時折、その辞書を開いてみては、相対する物事を照らし合わせてみて、こうすべきだ、やはりこうあらねばなどと考え、その辞書に自分自身で新しい言葉を上書きする。
無意識のうちに書き連ねるその辞書は、大抵パターン化されていて、ナニナニするべきだということが不動の価値として強調されている。
きっと、みなさんも「ナニナニするべき」「こうあるべき」という価値基準は少なくないだろう。ちょっと思い浮かべていただきたい。
例えばトレーニングにまつわるものとしては、トレは出来るだけ休むべきではないとか、生活においてトレのプライオリティは高くあるべきとか。
もちろんそれらは間違ってはいない。けれど「〜するべき」が多いほど、心や思考は一定の価値観に囚われてしまい、そのあるべき状況でないだけで、つまらないことで苛立ちを覚え「怒り」につながる無駄なエネルギーと化してしまう。そうしてその感情をうまくマネジメント(分配)出来ず、同じような過ちを繰り返してしまったり、最悪の場合は、自分自身、あるいは身近な家族に不利益を招くような結果を伴うこともある。
もちろんそれらは間違ってはいない。けれど「〜するべき」が多いほど、心や思考は一定の価値観に囚われてしまい、そのあるべき状況でないだけで、つまらないことで苛立ちを覚え「怒り」につながる無駄なエネルギーと化してしまう。そうしてその感情をうまくマネジメント(分配)出来ず、同じような過ちを繰り返してしまったり、最悪の場合は、自分自身、あるいは身近な家族に不利益を招くような結果を伴うこともある。
心の辞書に記されたことは決して間違いではないが、パターン化されていることに気付き、その価値観を一度壊して再構築することが必要なのである。
自分自身への戒めとして、ここに記す。
3 件のコメント:
そうですよね~
ついつい自分で自分を縛ってしまいがちですよね~
ふと、肩の力を抜いた瞬間に色々気付いたり、楽になったり・・・
抜く力をもっと身に付けたい今日この頃です
抜く=サボるではないと言い聞かせます
鉄女ママさんへのお返事です。
心の辞書を「コアビリーフ」というそうです。この辞書に自身の価値観が凝縮していて、こいつを引きながら、また上書きしながら、人は価値観を伴い生きているそうです。
頑張屋さんは短期的な結果を追い求める傾向が強いのかもしれませんネ。
結果を出し続ける人は、中長期的に具体的な計画性を持ち、上手くいかなかったことに対するリカバリーが上手い方が多いそうですが、小事にとらわれそうになったときは大事を、大事を考えるに当たっては小事を忘れずにいきたいものです。
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