2025年4月28日月曜日

超寝不足とリカバリー。2025.4.21~4.27

 宮古島から戻ってきた月曜日、階段の下りで四頭筋を気にする程度のダメージぐらいと括っていたが、その後、頻度の少なくない眩暈やアルコール耐性の著しい低下など、身体の内側の回復が必要を感じた。また木曜の夜まで熟睡できずに細切れ睡眠で寝不足が続いたことも記しておく。やはり普段やらないことは身体に負担がかかり均衡を崩すものなのだ。
 しばらくは体調変化を見逃さず、無理のないトレメニューを組み立てたい。2年越しの宮古島完走の心の余韻をトレに上手く転化して、次の佐渡をメインターゲットに据えて臨む。

★トレーニング備忘録
4/21(月) 宮古島からの撤収、帰路につく。

22(火) 日常に復帰。夕刻強い眠気に襲われる。レース前夜19日(土)の夜からここに至るまで睡眠時間が異様に短い。休養に充てる。

23(水)  終業後ジム、スイム。ストレッチから500m泳にインターバル泳でキリのよいところまで。日焼けした肌に冷水が心地よく、顎をひいてプール真下をしっかりみて泳ぐと下肢が浮き上がる感触があった。

24(木) 終業後はジム。トレミかなーとバッグを開くとシューズがない。諦めてスイムへ。ストレッチからインターバル泳。途中、宮古帰りの先輩が加わり、ぼくらの背中の日焼けをみて声を掛けずにはいられない年上のお姉さまと歓談した。

25(金) 休養。朝少しだけ筋トレ。腹筋ローラー10r×3s、ダンベルフライ12.5kg12r×3s。やらないよりはいいかなぐらいの内容。夕方はささやかな打ち上げ。

26(土) 午前はかかりつけ医、バイク屋さん、そして楽しみにとっておいた映画鑑賞で始終笑い転げたかったっのだが・・・。夕方はいつものコースでランニング。上り坂でダッシュを入れて5km。たった30分身体を動かしただけなのに疲労感大。

27(日) 朝の早い時間に前日と同コースでランニング。程よいペースで気持ちよく10km走。その後、宮古島トライ報告会と称して、普段飲まないようなお酒を頂いて泥酔する。

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4/21(月) 休養
22(火) 休養
23(水)  スイム1.0(19)
24(木)  スイム0.8(15)
25(金)  筋トレ 休養
26(土)  ロード5(30)
27(日) 午前 ロード10(58)
4/21~27(km)…S1.8、R15、Re3

2025年4月25日金曜日

第39回宮古島トライアスロン当日編③ バイクトランジションからフィニッシュまで

 バイクから降車。バイクを押しながら裸足でラックへ向かう。ボランティアの学生に自分のラックまで誘導してもらう。バイクをラックに掛けてランの支度に入る。バイクに乗っていて感じなかったが、晴れた空からの陽射しはまぶしく熱を含んでいた。
 バイク溜まりの横に設営された着替え用のテント周辺が賑わっている。ぼくはシューズを履くのにちょうど良い高さの腰を掛ける場所を見つけシューレースを結んだ。補給を入れたポーチを装着、サングラスを掛け通過チェックに向けて走り出す。上出来だった。昼前にランに入れるなんて。そしてついに、待ちに待った昨年の雪辱でもあるランパートへ突入した。高揚と期待とともにスタートした。

 時間予報通り太陽が顔をだしていた。アスファルトに出るとさらに陽射しを、熱を感じた。陽よけのネッククーラーに合わせて冷かけシートを首に巻く。実践遣いは初めてだが強いメンソール感で悪くなかった。あれ?ここで違和感。陽射しが強烈に感じ…あ、帽子を被ってないや…。昨年の佐渡や伊是名で活躍した両サイドと首に長い陽よけヒダのある帽子を被ってなかった。バイクの荷物バッグから取り出したし、靴を履くときに横にあったはずだ。被り忘れたのだ。一瞬踵を返し取りに戻ろうかともした。いやランチェックを再び戻れるのだろうか…。帽子はあの靴を履いた場所にあるのだろうか?

 これから走る距離と今のこの陽射し。ぼくは帽子を諦めてそのまま歩を進めることを選択した。


 脚が上手く出なかった。走りはじめということもあって両脚の膝上、四頭筋が強張っている。まるで丸太棒が骨盤からのびているみたいに。それにちょっとした衝撃があれば右のハムが攣りそうなワナワナとする気配もあった。遅くともいつものように走れたのなら…。ちょうど1kmのところで止まり、歩道に脚をかけて脹脛を伸ばし、膝裏の足底筋を押した。脚に不調が出たときに副キャプテンから教わったやつだ。再び走りだすが特に変化はなく脚の出しにくさは変わらない。35kmの距離がとてつもなく重く感じた。


 ひと息入れる目的もありGSのトイレを使った。回復を待つしかない。現在ランペースはキロ6分半。想定はイーブン6分15秒、調子を上げてあわよくばサブ4ペースも、なんて考えたがそれは浅墓だった。この状態ではまったく難しい。さてどう対応しよう。

 陽射しは容赦なく降り注ぐ。後方から、抜かれることはあっても抜くことはなかった。エイドもしばらくはない。自問自答を繰り返す孤独な時間が始まった。


 7km過ぎ脚を止める。吐き気がしてムカムカしたので、道の端っこに寄って胃に溜まった水分を吐き出した。2つ目の冷かけシートに手を掛ける。残りはひとつ。顔はもちろん、身体の熱が冷めない。このままだと熱中症、最悪途中で意識を失ってしまうかもしれない。ネガ思考に絡め取られる。昨晩殆ど眠れていないことも弱気にさせた。うつむき歩きながら残りの距離と制限時間を勘案する。それはもう何度も何度も・・・。とにかく完走する。完走したい。昨年の轍はゼッタイに踏まない。なんとしても競技場へ戻るのだ・・・。


 自分史上、最も歩いたランパートだろう。辛くなったら歩くを繰り返した。ちょっと走っては止まり歩く。走っては歩く。上りは無理はしない、下りは走ろう。とにかく少しでも楽をして進んだ。

 熱中症対策をおこなった。確実なのは氷を持つこと。持ち歩けるようにエイドでビニール手袋をもらい氷嚢とし、道に落ちていた袋を拾った。見つけたときに奇跡だと思って飛びついた。それらを左右に持ち替えながら体温を冷ました。

 走っては止まるを繰り返しながら、歩き通しても制限時間内にはゴール可能かを常に計算した。


 城辺(ぐすくべ)の折り返しまでくると随分と身体が楽になった。さらにこの頃から陽が雲に隠れることもあった。気温のピークを過ぎたようだ。走っては歩くを繰り返す。ペースは上がらなかったけれど、走破予想した16時頃のフィニッシュが可能であることに気がついた。

 今回の走破タイム予測は9時間6分。スイム、バイクで十分過ぎる余裕ができていた。ギリ予測に届くかもしれない。

 ーすごいことを成そうとしているんだよ。家内のひとことが脳裏を掠める。宮古島トライアスロン完走は一般的にはすごいと言われる挑戦。

 2019年平成最後の宮古島に初めて参加して完走した。当時は今よりも距離が長い。6年前、49歳のときの誇らしい出来事でありトライアスロンにはまる分岐点だった。

 心に火が灯った。歩は早くなくていい、ときに止まってもいい。まずは目標を目指そう。54歳になった今の力を、ここに至るまでの成果を発揮しよう。


 25kmに到達、あと10km。商業施設が建ち並ぶ街中に入る。走っては歩くを繰り返すのは変わらないが、走る時間が確実に長くなった。ぼくへの声援も聞こえた。ゼッケンから名前を調べて名前で声援を送ってくれる。突如名を呼ばれたものだからつい振り向いてしまうし、性格上、何か物を申さねばと、とにかく「ありがとう」を繰り返した。


 空は完全な鉛色だった。氷嚢は必要ないくらいの気温になった。随所にある私設エイドありがたい、氷をほおばり、塩や果物を口にした。


 空港付近から新しい市役所、そして公設市場までの道のりが長かった。ありがたいのか良くわからない雨降るシャワーランになった。暑くなるよりはいいに決まっているけど。

 宿泊するゲストハウスのそばを通過、残り3km。もう全然大したことのないのに途方もなく感じた。

 わずかな上りで足が止まった。これを最後に立ち止まるのをやめよう。そう決めたはずまたが止まってしまう。走り出す。ペースは上がらずとも良い。とにかく止まらない。


 ゴールの陸上競技場の入り口までは緩い上り坂だ。レースを終えバイク回収し帰路に着く競技者と目が合い、ナイスランと声を掛けられた。励みになった。あともう少しでぼくも・・・。


 門をくぐり競技場のトラックに脚を踏み入れると万感込み上げてくるものがあった。左手のフィニッシュゲートを横目で確かめる。案外長いな。コーナリングで加速。一歩ずつ近づいていく。ぼくのゼッケンナンバーと名前がアナウンスされる。さぁラストスパートだ。ゲートの時計はちょうど目標時間を表示している。間に合う。スピードを上げる。まだこんな力が残っていたのか、そう思ったとき、横からぼくの名を呼び掛けて寄る3名が。なんと!チームテチ、スーパーサポーターズ3人との同伴ゴールじゃないか!

 ぼくは彼らを背にフィニッシュゲートに飛び込んだ。9時間5分53秒。昨年の雪辱は果たした。

(まだつづくかも)

宮古島トライアスロン当日編② スタート、スイム、バイクフィニッシュま

 鉛色の空の下、青い海に浮かぶ来間大橋が見える。ぼくはスイム会場を早速試泳をする。水は少し冷たかった。選手の芋洗いのなか浜から1番近い立法体の黄色いブイを目印にする。浜からすぐのところでも潮の流れは強くグライドが揺さぶられる。
 ぼくは意識して手の甲を内に、肘を上げてゆっくり肩を回した。身体の各所のセンサーを働かせて水を感じる。眼前にひろがる透き通る水と海底の白砂に心が揺さぶられた。トライアスロンで世界を転戦するチームメイトに言わせると、この宮古の海は別格らしい。
 浜から黄色のブイを1往復もしなかったが試泳は終了。プラカードを参考におおよそのスタート位置を決め、砂浜で体育座りをしてその時を待った。ふと脚の親指に目が止まる。足につく砂はよく見知ったそれではなく珊瑚なのだろうか。乳白色できめ細かい粒に星を思わせる形状のものがついていた。
 待機しているあいだ昨年の伊是名を想い出した。ぼくにとってのスイムの苦い経験のひとつで、教訓にもなった出来事だった。予測し得ないことが起こったとき、冷静に対処できるかがスイム(バトル)の肝かもしれない。泳ぐ速度は然程変わらないけれど、ようやく自分なりのフォームの抑えどころを見つけ、この宮古島の海で通用するのかを楽しみにしていた。
 両手で両頬をパンパンと叩き喝を入れる。勇気を持てと鼓舞する。ここまできたのだからあとは自分を信じるだけだと。

 定刻7:00。号砲と共に第39回宮古島トライアスロン大会の幕が開く。歓声が上がる。皆につられるように海に入り数歩進んで水へ飛び込んだ。始まった。澄明な海水が浅瀬の隅々を鮮明にする。海底の砂の様子までもが手にとるようだった。
 お約束のバトル。もみ合いながら沖へ向かう途中、今回はゴーグルが2度もずれた。そのうち1回は盛大に外れ立ち泳ぎながら装着し直した。何事もないように冷静に対応したが、改めて思うと我ながら感心する対処だった。

 1周目は27分台と想定以上だった。気を良くして2周目はコースの内を突いてブイに沿って進んだ。流れが強烈だとブイやロープに途端流されるのだが、潮流はそうでもなかく一定の距離を保つことができた。
 海底の様子がよく見えるのでヘッドアップで前方を確認しつつ珊瑚の形状や特徴を重ね合わせ進行した。ヘッドアップとブレスの数を軽減、顎を引いて頭頂のセンサーで水面を感じストリームラインの形成を心掛ける。他選手との接触さえなければ普段のプールスイムの練習みたいだった。
 終盤、浜に設置されているオレンジの三角錐のポール目掛けていたら、ややコースの外側に膨らみライフセイバーから方向修正の指示をもらう。
 目論見通りにスイムを終え砂浜に立った。無事に泳ぎ切った安堵を感じ、スイムフィニッシュ地点まで小走りで進む。息を弾ませながら背中に忍ばせた補給で海水で塩辛くなった口直しをした。
(スイムアップ57:06)

 シャワーでウエットを脱ぎバイクラックへ向う。両手に荷物を持っていたのでエイドはスルー。自分のバイクに到着し両手の荷物をスイムバッグに突っ込んだ。DHバーに掛けたメット、ネッククーラー、ゼッケンを順に装着、ラックからバイクをおろし裸足のまま乗車ラインを目指す。
 ラインを超えたところでサドルに飛び乗ろうか迷ったが、周囲に人がいたので接触を懸念して一時停止。右脚でバイクを跨いでビンディングに装着済みのバイクシューの上に脚を置き、ペダルを踏んで助走する。サドルに跨ってペダルを回しながらシューズに脚を入れる。
 東急からコースに出ると補給ボトルを口にした。かけ水も使う。自身の状態を鑑みながら次のエイドまでにボトルをひとつ空にすることを忘れなかった。

 薄雲っていた空がいつのまにか青空になる。雲はいつも風に乗っている。ぼくらはバイクで移動する。とにかく天気はよく変わる印象だ。太平洋に浮かぶ島国ならではの気候だろう。
 平良(ひらら)では沿道から「ワイドー」といくつもの声援が飛んだり、トントントントンと乾いた太鼓が鳴った。シャァァーと鳴るアスファルトとタイヤの摩擦音が耳に心地いい。
 不意に空から雨がぱらつきヘルメットのシールドに水滴がつく。そこに陽光が反射して視界を妨げる。それも悪くなかった。DHバーを握りながら右手でシールド水滴を拭う。眼前のアスファルトが濡れて光る。いくつもにきらめく光の中を知らない道路を愛車と共に風を切った。ペダルを踏むのが楽しかった。宮古島の天気と人々の応援に乗った。いくつかの瞬間ごとの風景を想起できる序盤だ。

 池間へ向かう直線は風に押されて背中に翼を得る。ぼくは調子に乗り過ぎないようにセオリー通りのペダルに終始する。ペダルを踏み込むのほんの手前のところでもう片方の脚に意識をやって同じようにペダルを踏む。それらを交互に繰り返す。左右に踏むリズムがケイデンスとなり、背中の翼と合わさる。ギアを上げてリズムを自分好みにする。ハンドルや体重移動を気にしなくて良いところではチェーンがアウターに絡め取られる想像をする。
 Garmin(サイコン)の示すアベレージ速度が気分を上げる。冬期間のバイク練はもっぱらジムのエアロバイクと筋トレで屋外の実走は直前の2度だけだった。この感じだと練習は間違ってはいなかったようだ。以降のバイクとの関わりについて想像すると楽しみしかない。
 無数にある短い上り坂もセオリー通りサドルポジションを変え踏破する。下りはフルクラム(ホイール)に仕事をしてもらう。DHばかりを握るのでなく下ハンも使う。走り終えたので言える台詞だが、長いようで短いバイクパートだった。ペダルに集中、というか没入できていたのかもしれない。

 再び平良を通過する頃には午前中内のランスタートを意識した。そしてあまりにも無事にこれたので、突如として起こる厄介にに巻き込まれないよう、周囲をよくみて慎重にペダルを踏んだ。
 (バイクアップ3:51:03)

宮古島トライアスロン当日編①

 レース前夜というのは興奮や不安に苛まれることがしばしばで、ぼくは簡単にそれらに呑まれる人間だ。慎重に事を進めていたつもりだが、ここにおいて殆ど眠れずに大会当日の朝を迎えた。睡眠不足というのは少なくないのだが、ここまでひどいのは初めて佐渡大会に参加したときに匹敵する。
 あれから遠に時間は経ちそれなりに経験を積んできたのだが、根本にある性質はそう簡単には変わらないだろう。気持ちが入るほど一方では抗う力が作用する。用意した入眠剤の効力はほぼ無効化し、時間を空けて追加で服用したが効果はわずかだった。部屋の気温、湿度、物音、寝具との相性、ぼくを取り巻く環境も上手くなかったのかもしれない。
 そしてもっと最悪なことは相部屋の方に多大な迷惑を掛けたことだ。この場を借りて彼らに今一度謝罪したい。たいへん申し訳ありませんでした。

 過度な睡眠不足でトライアスロンに臨めるのかと問われると答えに窮するのだけれど、これまでの経験では興奮が優って眠気を感じることはないが、思考能力や判断力の緩慢というべきか、気持ちが陰に入り易いというのも忘れてはならない。
 今回はこういう不利な状況に落ちても、なにかを諦めようとまったくは考えなかった。トライアスロンの悪魔との契約は継続中とでもしておこう。

 そんな状態で迎えた大会当日の朝3:30。ベッドから身体を起こし身支度に掛かる。ひとり朝食をかっ込み(朝ごはんは皆で食べようねと言っていた張本人が!)、手荷物の最終確認を行う。
 トライアスロンは荷物の準備が少なくはない。何度も大会に参加しているので準備の慣れはあるが性格上複数回の確認をおこなう。準備の肝は、ずばりどれに何が入っているかの認識だ(定物定位)。ぼくは競技の順序で上から下に向かって確認するのを毎度の作法にしている。本大会はトランジションが2箇所なので荷の分別に心を砕く必要もある。
 最終確認を終え今一度ベッドに横たわり、出発の合図があるまで身体を休める。満腹感も手伝ってほんのわずかな時間だが意識を失った気がした。

 5:00を回った頃、宿を出る。この日のために駆けつけてくれたスーパーサポーター3名と彼らが作った応援旗、そして我らがチームテチの選手総勢5名で出発前の記念撮影。
 この宮古島滞在、そして本命のトライアスロンを隅々まで楽しもうとする彼らと一緒で本当に良かった。ぼくのだらだら続く終らない話に確かな句読点を打ち込んでくれるようだ。何を得るかではなく何を与えられるか。彼らの根っこにある無意識的行動規範ではあるまいか。彼らと再会するたびに温かい気持ちになり敬意を払わずにはいられない。

 車2台に分乗してスタート地点(スイム会場)へ向った。ぼくは移動中も目を閉じていた。軽バンの後部座席なのでちょっと窮屈だった。時々、目を開けて窓の外を眺める。雨に濡れたガラスに前を走る車のテールライトが滲んでいる。この時間の車なのだからきっと同じ目的なのだろう。未明の空、街灯は乏しくあたりは真っ暗だった。

 東急ホテルリゾートの競技会場の入り口はアスリートの送迎の車で混雑していた。闇夜に人がわんさかいるのは違和感しかないが、これまで何度か目撃したことのある光景で既視感に近い感覚があった。前方にみえるバイク溜まりを煌々と照らすいくつかの照明が、準備する選手達の輪郭を描いている。ざわざわと物音に声が静かに聞こえる。これぞ宮古島大会早朝の1ページ。ぼくらは車を降り忘れ物がないか確認して両手で荷物を持った。「頑張って」と声をかけられたので「いってきます」と言葉を返し頭を下げた。

 バイクラックへ赴き自身のバイクを点検する。照明の灯りが届かない場所なので持参したヘッドライトが頼りだった。夜露対策のバイクカバーを外し補給剤、ヘルメット、ゼッケンベルトにネッククーラーをセットして、スイム道具をしまう用に配られた白い袋を備え付けのフックに掛ける。これでバイクトランジションでの支度は完了する。
 前日のバイク預託の際に決めておいた場所で仲間達と合流する。空が白んで周囲が輪郭を取り戻す頃、会場のアナウンスが大会実行決定を告げた。どよめきと拍手が起こる。予定通り競技が開催されるのだ。ぼくはデュアスロン用のシューズをレースフィニッシュ用の緑の袋に入れて自衛隊のトラックに預ける。

 参加する5名のチームメイトと互いの指を絡め輪を作る。副キャプテンの掛け声と共に「あんぜんだいいちー」と元気よく声を上げる。長い1日がはじまろうとしていた。ぼくはスイムチェックを通過して宮古ブルーの海と白い砂浜へ降り立った。(つづく)

宮古島滞在記2025.4.17~19

 宮古島へ向かう空港の売店で買った超有名キャンディの包みに「止まない雨はない、噛めないハ◯◯ュウもない」とあった。商品開発とコピーライターのちょっとした遊び心だろうが、こういうことこそ人の心を豊かにするのだとぼくは思う。余白や空白を埋める遊び。ぼくにとっての宮古島行きは日常に空白を設け心を広く豊かにするためのアソビなのだ。

 今は19(土)午前。滞在3日目。多湿の環境に幾らか慣れてきたと思う。今も曇空だが風がそよいでいる。
 現地入りした木曜は雨で宮古到着時にレンタカーを駆って(ナビなし笑)、初めて宮古島の道路を運転、スマホをナビ替わりにするも迷いながら宿に到着する。宿にチェックインした際、部屋のすえた匂いが強く鼻を点いた。湿度のせいだろう。我が家も獣臭が酷いので他所のことは言えないが、想像していた南国の海風吹く清々しさとは、あまりにかけ離れていることに萎えた。1人ぼっちというのも応えた。
 競技説明会のある18(金)。午前の早い時間に仲間を宮古空港に迎えに行くという課題をこなし、皆がバイクを組み立てたり準備をしている間、ぼくは伊良部島大橋までランニングに出かける。宿は平良(ひらら)にあって伊良部大橋まで片道約3km。走りはじめた途端、ぶ厚い雲が散霧して強烈な陽射しが降り注いだり、急坂のアップダウンに出くわしたりと大汗のうえに顎が出てしまう。
 競技説明会までには十分時間があるので、宮古の副キャプテンの知り合いへの挨拶回りやチームメイトのご実家訪問に同行。お土産を携えそれぞれのお宅にお邪魔する。それぞれの会話が感慨深く、ほんのり地元の人びとと交流を持てたひとときだった。夕方、大本命の競技説明会に参加してこの日の予定を終える。いまひとつ盛り上がりを欠いたが悪くない会であった。

 そして今朝はひとり伊良部島をバイクで1周。曇り空の下、やや風が強かったが2019年のバイクコースの一部をトレースして、いくつかの港へも赴いた。急坂があってバイク練習としては十二分に刺激的だった。橋のたもとにある道の駅で休憩して観光気分も味わえた。午後はバイク預託。確実にレースの時刻が刻々と近づいている。

宮古島出発 2025.4.17

 宮古島トライアスロンの参加はこれで3度目となる。今回は17(木)に出発。翌金曜の航空券が取れなかったこともあるが、1日でも早く現地入りして昨年の轍を踏まぬよう気候に身体を慣らしたかった。宮古島滞在期間中は注意深く自身の体調と向き合いたい。

 この出発前夜のこと。一緒に行動する予定だった知人が全ての予定をキャンセルした。どうやらひどい怪我を負ったらしい。旅立ちの前日に怪我をするというのはそうはないだけにぼくの心の裡には暗澹した何かが去来した。今後同じことが自分の身に降りかからないとも言い切れない。宮古島に向かうことへの感謝を忘れてはいけないなと思った。


 さて。遠方のトライアスロンに参加する準備というのは骨が折れる。航空券の手配、バイク輸送に始まり、遠征先の移動手段に宿泊など旅の要素が入ってくる。そここでもっとも手間なのはレース必需品を漏れなく梱包し運ばねばならないことだ。ぼくはおっちょこちょいなのでこれで支度は大丈夫!と思っても大抵何かを忘れている。

 持ち物リストを作成して出発の2週間前ぐらいから支度を意識する。出発週前半には少なくともロードバイクを専用ケースに納めてしまう。それから競技種目ごとに必要なモノを仕分けまとめる。出発前夜、家の者にリストを読み上げてもらいながらひとつひとつ手にとってバッグに詰める。20〜30分はかかる作業で安易ではない。


 旅立ちの木曜日。9:50に車に荷物を積み込んで30分と掛からず空港に到着。荷物を預けて11:00前には待合ロビーに入る。同じ目的地へ向う知人と歓談し、定刻通り空港を飛び立ち、14:10頃に那覇空港に到着、予定通りだ。那覇の気温は23℃。暑いようなそうでもないようで、空調の効いた室内にいるせいでわずか肌寒い。宮古島行きの飛行機を待つ間、お約束のように職場や取引先から連絡があって電話応対する。そういえば昨年も同じようなことがあったっけ。

 16:40宮古空港へ向けて那覇を離陸。分厚い雲が下界の景色を遮っていた。目指す宮古の天候はどうやら雨とのこと。想像していた晴れ渡る南国とは少々趣が異なっているようだった・・・。(つづく)

2025年4月19日土曜日

宮古島へ。2025.4.14~4.17

★トレーニング備忘録
4/14(月) 週末トレ、日曜のランニングで四頭筋が筋肉痛で階段の下りが辛い。水圧効果を期待しつつ終業後にジム、スイムへ。レース仕様の装備としてコンタクトをして、おろし立てのゴーグルを装着して近頃お約束の1,000m泳。17分55秒。細部に意識をまわしたので時計は少し期待したのだが辛うじて18分切りに留まった。壁キックなし&ヘッドアップ泳を少しやって、トライアスロン大兄とささやかな宮古島壮行会開催。

15(火) 適量以上お酒飲んだ翌日は概ね睡眠不足になる。そういったもろもろからくる疲労感が強めなので、この日は休養に充て早々に就寝。結果8時間睡眠を得る。

16(水) 終業後はジム、ストレッチからトレミへ。

17(木) 早朝ランとか考えていたが、結果ワンコズのお散歩に時間を割いた。フライトの2時間前ぐらいに家を出発。

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4/14(月)  スイム1.25(21)
15(火) 休養
16(水)  トレミ7(42)、スイム0:5(10)
17(木) 宮古島へ
18(金) ロード7(42)
19(土) 午前 バイク34(70)
4/14~19(km)…S1:7、B34、R14、Re2

2025年4月14日月曜日

宮古島の前週。2025.4.7~4.13

★トレーニング備忘録
4/7(月) 終業後はジム。スイムから。近頃お約束の1,000m泳17分51秒。ペースを意識してなかったので頭の「17」をみて驚く。同レーンのインターバルで泳いでいる方をみながら泳いだからか。誰かが傍にいるというのは多かれ少なかれ刺激になるものだ。
 さて。先週から短水路20往復をやっているが、これを機にレギュラーメニューの軸にしようとも考えている。実際に身体を動かすのと頭の中の理屈は完全一致しないもので、やってみて良いと思ったものを確実に取り入れながら、しっかりそれを考察し、より自分にとって効率的なトレーニングを編み出していく。漫然と同じ事を繰り返しがちなので絶えずアップデートをしたい。
 技術面としてはリカバリー時の手甲の向き、腕の脱力、エントリー時の肘、その腕への体重の乗せ具合とストレッチタイムなど。そう、次はもっと腰を使ったグライドを意識してみよう。こうして意識をまわすポイントや課題があると意欲を保てる。ただし、項目が多いと忘れてしまうけれど。
 次にトレミへ。左脚の痛みを押して走る。左をかばうので、たどたどしい歩様になるが次第に要領を得て、やんわり40分走。サブ4ペースぐらいならやれそう。しかし、走った後の塩梅がよろしくない。

8(火)  終業後、整形外科へ赴く。人気のある医院なので夕方でも人が多い。WEB診療で設問に答え、レントゲン写真を撮って診察。骨への異常はなし。敢えて病名を付けるなら関節炎との診断だった。しばらくのあいだは痛みと付き合っていくしかなさそうだ。

9(水) 終業後はジム、ブリック練。静動合わせたストレッチのあとエアロバイクに跨り「ハイキュー」をお供に1時間、次いでトレミを10km。終業後のボリュームとしてはなかなかの質量だが、気持ちを途切らさずにしっかりやれた。平日のトレメニューに強弱をつけて、種目の入替をしながら高いトレーニング品質を維持する工夫ができたなら夏以降がおもしろくなりそうだ。やはり明確な目的があると行動は違ってくる。

10(木) 終業後はジム。スイム&ラン。ストレッチから1,000m泳。所々チョイつらい感じをもちながら17分50秒。その後ウエット着用し感触を確かめる。ノーマル時(ウエットなし)よりも大きめのアクションでストレッチタイムを取り、50mを壁キックなしでストローク11というのは浮力の成す技ではあるが、この感覚をノーマルでも身につけられたらすごい。今期はもう少しウエットスーツに投資しようかな。
 次いで左足にサポーターしてサブ4ペースで40分走。ときどきペースを上げて脚の痛みを確かめてみた。大丈夫なんとかなる。

11(金) 休養。宮古島行きの準備、買い出しなどを開始。

12(土) 今年2度目の屋外バイク練。90km走目標に北上するも途中で空気入れを忘れたことに気づき自宅方面へ戻り65km、ave.30km/h。春特有の風で出鼻からペースキープに苦労するが、追い風に押され、すこぶる気分良く走れたことでが精神的にプラスに作用したと思う。宮古島のバイク目標に届くかは微妙なラインだが、最後の確認としては悪くなかった。降車して幾分余力があったのでロードへ。5分半ペースで12km。ブリック練となる。

13(日) この日は宮古島対策ロードワーク最終日。レース前週なので無理せず、さりとてなにか自信を持てるような内容をと考えてミドル走。とにかく風が強くて寒い。15km付近で家内に自転車伴走をお願いして気持ちよく25km、ペースは5分40秒台

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4/7(月)  スイム1.0(18)、トレミ7(42) 
8(火) 休養
9(水)  エアロ28(60)、トレミ10(57)
10(木)  スイム1.25(22)、トレミ7(39)
11(金)  休養
12(土) 午前 バイク65(124)、ロード12(67)
13(日) 午前 ロード25(144)
4/7~13(km)…S2.3、B93、R61、Re2

2025年4月10日木曜日

第39回宮古島トライアスロンにむけて。

 昨日レースナンバーを教えていただき、より意識せざるをえなくなった来週の宮古島トライアスロンについて今回の目標と補給計画を記すことにする。
 昨年はラン早々でリタイヤしてDNFとしたレースだけに今回は是が非でも完走したい。しかしこれを記している今、左膝に痛みがあってランニングを控えているのであまり強気になれないでいる。果たしてどうなることやら(言い訳です)。

想定タイム(目標)
●スイム3k 1時間8分台 (58s/50mペース) [S→Bトランジション 5.6分]
●バイク123k 4時間内 [B→Rトランジション 3.4分]
●ラン35km 3時間40分(6分15秒/km) 
 計161kmh・・・ノントラブルで能力を出せれば9時間6分でフィニッシュ。

 昨年のスイムアップは1時間10分台、バイクは4時間、バイク-ランのトランジションを出たのは12時を過ぎた頃だったと記憶している。前日のバイク預託の道中でサイコンを紛失し、バイク中は左腕のガーミン頼りだった。
 今大会の解説動画を視聴したところ、スイムのコースレイアウトは昨年とは異なるが他は同じのようだ。昨年は砂浜からバイクのトランジションの距離が随分長かったが、あれはどうなっているのだろう。現地入りしたら確認せねばならない。また繰り返すようだが昨年は熱中症からくる体調不良のためにランスタートしてすぐにリタイヤしているのでランコースについては不明。
 なんであれ当日は涼しい天候を望む。それと今の故障から抜け出してそれなりに走れるように願うばかりだ。

レース補給

スイムCKにはスポドリ持参、スイムアップ後にVespa。

バイクには水ボトル、スペシャルドリンク2本(マルトデキストリン、クエン酸、塩 450kcal相当)を用意。またバイクスタート時にはバックポケットにVespa,モルテン補充。搭載補給ライスピュレ各種6個100kcal、Mag-on(120kcal)、カフェイン含有のKODA。バイクアップ110km過ぎぐらいでVespa。ラン直前でカフェイン入りモルテンまで。


前日の食事など

 ウォーターローディングの下地としてアルコールとカフェイン(コーヒー)は4日前から摂取をやめる。今年は木曜日夕方に宮古島入りするので、昨年のような体調不良にならないよに水分補給と室温の管理は気をつけたい。

 大会前日のお昼から炭水化物やや多目、夕飯はPM6時頃には済ませたい。就寝前にはマルトデキストリン飲料、マグオン、ヘパリーゼ補給などをする。

 当日のAM3時半起床して4時には朝食を摂りたい。

2025年4月7日月曜日

琴線に触れるやさしさ。2025.3.31~4.6

★トレーニング備忘録
3/31(月) 前日の室内ブリック練のせいか、痛めた左の膝周辺が疼いている。走り出すのには少し時期が早かったのかもしれない。なのでこの日の終業後はスイム一択。久しくやっていなかった1,000m泳に挑戦。OWS練に短水路の中距離は結ばないなんていう理屈は脇に置いて、結果時計は18分15秒。
 エントリー時の手甲の向きと腕の脱力、肘を伸ばす腕側への体重を乗せて具合とストレッチタイムの意識、さらにフィニッシュは掻ききらずほどほどになど、可能な限りラクをしたので時計はこんなもの。いや、そんな強気な発言をしてよいのか・・・。
 距離的にキリの良いとこまでインターバル泳でをして終了。スイムアップしてふと気がついたのだが水圧効果からか左足の痛みが随分薄らいだ。嬉しい。

4/1(火)  終業後はジム、スイム&バイク練。前日と同じく楽々スイムで1,000m泳を1本(数え間違え50mオーバー。時計は19分17秒)とインターバル泳をプラスαをやってエアロバイクへ移動。「ハイキュー シーズン2」を観ながら1時間漕いだ。スイムからのバイク(ランでも)はとにかく大汗をかく。室内の傾向ながらこれを踏まえて宮古島の補給に生かしたいと思う。
 話はそれるが平日にコンビ練をやると帰宅は21時近くになる。これが案外にシンドイ。夕食が遅くなるのはもちろん、副交感神経が高ぶってしまうようでおめめぱっちり寝付けなくなる。さらに睡眠も浅くなり睡眠不足になる。清少納言の雅を感じることなく、この春の朝の時間は殊更に遅くなっている。帰宅の電車時間を意識いるのだがムズカシイ。

2(水) 起床してすぐにトレについて考える。走りたいのだけれど左膝の痛みというか疼きがある。ランニングはもう少しのあいだガマンか。いっそオフにしようかとも思ったが、終業後ジムプールへ直行する。
 ストレッチから500m泳。9分切りをイメージして頑張ったつもりが9分8秒と振るわなかった。泳ぎ始めてから両肩がほんのり筋肉痛になっていることに気がついた。やっても気分が乗らない。インターバル泳を数本やって早々に上がる。アクティブレスト。

3(木) 終業後はジム。トレミに乗って1kmだけゆっくり走ってみる。中3日ぶりだ。スピードを上げると膝が微妙な感触なのでヤメる。走るのはもう少しガマンすることにしてエアロバイクを1時間漕いだ。焦燥感はハンパないけれど無理は禁物。連日軽いコンデジショニング練となった。

4(金) 休養に充てる。階段の下りで左脚が痛くて庇ってしまう。小走りでも痛みがある。これはいけない。焦りが募る。

5(土) 久々の週末出勤。起床から膝周りに痛みを感じあれこれ良くないことを考えてしまい、通勤時のルーティーンにも小さな支障をきたす始末。まったくもって自身の意思の弱さを認識する。動揺しているのだ。これまでやってきたことが無に帰ってしまう喪失感と、もしもあのときにあーしていれば、こーしていなければという後悔に苛まれる。
 起こってしまったことは仕方がなく、今できること、成すべきことをやるしかないと何度も繰り返す。あのときは大した怪我ではないと判断したが、あれから10日経った今も走れないというのは由々しき事体なので、来週早々に病院へ行くことに決めた。バイク練習も休まなければならない可能性が出てきたのかもしれない・・・。
 そんなふうに悶々としていたお昼頃、テチの副キャプテン殿から一報をもらう。ぼくの膝の状態を心配して電話をくれたのだった。彼は医学療法士なのだ。ストレッチに関するいくつかのアドバイスをもらった。激的に痛みがなくなるわけではなかったが、ほのかに和らいだ気がした。静的ストレッチはあまりしないだけに、齢を重ねたいまはこういうことも取り入れなければならないと感じた。
 終業後はジムへ。兼ねてから予定していたウエット着用でのプールスイム。アップ的1000m泳は9分8秒。後半隣のスイマーを意識してしまい少しだけペースを上げたぶんだけ速かった。次いでウェット着用して500m。下肢が浮くし掻きがラクになる。掻きのテンポを落として水中の姿勢に意識をまわす。頭頂のセンサーと胸を開く感覚に留意する。その後、ウエットを脱いで泳いだが水中での感覚がまるで違った。
 時間は十分にあったんで意を決してトレミへ向かった。スロジョグから膝の塩梅や着地するポイントに気をつける。拇指球で着地すると痛みが走るが、やや小指側というか満遍のない着地を心掛けると痛みなく走れることが判った。
 サブ4ペースまでペースを上げて10km走。途中何度か危うい感じになったのでペースを落としたりして走った。回復を確信する。副キャプテンのストレッチのアドバイスの効果か。
 19時半頃、トレミ正面の窓に結婚式場からの花火の打ち上げがみえた。思いがけない光景に気持ちは高揚した。

6(日) 前日は夜のトレーニングだったので午前中は回復に努めてお昼頃に出動。時折雨がぱらつく天候勝負となった今期初のロードバイク練。定番の練習コースをトレースする。防寒していたので寒くはなかったが、春の嵐とまではいかないが風が強かった。夏季の風とは真逆だったり、想定外でアゲインストだったりと骨を折った。必死にペダルを漕いだけれど都合2時間、微妙にave.30km/hに届かなかった。軽い疲労感を覚えたが補給を欠かなければやれる。バイクのフィット感も悪くなかった。帰宅してDHバーを微調整。次の週末でもう少し長めをやって確認したい。

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3/31(月)  スイム2.0(38) 
4/1(火)  スイム1.2(22)、エアロバイク28(58)
2(水)  スイム1.0(18)
3(木)  トレミ、エアロバイク28(60)
4(金)  休養
5(土)  スイム1.6(30)、トレミ10(58)
6(日) 午前 バイク62(126)
3/31~4/6(km)…S5.8、B118、R11、Re1