2025年4月28日月曜日
超寝不足とリカバリー。2025.4.21~4.27
2025年4月25日金曜日
第39回宮古島トライアスロン当日編③ バイクトランジションからフィニッシュまで
時間予報通り太陽が顔をだしていた。アスファルトに出るとさらに陽射しを、熱を感じた。陽よけのネッククーラーに合わせて冷かけシートを首に巻く。実践遣いは初めてだが強いメンソール感で悪くなかった。あれ?ここで違和感。陽射しが強烈に感じ…あ、帽子を被ってないや…。昨年の佐渡や伊是名で活躍した両サイドと首に長い陽よけヒダのある帽子を被ってなかった。バイクの荷物バッグから取り出したし、靴を履くときに横にあったはずだ。被り忘れたのだ。一瞬踵を返し取りに戻ろうかともした。いやランチェックを再び戻れるのだろうか…。帽子はあの靴を履いた場所にあるのだろうか?
これから走る距離と今のこの陽射し。ぼくは帽子を諦めてそのまま歩を進めることを選択した。
脚が上手く出なかった。走りはじめということもあって両脚の膝上、四頭筋が強張っている。まるで丸太棒が骨盤からのびているみたいに。それにちょっとした衝撃があれば右のハムが攣りそうなワナワナとする気配もあった。遅くともいつものように走れたのなら…。ちょうど1kmのところで止まり、歩道に脚をかけて脹脛を伸ばし、膝裏の足底筋を押した。脚に不調が出たときに副キャプテンから教わったやつだ。再び走りだすが特に変化はなく脚の出しにくさは変わらない。35kmの距離がとてつもなく重く感じた。
ひと息入れる目的もありGSのトイレを使った。回復を待つしかない。現在ランペースはキロ6分半。想定はイーブン6分15秒、調子を上げてあわよくばサブ4ペースも、なんて考えたがそれは浅墓だった。この状態ではまったく難しい。さてどう対応しよう。
陽射しは容赦なく降り注ぐ。後方から、抜かれることはあっても抜くことはなかった。エイドもしばらくはない。自問自答を繰り返す孤独な時間が始まった。
7km過ぎ脚を止める。吐き気がしてムカムカしたので、道の端っこに寄って胃に溜まった水分を吐き出した。2つ目の冷かけシートに手を掛ける。残りはひとつ。顔はもちろん、身体の熱が冷めない。このままだと熱中症、最悪途中で意識を失ってしまうかもしれない。ネガ思考に絡め取られる。昨晩殆ど眠れていないことも弱気にさせた。うつむき歩きながら残りの距離と制限時間を勘案する。それはもう何度も何度も・・・。とにかく完走する。完走したい。昨年の轍はゼッタイに踏まない。なんとしても競技場へ戻るのだ・・・。
自分史上、最も歩いたランパートだろう。辛くなったら歩くを繰り返した。ちょっと走っては止まり歩く。走っては歩く。上りは無理はしない、下りは走ろう。とにかく少しでも楽をして進んだ。
熱中症対策をおこなった。確実なのは氷を持つこと。持ち歩けるようにエイドでビニール手袋をもらい氷嚢とし、道に落ちていた袋を拾った。見つけたときに奇跡だと思って飛びついた。それらを左右に持ち替えながら体温を冷ました。
走っては止まるを繰り返しながら、歩き通しても制限時間内にはゴール可能かを常に計算した。
城辺(ぐすくべ)の折り返しまでくると随分と身体が楽になった。さらにこの頃から陽が雲に隠れることもあった。気温のピークを過ぎたようだ。走っては歩くを繰り返す。ペースは上がらなかったけれど、走破予想した16時頃のフィニッシュが可能であることに気がついた。
今回の走破タイム予測は9時間6分。スイム、バイクで十分過ぎる余裕ができていた。ギリ予測に届くかもしれない。
ーすごいことを成そうとしているんだよ。家内のひとことが脳裏を掠める。宮古島トライアスロン完走は一般的にはすごいと言われる挑戦。
2019年平成最後の宮古島に初めて参加して完走した。当時は今よりも距離が長い。6年前、49歳のときの誇らしい出来事でありトライアスロンにはまる分岐点だった。
心に火が灯った。歩は早くなくていい、ときに止まってもいい。まずは目標を目指そう。54歳になった今の力を、ここに至るまでの成果を発揮しよう。
25kmに到達、あと10km。商業施設が建ち並ぶ街中に入る。走っては歩くを繰り返すのは変わらないが、走る時間が確実に長くなった。ぼくへの声援も聞こえた。ゼッケンから名前を調べて名前で声援を送ってくれる。突如名を呼ばれたものだからつい振り向いてしまうし、性格上、何か物を申さねばと、とにかく「ありがとう」を繰り返した。
空は完全な鉛色だった。氷嚢は必要ないくらいの気温になった。随所にある私設エイドありがたい、氷をほおばり、塩や果物を口にした。
空港付近から新しい市役所、そして公設市場までの道のりが長かった。ありがたいのか良くわからない雨降るシャワーランになった。暑くなるよりはいいに決まっているけど。
宿泊するゲストハウスのそばを通過、残り3km。もう全然大したことのないのに途方もなく感じた。
わずかな上りで足が止まった。これを最後に立ち止まるのをやめよう。そう決めたはずまたが止まってしまう。走り出す。ペースは上がらずとも良い。とにかく止まらない。
ゴールの陸上競技場の入り口までは緩い上り坂だ。レースを終えバイク回収し帰路に着く競技者と目が合い、ナイスランと声を掛けられた。励みになった。あともう少しでぼくも・・・。
門をくぐり競技場のトラックに脚を踏み入れると万感込み上げてくるものがあった。左手のフィニッシュゲートを横目で確かめる。案外長いな。コーナリングで加速。一歩ずつ近づいていく。ぼくのゼッケンナンバーと名前がアナウンスされる。さぁラストスパートだ。ゲートの時計はちょうど目標時間を表示している。間に合う。スピードを上げる。まだこんな力が残っていたのか、そう思ったとき、横からぼくの名を呼び掛けて寄る3名が。なんと!チームテチ、スーパーサポーターズ3人との同伴ゴールじゃないか!
ぼくは彼らを背にフィニッシュゲートに飛び込んだ。9時間5分53秒。昨年の雪辱は果たした。
(まだつづくかも)
宮古島トライアスロン当日編② スタート、スイム、バイクフィニッシュま
浜から黄色のブイを1往復もしなかったが試泳は終了。プラカードを参考におおよそのスタート位置を決め、砂浜で体育座りをしてその時を待った。ふと脚の親指に目が止まる。足につく砂はよく見知ったそれではなく珊瑚なのだろうか。乳白色できめ細かい粒に星を思わせる形状のものがついていた。
定刻7:00。号砲と共に第39回宮古島トライアスロン大会の幕が開く。歓声が上がる。皆につられるように海に入り数歩進んで水へ飛び込んだ。始まった。澄明な海水が浅瀬の隅々を鮮明にする。海底の砂の様子までもが手にとるようだった。
お約束のバトル。もみ合いながら沖へ向かう途中、今回はゴーグルが2度もずれた。そのうち1回は盛大に外れ立ち泳ぎながら装着し直した。何事もないように冷静に対応したが、改めて思うと我ながら感心する対処だった。
1周目は27分台と想定以上だった。気を良くして2周目はコースの内を突いてブイに沿って進んだ。流れが強烈だとブイやロープに途端流されるのだが、潮流はそうでもなかく一定の距離を保つことができた。
(スイムアップ57:06)
シャワーでウエットを脱ぎバイクラックへ向う。両手に荷物を持っていたのでエイドはスルー。自分のバイクに到着し両手の荷物をスイムバッグに突っ込んだ。DHバーに掛けたメット、ネッククーラー、ゼッケンを順に装着、ラックからバイクをおろし裸足のまま乗車ラインを目指す。
ラインを超えたところでサドルに飛び乗ろうか迷ったが、周囲に人がいたので接触を懸念して一時停止。右脚でバイクを跨いでビンディングに装着済みのバイクシューの上に脚を置き、ペダルを踏んで助走する。サドルに跨ってペダルを回しながらシューズに脚を入れる。
東急からコースに出ると補給ボトルを口にした。かけ水も使う。自身の状態を鑑みながら次のエイドまでにボトルをひとつ空にすることを忘れなかった。
薄雲っていた空がいつのまにか青空になる。雲はいつも風に乗っている。ぼくらはバイクで移動する。とにかく天気はよく変わる印象だ。太平洋に浮かぶ島国ならではの気候だろう。
無数にある短い上り坂もセオリー通りサドルポジションを変え踏破する。下りはフルクラム(ホイール)に仕事をしてもらう。DHばかりを握るのでなく下ハンも使う。走り終えたので言える台詞だが、長いようで短いバイクパートだった。ペダルに集中、というか没入できていたのかもしれない。
再び平良を通過する頃には午前中内のランスタートを意識した。そしてあまりにも無事にこれたので、突如として起こる厄介にに巻き込まれないよう、周囲をよくみて慎重にペダルを踏んだ。
宮古島トライアスロン当日編①
あれから遠に時間は経ちそれなりに経験を積んできたのだが、根本にある性質はそう簡単には変わらないだろう。気持ちが入るほど一方では抗う力が作用する。用意した入眠剤の効力はほぼ無効化し、時間を空けて追加で服用したが効果はわずかだった。部屋の気温、湿度、物音、寝具との相性、ぼくを取り巻く環境も上手くなかったのかもしれない。
そしてもっと最悪なことは相部屋の方に多大な迷惑を掛けたことだ。この場を借りて彼らに今一度謝罪したい。たいへん申し訳ありませんでした。
過度な睡眠不足でトライアスロンに臨めるのかと問われると答えに窮するのだけれど、これまでの経験では興奮が優って眠気を感じることはないが、思考能力や判断力の緩慢というべきか、気持ちが陰に入り易いというのも忘れてはならない。
そんな状態で迎えた大会当日の朝3:30。ベッドから身体を起こし身支度に掛かる。ひとり朝食をかっ込み(朝ごはんは皆で食べようねと言っていた張本人が!)、手荷物の最終確認を行う。
トライアスロンは荷物の準備が少なくはない。何度も大会に参加しているので準備の慣れはあるが性格上複数回の確認をおこなう。準備の肝は、ずばりどれに何が入っているかの認識だ(定物定位)。ぼくは競技の順序で上から下に向かって確認するのを毎度の作法にしている。本大会はトランジションが2箇所なので荷の分別に心を砕く必要もある。
最終確認を終え今一度ベッドに横たわり、出発の合図があるまで身体を休める。満腹感も手伝ってほんのわずかな時間だが意識を失った気がした。
5:00を回った頃、宿を出る。この日のために駆けつけてくれたスーパーサポーター3名と彼らが作った応援旗、そして我らがチームテチの選手総勢5名で出発前の記念撮影。
車2台に分乗してスタート地点(スイム会場)へ向った。ぼくは移動中も目を閉じていた。軽バンの後部座席なのでちょっと窮屈だった。時々、目を開けて窓の外を眺める。雨に濡れたガラスに前を走る車のテールライトが滲んでいる。この時間の車なのだからきっと同じ目的なのだろう。未明の空、街灯は乏しくあたりは真っ暗だった。
東急ホテルリゾートの競技会場の入り口はアスリートの送迎の車で混雑していた。闇夜に人がわんさかいるのは違和感しかないが、これまで何度か目撃したことのある光景で既視感に近い感覚があった。前方にみえるバイク溜まりを煌々と照らすいくつかの照明が、準備する選手達の輪郭を描いている。ざわざわと物音に声が静かに聞こえる。これぞ宮古島大会早朝の1ページ。ぼくらは車を降り忘れ物がないか確認して両手で荷物を持った。「頑張って」と声をかけられたので「いってきます」と言葉を返し頭を下げた。
前日のバイク預託の際に決めておいた場所で仲間達と合流する。空が白んで周囲が輪郭を取り戻す頃、会場のアナウンスが大会実行決定を告げた。どよめきと拍手が起こる。予定通り競技が開催されるのだ。ぼくはデュアスロン用のシューズをレースフィニッシュ用の緑の袋に入れて自衛隊のトラックに預ける。
参加する5名のチームメイトと互いの指を絡め輪を作る。副キャプテンの掛け声と共に「あんぜんだいいちー」と元気よく声を上げる。長い1日がはじまろうとしていた。ぼくはスイムチェックを通過して宮古ブルーの海と白い砂浜へ降り立った。(つづく)
宮古島滞在記2025.4.17~19
今は19(土)午前。滞在3日目。多湿の環境に幾らか慣れてきたと思う。今も曇空だが風がそよいでいる。
そして今朝はひとり伊良部島をバイクで1周。曇り空の下、やや風が強かったが2019年のバイクコースの一部をトレースして、いくつかの港へも赴いた。急坂があってバイク練習としては十二分に刺激的だった。橋のたもとにある道の駅で休憩して観光気分も味わえた。午後はバイク預託。確実にレースの時刻が刻々と近づいている。
宮古島出発 2025.4.17
宮古島トライアスロンの参加はこれで3度目となる。今回は17(木)に出発。翌金曜の航空券が取れなかったこともあるが、1日でも早く現地入りして昨年の轍を踏まぬよう気候に身体を慣らしたかった。宮古島滞在期間中は注意深く自身の体調と向き合いたい。
この出発前夜のこと。一緒に行動する予定だった知人が全ての予定をキャンセルした。どうやらひどい怪我を負ったらしい。旅立ちの前日に怪我をするというのはそうはないだけにぼくの心の裡には暗澹した何かが去来した。今後同じことが自分の身に降りかからないとも言い切れない。宮古島に向かうことへの感謝を忘れてはいけないなと思った。
さて。遠方のトライアスロンに参加する準備というのは骨が折れる。航空券の手配、バイク輸送に始まり、遠征先の移動手段に宿泊など旅の要素が入ってくる。そここでもっとも手間なのはレース必需品を漏れなく梱包し運ばねばならないことだ。ぼくはおっちょこちょいなのでこれで支度は大丈夫!と思っても大抵何かを忘れている。
持ち物リストを作成して出発の2週間前ぐらいから支度を意識する。出発週前半には少なくともロードバイクを専用ケースに納めてしまう。それから競技種目ごとに必要なモノを仕分けまとめる。出発前夜、家の者にリストを読み上げてもらいながらひとつひとつ手にとってバッグに詰める。20〜30分はかかる作業で安易ではない。
旅立ちの木曜日。9:50に車に荷物を積み込んで30分と掛からず空港に到着。荷物を預けて11:00前には待合ロビーに入る。同じ目的地へ向う知人と歓談し、定刻通り空港を飛び立ち、14:10頃に那覇空港に到着、予定通りだ。那覇の気温は23℃。暑いようなそうでもないようで、空調の効いた室内にいるせいでわずか肌寒い。宮古島行きの飛行機を待つ間、お約束のように職場や取引先から連絡があって電話応対する。そういえば昨年も同じようなことがあったっけ。
16:40宮古空港へ向けて那覇を離陸。分厚い雲が下界の景色を遮っていた。目指す宮古の天候はどうやら雨とのこと。想像していた晴れ渡る南国とは少々趣が異なっているようだった・・・。(つづく)
2025年4月19日土曜日
宮古島へ。2025.4.14~4.17
2025年4月14日月曜日
宮古島の前週。2025.4.7~4.13
2025年4月10日木曜日
第39回宮古島トライアスロンにむけて。
レース補給
スイムCKにはスポドリ持参、スイムアップ後にVespa。
バイクには水ボトル、スペシャルドリンク2本(マルトデキストリン、クエン酸、塩 450kcal相当)を用意。またバイクスタート時にはバックポケットにVespa,モルテン補充。搭載補給ライスピュレ各種6個100kcal、Mag-on(120kcal)、カフェイン含有のKODA。バイクアップ110km過ぎぐらいでVespa。ラン直前でカフェイン入りモルテンまで。
前日の食事など
ウォーターローディングの下地としてアルコールとカフェイン(コーヒー)は4日前から摂取をやめる。今年は木曜日夕方に宮古島入りするので、昨年のような体調不良にならないよに水分補給と室温の管理は気をつけたい。
大会前日のお昼から炭水化物やや多目、夕飯はPM6時頃には済ませたい。就寝前にはマルトデキストリン飲料、マグオン、ヘパリーゼ補給などをする。
当日のAM3時半起床して4時には朝食を摂りたい。