2012年6月27日水曜日

走友会の島ランのこと

6/24(日)新潟の気候でもっとも清々しいこの季節。但し、雨が降らずに晴れればの話。ぼくら走友会は島ランで汗を流す。少し暑く感じられる中、涼やかな風が心地よかった。
入船町から松林を抜け関屋分水へ向う。途中、初めてフルマラソンに出場した際、いろいろとアドバイスを頂戴したK夫妻とすれ違い挨拶を交わす。あれから随分と時間が過ぎたように感じる。ぼくはあの頃と比較にならないぐらいにジョギングを楽しむようになった。習慣は行動によって変化する。

いつもの島ランなら関屋分水から川岸町〜大川町とやすらぎ堤左岸へ向かうのだが、今回はM女史の提案で「水と土の芸術祭」で先行公開されている王文志(ワン・ウエンヂー)氏の浴火鳳凰(よっかほうおう)を見に行こう!ということになり信濃川の右岸へ進路をとる。

マラソン大会でしか走ったことがないコースだった。川からの涼やかな風を感じ、左岸の景色を見ながら楽しく走ることが出来た。その反面、左岸とは異なり一部工事中であったり、人の手が掛けられてない箇所が多く、ランナーはあまりいない。多勢で走るには他の交通の妨げにならないように注意が必要だった。

お目当てのドーム状の建物、浴火鳳凰(よっかほうおう)に到着。
中に入った途端、なんと涼しいのだろうと感じた。川辺の恩恵だ。竹でつくられた巧緻な建造物で、中央に据えられた竹の堀テーブルで生ビールをグイグイ飲んだら最高だろうと思った。
ドーム型の塔の頂きがくり貫かれ、そこから陽光がまん丸の形で建物内に差し込んでいる。団塊Ⅱさんがその中央立ち、まるでカラオケのスポットライトだなぁ、と言いながらマイクを持つ素振りをして一同が微笑む。それから堰を切るように、竹はどこのものなのだろうとか、照明がどうなっているとか、皆口々に感想を述べている。僕は相変わらず堀テーブルを見ながら生ビールを想っていた。

柳都大橋から左岸へ。しばらく走っていると、かがみ込んでいる釣人達が目に映る。なんとそこには50cmオーバーの鱸が揚がっていた。銀色の鱗がとても綺麗だ。餌釣りで仕留めたようで、控えめながらも誇らしげに周囲に釣果を報告していた。

今回も道草しながらの楽しい島ランだった。次週コースは月岡か?。そうなると月初から走行距離を稼ぐことになるだろう。天候に恵まれることに期待したい。<了>

2012年6月23日土曜日

6月第4週のこと

関川マラソンの翌日、翌々日と軽いメニューでジョグ&筋トレをした。随分にひどい筋肉痛だったが休まずトレーニングしたことに意味があったと思い、ご褒美の焼酎をキメる(笑)
  二日で関川の後遺症的筋肉痛は幾分和らいだ。が、久々の自重筋トレで体のあちこちが痛む。特にお腹周りが痛い。イカンこれはイカン。走ることでちょっとは使っているつもりだったが、大したことはなかったのだ。筋トレを定期的に取り入れねばと思いつつも、昔から僕は自宅での腹筋&腕立&スクワットといった筋トレの黄金トリオを継続できた試しがない。致命的な欠点だ。
  どなたか継続できる良いアイデアやコツなどがあったらアドバイスをください。できるだけ面白いやつをお願いしますm(_ _)m

  木曜は自転車の伴走つきで放水路ラン。いつもよりペースアップして福島潟放水路コースへ。緩やかなアップダウンがある、僕にっとって大好きな練習コースの1つだ。息子を乗せたママチャリには負けられねーぜ、と無理を承知でがんばってみた。後ろに乗った息子3才が僕を追い抜くたびにニヤニヤ笑う。無言の嘲笑。アリスのチャシャーキャットかよ。こちらも余計意地になる。後半は生涯マラソンを思い出すぐらい辛かった。もうやめようと諦めかけそうになると、チャシャーキャットがヒヒヒと嘲るのだ。ちくそー!と何とか走り切る。それでも平均ペースで5分半/km。結果はぱっとしなかった。けれどこういう練習も悪くはないと思った。〈了〉

2012年6月18日月曜日

第39回関川マラソンのこと

 自己ベスト16kmタイムー1分=関川15kmタイム

 「関川マラソンの法則」を関川マラソンのうちあげに現れた快速王F氏がニコニコしながら教えてくれた。もっと早く知りたかった。けれど経験せずにはこの法則を理解できなかったに違いないと思った。

 例年は天候に恵まれる大会らしいが山間部独特の霧雨で少し肌寒く感じられた。山へ釣りにいく度に霧雨に遭遇する僕にとっては特別なことには感じられなかった。むしろ、あー山に来たなぁという懐かさを感じていた。むしろ走りやすい天候に思えたし実際そうだった(と思う)。

 さてレースである。スターターの方がランナーのツボを突く、上手いアナウンスをされた。毎年恒例のトークかもしれないのでネタバレしないように内容は伏せておく。スタート直前のランナー諸氏はあれでリラックスできたのではないだろうか。少なくとも僕は笑うことで力みが抜けた。

 号砲。走友会の最速ランナーズに囲まれてスタート。今思えばあまりにも身の程をわきまえない愚行。入りは自身の本来のペースより早かったと思う、まったくの想定外は大石ダムに向う約2キロの登坂だった。これがキツい。「最速ズ」は淡々と登って行く。僕は息も絶え絶えやっとの思いで登り、トンネルをくぐり抜け折り返し地点に辿り着く。さあこれから下りで遅れを相殺するぞっと気合を入れるが、下りの長さ(体感および視覚的効果)にあっという間に足が追いつかなくなった。まず一つ目の洗礼だ。5キロ地点で時計を確認。24分ちょい。まだなんとかなるとだろうと思った。

 大石橋で走友会ヒグマサさんに追い抜かれ、彼の背中を追いかける格好になる。二つ目の登坂。これが半端なくキツイ。走っているはずだよな?と何度も自問する。けれど歩いているほどのスピードしかでていないのだ。そうか。走るふうに歩いているのだ。半ば諦めて前眼のヒグマサさんの背中を見つめ進むしか手立てがなかった。山頂はなかなか見えない。ランナーの心を折るのに苦心された運営さんに降参したところで二つ目の洗礼が終わる。ヒグマサさんの背中がどんどんと離れてゆくのが見えた。

 登った分だけ下るのは必然だ。急な下りだった。けれどここしかチャンスはないと決意し、スッ転んでもいいと覚悟して大きくストライドを取り、足を思い切り蹴った。今回唯一上手にできたことだ。中盤、始めて前の走者を抜いた。最初の下りもこれをやれば良かったのだと知った。10km地点で51分。残念ながらここで僕の目標が潰える。けれどこの先平坦ならば75分内はあるだろうと走る。あきらめてはいけない。残り2.5kmぐらい手前で大先輩のIさんにファイト!と声を掛けられ抜き去られた。ついて来い!というメッセージが伝わる。そうしたかったが僕の実力では敵わなかった。

学校の入り口で家族の応援があり右手を上げる。ゴール手前でRさんのラスト!の掛け声で最終のグラウンドへと突っ込む。最後の最後で後ろからの猛追に気付き、抜かせませんよー!と言いながらフィニッシュテープを切った。関川マラソンのゴールだった。

 結果は77分。自己ベストタイム16km−1分の法則に則った結果である。ならば来年の関川に向けて1マイルのタイムに磨きをかけ練習に励むことにしようじゃないか。目標には届かなかったが、やれるだけのことはやったと感じている。階段の下りに支障をきたすほどに太腿の痛みに苛まれているのだから。〈了〉

2012年6月16日土曜日

H24.6月第3週のこと

 6/10(日)久々に走友会のみなさんと島ランで気持ちのよい汗を流した。翌週(明日)の関川マラソンに向けた調整としては申し分のない練習となる。実はこの日の早朝に軽くジョグをして出掛け、戻ってから一杯引っ掛けて午睡を貪り、夕方再びジョグ。細切れだけど距離を稼げたこと満足した一日であった。

 モチベーションを維持しながら、週の中日には最終調整としてタイムトライアルを敢行。勢いよく臨んだまではよかったのだが、肝心のタイム計測をミスり、なんだかよくわからないまま終了。これで関川の目標タイムを達成することが出来るのであろうか、いささか自信がもてなかった。けれどたまたま読んでいた本に、フックする文章を見つけた。

「努力すればするほど判断ができる。才能の無い人ほど自分の限界が早くわかる。才能がかなりあっても最終的に勝てない人もいる。才能がやや欠けていても努力で何とかしてしまう人もいる。
結局努力してみなければわからない。また努力した挙句に挫折する可能性もある」

「小さい目標は大きな目標の糧。けれども小さな目標ばかりではいけない。時に大体に荒唐無稽な目標を立て挑戦することがもっとも必要なのだ」

 この文章を読んでから気持ちが乗ってきた。理由はよくわからない。辛く、楽しいマラソンにしよう。走る行為はどんな舞台でも己との競争であり、マグレはないなのだからネ。<了>

2012年6月9日土曜日

6月第2週 名古屋でのこと

 6/5早朝。JR名古屋駅周辺のビジネスホテルから名古屋城へ向かう。朝5時半。想像以上に車の交通量、通勤する人の姿は少ない。
 錚々たる企業のビルが立ち並ぶ丸ノ内、そして三の丸へと進み名古屋城門に到達する。ホテルから4キロちょい。城の周辺を走りながら本丸がよく見える場所を捜した。

 「藤の廻廊」から名古屋城公園に出る。早朝に関わらず公園は賑わっていた。人々が集まっているのが見え、懐かしい音楽が聴こえる。夏休み、子供の頃のことを思い出さずにはいられないピアノの伴奏曲。ラジオ体操である。
 その人数と言ったら三桁超えちゃっている?至る所に体操に励む集団が見える。興味津々。体操をする集団に近づき、さも興味なさそうにしながらチラチラ眺めながら流す。これがナゴヤ的情緒なのかもしれないと感じた。


藤の回廊
 再び名古屋城周囲へ戻りもう一回り。ラジオ体操が終わりバラバラと公園から出てくる人を避けながら東門からホテルへ戻ることにした。
 丸の内に入ったところで、テレビの撮影機材をもった数人の集団が僕に向かって歩いてくる。というか、僕がそっちへ走っているという方が正しいのかもしれない。ちょっと嫌な予感がした。踵を返そうかと思ったが、今更それもおかしい。そして、こういうときの予感はほぼ100%的中するものだ。

 すれ違いざま
『走っているところ、少しいいですかぁー』
 福山雅治風のインタビュアーに呼び止められ、立ち止まるや質問をされる。
『どうしてここが、伏見通りと言われているか知っていますかー?』
 僕はサングラスを外し、とっさに問いかけとは違うことを答える。
 実は昨日所用で新潟からこちらへまいりまして云々・・・。
 完全にやぶ蛇だった。さらに質問を重ねられた。こちらとしては出来るだけ怯まずに、爽やかに歯切れ良く、しかも時折カメラ目線で返答する。
『スゴイですねー。こんな時間に走るなんて』
 雅治氏のそのコメントを合図に、僕はじゃっ!と右手を挙げ逃げるように走り出す。後方から、きっとクルーの一人だろう
「何か、朝からスゲーなー」という声を聞いた。
 君たちのほうがよっぽどすごいと思うんだけど・・・。
 あれは名古屋の地方番組か何かだったのだろうか。尋ねれば良かったなぁ後悔した。けれど、いいネタができた!とほくそ笑んだのは言うまでもない。

 ホテルへ戻る途中、名古屋の中心街は都会の様相に変貌していた。ほんの1時間半前の静謐は消え喧騒があった。足早に歩く人々の中を僕は颯爽と走る。ちょっとした自由人風で気分がいい。
 道に迷いながらも無事ホテルに辿り着くことができた。<了>

H24.6生涯マラソンのこと

 初めて『生涯マラソン』に参加させて頂いた。 
新潟市近隣のマラソン同好会が持ち回りで開催する歴史あるイベントだ。 内容は距離別に走行走破タイムを予測し申告する。そうしてその申告時間の通りに走れるかを競うのである。早すぎても遅すぎても駄目。スピードやスタミナを他のランナーと競い合うのではない。時計を持たずに各々のペースやリズム、あるいはフットワーク、風を切る感覚など培ってきた体内時計を頼りにゴールタイムを目指すのだ。目一杯のタイムでも、走り慣れた練習ペースのタイムでも申告時間は選手の裁量に委ねられる。「生涯」と名付けられた大会の趣旨がここにある。諸先輩方の走ることに対する深い愛情と35年という長きに渡る継続力に改めて敬意を表したい。

 僕はというと会場まで走って行けない距離ではないと思いつつ、迷いを感じていたが走友会の先輩に背中を押され、自走で会場に向うとにした。自宅からは約12km。目的地に着いたときには大いに満足したが、想定した到着時刻を誤った為、準備をしている力走会(りきそうかい)さんを横目に時間をうっちゃるはめに。
 体育館に入るとママさんバレーの新潟地区予選が始まろうとして、それぞれのチームの選手から大会に対する意気込が感じられカッコいいなぁと見とれてしまう。それとなく眺めているうちに、気がつくとわれら走友会の面々が会場に到着しているではないか。知った顔に合流し少しホッとする。

 申告タイム以上に走り切ることが僕の目標だったが、実際のレースは辛いものだった。中でもアゲインストの風を受ける周回コースがきつかった。走友会の爆走ランナー、ニャー女史のオレンジのシャツを見ながら走りだしたのだけれど、どんどん遠ざかってゆく。僕には到底敵わないスピードだった。
 更に2周目。向かい風が更に強くなり、1周目よりも前進するのが容易でない。疲労からくる感覚かもしれないが区別がつかない。あと少しでゴールだからと言い聞かせ頑張ってみる。
 既にニャー女史のオレンジは見えない。少しペースを落とし息を入れる。気持ちが楽になった。風に負けてはいられない。背中が丸まらないように頭から骨盤までのアライメントをとる。少しでも前に進む力を生み出さねば。あと少しでゴールなのだから・・・。  

 大会の結果は、我ら走友会レディースの上位独占であった。優勝者のメグメグさんはなんと申告タイムに対して1秒差。エクセレント!体内時計を鍛えたいのならば我ら走友会の門を叩くがよろしい(笑)

1秒差とは、すごすぎです。
入賞おめでとう!!

 今もって僕自身の結果は不明だ。あれだけ辛かったのでぜひ結果が知りたい。わかり次第結果フォームに書き込みたいと思う。そうして、また次回も出走して目一杯走りたい。楽しいレースにまた一つ出会うことができた。