2017年11月29日水曜日

大阪マラソン2017

 経済的効果が見込める地方からのエントリーは、ペアで申し込むと高い当選確率を誇るらしいというオカルトを信じ、僕らは思慮を巡らすことなくペアで申し込んだ。
 その噂?の通り当選。3度目の当選だ。しかし、その申し込み方法が僕にとって仇(あだ)となってしまった。
 10月下旬に届いた事務局からのメールで、レース前日の受付手続きをウェブで済ませた際、自身のゼッケンナンバーに目を疑った。
 頭文字が「G」。一瞬、凍りついた。
 過去2回ともBブロックからのスタートだったので、まさかの「G」に呆然としてしまった。早速、事務局にメールで問い合わせてみたが、ペアエントリーは申告タイムの遅い方に合わせて一緒にスタートするそうで、その「ペアエントリーのルール」及び、申告に見合ったスタート配置をしているのでスタートブロックの変更は不可能であることの返信を頂いた。そもそもこちらの理解不足から生じているので、要望が了承されるようなことがあればいわゆる神対応であり、事務局スゴッ!!てことになるのだが、そんなことはなかった。丁寧な返信を頂いただけでも感謝すべきか。

 この現実を受け入れるのに葛藤した。3万人が参加するマラソン大会で後方からスタートするという経験はナイが大体おおよその想像はつく。そして事態は追い討ちをかけるように、大会の2週間前にペアランの相方である家内が故障してDNS濃厚となる。
 ーまったく、なってこった。
 ペアでもないのに1人Gブロックからスタートする。出走自体を止めようかな・・・。葛藤が懊悩に変わる。
 一方、肝心なコンディションは良好。ほぼ予定通りのトレーニングをこなし、走力に手ごたえを感じ、懸案である体重も(若干)落としてレースを迎えた。
 なんであれ、もうこなったらやるしかない。状況に応じて力を尽くそう。そんな
ふうに心を決められたのは会場に向かう地下鉄の中でのことだった・・・。

 その当日。
 am5時半起床。起き抜けにコンビニおにぎりを頬張り朝食を済ます。7時過ぎには宿をチェックアウト。
 気温は8℃と寒い。いつものランニングの装備に100均であつらえた雨具上下を身につけて目的地へ向かった。宿泊の大国町から地下鉄で大阪城公園、森ノ宮駅まではおよそ30分。大会に参加する度に感じるのだが、思いのほかランナーの姿は多くはない。僕のスケジュールはきっと遅いのだろう。

 大阪城公園に到着。荷物預かりの締め切り時刻があと10分(つまり8時まで)であることをアナウンスしている。僕らは急ぎ、駆け足で運搬トラックへ向かいギリセーフで荷物を預ける。
 公園に仮設された立て看板の案内に従い、周囲をキョロキョロと観察しながらスタートブロックへ向かった。場内はランナーだらけで混雑しているのだが、それぞれ目的の方向へ進んでいるせいか整然とした流れがあり、レース直前の静謐さえ感じられた。それでもこのスペースに3万以上の人々がひしめいているワケで、たとえば要所の仮設トイレには長蛇の列、号砲の10分前となると指定ブロックに関わらずに最後列に回されるというのに、最後尾の方は用を済ませられるのかと心配してしまうボリュームがあった。

 DNSの家内は半ば強制的に整列からスタートラインまで僕に付き添うことに。彼女の私服にゼッケンという格好は、中途半端な仮装みたいで違和感たっぷり。だがそれを口にした途端、ダッシュで立ち去られると思ったので、それには一切触れないようにした。

 スタート20分前、僕らはブロック内に整列する。Gブロックは大阪歯科大付属病院の前。上り坂の途中に整列しているせいでスタートゲートの方は一切目視できない。
 時折、強い冷たい風が建物の間を吹き抜けた。防寒装備をしている僕は比較的平気だったが、となりのランパンランシャツ、気合十分のいでたちのランナーさんは両腕で肩を抑えるようにして震えている。天気予報は曇りのち晴れ、予想最高気温は13℃と絶好のランニング日和気温ではあるが、待機時間の対策は忘れてはならない。レースはスタート前から始まっているのだ。

 一通り大会諸般のアナウンスを終え、オンユアマークの声の後、予定通り定刻9時にスタートの号砲が鳴った。大歓声と共にじわじわと群れの移動が始まる。
 スタートラインに到達するまでに11分。家内に別れを告げる。
 なかなかのスロースタートだった。前のランナーの隙間を縫う、行き場を失う、また隙間を見つける。幾度も繰り返す。入りの1kmは5分20秒。以降もなかなか5分を切れない。モヤモヤする気持ちを抑えながら玉造筋、千日前通とランナーの大群の中を縫うように走った。(5km 25分59秒)

 微妙に5分を切れないまま、なんばの交差点を右に折れる。なんば最初の右折、御堂筋に出た。スタートしてからずっと沿道の観衆や声援は途切れることはないのだが、ここ御堂筋に来てさらに声援がパワーアップし、僕らはまるで歓声の中を駆けているようだった。
 道の幅員は広くなりプレッシャーは軽減したがルート確保は容易ではない。それなりに進める場面もあるのだが、ペーサーを中心にした集団や、併走するランナーがいるので右に左へとまるでステップを踏むように蛇行して前を捌かなければならなかった。ランナーの隙間を縫う、行き詰まる、そしてまた隙間を見つけるを繰り返した。時折前方に目を向けると、行く手の先々すべてがランナーで埋め尽くされていて、ため息が出そうになった。
(10km 51分10秒、15km 1時間16分8秒)

 2度目のなんばの交差点を右折したところでようやく道が開け、一定のペースで走れるようになった。前を塞ぐものはなにもない。気持ちよくペースを上げに掛かる。
 19km大正橋の手前、それは平坦コースが僅かにうねりだすところ、ベージュの作業着に白いヘルメット、腰には安全帯、踏むたびにジャラジャラと音を立てる重たそうな工具を身につけ、足元に目を落とせばご丁寧に安全靴という、まるで電気工事の職人の格好をしたランナーと並走する。4分50秒を切るぐらいのペースだったと思う。近頃海外のマラソン大会で話題なった日本人が扮するサラリーマンランナーの職人版だ。
 すると、つかさず横から別のおじさんが、まぁ僕も同じおじさんだけど、その職人ランナーさんに「これから現場?」と尋ね、「ハイ、とてもいそいどるんです」と彼。さらにおじさんは「やっぱり現場は新潟?」と返してきた。
 思わぬフリに吹き出しそうになりながら僕は無言で右手を上げて彼らにアピールした。レベルが高い。ものすごく嬉しくなる。ザッツ、オオサカ!新潟からレースに来た甲斐があったというものだ。

 京セラドームを望み、先へ進むと道幅が狭まった。再びペースの違いからプレッシャーを受ける。焦りは禁物。気分転換に早めのジェル補給をする。
 折り返し、大正橋に戻ると再び道幅は広がりランナーはばらけた。気がつけば眼前のランナーのゼッケンの頭文字にCやDが多くなっている。体力温存、あまり多くのことを考えないようにして、なんばの交差点を目掛けてペースキープする。
(20km 1時間40分45秒、25km 2時間5分25秒)

 高速道、高架下を進んでいるせいだろうかGPSのラップはバラついた。気分良く走れているのであまり気にすることなかった。ただ1kmごとのラップは確認しながら走った。
 気がつけば28km、そこでふと我に返る。あと14kmか。そう思ったあたりから好調はピークを打ち、下降線に入ったのかもしれない。僅かに苦しくなってきた。楽にキープできていたものが、気を抜くとペースダウンしそうになる。
 フォームに気を配り、力み過ぎないよう、とにかく楽に走ることを優先した。先は長い。けれど心なしか脚が重い。疲労の影がゆっくりと忍び寄ってくる。
(30km 2時間30分25秒)

 32kmを通過してあと10km。前回、この少し左に折れる緩やかなカーブで右の靴ずれが気になり出したことを想い出した。かつてなく巨大な靴擦れが出来ていてびっくりしたものだ。
 5分キープがギリギリになる。いや、頑張ればなんとか、けれど先が不安だった。
 疲れてくると、頑張らなくてもいい理由を見つけようとするものだが、ハナから後方スタートで仕方ないだろうという理由が頭を巡る。それでも順調にここまできたのだ。諦めずしっかり走ってやろうと強く思った。

 フラッシュバックするいくつかの風景や声援。
 何度見たか判らない黒と黄色のドンキホーテさんのロゴ、スーパー玉出さんの巨大看板、「残り10km!まだ先は長いから慎重に!」は去年も同じようなところで聴いた台詞。
「フルマラソンは42.195kmのレッドカーペット!」これは30km手前だったかな。
「苦しいのは気のせい」定番だな。
「あともう少し(嘘)」笑えない・・・。などなど記憶にフックすることはいくつもあったが、時系列には並べられない。

 ニュートラムの高架下の直線は殊更に長く感じる。高架側は走ることを諦めたランナーが、歩道には声援を送る人々で埋まっている。
 もう前が詰まるなんてことは全くなく、ランナーの背中に追いつき追い越し続けた。刻んでいるラップの割りにスピード感があり違和感を感じた。(35km 2時間55分45秒)

 終盤の難関、南港大橋を越え、港のヤードが散見できるコースに入る。ゴールのインテックス大坂は近い。
 残り4km。38kmを過ぎた辺りから脳内でカウントダウンが始まる。緩めずしっかり脚を動かそう、それだけを念じる。
 40km、最後のエイドはパス。今回唯一パスしたエイドとなった。水分を補給するとペースがが緩みそうに思えたからだ。
 あと2km。いつも練習しているコースにたとえると、こんなんかなー、あんなかなーと想像する。
 わずかにコースがうねる。下りも上りも辛い。しばらく進み右折する。すると残り200mと記された大きな横断幕が現れ、その向こう側にフィニッシュゲートが見えた。

  フィニッシュゲートをくぐり、青い計測マットを越えたところで回れ右、僕はコースに一礼する。3度目の大坂マラソン、完走タイムは3時間32分17秒だった。

ゴール手前、名前を呼ばれキョロキョロする

 このあと普段、筋肉痛にならない脚の部位が筋肉痛になったことに気付いた。3日経った今日もその痛みは変わらない。
 今年最後のレース、僕にとって17度目のフルマラソンがもたらしたもの。それはこの筋肉痛とスタートから1万人以上を抜いたことだった。
 また来年、大坂を走りたいと思う。(了)

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