2023年12月11日月曜日

2023年 第37回那覇マラソン スタートからハーフまで編

12/3(土)
 朝5:40に起床。TVをつけるとフィリピンでの地震による津波警報のニュース速報が流れていてちょっと物々しさを感じた。モニターに目を配りながら支度をせねばとポットで湯を沸かす。昨晩購入した白飯と地元のちょいクセのある味付けきんぴらをおかずに朝食を済ます。
 ホテルを発ったのは7:00過ぎ。ゆいレールに乗り奥武山公園駅で降り、モノレールに沿って壺川駅までジョグ。指定の集合地点は駅を出た目の前、川を渡った奥武山(おうのやま)公園の入口のトイレのすぐ横だ。
 行動スケジュールに関して問題はなかった。が、朝食以降どういうわけか気持ちが悪くなって何度かえずいていた。原因は判りかねたが、時間が経てば良くなるだろうと、なるべく気にしないようにして目的の場所へ向かう。
 集合場所には既に何人かがいて見知った顔を見つける。実に4年ぶりの再会。オンラインのやり取りはあったが、面と向かうのは実はこれが2度目。
 多少の照れはあったけれどみるみる消えていった。地方から来たぼくに皆が無条件に優しく気を遣って接してくれるのでつい甘えてしまう。会話に夢中になっているうちに気持ち悪さもどこかへ消えていった。
 整列の時間が近づいてきた。メンバーで円陣を組ん中央に右手を出し、親指と小指を隣同士で絡め合わせながら「あんぜんだいいちー」とキャプテンの発声に合わせ「オー!」と応える。キュッと気持ちが引き締まる。それにしてもかけ声が安全第一とは。つい顔が綻んでしまう。

 公園の様相はまさに人だらけ。見渡す限りのジョガー&ジョガー。脚の踏み場がないぐらいジョガーだらけだった。参加者は2万人は下らないそうだ。

 近隣の国の参加者も散見される。コスチュームにプリントされた文字でおおよそ判別できた。台湾、中国、もちろん韓国は当地と地政学上、互いに影響を及ぼし合える位置にあり人、の往来がそもそも頻繁なのだろう。

 かつてこの地に築かれた王国は独自の慣習と共に、大陸から多大な影響を受けていたと言われるが、人の往来が容易で習慣や文化の伝播の源になっていたと想像するのは難しいことではない。

 薄雲に覆われた那覇の空の下、同じグループのHさんとKさんと整列をして号砲を待った。スタート直前まで冗談めいた面白おかしい話をしたのは初めてだった。緊張とは程遠いスタートとなった。
 スタート時の気温は21℃。風の吹く場所はとても清々しいが、雲の切れ間から熱を帯びた陽光に照らされるとじわじわと汗ばんでくる。万人参加の大会はさすがにジョガーの密度は高い。れど似たような走力からか、あまりストレスには感じなかった。われ先にと隊列を縫うようなジョガーも少なく、譲り合う光景の方が多くみられた。もし時計にこだわるならもうひとつ前のグループが良いかもしれない。


 那覇マラソンは沖縄本島の南部の周回コースだった。記憶を繋ぎ合わせてふり返ってみたい。多かれ少なかれ実際と異なることはあるだろうがお許し願おう。
 スタートは那覇市内の中心部。起伏が多く激しいところもある。有名な繁華街、国際通りの左右の沿道には人だかりで溢れていた。地元のジョガーへの声援、いってらっしゃいの声、そして止まない拍手。沿道の迫力に圧倒され感心しながら、ぼくはチラチラと時計を覗きみてオーバーペースにならないように気を配る。

 ジョガーの群れの中でなかなか身動きがとれなかった。5km付近のエイド補給を取り損ねてしまう。得てして位置どりの問題だった。それとジョガー数の割にエイドが短かく感じ、これから先もこんなだと水分補給がままならいぞとも思った。しかしそれは全くの杞憂だった。
 この最初のエイドを皮切りに、沿道からの差し入れが途切れることなく続くのだ。既知のそれではないほどに。水、スポドリ、氷、氷袋、みかん、飴、チョコ…。声援のあるところ必ず我々見ず知らずのジョガーに補給が差し出されている。私設エイドの数は日本一かも。近所の世話焼きの方が、もう十分だというのにこれでもかと差し入れを届けてくる感じなのだ。もちろん押し付けではないけれど

 7kmあたり。バイパスに向かう勾配のきつい上りが現れる。頂上を目で追うとフォームが乱れてしまうので、視線を下に落とし肘を上げた。このコースで最初に長く感じる上り坂だった。頂上の左手に広がる那覇の住宅街のパノラマは登り終えたご褒美みたいに感じた。
 上りがあればその分の下りもある。ホッとしながら下っていくと大音量でYMCAの曲が流れ、前方の多くのジョガーがサビに合わせてYMCAの振りをやっている。
 ぼくは1度目はスルーした。が、2度目はついつられてしまった。すると右手沿道の台の上に立つマイクを持った男性が「みなさーん、ムダな労力、本当にありがとうございまーす!」とそれは嬉しそうに喋っている。
 なぁーんだ、そういうネタかと高をくくっていたが、少し間をおいて「でも、みなさーん朗報があります。あとたったの35kmです!」
 表情を崩さずにはいられなかったし、普通ならばズッコケるリアクションなのだが走っているのでさすがにそうはいかない。
 MCの彼はこれから続くジョガーの隊列にもYMCAをさせて、その決まり台詞を放っては笑わせねばならないのだ。そっちの方がよっぽどすごいな。
 あとから聞いたのだが、各地に行われるマラソン大会のYMCA芸の元祖らしい。捻りの効いた応援のひとつか。それを受け入れる風土も粋だ。多くのジョガーが親近感を抱くの当然。それにしてもこの段階で、あと35kmとはあまり考えたことがなかったので、そう言われたときは、確かにそれは長いナァと考えてしまった。

 坂を上って下るをひたすら繰り返した気がする。10km過ぎ、それから11~12kmあたり上りがひどかった。視覚的にもヤバイく気のめいる風景だった。頂上到達地点でガーミンを覗いたがなんとキロ7分ペース。
 まだまだ上りは続く。その先の14kmからも長かった。頂上付近と思われる信号機になかなか辿り着けない印象だけが残っている。
 街中と比べれば沿道の人びとの密度は下がるけれど、ふと顔を上げれば何かしらの差し入れが視界に飛び込んでくる。ポッキンアイス、沖縄では「チューチュー」と呼ばれる氷菓が私設エイドのメニューとしてあらわれはじめた。それから企業名の入ったのぼり旗を掲げた架設テントのエイドが見られるようにもなった。とても大掛かりなものあった。そうそう、もちろん公式のエイドだってちゃんとあった。これら人びとのおもてなし精神は特別な一部の方々によるものでなく、歴とした沖縄の文化なのだと確信する。ステレオタイプではなさそうだ。

 17km地点(具志頭交差点)は下りながら右折する。どういうわけだろう、ここの風景がなぜか脳裏に焼きついている。既視感のある南国の光景。背の高い緑の豊かな自然のなかで、時間(とき)の香りの嗅ぐわう堅牢なコンクリートの建物がコントラストを描く。相変わらずの沿道からの声援。高低表ではこのあたりから20km地点まで上りが続く。
 そんな上りの途中、鉄腕アトムの主題歌を演奏するバンドがいらした。ここに至るまでにも多くの奏者がいたが、その演奏が耳から離れない。チラ見するとみなさんは恐らくシニア以上で、ぼくより上の方々のようだった。戦後20数年間、本土とは異なる時間を過ごしてきた沖縄。鉄腕アトムで繋がる世代。
 ようやく20km。上り坂が終わる。左には沖縄の美ら海がパノラマで展開する素晴らしい眺めだった。そしてそこは、ぼくの今回のマラソン攻略の中でひと区切りとなる重要な場所であった。(続く)

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