2017年6月9日金曜日

岩瀬の清水コースのこと(豊栄走友会)

5/29(土)
 北区体育館から笹神村岩瀬の清水の駐車場までロードバイクで往復してコースを確認、途中でフェマンさんに写メを送って、コースについてのやり取りをする。
 かつて豊栄走友会のメンバーがこぞって駆け抜けたトレコース。僕が入会した6年前にはその練習は行われておらず、先輩メンバーがたまに想い出したかのように、その内容を懐かしむように語るのがとても印象的だった。
「生涯マラソン」の開催に伴う走友会との関わりから僕なりに考える所があり、ふたたびこのコースでのトレを復活させようと考え、メンバーの一部にはその思いを告げていたのだった。

5/28(日)
 この日は順延した小学校の運動会が開催された。その前に軽くトレーニングを済ませてしまおうと、前日にバイクで走ったコースをアスファルトの状態や交差点の位置、エイド設置の候補地を見ながらジョグをする。
 朝の空気が気持ちよかったが、前日トレの疲労感と左足首の痛みがモチベーションを削ぐ。それでもある種の使命感めいたものが僕の中にあり、練習会の前に知るべき情報は多くあるべきだと考えて歩を進めた。単なるお人好しの行動でしかないのだが、やらなければならない理由ある行動の一つであった。


 一人のラントレには限界を感じていた。お互い競い合うことでトレーニングにスパイスを加え、まるでレースのような心地よさを得て、新たなるモチベーションを育む。
 皆、それぞれに精一杯力を出し合うことでつくられる練習会。そこに参加することに胸を張れるような、唯一無二の機会を皆でつくる。
 あとは役割の分担であり、それは皿廻しのようなものだ。次々とお皿を廻しながら勢いの衰えたお皿を見つけては、尽かさず廻しにかかれば良い。
 声を出して呼びかけ、それに答え賛同し行動する。各々が己のトレーニングをより充実させるために、練習会を活用する。そこに集うメンバーは誠実に、真剣に取り組むだけでよいのだ。

 H間さんのサブ3のお祝いに贈った横断幕の、フェマンさんの言葉が記憶に蘇る。
 それを僕風にアレンジすれば
「当の本人が何をしようが構わないが、少なくともすぐ傍にいる人々は、彼がなにを為したのかを多少の正確性を欠きながらも、本人では得ない客観性をもって記憶しているものなのだ」と。
 それが人との繋がりの構造と本質であると僕は思う。
 ちと難しいが、僕なりの表現である。


2 件のコメント:

鉄女ママ さんのコメント...

数年前にラン中に副会長にばったり会ってご一緒したことがあります
時には自分がコマの軸になって動かなければ変わらないことってありますよね
「おめさんが何したかいつまでも覚えてないけど、俺は結構助かってる」的なところが鉄女ママ風解釈ですwww

Cyguns さんのコメント...

鉄女ママさんへのお返事です。
コメありがとうございま。
なるほど!もう1歩進んだ表現ですね〜。なんかジワジワきます。