦なく降り注ぐ。後方から、抜かれることはあっても抜くことはなかった。エイドもしばらくはない。自問自答を繰り返す孤独な時間が始まった。


 7km過ぎ脚を止める。吐き気がしてムカムカしたので、道の端っこに寄って胃に溜まった水分を吐き出した。2つ目の冷かけシートに手を掛ける。残りはひとつ。顔はもちろん、身体の熱が冷めない。このままだと熱中症、最悪途中で意識を失ってしまうかもしれない。ネガ思考に絡め取られる。昨晩殆ど眠れていないことも弱気にさせた。うつむき歩きながら残りの距離と制限時間を勘案する。それはもう何度も何度も・・・。とにかく完走する。完走したい。昨年の轍はゼッタイに踏まない。なんとしても競技場へ戻るのだ・・・。


 自分史上、最も歩いたランパートだろう。辛くなったら歩くを繰り返した。ちょっと走っては止まり歩く。走っては歩く。上りは無理はしない、下りは走ろう。とにかく少しでも楽をして進んだ。

 熱中症対策をおこなった。確実なのは氷を持つこと。持ち歩けるようにエイドでビニール手袋をもらい氷嚢とし、道に落ちていた袋を拾った。見つけたときに奇跡だと思って飛びついた。それらを左右に持ち替えながら体温を冷ました。

 走っては止まるを繰り返しながら、歩き通しても制限時間内にはゴール可能かを常に計算した。


 城辺(ぐすくべ)の折り返しまでくると随分と身体が楽になった。さらにこの頃から陽が雲に隠れることもあった。気温のピークを過ぎたようだ。走っては歩くを繰り返す。ペースは上がらなかったけれど、走破予想した16時頃のフィニッシュが可能であることに気がついた。

 今回の走破タイム予測は9時間6分。スイム、バイクで十分過ぎる余裕ができていた。ギリ予測に届くかもしれない。

 ーすごいことを成そうとしているんだよ。家内のひとことが脳裏を掠める。宮古島トライアスロン完走は一般的にはすごいと言われる挑戦。

 2019年平成最後の宮古島に初めて参加して完走した。当時は今よりも距離が長い。6年前、49歳のときの誇らしい出来事でありトライアスロンにはまる分岐点だった。

 心に火が灯った。歩は早くなくていい、ときに止まってもいい。まずは目標を目指そう。54歳になった今の力を、ここに至るまでの成果を発揮しよう。


 25kmに到達、あと10km。商業施設が建ち並ぶ街中に入る。走っては歩くを繰り返すのは変わらないが、走る時間が確実に長くなった。ぼくへの声援も聞こえた。ゼッケンから名前を調べて名前で声援を送ってくれる。突如名を呼ばれたものだからつい振り向いてしまうし、性格上、何か物を申さねばと、とにかく「ありがとう」を繰り返した。


 空は完全な鉛色だった。氷嚢は必要ないくらいの気温になった。随所にある私設エイドありがたい、氷をほおばり、塩や果物を口にした。


 空港付近から新しい市役所、そして公設市場までの道のりが長かった。ありがたいのか良くわからない雨降るシャワーランになった。暑くなるよりはいいに決まっているけど。

 宿泊するゲストハウスのそばを通過、残り3km。もう全然大したことのないのに途方もなく感じた。

 わずかな上りで足が止まった。これを最後に立ち止まるのをやめよう。そう決めたはずまたが止まってしまう。走り出す。ペースは上がらずとも良い。とにかく止まらない。


 ゴールの陸上競技場の入り口までは緩い上り坂だ。レースを終えバイク回収し帰路に着く競技者と目が合い、ナイスランと声を掛けられた。励みになった。あともう少しでぼくも・・・。


 門をくぐり競技場のトラックに脚を踏み入れると万感込み上げてくるものがあった。左手のフィニッシュゲートを横目で確かめる。案外長いな。コーナリングで加速。一歩ずつ近づいていく。ぼくのゼッケンナンバーと名前がアナウンスされる。さぁラストスパートだ。ゲートの時計はちょうど目標時間を表示している。間に合う。スピードを上げる。まだこんな力が残っていたのか、そう思ったとき、横からぼくの名を呼び掛けて寄る3名が。なんと!チームテチ、スーパーサポーターズ3人との同伴ゴールじゃないか!

 ぼくは彼らを背にフィニッシュゲートに飛び込んだ。9時間5分53秒。昨年の雪辱は果たした。

(まだつづくかも)

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