2024年12月9日月曜日

第38回那覇マラソンのこと。2024.11.30~12.2

 那覇マラソン当日
 AM5時の目覚ましアラームと共に起き、寝ぼけまなこで朝食を摂る。枕が変わった割によく眠れた。実は外泊に欠かせない眠剤を忘れてしまったがなんとかなった。深夜と朝方にパトカーのサイレンが聴こえたのだが・・・。
 AM7時を少し回った頃で奥武山(おうのやま)公園を目指してホテルを出る。空は快晴。涼やかな空気が街に流れていた。那覇市内、空港に近い場所なのだが意外と静かだ。定期的にゆいレールの走る音が聞こえる。規則正しい機械音は悪くない。ぼくはアップを兼ねてジョグで奥武山公園の待ち合わせ場所へと向かった。同じ方角を目指すジョガーが散見された。

 チームの面々とは、おおよそ1ヶ月ぶりの対面。なんだか新鮮味がないよなー、と副キャプテン殿。違いない、ぼくもそう思う(笑)。ついこのあいだ伊是名島で一緒に過ごしたばかりだし。とはいえ、なんだかんだで再び仲間たちに会えるのは嬉しい。ところで、今日の副キャプテン殿は彼の職場での参加らしく、チームテチのユニフォームではない。つかさずMさんが、今日はテチじゃなくてテキだと上手いツッコミを入れ場を湧かせた。

 彼ら沖縄の友人らは、汗を流すことを通じ人のつながりに重きを置いている。その姿勢にぼくは心から共感している
 何より否定がない。一切ない。懸命であることを肯定し、それぞれの楽しみ方を批判しないし羨んだりもしない。そして少し話は逸れるが、彼らは子供たちを大切にする。目線を合わせるのが上手い。田舎の好々爺の集まりと軽んじらるかもしれないが、生きとし生けるものすべてに対して優しい。困ったものにでくあわさば、必ず手を差し伸べる。
 沖縄という環境、あるいは文化や慣習がそういう性質を生むのかは判らない。たまたま出会った彼らがそうなだけかもしれない。なんであれ、それはぼくにとって、たまらなく心地く自分を保つことができる。マラソンは動機や手段であって皆と顔を合わせるのがこの遠征の真の目的なのかもしれない。

 さて、マラソンに話を移そう。ぼくのグループは「E」。勝手に昨年同様に「C」ぐらいだろうと高を括っていた。似た走力のMさんも同じく「E」だった。しかるにスタート地点までの距離が随分あった。今大会の参加者は27,000人と聴いているが、この位置から序盤にジョガーを捌きながらのペース維持は少し難しそうだった。
 恒例の皆で円陣を組んで「安全第一」コールを合わせたあと、ぼくとMさんの2人は指定されたグループに移動した。互いの練習環境とか宮古島トライの抽選結果などについて話し合っている間にスタート時刻はやってきた。ふと空を見上げると、青い空にたくさんの白い雲が流れていく。沖縄本島上空に吹く風は強いのだろうか。

 定刻AM9:00、号砲が轟く。ぼくらは拍手をしながら周囲と歩調を合わせてながらスタート地点へと歩き出した。奥武山公園を抜け、川を架かる橋に向って右折する頃にはジョガーの集団は小走りになった。ぼくもすぐにその1人になった。遠く前方に目を向けると、ずっと先の先まで色とりどりのジョガーで埋め尽くされていた。沿道からはひっきりなしに声援が飛び、参加者の名前の書かれたウチワやらボードなどで飾られいた。

 予想通りおおよそ5kmを過ぎる(通過30分)までは身動きが取れなかった。果敢に挑戦してみたがジョガーの壁はどうにもならない。国際通りあたりの道の幅員がそうさせるのだ。序盤はチグハグなペースとなり、それなりに汗をかいてしまった。
 しかし2度目の参加というアドバンテージもあり、コース見当がついたので冷静な判断もできた。
 順を追って。例えばYMCAは笑顔で通過(笑)。前回は使命感で振りをやってしまったが、今回は宣言通りスルー(笑)。それより、そこを超えたあたりにいらっしゃると教えられたテチ応援団を見つけようと沿道に気を配った。しばらく進み、あちらから見つけてもらい名前を呼ばれたときは嬉しかった。遠征マラソンに関わらず、名前を呼ばれ声援を受けるというのは代え難いものだ。
 10km(通過57分)あたりの起伏は焦らず進む。そして良くない記憶としてクレジットされていたバイパス道の坂は、時計を気にせずに呼吸が乱れない程度で走ったので辛い思いはしなかった。きっと初回よりも良い記憶として上書きできたはずだ
 このずっと先の具志頭(グシチャン)の交差点までは道なりに進むのだが、背の高いサトウキビ畑を左手にして上り坂が次々に現れる。それらの坂もぼくの中では印象が悪かったけれど、この途中、京都のYさんと偶然にお会いして気を紛らわすことができたので無難に進められた。Yさんのお陰でここも良くない印象が払拭された。

 のぼりが続く間はとにかくペースを抑えようと気を配っていたつもりだったが20km地点通過で1時間50分と、ちょっと頑張りすぎてしまったようだ。
 計画では上りを加味して55分で十分だったのだけれど。上り下りが続くのでキロラップが把握しずらいことに改めて気がついた。
 その20km付近、上りのピーク。左手に広がる海岸や海が美しい。そしてそこから長い下り坂が始まる。平和記念公園、ひめゆりの塔あたりを通過しながら、大掴みだが28km地点まで下り基調が続く。このあたりまでは下りの勢いを借りてよいペースを刻むことができた。

 30km通過は2時間45分。残り12km。やや苦しいがなんとかなりそうだった。5分半キープが目標だった。この辺りで再びテチの応援団から名前を呼ばれ、振り返るが手を挙げて答えるのが精一杯だった。
 すぐに豊見城市(とみぐすく)に入った。沿道の声援がさらに賑わいをみせ、補給に事欠かなくなった。ゴールの奥武山まではそう遠くはないように思えた。しかし、ちょっとした上りが脚にこたえた。腰を落とさぬよう何度も姿勢を正す。背筋を伸ばす。徐々に疲労感が募り走り続けられそうになくなってきた・・・。
 35kmの里程標で脚を止め、大きく息を入れる。歩いては走るをくり返す。しかし、ほんのちょっとした上りが堪える。平坦や下りは走れるが上り傾斜では脚が止まってしまう。
 予定通りにはいかない。小禄バイパスの緩やかな上りは、今回はほとんど走ることができなかった。昨年のような4時間を切るぞという強い想いは、早々にどこかに消え失せてしまっていた。この辺ではゴール間近の光景を楽しもうと頭が切り替わっていた。

 ネットタイムで4時間8分、グロスは12分。本来はあまり言葉にしたくないのだが、二度目のフルマラソンから継続できてていたサブ4走破がついに途絶えてしまった。
 いくつもの言い訳がある。夏からここに至るまでのレースローテーションが影響したかもしれない、この日の環境やコース設置もあったかもしれない。いずれにせよ結果は真摯に受け止める。いまのぼくには、そういう謙虚さが必要なのだろう。
 そんなふうに時計は思うようにはいかなかったが、このマラソンに参加できたことに一点の悔いはない。沖縄、那覇でこうしてマラソンができたことは2024年の締めとなる楽しいイベントであった。でき得ることならば第39回の同大会に参加したいと考えている。もちろん時計も挽回するためにも。

 結びに。数あるマラソン大会ですが、こうして縁あって参加できることは偶然ではないと思います。この大会に関わったすべての人びと、スタッフ、選手、そして沿道の人々に感謝と尊敬の意を表したいと思います。ありがとございました。(了)
 
 

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