2024年4月17日水曜日

2024年4月 宮古滞在記①

 ついにやってきた。宮古島へのフライトだ。

 渡航が近づくにつれ、ぼくはレース対策に神経を砕くより、モノの準備とか持っていく方法に力を注いだ。トレーニング部屋にモノを集結させ、あれこれ吟味し引き算をしてコンパクトに荷物をまとめる。思いがけず普段使いしているミズノのリュックが活躍する。これには大いに満足だった。
 話題は一変するが、今回はいくつかの課題をこなさねばならなかった。まずひとつがエアのチケットの取得だ。大したことではないと高を括っていたのだが、そうはさせないのが世の常だ。
 宮古島トライアスロンの参加受付の最終日に移動するのに、時刻に間に合わないとういう由々しき問題が発生。最初は運営の配慮と理解で解決したのだが、エアの時刻改変に伴うさらなる時間遅延についてはそうはいかなかった。これはいけないと出発の10日前だったがエアのチケットの全てを取り直した。
 ハードモードだったが「旅慣れた御仁」から知恵をお借りし、かつ追加の経費をかけて往復共にベストな形をとった。
 お陰でエアに関する知識は拡充した。自分でチケットを購入することなんて片手にも満たないので、わからないことが多い。そのくせチケット代を安く済まそうとするものだから今回のようなことになるのかも。そしてこの最中、思いがけないところからありがたい声もいただき、ぼくの心の琴線に触れた。その方にとっては当然だとしても、やや乾いた世界にいるぼくには砂漠のオアシス、慈悲の雨だった。

 そしてもう一つ。ロードバイク専用ケース『シーコン』を用いて、荷物として一緒に移動するという課題だ。年明け、ばったり会った御仁から、シーコン貸そう?と声を掛けていただき、一も二もなくぼくは返事を返したのだった。
 『シーコン』は欲しい品のひとつだった。近年の円安に伴い、どんどん新品の価格が上がり、今では6桁に到達する代物だ。欲しい。けれど使ってみなければその有効性はわからない。それを今回の宮古島行きで試せることになった。
 梱包の手順を教えていただき、実際やってみると実に簡単だ。ぼくの場合はDHバーを外すだけなので手間を取らない。それにバイクショップから梱包材を分けていただいてさらに捗った。
 実際の荷物預け入れの際、シーコンは概ね17kg、リュックと空気入れを合わせ規定の20kgをいくばくか超えて¥4、000-の追加料金となった。こうして20kgを超えたのは初めてでよい経験になった。これを参考にして費用が掛からないように、帰路は預け入れる荷物を組みなおしたい。

 そんなこんなでエアチケットの手配から始まり、自転車輸送を含む手荷物、そして飛行機に搭乗する一連の流れまで全てをひっくるめ勉強になった。

 実は、「旅慣れた御仁」と「シーコンの御仁」は同一人物であり、さらに搭乗でその奥方と一緒になり、出発までお話することができた。そのエア搭乗寸前、携帯電話をどこぞに見失ったぼくを奥方が適切に対処し、かつなだめるという珍事もあった。できるカッポー(夫婦)はどこか違う。
 自宅を出る直前、唐突に家内から「搭乗の時は落ち着いて」と言われたのを思い出し、まるで予言のようだった。携帯電話を見失いおろおろしていたとき、その台詞を思い出して冷や汗ぶわっと吹き出てた。

 新潟を定刻に出発した飛行機は14:35沖縄に到着。天候は曇り。飛行機の通用口をでると、一瞬モワッとした空気を感じたがエアコンの効いたロビーは快適だった。
 ANAのロビーで宮古への出発を待つあいだ、職場からメッセが届いてドキリとしたが、特に大きな問題はなく、胸を撫で下ろす。
 宮古行きも定刻通り出発。ぼくはバウンディーの「融解SINK」を聴きながら離陸を待った。睡魔に誘われて少し眠り、機長のアナウンスで目が覚める。20分ほど意識を失っていた。宮古島への降下が始まっていた。(つづく)

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