2015年10月29日木曜日

第13回柏崎マラソン

 風が強かった。
 今回はコースが変わり、前大会と比べると起伏が少なくなったとは言え、この風の影響は小さくないだろうと思った。どうであれ風はない方がいい。

 準備を整えスタート地点に整列をする。
 競技場の木々は風に翻弄されるように大きく揺れている。時々、厚い雲の隙間から太陽が覗いた。僕は両手で鼻と口を覆いゆっくりと呼吸をした。9月の佐渡トラの時もそんなポーズをとりながらスタートを待ったことを思い出す。これはレース前の緊張をほぐすルーティーンなのかもしれない。
 今日は30kmからレースが始まるのだと言い聞かせた。ここ近2走の不振を払拭するためにも、是が非でもサブ3.5をクリアしなければならない。前走の新潟シティではここを考慮し、ダメージ軽減の名目で30km以降をファンランとしたのだから、もう後がない。とにかく30kmまでは焦らず、計画通りの時計で進めよう。そこまでの自信は8割ぐらいはあったけれど、その先は全く茫漠とした。まるでこの天候のように風まかせだった。

 「位置について」の発声から号砲スタート。僕にとって11走目のフルマラソンが幕を開けた。
  競技場から街中を通って柏崎港を目指す。沿道からはランナーに向けた声援が送られる。静かな日曜の朝、街の中をランナーの足音が響き渡った。

 最初の1kmは4分50秒。意図せずにスピードに乗った。入りの5kmは25分台で十分なので、ペースを落とすつもりで息を入れる。
 柏崎マラソンのメイン舞台となる国道352号線は海岸線をトレースするように通っていて、まず僕らはそこを北上するのだった。
 海からの吹きさらしの風は想像以上に強い。僕は風と喧嘩しないように身体を小さくする。幸い風の影響は断続で市街地は案外と穏やかだ。要は海とコースの間になんらかの遮蔽物があれば影響はそう大きくないのだ。
 計画より少し速くキロ5分を切るくらいのペースで進んだ。呼吸はスッスッ、ハッハッと2度吸って2度吐く余裕があった。調子は悪くないのかもしれない。けれど半信半疑。前走も初めは決して悪くはなかったのだ。油断は出来ない。フルには魔物が棲んでいるのだから。

 コースは街中を抜けるあたりからやや上り基調になっていった。それは原子力発電所の施設に近づくにつれ顕著になった。高低差にして凡そ80m程度。僕は肩甲骨を絞り、肘を上げ、上半身を左右に振って推進力に変換する。昨年は一定のペースで走ることにこだわって、のぼりで減速しないように懸命に駆けたことを思い出した。まだ先は長い。今回はあまり頑張らずに余裕を持って駆けた。10km通過は49分だった。
  
 刈羽トンネルの手前から緩やかな下りが続き、そこを抜けると下り坂はやや急になった。原発の敷地とコースの間を隔てる、数キロにわたって敷設された有刺鉄線付きの堅牢なフェンスが終わり、緑色がかった海を覗くことができた。そこは復路で30km過ぎでのぼりになる。今しがた上ってきた坂と比べると、勾配はこちらの方があるので気をつけたいポイントだと思った。この辺りで15km。僕はいつものようにジェルをポシェットから取り出した。

 左手には幾重にも連らなる白波を眺めることが出来た。波は高くなかった。そんな海からの風に僕らは叩かれ、煽られる。海岸の入り組んだところに差し掛かると、追い風にも向かい風にも感じられ、常に風を意識せずにはいられなかった。
 17kmあたり、並走する2人のランナーに抜かれる。これを逃す手はなかった。ピッタリ後ろに着いた。風除けだ。少し苦しいくらいだが、ついていく見返りは十分にあった。おかげで緩むことなく小気味好いペースを刻む。れどそれは長くは続かず、2kmもしないうちに僕が前を行く格好になってしまった。結局、僕は風に煽られながら椎谷トンネルを目指さなければならなかった。

 椎谷トンネルを抜けると風は一層激しさを増した。全方位から責め立てられる、そんな感じだった。20km通過は1時間38分。予定より2分早かった。わずかな貯金だった。
 ハーフ付近、F井さんとすれ違う。すれ違いざまに元気がないように見えた。彼が珍しく俯いて走っていたことがそう感じさせたのかもしれない。いつもなら前を向いてニコニコしながら駆け抜けていくのに。そう言えば病み上がりだとおっしゃていた。その影響だろうか。僕ならば間違いなくDNSを選択するだろう。走ることに対する意気込みというか、執念が違う。
「F井さん、ガンバッ!」右手を挙げて声援を送った。

 次いで、A木さんを発見。故障を押しての出走、彼も執念の人だ。すれ違いざま「もう終わっちゃたよ〜」と、いつものビッグスマイルで合図を返して頂いた。故障をものともせず、上手くいかなくても腐ることのなく、へこたれることを知らない。教育指導者としての矜持かな。それにしてもまるでNHKの朝の連ドラのヒロインみたいな人だなぁ(A木さんは男性だけど)と思わず笑みがこぼれる。

 23km過ぎ折り返しに到達。気持ちを引き締めパイロンを廻る。そしてそこからは、やや向かい風になる。往路よりも風を意識しなければならなかった。喧嘩しないように顔を下げ背中を少し丸める。時折、強く吹く風に砂が混じるのが判った。
 僕は2つ目のジェルを数度に分けて口に運んだ。補給というより血糖を上げて脳を騙し、疲労感が軽減を図る補給だ。右手に持ったジェルの吸い口に風が運んだ砂粒がついた。

 顔を上げると前に2人のランナーが走っている。追いつき、抜いた。すると2人とも抜き返しにかかってきた。おっ、これはと思い、彼らの後方についてトンネルまでの風除けにした。
 トンネルを抜けると集落に差し掛かる。沿道の応援の前を通り過ぎるたびに「ファイト」と声援を頂いた。着衣のTシャツの前後に割と大きめに「とよさか」とプリントしてあるので声を掛けやすいのか「とよさかっ!」と何度か声をかけて頂いた。そう言えば前半の街中では「とよさかから来てくれてありがとう!」という声援を頂いた。それらの声援は全て力になった。左手で応えながら、目線はアスファルトに落とし黙々と走った。

 30km地点が見えた。スパートに向けたアミノ酸を担保にする。30km通過でラップを取った。2時間28分。ここから僕のマラソンが始まるのだ。心の中で再び号砲がなる。あと12km。僕は「よーし」と気合を入れて眼前の坂に向かう。余力充分。悪くてもキロ5分ペースでサブ3.5は可能だった。
 コースは3km毎で俯瞰することが出来た。まずは上り坂の3km、それから下りの3km、街中に入り家族にお願いした私設エイドまで3km、そしてゴールの競技場まで3km。
 1thクオーターの3kmは刈羽トンネルをくぐり抜け、のぼり坂のてっぺんあたりまで。ここは勿論無理せずにトータル15分ぐらいで進む。
 お次の2thクオーター。33km過ぎからは下りの3km。ここは第1で掛かった分を相殺するつもりで4分40秒台で抜けた。前を行くランナーを1人、また1人捉える。沿道の声援はほとんどなくなり、ひとりぼっちで走っている気分になる。ペースが弛まぬように左手のペースラップをこまめの覗く。
 3thクオーター。ここで1人のランナーに抜かれる。しばらく抜かれることがなかったので脅威に感じた。きっと僕と同じようにネガティヴ走を実践しているのだろう。
 離される。距離を縮めても、また離される。風除けにするつもりで再び背中に近付く。そうしている間に他のランナーを抜く。並走し、追い抜く。また抜かれる。このやり取りでペースは4分50秒。面白かった。けれどここでムキになっても仕方ないので、私設エイドまでペースキープする。
 走ることに特化した僕の意識は少し朦朧としていた。気がつけば私設エイドに近づいていた。
 昨年は39kmの里程標のところ、今年はそれより少し手間でコーラのミニペットを娘から受け取った。
「残りいくぞー!」
「いっけぇぇ!」
 ラストクオーター、ラスト3km。僕はペットを片手にペースアップしたながら国道を大きく左折した。

 最後のエイドを通過して前方を確認すると、割と大勢のランナーが列を成して走っているのが見えた。先ほど抜かれたランナーを含め、全部を抜き去るつもりで駆けた。ペースは4分40秒を切るぐらい。前のランナーを1人でも多く抜くという、えげつないモチベーションが僕の脚を動かした。息が辛かった。それでも自分1人が周囲と次元の違うスピードで走っているようで競技場のトラックに入る最後まで頑張ることが出来た。
 トラックに入る。コーナリングしながら、向かい風になった。残り僅かなのだからと思い必死で駆け、緩むことなくフィニッシュテープを切ることが出来た。
 今年のフル4走うち3番目のタイムだったけれど満足感は小さくなかった。ひとまず目標を達成し安堵した。次走、来年へと繋ぐ走りはできたと思う。
これが僕の11走目のフルマラソンだった。(了)


《 結果》
  5km 24分21秒   10km 48分59秒   20km 1時間38分29秒
  30km 2時間27分44秒  (以降計測不明) 
 ゴール 3時間27分48秒

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