2013年4月24日水曜日

'13新潟ロードレースのこと

 4/21(日)新潟ロードレースは開催された。
 特別厳しい冷え込みの日曜日になった。この週はずっと寒かった。ぼくのジョグコースの桜は満開で、引き締まった外気の中、桜の小さな花々は凛々しく開いているというのに、ぼくは今だにグローブが手放せないでいた。

 今年の初戦。待ちに待った開幕戦。コースは信濃川の河岸をトレースする。
 陸上競技場をスタートして、本川(ほんせん)大橋へ進路をとる。県庁裏、万代を通りすぎ朱鷺メッセで折り返し、柳都(りゅうと)大橋を渡り対岸へ。歴史博物館をぐるりと回り桜咲くやすらぎ堤を通り競技場を目指す。15kmだ。

 朝から降り続く雨のせいで、ぼくはアップなしでレースに臨むことになった。スタートの時間が迫る。スタートポジションは真ん中よりやや前方といったところ。
 整列するランナーに雨は容赦無く降り続けている。
 ほどなくスタートの号砲が鳴った。レース開始。ぼくらは陸上競技場を3/4周回し公道へと出る。早くも縦長になった集団は、雨の中を淡々と進む。ぼくはシューズが濡れるのを嫌い、水溜りを避けながら行く手を選ぶ。
 入りの1kmは5分を切るぐらいだった。走り始めはスネ(前脛骨筋)が痛かった。息を整えつつ体をほぐすように走る。脛の痛みが気にならなくなった頃、次は左のふくらはぎに違和感を覚えた。始まったばかり、慎重に進んだ。次第に体が温まりスッと力みのようなものが抜けた。3~4kmほど走った頃だ。身体が順応し始めたようだった。

コースの中間距離に差し掛かり時計を確認。33分台。おっマジで?思いがけない時計だった。想定より2分早い。もちろん余力は十分。ともすると70分切りもあるかな?ちょっとワクワクしながら走り続けた。この頃になると呼吸も体の動きも違和感なくスムーズになり、辛いながらも楽に走れるようになっていた。
 柳都大橋あたりで走友会のH間さんとすれ違う。名前を呼ぶ。それに応じて彼は左手を上げる。余裕の表情に見てとれた。
 朱鷺メッセのウッドデッキを走る。ゴールまでの距離はそう長くはない。どこから追い込むかを考えながら折り返しポイントを目指す。
 折り返しの赤い三角コーンはコースの句読点みたいなものだ。グッとスピードを落とし、ぼくは句読点にタッチし再び加速する。柳都大橋を目指し桜の下をくぐり抜けた。橋の手前で骨っ娘さんを見つけた。彼女も余裕の表情に見えた。声を掛けつつ左手を上げた。
 そして柳都大橋の階段を勢いよく駆け登った。

 ここで思いも寄らない事態が起った。マラソンの最中、初めて惨劇が身に降りかかった。登りの階段の踊り場でスリップして大転倒。しかも勢い余って階段に頭をぶっつけてしまった。
 あの瞬間はきっと忘れられないだろう。脳裡にしっかり焼き付いている。
 ぼくは本当にスローモーションのように動作していたのかもしれない。不覚だった。すぐに立ち上がった(と思う)。膝から出血していた。それよりもコンプレッションパンツに穴が空いていることの方がショックだった。
  打った額がズキズキして痛い。ヘアバンドが幸いした。階段に一歩脚をかけると膝がこわばるように痛んだ。階段をゆっくり登り橋の歩道に出る。
 左足をかばいながら、ゆっくり点検するように走った。
 大丈夫やれる。不思議なことに、走り出すと膝の痛みは徐々に和らいでいく。

 階段を降り、歴史博物館を目指す。
 凸凹した石畳の路面が怪我をした左膝に鈍く響いた。少しの辛抱なのだ。
 しばらく進むと田中屋さんの前を通りがかる。その時ふと顔を向けると自主トレしていたはずの走友会メンバーを発見。向こうもぼくを見つけて、応援の横断幕を持ちながら声援を送ってくれていた。思いがけないサプライズ声援に気持ちが引き締まった。

 歴史博物館を周回し再び川岸コースに出る。もう一度みんなが声援を送ってくれた。ぼくはカッコつけるつもりで、みんなの前を駆け抜ける。転倒したことで消極的になった気持ちが吹っ切れた。スイッチが入る。

 柳都大橋、万代橋そして八千代橋と信濃川に架かる橋の下をくぐり抜け、昭和大橋を抜けるとゴールの陸上競技場まで残り1kmの看板が見える。
 ラストだ。競技場に続く緩やかな坂をありったけの勢いで上り、下りは傾斜に任せて転がるように駆けた。すぐ競技場の入り口が見える。ゴールはもうすぐそこだ。
 トラックに入り、最初のコーナーの緩やかなカーブを長く感じるのはいつものこと。
 直線で前のランナーを捉え、最後のコーナーへ入った。グロスタイムの表示が1時間10分を超えているのが見えた。最後はお約束の猛ダッシュでゴール。脚を止め額のヘアバンドを取ると汗に混じって血が流れてきた。

 走り終えてみれば、あっという間のレースだった。いつのまにか、雨や寒さのことなんてすっかり忘れていた。けれど、ただただ穴の空いてしまったパンツが悔やまれた。
次は6/16(日)関川マラソンのハーフだ。


4/24までの走行距離…171km

2013年4月13日土曜日

人生初のDNSのこと

 4/7笹川流れマラソンは荒天のため中止となった。

 大会当日、前日の強風が嘘のように止んでいた。空は鉛色に覆われていたけれど静かな佇まいだった。ぼくは予定通り集合場所に向かう。 集合場所の体育館にはnoboさんが既にいらしていた。挨拶もそこそこに「中止みたいだね。」絶句した。すぐに携帯で大会HPを確認する。その言葉に間違いはなかった。「仕方ないね、自主練だ。」noboさんの一言でぼくらはいそいそと解散した。

  自宅に戻り荷物を片付け、再びランニングシューズを履き外に出る。もちろん自主トレだ。20kmぐらい走ってやろうと意気込みながらスタートする。小一時間ほど走ったところでnoboさんに遭遇、ご一緒させていただくことに。ぼくらは街の中央に位置するアーケード通りへ向う。日曜の朝、人の姿はほとんどない。ついさっきっから降り始めた雨があたりの音を消した。商店街、駅、そして住宅地へ。30分ほど伴走しただろうか、少し雨脚が強くなったところでお別れした。

 実のところ、大会が中止した事実は理解したが、一抹の寂しさというか、中止になったことに対する感情を上手く処理できないでいた。モヤモヤする気持ちに囚われながら走る。雨は一層勢いを増した。これぐらいの雨は織り込み済みだ。昨年の笹川流れは雪が降ったしね。きっとこのDNSも一つの教訓にはなるのだろう。

  帰宅してからも手持ち無沙汰で仕方ない。ぼくは気持ちをうっちゃるためにプールへ向かった。結局モヤモヤが晴れないまま日曜を過ごすことになった。

 次は4/21新潟ロードレースだ。どうか無事に開催されますように。合掌。


4/13までの走行距離…100km

2013年4月6日土曜日

'13年4月第1週マラソンエントリーのこと。

 4/3大阪マラソン2013の抽選が開始された。東京マラソン初申し込みで当選した友人からちょっとしたエントリーのコツのようなものを教えて貰い、それに沿って申し込んだ。
 大阪マラソンのテーマはチャリティーだ。どのチャリティーを支援するかは選択可能だ。これらをエントリーフィーとして含んだ場合、ぼくが知っているマラソン大会のなかではトップになり得るだろう(国内すべての都市マラソンと比較したわけではない)。本大会の魅力は充分に感じているのでそこを論ずるつもりはないし不満もない。大都市マラソンに悉くフラれ続けているぼくにとって絶対にココは譲れない。従って当選を意識するとオプショナルなチャリティーテーマにどれだけBETすれば良いのか真剣に悩んでしまった。
 今日日、統計分類学にかかればいくら膨大なデータであっても結論予測はそう難しくはない。当選数は限られているので運営側の設定するカテゴリ抽出に於いて項目を満たすことが先決だと考える。都市の大動脈である交通網を駆使して開催されるイベントなのだ。安全を第一にもっともスムーズで効率のよい大会運営を行わなければならない。
 友人からのアドバイスは的確に思われた。ーその立場に立って物事を考えられるかが重要だ。
 抽選の結果は6月上旬。どうか当選しますように。

 次いで6/16の県内関川マラソンにもエントリー。今年は40回記念大会だそうだ。種目でハーフが新たに設定されている。大会案内のリーフレットにアイキャッチ的に「関川マラソンが変わる!」と謳われている。残念ながら昨年の15kmコースを楽しみにしていたのでちょっと淋しい。けれど仕方がない。まあその気になれば関川村へ走りに行けばよいのだ。ロードバイクで向かうのも楽しいだろう。
 昨年の関川マラソンのスタート前、スターターの男性の前説?が緊張をほぐしてくれたことがレースの記憶と共に印象に残っている。秀逸なトークだった。新しいコースと前説を楽しみにしたい。ぼくはハーフを申し込んだ。

 今週の平日は朝夜と時間を見つけながら走っている。日曜の笹川流れに備え疲れを残さないように基本ジョグペース。ちょっと刺激を入れる程度の軽い内容だ。あまり過度なことはせず当日に力を出し切れるような体調管理を心掛ける。更に、遅ればせながら水曜からお酒も控えている。もっとも、ぼくにとっては何よりに変え難い悪あがきなのかもしれない。

4/5までの走行距離…38km