★トレーニング備忘録
2024年4月28日日曜日
GW直前週。2024.4.22~4.28
2024年4月24日水曜日
2024年4月 宮古滞在記④ バイクからランDNFまで
バイクにたどり着きウエット下を脱ぐ。少し手間取ってしまう。脱ぎにくいのは織り込み済みだが、そろそろ新調した方がよいかもしれない。年齢を重ねたらウェットは少し大きめの方が良いと耳にした。額に大きくベテランの文字が刻まれたような妙齢の御仁がおっしゃっていたのを思い出す。
バイクシューズはビンディングに固定、輪ゴムがけしているので、素足で乗車ラインまで進む。乗車のすぐ先が上り坂になので、助走でサドルに跨るのを止め、ラインを超えたところでよっこらしょっとサドルに腰をかける。シューズに足を突っ込んでペダルを踏む。沿道からは、早くもヘルメットに装着した造花の感想が聞こえてくる。次々に女性の声を拾う。エグいぐらいに。花の感想がぼくへの応援に聴こえ、気分はすこぶる良かった。ペダル捌きに力がこもる。
陽射しが強くなってきた。装備した3本のボトルすべてに補給材を装填したが、やり過ぎだったようで1本は水が正解だった。身体にかける、あるいは口ゆすぎの水として必要だった。熱を帯びた陽射しは身体に応えた。
風はアゲインストとなった。池間島を半周しことを知る。かなりざっくりとした表現となるが、ここから東平安名崎までは概ね向かい風にるのか。コース形状もそこそこの起伏が出てきた。スピードが落ちる。向かい風に抗いながら進んでいくと、副キャプテンとすれ違い、互いに手を挙げて合図する。緩んでいた気持ちが少し引き締まった。ぼくはアゴを引き前を見据えた。
無心でペダルを踏んでいたからだろうか、要所の記憶があまり定かでない。土地勘がないことも手伝って、漠然とした記憶と印象しかない。
1時間半ほど経過したあたりから気になりだす左の股ずれ、東平安名崎の海岸の景色、いくつもアップダウンを繰り返すアクロバティックなコース、群生するようなリゾートホテル、来間島を示す標識、95kmの里程標などなど・・・。
100km付近あたりだったか、ふっとバイクフィニッシュでDNFを宣言しようかと思った。涼しい場所で強炭酸のビールを飲む姿を想像して、なぜこんな苦しいことをやっているのだろうと自問する。辛かったのだろうか。もう止めにしようと考えた随分と心が軽くなった。熱中症気味だったのか。体調の良し悪しというのは、直接に気持ちに影響する。水分補給を怠ることはなかったが、後半はかなり危なかった。あと少し、もう少し。そう思ってペダルを踏み続ける。
バイクフィニッシュ。降車してバイクを押して自らのラックに向かった。ボラの学生たちが誘導してくれる。それぞれに熱が入っていて真剣な表情だった。ぼくはバイクをラックに掛け、ラン用の赤い袋を掴む。さぁランだ、走ろう。バイクトランジションの出口付近に座ってシューレスを結ぶ。空になった袋を近くにいた迷彩服のボラさんに渡した。彼は会釈しながら袋を受け取ってくれた。
バイクトランジションをでる。すぐ傍に立つエイドで必要な補充を受ける。コーラ、水、氷、スポンジ、オレンジ…。この辺りを手にしたと思う。始めの下り勾配利用して脚を前に出した。陽射しがきつく感じる。手に握る身体を冷やす用のビニール袋の氷はどんどん小さくなっていった。ペースが上がらない。すでにこの辺りから気持ちがかなり後ろ向きだった。
沿道の応援の方から氷をもらい、ビニール袋に入れて手のひらを冷やす。走り続けようとする気持ちが手に持った氷のように小さくなっていく。立ち止まった。歩く。ぼくはDNFを決意した。
1週間ほどが経過して思うところはいろいろあるのだが、なんとしても完走しようという気概が足りなかったのかもしれないし、そういう気持ちを担保する体調に不安があったともいえる。DNFは自分自身で選択、判断したのだ。誰に言われたわけでなく、ぼく自身で決めたのだ。
バイクトランジションに歩いて向かう途中、つまり選手と逆方向を進んでいるあいだは別段、後悔の念はなかった。どちらといえば、かなりすっきりしていた。この大会自体に僕自身が思う以上に大変なプレッシャーを受けていたのかもしれない。
ぼくはあれこれ考えすぎて遠回りすることが多い人生を送っている。けれどそれが自分なので仕方がない。効率的ではないし無駄が多いのかもしれない。そんな自分がみる光景を言葉に紡いで文字に落とせるのならば、この先、改めてこの文章を読む自分自身や、近しい人々にあるがまま伝わればそれでよと思っている。また来年必ず宮古へ向かおう。そして木曜入りして体調を整えて臨みたいと思う。(了)
2024年4月22日月曜日
2024.4.15~4.21 レース後の週
★トレーニング備忘録
2024年4月19日金曜日
2024年4月 宮古滞在記③ レース当日からスイムまで
宮古島トライアスロンはバイクフィニッシュして、ラン2kmあたりでリタイアを決意しDNFを申告した。
4/14(日)
レースの前夜も大汗をかいて2度着替えた。それに細切れの睡眠となってぐっすり眠れなかった。それでも努めて早く就寝したのでトータルで6時間ぐらいの睡眠時間は保てたか。
午前4時に起床。前夜に買ったお弁当を朝食として腹にしまった。荷物の確認を行い未明の下地の街に出る。宮古島在住のMさんのブラザーに合流して会場まで送ってもらう。
現在Mブラザーさんは16頭の牛を飼う農家を営んでおり、今日も仕事だそうだ。生き物に合わせて生活をするのでお休みはない。初対面だったが思い切って牛の取引について質問すると、想像だにしなかったいくつかについて話してくれた。大変勉強になる。乗せていただいた車には飼料や仕事道具も載っていて、彼の生活の一端に触れた気がした。
未明の東急はトライアスリートでごったがえしていた。ヘッドランプを点けてバイクラックに向かい最後の準備を行う。なにもなければ空のボトルに補給材を入れるだけだった。
バイクカバーに触れると気温差からくる結露だろう、カバーがしっとりと濡れていた。2019年に使ったカバーを持参したが、荷物になるので次はぼくも使い捨てにしたい。どうせ預託するのだから運営に準備していただいても・・・というのは贅沢か。
タイヤの空気が入っていることを確認。大きくひと安心。メット、シューズ、村長(アヒルの呼び鈴)を目視する。サイコンは・・・あるわけないか。スイムフィニッシュ用の袋をラックのフックに掛けて支度は完了した。
あたりはまだ十分に暗い。あっさり準備を終えてランの赤い袋、フィニッシュ後の緑と、荷物ひとつひとつを丁寧に確認してトラックに預け入れ、あらかじめ決めておいた集合場所へ向かった。チームの2人はすでに腰を下ろして待っていた。
3人の集合写真を近くにいた方に撮っていただく。ちょうど陽がのぼり始める頃で朝日がぼくらを照らした。皆それぞれによい表情の写真だった。
スイムチェックへ。スイムの会場へ向かう。すでに大勢の選手が試泳をしている。潮が左から右へ流れているのがひと目でわかった。ぼくはスタートする浜から50mの立体型の黄色のブイを目指して泳いだ。ストレッチタイムを長めにとると身体が右へ流されるのがわかる。沖へ出るほどに流れがキツくなることを知るのは本番を迎えてからだった。
スイムは1,300人の一斉スタートだ。ただしプラカードに示される泳力の目安に応じて整列する。ぼくは完泳1時間以内と1時間後のちょうど境ぐらいに位置を取った。砂浜に座ってスタートを待った。そして定刻7:00、レースがスタートした。
ついに始まった。海へ駆ける。ぼくはゆっくり海に入り、しばらく歩いてから意を決して海に飛び込んだ。海水は透明に透き通って、波打つ砂底が鮮明に映った。しかし、そんな感慨にふけるヒマなどない。早速バトル開始。なるべくやり過ごそうとするが次々と追い立てるようにやってくるスイマーには無力しかなかった。進行方向を見誤らないよう目印のブイを目視しながら、スイマーの群れに身を置いた。
潮の流れのおかげで折り返しのリターンの黄色のブイまでは思ったほど時間は掛からなかった。ただし、折り返すと状況は一変し、潮の流れと波で進行を妨げられ、しかも相変わらずのバトルモードでなかなか前に進めない。地元の離岸流のきつい海の練習を思い出した。行きはよいよい帰りは・・・。進行方向の目印を見つけようにも海面が盛り上がって先が見えない。周囲を観察しつつ、こまめに前方確認を入れる。
スイムコースの形状から復路は左側に寄った方が良いとは思ったが、間違って大きく流されると厄介なので右のブイの位置を把握しながら進んだ。結果1周回コースの真ん中あたりの浜に到達した。
2周目。給水を済ませコースロープのギリギリを狙って再入水。しかしこれは完全な選択ミスだった。潮に流されてストロークごとに右の掻き手がロープに当たった。何度か試したが潮に身体が右に流されてしまう。諦めてインから離れるが、内側すぎないコースを皆がこぞって狙っていたようで接触が重なった。
プレッシャーエリアから抜ける頃には左右ともにストレッチタイムを長めにとり、潮の流れに乗るイメージを描き楽をした。すると思いの外早くリターンのブイが現れた。
復路。往路は自由に泳げていたのだが方向転換した途端、周囲にたくさんのスイマーがいることに気がついた。潮に流されて接触が度重なる。それにヘッドアップしても前方が上手く確認できない。他を避け、かつ潮に流され過ぎないようにと、小さいキックを追加して推進力にする。そして心拍をあまり上げないように搔きのピッチにも気を配る。ここまで一定のリズムで泳げていることに安堵を感じ、一刻も早く浜に辿り着くことを願った。進むにつれて海底の景色が変わる。白砂になればあと少しだと言い聞かせた。
はやる気持ちと裏腹に潮に阻止されてすんなり砂浜には上がれなかった。ギリギリまで泳いで立ち上がると、右のハムと左の脹脛が攣りそうだった。
前進で重力を感じながら、砂浜を駆け足で進む。時計を確認するとスタートから1時間10分が経過していた。距離が伸びることでの泳力の劣化もさることながら、おそらく潮の流れで余計な距離を泳いでいるのだろう。給水でコーラをもらったが、口にしたシャワーの真水の方がずっと旨かった。(バイクへ続く)
2024年4月 宮古滞在記②
4/12(金)
4/13(土)
2024年4月17日水曜日
2024年4月 宮古滞在記①
ついにやってきた。宮古島へのフライトだ。
そんなこんなでエアチケットの手配から始まり、自転車輸送を含む手荷物、そして飛行機に搭乗する一連の流れまで全てをひっくるめ勉強になった。
2024年4月12日金曜日
2024.4.8~4.11 宮古島出発と新潟シティエントリー
★トレーニング備忘録