2015年7月21日火曜日

ランシュ放浪記 横浜山下公園編

 恒例化しつつある海の日連休の親子3人旅行。今年は横浜だ。
 従ってランシュ放浪記も舞台は横浜。今回は山下公園を中心に廻ろうと考えていた。ぼくらの世代は横浜と言えば「あぶない刑事(デカ)」。中学生だったぼくは親友の自宅でワザワザ一緒に見たものだ。別に自宅でテレビが見れない事情があったわけではない。それぐらい「あぶ刑事」が翌日の男子の話題の中心で憂鬱な日曜の夜を吹き飛ばしてくれる唯一のテレビ番組だったのだ。中坊ながらエンディングの舘ひろしさんの声が妙に色っぽかったことが忘れられない。

 am5:30。ホテルのフロントに鍵を預けてスタート。この前日に梅雨明けした横浜の朝は既に28℃。湿度が高くモワッとする空気を振り払うために風を求めつつ、取り敢えずベイブリッジがイイ感じで眺められる辺りまで進もうと海を目指した。


 ランドマークタワー、パンパシフィック、パシフィコ、コスモクロック、ワールドポーターズ、カップラーメンミュージアムそして赤煉瓦倉庫。錚々たる建物群を抜け、よく整備された海辺伝いに山下公園へ。赤煉瓦倉庫から公園まではプロムナードがあってとても走りやすい。ついピッチが上がる。
 人は少なくない。ジョガーはもちろんサイクリスト、釣り人、散歩などたくさんの人が出ている。ベンチに横たわる方も多数…。前夜シャンパンナイトと銘打たれた花火大会が催されていて、辺りには多くの人々がそこいらじゅうにいたことを思わせる痕跡があった。
 距離はどうあれ取り敢えずベイブリッジが拝める所まで駆けることにした。




 ベイブリッジが出来たばかりの頃、横浜出身の大学のクラスメートに案内されて深夜橋を通過した。その際、何やら事件があったとかで、警察の検問で車を停められたことを思い出した。さすが横浜は違うっと、妙に感心しながら助手席でやりとりを聴いていた。テレビの中の話がまるで日常的に起きているように思ったものだ。
 今こうして齢を重ねて横浜という場所を目の当たりにすると、海路のハブ港であり首都圏の物流拠点だということがわかる。山ノ下埠頭を彷徨いながら勝手な想像を広げてみる。
 幕末の時代から、その時勢とともに役割を果たしているのだろう。勝海舟に始まり、戦後はアメリカと共に文化と経済に密接な関係を持ち、多様で莫大なエネルギーが投下される。結果、独自の風情を形成し、文化として発信していったのではないか。詳しいことはわからないが、そう間違ってはいないんじゃないかな。埠頭に立ち並ぶ巨大な倉庫、停泊する大型船舶、先に挙げた現代建築物の数々。それらが物語っている。
 

 何度訪れても飽きないのがこの場所の魅力かもしれない。その時々で表情が違い多面性を感じる。幾度となく立ち止まり、携帯で風景を収めるけれど対象が多すぎて収まりきらない。そんな中、虹を見つけた。もうそれだけで良い日になりそうな気がした。(了)


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