2017年6月29日木曜日

無題

 網野善彦氏の著書にはまっている。
 数冊読み終えた今、日本の歴史に漠然と抱えていたいくつかの違和感が氷解していくようで、新しいものの見方や、空想的な古代の世界観が広がっていく。

 為政者の観点や衝動的な出来事で歴史を知り、学び、そして知識として蓄えていくのだけれど、当時の市井の人々の姿を稀有な資料から、おぼろげながらもその輪郭を浮かび上がらせ、いくつかの事象を積み上げていくと間違いなくそこにはその時代を生きる人々が、現在(いま)を生きる我々と殆ど違わないぐらい重なり合ってくるのである。

「百姓」という言葉の響きの固定概念が強すぎて、農作業を主として自給自足でまかなっていくような生活の営みではなく、人が集まり集団化したところこから、考えられないぐらい広域的な社会性、職能をもって人々と交流を為す姿が想像されるのだ。

 今やインターネットはこの世界中のすみずみまで繋がってしまっていて(たぶん)、かつては街の片隅の落書きにみた、失望や警告があふれまったく見る気がうせしまっている。
 光の当たらない日本という国の庶民の歴史にこそ、学ぶものがあるのではと読み耽っている。

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