2015年4月30日木曜日

佐渡トキマラソン2015 ②

 もう1度、佐渡トキマラソンをスタートから振り返る。

 スタート数分前。ゲートのすぐ後方。
 周囲を見渡すと、さすが佐渡!と思わずには居られない。ランパン、ランシャツ姿のランナーが多かったが、トライスーツの方々も負けないくらい見受けられる。それはスコットカップ狙いとか、秋の佐渡トラの予行としてとか、そんな安易な理由ではなく佐渡に対する深い愛情を持って関わりを持とうとする大人達を垣間見た気がした。
 そんな佐渡ラブなスピリットZさん、それから初めましてのKさんと共に、ぼくはスタート号砲を待った。Kさんは見るからにスポーツマンという風貌で、現役のフットボーラーとのこと。初フル挑戦とのことだった。
 ぼくの性質上いじらない理由はない。スタートの直前まで社交辞令抜きでフルマラソンの恐ろしさを語りつつ、時々チョッピリ背中を押す発言を交えながらフル経験者ヅラをさせて頂いた。お陰でとてもリラックスできました。ありがとう、Kさん。

 号砲と共に拍手が沸き起こる。ぼくも拍手をした。そして押し出されるようにコースへ飛び出した。前のランナーを交しながら流れに乗る。スピリットZさんに並ぶと、ちょっと早いねと、お互いに時計を確かめ合った。入りの1kmは4分50秒だった。

 両津の町を抜けると加茂湖が左に見える。その頃、ぼくは息が整わないで少し喘いでいた。時折、深呼吸を入れて酸素を多く取り込んだ。ペースを少し落として身体が順応してくれるのを待った。上半身の無駄な力を抜く。最初はゆっくりでいいと自分に言い聞かせる。

 5kmの里程標を過ぎると眼前にはやや急な上り坂が現れた。コースの左右に雑木林があり、まるで里山コースに入るような佇まいで、なかなか頂上が見えない小さな難所だった。陽光に照らされた坂道をセッセと上ると頂上付近でスピリットZさんと並走する格好になった。お互いに一息つくように言葉を交わした。すこし先のコースについて教えていただき、下ると平坦が続くよ、というフレーズが耳に残った。

 坂を過ぎてからZさんを先頭に見知らぬランナーを挟み3人で隊列をつくって走った。10km過ぎにはそこにもう一人加わり4人となった。
 斜め前方から風が吹いてくる。風と喧嘩しちゃいけない、と教わったフレーズを思い出す。風を強く感じるときはより深い前傾姿勢をとり無駄な力を使わぬように進む。

 12km通過で時計を確認する。55分と少しだった。やっと1時間。あと2時間半は走らなきゃならないんだと漠然と思う。すると、なんだか途方もないことに思えウンザリする。ネガテイブ思考は脳に良くない影響を与えるので、それを強制終了して再び走ることに集中する。

 記憶の順序は曖昧だが、確かこの辺り、右に折れ曲がる上り斜面に差し掛かった。前を行くランナー達は例外なく対向車線からショートカットして右に切れていくが、Zさんはそのまま道なりにコースをトレースする。Zさんらしいなぁと、その背中を見ながらぼくも付いて行く。

 行政機関を思わせる建物群に向かって走る。市役所だ。沿道には人が多く、声援も厚くなった。我が走友会会長のNOBOさんの言っていた、手を合わせる老婆の姿は確認できなかったけれど、一人ぐらいはいらしたであろう、そんな賑わい感があった。
 吹奏楽団の演奏が鳴り響く中、颯爽とクランクを駆ける。エイドを通過すると黄色いパイロンで仕切られた駐車場のコースに誘導される。そしてそこから再び公道に出ると目の前が開ける。前方を行くランナーが芥子粒のように確認できるほど視界を閉ざす遮蔽物は何もなかった。ただし、風は容赦なく先ほどより威力を増した。

 15kmを通過したあたりのこと。幾つかの起伏を超えていた最中、隊列のペースが少し落ちた気がした。迷わず先頭に出た。一度前に出てしまうと引っ込みはつかないもので、そのままペースをキープして一つ前の集団に取り付いた。それ以降、スピリットZさんのプレッシャーに絶えず怯えることとなった。
 右には屹立する山々の稜線が仰ぎ見れ、左には遠くまで田園が広がっている。壮大な風景画の中をぼくらは走っているようだ。風は弱くはない。一先ず折り返し地点を目指して駆け続ける。
 
 ほどよく直線を進むと左に曲がるよう誘導される。右手にあった山々を背中にして、目の前に見える集落へ向かった。すると折り返してきた先頭のランナーが現れる。独走状態だった。しばらくして2番手の方が現れた。彼も単独だった。すれ違いながらやや苦しそうな表情がうかがえる。それからポツポツと後続が現れる。その中にはなももでご一緒させて頂いたA木さんを発見、それからF井さんと続いた。F井さんは普段と変わらない柔和な表情で合図して駆けて行った。余裕を伺える。

 折り返しのランナーが見えたことで、折り返し地点が近いように思うが、なかなかどうして、そこに辿り着くのには相応の距離と忍耐が必要だった。一帯には住宅やら建物があり、なんの前触れもなく風が止んだ。すると風は今まで陽射しを和らげてくれたのだと気づいく。掛け替えのない恩恵を失った。喉が渇くような暑さを感じはじめる。早くここから抜け出さなきゃと思った。

 そして折り返し地点。今度は来た道を戻る。すぐにスピリットZさんとすれ違い合図を交わす。いつでも仕掛けられそうな余裕を感じた。早い段階で来ないことを願うばかりだった。
 集落を抜けるとフォローの涼やかな風を受ける。雄大な山々を眼前に直線道を進んでいると、対向車線にメグメグさんを発見。すれ違いの合図を交わす。

 市役所、国仲バイパスを通過するこの区間は特に気持ち良く進むことができた。沿道の風景は変化に乏しいが、右手にそびえる山々は尾根から稜線にかけて見事な曲線を描いていた。佐渡のダイナミックな風景の中、キロ4分45秒前後のラップを刻んだ。前走のはなももマラソンに引き続いて楽に進めていた。どこまでもこの状態で進みたいと願った。そして時折、いつ後ろからスピリットZさんがやってくるのかが気になった。恐らくそれが仕掛けの契機になるだろう。来るべきときの備えとして25km付近でゆっくりとジェルを、30km過ぎにはアミノ酸を補給する。

 31kmのエイドを通過すると緩やかな登りが始まる。行く手を視線で辿るとはっきりとそれがわかった。後半のポイントに差し掛かった。じわりペースが落ちる。

 32kmを過ぎ、残り10km。キロ5分ペースで目標の25分切りはいけそうだった。ここで目標達成を強く意識する。とにかくペースキープ。出来るだけ四頭筋に頼らないように下腹部を意識して脚を出した。

 だんだんと1km毎の距離表示が気なり始め、じわじわ疲労が色濃くなってくる。脚が重い。この辺りの記憶はとても断片的で、唯一浮かび上がる光景は日吉神社のあたりで沿道から声援を頂き、かろうじて手で合図をしたことぐらい。

 37km付近で下りに差し掛かる。ハッと我に帰る。ここを利用しない手はないと思った。ラスト5km。時計を稼ぐ為に思い切り駆けた。着地の度にズシリと衝撃を受ける。この衝撃で眼が覚め意識がハッキリした。もう、そろそろ後ろからZさんが来るだろうと思った。

 続いて加茂湖の形に沿ったコースは大きく左に湾曲し、遠くの建物が目視できた。あそこまで行くのだろうかと考えると、残りの距離が数字以上に感じられた。
 ずっと前方にランナーが見える。その背中を目掛けペースを上げた。辺りはとても静かで自分の息遣いしか聞こえない。目標の背中とは少しづつ距離が詰まっていく。時計を覗くと思ったほどのペースアップではなかった。けれど力を抜かず走り続けることができた。

 目の前の背中を捉え次の目標を見定める。コースの傍に5kmの折り返し看板立てかけられていた。もう少し、あと少し。40kmを越えてしまえばもうどってことない。きっとそれは前のランナーも同じ思いだったのだろう。捕まえられそうで捕まえらない。
 40kmの表示を越えた辺りからいくつも声援が聞こえるようになった。ラスト!とか、ガンバ!とか。レースを走り終え一仕事やり遂げたランナー達が、コースを走る僕らにエールを送っているのだった。

 両津港の入り口。信号機のある交差点では交通整理が行われている。両津港から連なる歩道には幾人ものランナー達がこちらに眼を向け、或いは声援を送っている。すぐに見覚えのある両津港の防波堤が視界に入った。

 ぼくは背筋をシャンとして脚を上げる。フィニッシュゲートにつながる長い直線に出た。戻ってきたのだ。しっかりとした足取りを心掛ける。沿道にはいくつかの幟旗が掲げてあった。ぼくらの走友会の幟が眼に入る。ゴールではぼくのためにテープが貼られているのがわかった。もう何も考える必要はない。スピードを緩めず思い切りテープを切った。
 フィニッシュ。
安堵で気持ちが緩む。この瞬間ぼくの佐渡トキマラソンが終わった。
 3時間23分22秒。PBだった。

  ※  ※  ※  ※  ※

今回、こうして、もう一度佐渡のことを記したのにはいくつかの理由がある。大半の理由は佐渡の事をしっかりと思い出し、拙い文書ながら推敲する時間が作れた事が大きいが、動機の根源はレース報告の方向性を誤っていた事に気づき、初心に戻ろうと思ったからである。
 実は期せずして、昨日4/29のバイク練の昼食時にスピリットZさんがポツンとおっしゃていた、「自分のブログを見て誰かが(トレーニングに対する)モチベーションを上げてくれたらイイんだ」という一言に類似した動機がキッカケです。
 長々と、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。



 

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