2024.11.1(金)
昼頃の便で新潟空港から那覇へ。今年は祝日が日曜と重なる振替休日ができたおかげで伊是名(いぜな)行きを決めることができた。この時期にトライアスロン大会に参加するのは初めてで、しかも沖縄本島から離島へ渡るという工程に心が躍った。
昨年の12月、テチのチームメンバーの自宅で開かれた那覇マラソンの打ち上げで、副キャプテンから伊是名を勧められなければ意識しなかっただろうし、もっと振り返れば5年前、2019年春の宮古島トライアスロンに挑戦していなければチームテチの面々と出会うことはなかったかもしれない。ぼくは流されるように生きていた方が楽だと思っている人間のひとりだ。が、受動であれ能動であれ、なんらかの行動を起こせば少なからず変化が訪れることは知っている。ぼくはあのときの宮古島で知ず知らずらに扉を開けていたのかもしれない。
昼頃の便で新潟空港から那覇へ。今年は祝日が日曜と重なる振替休日ができたおかげで伊是名(いぜな)行きを決めることができた。この時期にトライアスロン大会に参加するのは初めてで、しかも沖縄本島から離島へ渡るという工程に心が躍った。
昨年の12月、テチのチームメンバーの自宅で開かれた那覇マラソンの打ち上げで、副キャプテンから伊是名を勧められなければ意識しなかっただろうし、もっと振り返れば5年前、2019年春の宮古島トライアスロンに挑戦していなければチームテチの面々と出会うことはなかったかもしれない。ぼくは流されるように生きていた方が楽だと思っている人間のひとりだ。が、受動であれ能動であれ、なんらかの行動を起こせば少なからず変化が訪れることは知っている。ぼくはあのときの宮古島で知ず知らずらに扉を開けていたのかもしれない。
念のために記しておく。この新潟-沖縄の旅の工程は、復路(帰り)の券がキャンセル待ちでなかなか確定しなかった。確かGW明け頃に予約を入れたのだが、8月を過ぎても決済に結ばなかった。ぼくは痺れを切らしてしまい、帰りを1日遅らせる工程として手続きを進めることにした。連休の絡むこの時期のエアは人気のうえに高価であることを学んだ。そういった事情で金曜に出発して、翌週の火曜に帰宅するという4泊5日の旅となったのだ。
新潟からの離陸が予定より遅れたことを受け、那覇空港の到着は若干遅れた。時間の制約は特になかった。予約する赤嶺のホテルにチェックインしてさっそく翌日の支度に取りかかった。
自転車をパッキングして運ぶ「シーコン」はなかなかの大荷物だったが、各所に設置されているエレベーターのお陰ですんなり運ぶことができた。だがもしもEVがなかったら…と想像するのはぼくだけだろうか。
11/2(土)
朝7:00にチームテチの若人2人が迎えにきてくれた。彼らとは実に10ヶ月ぶりの再会だ。噂に聞き及ぶウチナータイム(沖縄時間)があるか?なーんて思わないこともなかったけれど、誠実な彼らは予定通り迎えにきてくれた。ぼくら3人はOさんの運転で今帰仁(なきじん)村の運天(うんてん)港へ向かった。
朝7:00にチームテチの若人2人が迎えにきてくれた。彼らとは実に10ヶ月ぶりの再会だ。噂に聞き及ぶウチナータイム(沖縄時間)があるか?なーんて思わないこともなかったけれど、誠実な彼らは予定通り迎えにきてくれた。ぼくら3人はOさんの運転で今帰仁(なきじん)村の運天(うんてん)港へ向かった。
このほんの少し前こと。宿泊したホテルのロビーで同じく伊是名トライに参加する関西からいらしたご夫婦に声をかけられた。ぼくのロードバイクに呼び鈴がわりに装着している黄いアヒルのソフビ(通称:2代目村長)が目にとまったらしい。この相棒の彼は、どこでもウケがいい。
お話をしていると伊是名行きのフェリーはかなり揺れるとのこと。一瞬、頭が真っ白になったが酔い止め薬を余分に持ってきているので、まぁなんとかなるだろうと思った途端、昨年はハンパない揺れで〜と追加情報をいただいた。
台風の通過した今年はきっと揺れるだろうとの彼ら見解に脆弱な三半規管を所有するぼくはなす術はなく諦めるしかなさそうだった。と、そんな話を移動の車中でしたところ、同乗するMTさんは、昨年の自身の状況を赤裸々に教えてくれて、僕らは甲板でビニール袋を持って待機しようと話し合ったのだった。前途多難とはこのことだった。
沖縄北部、今帰仁(なきじん)村の運天港には2時間ほどで到着した。こじんまりとした港にはトライアスリート達のバイクが散見され、フェリー乗り場の一角に備えつけられた大会参加歓迎の横断幕がそれなりに雰囲気を醸し出していた。
年季を感じさせる運天港のフェリー乗り場から、伊是名島へ1日2往復フェリーが運航されている。
車から荷を降ろしていると副キャプテン殿とMさんが現れる。彼らとは春の宮古島以来の半年ぶり。硬い握手を交わす。こうして伊是名トライ参加メンバー、チームテチの5名が揃った。
定刻通りフェリーは伊是名に向けて出港した。おおよそ1時間の航行だ。予定通りビニール袋をポッケに船の甲板にでると、真っ青な空の下に湾内に展開するパノラマを見渡すことができた。そして、しばらくすると船首が大きく下がり船体が揺れはじめた。足元が不意に下がり、ゆっくりと隆起する。船首の方にいると潮の飛沫を被った。
群青の海面には小さな飛魚たちが、船の進行に驚いたように逃げまわる。甲板にいたOさん、MTさんと会話しながら船が揺れていることを意識しないように努めた。船上を見上げるとソナーがクルクルと青空に回転していた。
伊是名から那覇の航行は、新潟から佐渡両津のそれとはまるで違った。船のサイズは佐渡フェリーの半分ぐらい。太平洋に浮かぶ島々へ向う労力に、持ち合わせなければならない逞しさをぼくは想像すらしていなかったのだ。上下する船にしがみつくように島への早い到着を願った。
目指す伊是名島が目視で確認できるようになる頃には、さほど揺れなかったねと人々が口々に感想を述べていた。同胞は少なくなかったようだ。ポッケに忍ばせたビニール袋の出番はなかった。この日は単にラッキーだったのかもしれない。伊是名へ、あるいは太平洋の離島へ向かうということは、船酔いの克服が必須であることを思い知るのだった。
お昼頃、仲田港に到着。伊是名島への上陸だ。宿は港から数百メートルほどと近くランコース沿いでもあった。ぼくら5人はご縁のある方々のご自宅を訪問した。ぼくは当然初めましてなので会話の頃合いを見計っては、新潟県からやって来ましたー、と合いの手のように差し込んだ。お邪魔させていただいたS子さんのご自宅には、いつぞやの国営放送の朝の連続ドラマでみた沖縄風の御仏壇や、海亀の剥製を目にすることができ感激した。
伊是名島は沖縄の原風景の残る島らしい。どこまでも広がる青い空、珊瑚礁と紺碧の海、舗装された道路に迫り出さんとする生い茂るさとうきび、尚円王のお墓、銘苅(めかる)家、珊瑚を積み重ねた黒い塀、赤や黄色のハイビスカス。どれもこれもぼくには目新しかった。そしてなによりも島の人々が、明日のトライアスロン開催を真摯に受け入れ、参加するぼくらを歓迎してくれていることがひしひしと伝わってくるのが嬉しかった。大人達はもちろん、おじぃもおばぁたちも目を輝かせるように、明日は天気だといいねぇとか、どこに泊まっているの?と声を掛けてくだった。子供たちだってちゃんと理解している。島には小学生1年生は13人、2年生は8人いるよと太陽のように輝く笑顔で教えてもらった。
ひと通りコースを下見したあと、小心者のぼくは翌日のレースがとても不安になった。このときはとにかくランコースの険しさが際立っていて、そこにばかり気をとられていたのだった。
(続く)
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