2024年11月18日月曜日
2024.11.11~11.17
2024年11月12日火曜日
第37回伊是名88トライアスロン(表彰式、パーティー編)
フェリーからのぞむ伊是名島 |
2024年11月11日月曜日
2024.11.4~11.10
2024年11月10日日曜日
第37回伊是名88トライアスロン(レース編)
11/3(日)レース当日
未明の頃、仲田港に隣接する陸上競技場のあいだの架設のバイクラック、いわゆるT2と呼ばれるバイク-ランのトランジションエリアへ赴いた。ランで使用するあれこれをパッケージした袋を自分のゼッケンNo.に準備するためだ。確かAM5時半頃だった思うが、空を見上げると名だたる秋の星座が光り輝いていた。
「昼間の空は大地の一部で夜の空は宇宙の一部」といったのは…そんな台詞が脳裏をよぎるほどの美しい星空だった。わずかに明かりが灯るアスファルトの道をポツポツと歩いていると鳥の鳴き声が聞こえてくる。誰かが琉球梟の鳴き声だと教えてくれた。
ぼくらは淡々とレースの準備を進めた。正直にいうとぼくは寝不足感があった。小心者は枕が変わると途端に眠れなくなる。今回も例外はなく、熟睡には程遠い睡眠だった。隣で高いびきかく副キャプテン殿を恨めしく思ったものだ。ただここに及んでコンディションを言い訳にしてもつまらない。船酔いも寝不足も、そして30℃近い気温も全部受け入れるしかない。ぼくののぞもうとしているレースは、そもそもそういうものなのだから。
いざ会場へ |
AM7時半を過ぎた頃。島内放送で予定通り大会の実施が告げられ、あたりは少しざわついた。さぁいこうか!用意したデュアスロンのシューズを装備から外し、ぼくらは少し雲のかかった朝焼けの陽光に照らされ、取り立てて急ぐこともなくペダルを踏んでスイム会場を目指した。
バイクのセッティングをして、スイム会場の受付でICチップを受けとる。試泳をして、スイムチェックを済ませたぼくは体育座りで海を眺めていた。
海にはいくつものコントラストがあり目を奪われる。遠くの珊瑚礁を越える波の行方を眺めているだけで飽くことがなかった。北東の涼やかな風が陽光を和らげ、みたことも感じたこともない不思議な海の光景。この向こう側にニライカナイがあると信じてしまうのは道理だと考えた。レース直前に関わらずもの想いに耽ってしまう。
スタートが近づいてきた。テチのメンバーで円陣を組みかけ声を合わせる。それぞれの位置につきレース号砲を待った。ぼくはいつもの直前のルーティーン、両手を鼻に合わせて深呼吸をして気持ちを整えた。
スイム
AM9:00、定刻通りレースはスタートした。浜辺から数歩進んで海に入ると、すぐに泳げる深さに到達した。先を行く選手を追うように水を掻く。そこそこにバトルを繰り広げながら目標物を確認する。海水の透明度が高いのは言わずものが、合わせて強い潮の流れを感じた。気がつけばコースロープ側へと流されている。だがこれは計算通り。しかし、さらに流れが強いところでは前に進むことすら容易ではなかった。抗えずに左手がコースロープに引っかかる。掻きを深めにとったり、ピッチを上げたりと潮の流れからの脱出を試みるが簡単ではなかった。自身の力量のなさを恨む。スイムアップ目標は40分、いやもう少し早いだろうなんて甘々だった。リーフの切れ目から流れいずる海流がいく筋も存在するのか。これまで泳いだ海とは比べ物にならないテクニックが要求される伊是名の洗礼だ。さらに幾度か海水を飲んでしまい気持ちが減退する。いっそリタイヤしてしまおうかと脳裏をよぎる。あまりにも苦しくなり、立ち泳ぎして息を入れたのは確か3度。潮流を攻略できなければタイムは望めないのかも。コースロープに対する位置どり、ヘッドアップの頻度を上げることが必須のコースだった。
四苦八苦して浜に上がったのはスタートから44分が経過していた。(スイムアップ 44:26)
バイク
スイムゲートからバイクトランジションまでの距離はおおよそ300m程度。ウエットを脱いで仕舞えば、所定のものを順番通りに身につけてるだけだ。ラック付近の着替えにあてられるスペースがやや狭い。さらにぼくのスペースはすぐ後ろが砂地だったので、脱いだウエットはもちろん、脚やら何やらに砂が着くことに躊躇するT1だった。
スイムの疲労、さらに向かい風だったのでバイクの入りはすんなりとスピードに乗れない。ぼくは予め準備した被り水で身体の熱を逃し、リカバリの補給飲料と固形物を口に入れる。
1周目はコース観察、焦る必要はないと言い聞かせながら、あまり力まないようにペダルを踏む。そうこうしているうちに追い風を受ける区間に差しかかりスピードが上がる。周回カウントするバックストレッチからの紺碧海の眺めがよくて気持ちが上がった。仲田港の入り口、やや下りで少しクランクする右カーブに差し掛かる。アクシデント発生、そこを曲がりきれないことがわかった瞬間、ブレーキを強く握って、段差のある歩道に沿って転倒した。あーやっちゃった!とつぶやきながら倒れたことをはっきり覚えている(笑)。
アスファルトに身体を打ちつけられ寝転がるように倒れた。すぐに起き上がり、倒れたバイクを起こし状態をみる。ボランティアの中学生ぐらいの男の子2人が、大丈夫ですかー!と近寄ってくる。ぼくは右手を挙げて、大丈夫!と声を張った。本当は大丈夫かどうか全くわからなかったけれど。バイクのチェーンが外れている。転がったボトルを拾ってホルダーに戻す。バイクを起こして跨り、右のビンディイングをはめペダルを踏んだ。キャノンデールは何事もなかったように前進する。異音もない。行ける!大丈夫。自分に言い聞かせる。
仲田港のコースにいた人々は、ことの始終を目撃していたのではなかろうか。転倒してしまった恥ずかしさ、左側の膝、腿や肘の裂傷の痛み我を取り戻す。痛みを和らげるアドレナリンのせいかこの2周目はややオーバーワーク気味になってしまった。
島を時計回りに周回するバイクコースを面白くするのは風向きだった。起伏はいくつかの区間はあるがそう長い距離ではない。概ね平坦でスピードに乗れるコースだと思う。
前日の試走では向かい風と起伏が重なる場所がありやや面倒かも感じたが、本番の、少なくとも自分の時間帯では、前日のように難儀をする箇所はなかった。
向かい風になる場所が時間経過と共に変化して刺激的だった。漁協あたりの右左連なるカーブを抜けると大体向かい風で、その前後の風向きが半時計でズレていったように感じた。ただぼくが勝手にそう思っているだけで実際は異なるのかもしれない。
懸念事項だった周回不明もGarminの計測とOさんのマスキングテープ作戦があって、迷うことなくフィニッシュを迎えた。転倒、落車はしたけれど、スイムのロスをほんの少し取り戻せた。
(バイクアップ 2:07:36)
ラン
T2到着。ラックにバイクを掛けながら周囲をみると、戻ってきているバイクはそう多くはなかった。シューズの紐をしっかり結び、走りながら身支度を整える。腰ポシェットから補給を取り出して封を開け、スタートのエイドの飲み物で一緒に飲み下す。さぁ行こうか、ランの始まりだ。
坂を上る。降車したばかりでスピード感覚が麻痺しているので余計に歩いているみたいだ。左にカーブすると見通しが開く。沿道には応援団がいらして鳴り物の音が耳に届く。
スタートからまもない場所で、今回お世話になっている名嘉(なか)さんの自宅前に差しかかり名前を呼ばれる。立ち止まって補給をいただき、S子さんとHさんにハイタッチ。いってきまーす!と涼しい顔をして手を振った。
上り坂は続く。長い。陽射しも強い。ようやく下りになった確か4km過ぎ。下りの衝撃で左ハムがつりそうになった。無理せずやんわり下ったが衝撃がハム伝わるたびに裏返りそうになった。
銘刈(めかる)家を通過。日陰に平坦の場所だがペースは上がらない。しばらく進むとまた上り坂が始まった。片道に小高い起伏が4つ、つまり往復で8回は上る。表現しづらいがこれがそこそこの上りだった。
7km過あたりの上りでついに脚が止まる。陽射しに負けた。葛藤する。走り出そう、ゆっくりでいいから。そもそもペースはスロジョグ程度なので、ここは気持ちの問題だった。
折り返しに到達。さてあと半分。復路、ひとつ目の下り坂でMさんとすれ違いハイタッチ。1人じゃない、チームメンバーの仲間も頑張っているんだと励みにした。
サトウキビ畑を見渡せる場所にたどり着いた頃、副キャプテン殿とすれ違った。もちろんハイタッチ。
畑の通過途中、ボランティアの自衛官らの力強い声援をもらう。沿道のそれとは別格で気持ちが引き締まる応援だった。
眼前に急な上り坂が見える。ここでも脚が止まる。前には同じように坂を上る選手がいる。もう坂は全部歩こうかとも考える。いやいや、再び走りだす。
MTさん、そしてOさんとすれ違いざまにハイタッチ。どの辺りだったかはよく覚えていない。次のエイドで水をかぶろうと考えていたことはよく覚えている。コースレイアウトも去ることながら、ぼくには陽射しが大敵だった。
銘苅家に辿り着くまでの下りが案外と長く感じた。あぁ、ここはキツイ上りだったんだと往路のことを考えた。
残り5kmぐらい。行手の先には急坂がうつる。まるで壁のようにみえる。あの坂を登りきればあとはゴールまで下り、そう考えながら脚を前にだし続けた。
そして最後の上り坂に入る。実は絶対に歩こうと思っていたけれど、最後だしゆっくりでも走り続けようと頑張ることにした。無論速くはない。が、走りながら脚を前に出した分だけ早くゴールに辿り着けると信じて前に進む。
遂に下りにはいった。ここから陸上競技場まではほぼ下りだ。だが距離はそれなりにあるので、なかなか時間が掛る。応援する名嘉さんらに手を振って、坂の勢いを借りて前進した。
競技場、トラックを半周してフィニッシュゲートをくぐる。いつものレースの締め、回れ右して一礼。終わってみればあっというまに感じてしまうのは齢をとったせいかな。(ラン 2:11:07 フィニッシュ 5:03:09) もう少し続く
2024年11月8日金曜日
第37回伊是名88トライアスロン(前編)
昼頃の便で新潟空港から那覇へ。今年は祝日が日曜と重なる振替休日ができたおかげで伊是名(いぜな)行きを決めることができた。この時期にトライアスロン大会に参加するのは初めてで、しかも沖縄本島から離島へ渡るという工程に心が躍った。
昨年の12月、テチのチームメンバーの自宅で開かれた那覇マラソンの打ち上げで、副キャプテンから伊是名を勧められなければ意識しなかっただろうし、もっと振り返れば5年前、2019年春の宮古島トライアスロンに挑戦していなければチームテチの面々と出会うことはなかったかもしれない。ぼくは流されるように生きていた方が楽だと思っている人間のひとりだ。が、受動であれ能動であれ、なんらかの行動を起こせば少なからず変化が訪れることは知っている。ぼくはあのときの宮古島で知ず知らずらに扉を開けていたのかもしれない。
念のために記しておく。この新潟-沖縄の旅の工程は、復路(帰り)の券がキャンセル待ちでなかなか確定しなかった。確かGW明け頃に予約を入れたのだが、8月を過ぎても決済に結ばなかった。ぼくは痺れを切らしてしまい、帰りを1日遅らせる工程として手続きを進めることにした。連休の絡むこの時期のエアは人気のうえに高価であることを学んだ。そういった事情で金曜に出発して、翌週の火曜に帰宅するという4泊5日の旅となったのだ。
新潟からの離陸が予定より遅れたことを受け、那覇空港の到着は若干遅れた。時間の制約は特になかった。予約する赤嶺のホテルにチェックインしてさっそく翌日の支度に取りかかった。
自転車をパッキングして運ぶ「シーコン」はなかなかの大荷物だったが、各所に設置されているエレベーターのお陰ですんなり運ぶことができた。だがもしもEVがなかったら…と想像するのはぼくだけだろうか。
朝7:00にチームテチの若人2人が迎えにきてくれた。彼らとは実に10ヶ月ぶりの再会だ。まさかのウチナータイム(沖縄時間)か?なーんて思わないこともなかったけれど、誠実な彼らは予告通りに迎えにきてくれた。ぼくら3人はOさんの運転で一路、伊是名へ向かうフェリーのでる今帰仁(なきじん)村の運天(うんてん)港へ向かった。
このほんの少し前こと、宿泊したホテルのロビーで、同じく伊是名88に参加するという関西人らしいご夫婦に声をかけれた。ぼくのロードバイクに呼び鈴がわりに装着している相棒の黄いアヒルのソフビ(通称:2代目村長)が目にとまったらしい。彼はどこでもウケがいい。お話をしていると伊是名行きのフェリーはかなり揺れるとのこと。一瞬、頭が真っ白になったが、酔い止め薬を余分に持ってきているので、まぁなんとかなるだろうと思った途端、昨年はハンパない揺れで〜と追加情報をいただいた。
沖縄北部、今帰仁(なきじん)村の運天港には2時間ほどで到着。こじんまりとした港にはトライアスリート達のバイクが散見され、フェリー乗り場の一角に備えつけられた大会参加歓迎の横断幕が雰囲気を醸し出していた。
定刻通りフェリーは伊是名に向けて出港した。おおよそ1時間の航行だ。計画通りビニール袋をポッケに船の甲板にでると、真っ青な空の下に湾内に展開するパノラマを見渡すことができた。そして、しばらくすると船首が大きく下がり船体が揺れはじめた。足元が不意に下がりゆっくりと隆起する。船首の方にいると潮の飛沫を被る。
お昼頃、仲田港に到着。ついに伊是名島への上陸だ。宿は港から数百メートルほどと近く、大会のランコース沿いでもあった。ぼくら5人は、ご縁のある方々のご自宅を訪問して挨拶を交わした。ぼくは当然初めましてなので会話の頃合いを見計っては、新潟県からやって来ましたー、と合いの手のように差し込んだ。お邪魔させていただいたS子さんのご自宅には、いつぞやの国営放送の朝の連続ドラマでみた御仏壇や、海亀の剥製を目にすることができた。
伊是名島は沖縄の原風景の残る島らしい。どこまでも広がる青い空、珊瑚礁と紺碧の海、舗装された道路に迫り出さんとする背の高いさとうきび畑、尚円王のお墓、銘苅(めかる)家、黒い珊瑚を積み重ねた塀、赤や黄色のハイビスカス。どれもこれもぼくには目新しかった。そして島の人々が、明日のトライアスロン開催を真摯に受け入れていることがひしひしと伝わってくるのも嬉しかった。