2019年9月20日金曜日

1日1食生活 2ヶ月経過について

 7月の中旬からはじめた間欠的ファスティング、1日1食生活は2ヶ月が経過した。
 起床時の体重は70kg台。概ね68~70kg台を推移していてトレーニングの有無でその増減が左右される。
 近頃になってようやく周囲から、もしかして痩せた?と恐る恐る質問されるようになった。見た目に顕れてきたようだ。スタートしてほんの1ヶ月も経過しない間に5kgほど目方は落ちたのだが、見た目に表れてきたのは9月に入った頃からかもしれない。
 そして二の句は決まって、何をして痩せたのかという質問となり、カクカクシカジカ…間欠的ファスティングについて説明すると殆どの方が、
 ゼッタイ無理!出来ない!!と断言をされる。
 そうかなぁ、シンプルで難しくはないけれどなぁ、と返すのだが大抵の場合はこれで話は終わり、特殊な人の特殊な減量手段と思われてしまうようだ。
 誤解を招いてはいけないので記しておくが、毎日どんなときも1日1食を徹底しているのではない。例えば佐渡トライアスロンの前日や前々日は2.5食ぐらい食べたし、レースの当日は朝食を食べ、レース中はもちろん補給をし、レース直後には果物や飲みもので回復に努め、帰りのフェリーでは炭水化物にビール、帰宅後にも軽く食事をした。この日は5.5食分ぐらいはいっているだろう。そんなふうにその日のイベントに応じて、活動エネルギーを補う意識で食事の回数を調整している。
 さて、ここまでのぼくの1日1食生活の要点を3つにまとめる。
  1. 日常生活にて空腹感と共存する感覚を養う。
  2. 中毒性のある食材(筆頭は合成甘味料)を遠ざける。
  3. 1日1度の食事に執着して食欲を満たす。
 ダイエットとは、摂取するエネルギーと活動のそれの収支を赤字にすることである。年齢や体質、その時の身体の調子で食物の吸収の在りようは異なり、すべてが一様に消化吸収され、体の素材の足しに成ったり成らなかったりしながら、僕らの身体を通過していくのかもしれないと考えるようになった。
 老荘のどちらだったかが覚えてないが「我々は生きる管でしかない」と言ったらしいが、確かに人は口から食物を入れ尻から排出する。それは食べ物のことだけではなく思想や哲学がただ出入りしていくだけの虚しさを表現する比喩なのかもしれないのだが、肉体が、思考が、それを欲するタイミングで入れることができるのならば、そう虚しい作業にはならないのではないかと思うのである。
 ファスティングとは、自ずからを満たさないように努めながら、食事が生きる上で無二の喜びであることを知る作業だと、今、ぼくは思う。
 この食生活は継続していくつもりだ。

0 件のコメント: