「那覇マラソンはさぁ、所々で写メ撮ったりして楽しむマラソンだよ。」
何度か走ったことのある御仁がそうアドバイスしてくれた。新潟住みのぼくには信じがたい師走の気候と絵に描いたような南国の風景。そして沿道の絶えることのない声援や奉仕。起伏の多いコース設計は記録を狙うそれではなくいが、記憶に刻印される印象の強いレースである。
何度か走ったことのある御仁がそうアドバイスしてくれた。新潟住みのぼくには信じがたい師走の気候と絵に描いたような南国の風景。そして沿道の絶えることのない声援や奉仕。起伏の多いコース設計は記録を狙うそれではなくいが、記憶に刻印される印象の強いレースである。
さて20km通過。待ちに待った下りだ。幅員のある、見た目にかなり長い下り坂が眼前に展開していた。ここに至るまでの疲労感は否めない。さりとてやり抜けない感じはない。後半に用意したとっておきの補給の封を開ける。下りを上手に利用して体力を繋ぐ。ペース遵守。調子に乗り飛ばすと終盤の失速が早く訪れるのは分かりきったことだ。
平和記念公園の中間地点通過は手元で1時間55分ぐらいだったと思う。下りのスピードに乗りながら、元気の良い地元の高校生達とタッチした。彼らの盛り上がりが尋常ではなく、こちらが臆するほど眩しかった。彼らは「人間の鎖」として時間制限オーバーのランナーを止める役目も担っているらしい。
ひめゆりは漢字で「姫百合」と書く。ひと昔、いやふた昔前の看板デザインを目にして気がついた。漢字の表記だと誰もが知っている戦時中の事象について重みが増すようだ。この那覇マラソンの最中に、ひめゆりの塔に献花するランナーの方もおられるそうだ。
先人の犠牲に立つ平和への感謝。今日のウクライナ、ガザへの手向けだろうか。為政者は争いを用いて無辜の人々の生活や命を奪うことを躊躇わない。寒い時代だ。
26km付近、下り基調は終わり緩やかな起伏のコースに転じる。わずかな上りでも疲労を覚えた。左右のひらめ筋が痛む。ビギナーの頃以来の痛みだった。狼狽える。その両脚の鈍い痛みは走る意欲を削っていくようだった。
じわじわとペースは落ちた。30km通過は2時間40分ぐらいだった。残り12kmをキロ6分で刻んでもなんとか4時間は切れるなぁーなどと計算してしまう。
そうして34kmの手前、遂に歩いてしまう。いやいや35kmまでは走ろう。なぜなら宮古島のランパートはその距離だから。己を鼓舞して再び脚を動かすが、すぐにブレーキがかかる。休憩が必要だった。ひと息入れる。そうこうしながら35km地点に到達する。そこまでは頑張ろうと思っていたせいか35kmの里程標で再び歩く。4時間内で完走するこにこだわりが消えうせていた。少し走って歩くを繰り返す。
・・・この辺りはどこでもみれるような商店が軒をつらねる印象が残っているのだが、沿道の盛り上がりは相変わらずだった。この辺りになる筋冷却スプレーを差し出す方々がとにかく目立った。
37km通過。確かその辺りだったと思うが、沿道のサンピン茶の差し入れを頂いた。それはコーヒーを想起させるほろ苦さが口いっぱいに広がった。苦いのだけで不思議に清涼感となり、ぼくの背中を押すきっかけとなった。鞭を入る。あと5km頑張ろう。
小緑(おろく)バイパスからモノレール駅のある赤嶺(あかみね)までの上り坂が長くて辛かった。似たペースの方に話しかけたり、沿道の声援のお陰でなんとか歩かずに凌ぐことができた。
坂を上りきって右に折れるとモノレールとの並走する。見覚えのある道だった。なんとなく下り基調になることを予想していたが、そこに差し掛かってみると想像以上に下りの勾配があって時計を稼ぐことができた。あそこがなかったらグロスで4時間はきれなかったかもしれない。
奥武山公園の交差点を左折すると、屹立するセルラースタジアムが目に飛び込んでくる。圧倒される。ゴールは近い。けれど鉛のように脚は重く、こちらのいうことを聞いてはくれない。先ほどの下りの反動か。
スタジアムを右に折れ、公園内の小道に入ってからがとてつもなく長く感じた。見覚えのあるゼッケンを受け取った体育館の辺りを蛇行する。コースに沿って整列する地元高校生からは、あともう少し!の声援を山のように浴びた。で、あともう少しとはどれぐらい?なんて思いながら、必死に脚を進めると、遂に陸上競技場の入口とフィニッシュゲートがみえた。
グロスタイムは3時間59分41秒。まじでギリ。ハードコースを理由に言い訳はいくらでもできるが、単に走力不足なだけだ。なんとか4時間内完走の体裁を整えることはできた。完走証を受け取りながら肩を落とすしかなかった。
前半は概ね上り、後半は下りというコース設定ははじめてだったが、ぼくは嫌いではない。とても良い刺激となった。次回参加を胸に会場を後にした。
すべてのメンバーが走り終えて集合地点に帰ってきた。そしてそのままチームメンバーのご自宅へ直行して大宴会が催された。準備していただいた奥様、お嬢様方、本当にありがとうございました。
ぼくは沖縄の家庭料理に舌鼓を打ち、おいしいお酒を飲みながらその場を心から楽しんだ。思いがけず、普段よりも盃を重ねたけれど楽しいと酔わないらしく、フルマラソンにかけた以上の時間を過ごした。こうした繋がりも次回参加への意欲になろう。よい想い出となった初めての那覇マラソン参戦だった。(了)
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