2014年3月17日月曜日

第2回古河はなももマラソンのこと

 茨城県古河市で開催される『古河はなももマラソン』に参加するために前日入りし、古河駅に近いルートインに宿泊した。

 フルマラソンを走ることへの気負いのようなものは全くなかった。かと言って平常でいたのかと問われればそうではない。消えることのない不安の断片を胸の内に抱いているのだけれど、強く捕らわれることもない。
ベットに潜り込んで眠ってしまえば、次に目を開けたときには柔かい陽射しと共に朝が訪れていて、たっぷりと朝食を摂り会場へ向かう。淡々とアップして号砲とともに走り出す。そんなふうにありふれた日常のように描くことが出来るようになった。経験を重ね、慣れるということはどうもこういうことらしい。感情の起伏も傾倒もない

 大会当日。
 それは思い描いた光景によく似ていた。真っ青に晴れ渡った、心地良い春を感じさせる陽射しの下、スタートの号砲を待つぼくがいた。居並ぶGグループはスタートゲートから150mぐらい後方だ。整列してからの時間はあっという間だった。号砲が鳴り、それを祝福するようにランナー達が拍手する。群れが一方に向かって進み出す。ゆっくりとゲートから吐き出されるように、ぼくらはスタートラインを超えた。はなももマラソンの始まりだ。

 スタート直後はとても静かだった。これから長距離走に臨むランナー達は寡黙になり、アスファルトをシューズで踏む音しか聞こえなかった。余計な会話など一切耳に入らない。真摯なランナーが多いのか、マラソン特有の静寂だった。

 積極的に自分から動いた。進行方向に隙間を見つけては体を入れる。最初の1kmは5分10秒ぐらいだった。此度の走破タイムは大阪マラソンのネットタイムを目安に、調子が良ければキロ5分で進む計画だ。
 前半、ぼくは3〜4m前に位置するランナーの腰だとか脹脛あたりに視線を落とし、黙々と走ることに徹した。肩が力んで腕の振りが小さくなることなんかに気をかける。上半身を常にリラックスさせ、無駄な力を使わないことが低燃費走法だと頑なに信じていた。
 
 10km通過は腕時計で49分。5kmを過ぎてからは5分を少し切るラップで進んでいた。15km、20kmもペースを維持することができた。黙々と距離を消化していく。
 ハーフは1時間44分。ハーフを通過するとすぐに左折。そのコーナーで「超」のつくハイテンションで通過するランナーを激励する有森裕子さんと左手でタッチ。彼女とのタッチは2年前の寺泊マラソン以来だった。

 はなももは折り返しが多く、同じ風景の中を行ったり来たりする。4度目の折り返しから25km地点へ向かう途中、持参した塩を口にした。少し苦しくなってきた。口に広がる塩味が刺激になる。きっと、この辺りでペースが落ち始めたように思う。給水エイドを前にしてジェルを一口づつ慎重に入れた(結局ジェル一個を使い切ることはなかった)。
 辛くなってきた。脚の裏が痛んだり倦怠を感じたり。それでも、30kmを通過しても今のペースを保てると信じた。
 32kmで2時間40分を超える。沿道でストレッチするランナーも目立ってきた。諦めたら終わりだと思い、背筋を伸ばし胸を張る。絶対に腰を落としてはいけない。けれど、気持ちとは裏腹に確実にペースは落ちていった。
 37kmで残りの5kmのラップをとることにした(結局28分かかってました)。ここから40kmまでが、もうどうしようもなく辛かった。何度も喘ぐように息をした。ゴールタイム40分を切ることだけを考えて脚を動かす。自己ベスト更新に執着する。給水があればつかさず手を出した。さまざまな想いが駆け巡ったけれど、止まらずに走り切って、旨いビールを喉に流し込むことだけを考え続けた。ビールが旨く感じる条件は、立ち止まらず走り続けることだと、自分に言い聞かせた。

 40km標識を越え、残りあと2kmの表示をみる。精一杯だった。微塵も余力はなかった。そこでふと、もし仮にこれがトライアスロンならばと想像する。今のスタミナでは到底無理、絶対に耐えられないだろうと思った。

 陸上競技場に入り、どこからかラスト!の声援が掛かる。スピードをキープしてトラックを進む。最後のコーナーを曲がりながら、トラックの中央にコースを取りゴールをくぐり抜けた。ゴールを通過しきってから、振り返ってサングラスと帽子を取ってコースに一礼。ぼくのはなももマラソンが終わった。

 
※結果 (計画)
10km 49分 (51分40秒)
20km 1時間38分 (1時間43分20秒)
30km 2時間29分 (2時間35分)
35km 2時間57分 (3時間)
40km 3時間24分 (3時間26分40秒)
ゴール 3時間36分41秒 (3時間38分)


3/17まで…ラン146km

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