2024年5月1日水曜日

2024年4月のまとめ

 宮古島トライアスロンは大人の遠足みたいで、心から楽しかった。本当に。
 食事は何を食べるかより、誰と食べるかが重要というけれど、旅も一緒だ。チームテチの2人が最高だった。「最高」なんて安易な形容だが、おそらく現時点におけるぼくの満足度をすべて満たしてくれたから「最高」であり「満点」なのだ。
 トライアスロンの参加が目的の遠征で、ぼくはとても残念だが目標は果たせなかったが、非日常感を満喫できた今回は、恐らく忘れられない旅の記憶のひとつとなった。彼らと一緒でなかったら起こりえなかった、いくつかのイベントが思い出のアクセントになり、ぼくらぞれぞれの人間性を垣間見せ、醸してくれたと思う。
 また来年も必ず、皆と合流して目標に挑戦したい。心からそう願っている。


4月のトレーニング・・・Swim15.4(11)、Bike283(6)Run138(13)、Rest.8
1(月)  スイム1.5(27)
2(火)  筋トレ(12)  筋トレ(13)、エアロバイク20(42)、トレミ5(28)
3(水)、4(木)  休養
5(金)  スイム1.2(21)
6(土) 午後  ブリック練 バイク70(135)、ロード10(55)
7(日) 午前 ロード20(120)
4/1~4/7(km)…S2.7、B90、R35、Re2

8(月) 休養
9(火)  スイム1.3(24)
10(水) エアロバイク20(42)、トレミ5(28)
11(木) トレミ6(28)
12(金) 休養 宮古島へ
13(土) 夕 ロード5(30) アクティブレスト
14(日) 宮古島トライアスロン DNF S3.0(71)、B123(240)

15(月) 休養
16(火)  筋トレ(10) アクティブレスト
17(水)  筋トレ(10)、スイム1.0(18)
18(木)  筋トレ(12)、エアロ10(22)、スイム1.0(18)
19(金) 休養
20(土) 午前 ロード8(47) 午後 エアロ20(45)、スイム1.0(18)
21(日) 午前 ロード20(110)
4/15~21(km)…S3.0、B30、R28、Re3

22(月)  スイム1.7(30)
23(火) 休養
24(水)  筋トレ(18)  スイム1.2(20)、トレミ6(30)
25(木) 夕 エアロバイク20(43)
26(金)   筋トレ(15) 夕 ロード8(45)
27(土) 午前 ロード15(82) 午後 スイム1.0(46)
28(日) 午前 ロード15(100)
4/22~28(km)…S3.9、B20、R44、Re1

4/29(祝) 午前 ロード15(84)
30(火) 夕 スイム1.5(25)

2024年4月28日日曜日

GW直前週。2024.4.22~4.28 

 宮古でサイコンを紛失した。ついでといってはなんだが、新しいサイコンを買い替えるにあてってパワーメーター内蔵のクランク(STEGES:ステージス)を導入することにした。
 それからエアロバイク購入も前向きに検討しようと思っている。経済的ハードルは高いけれど、エンデュランスライフの楽しみのひとつとして熟考したい。

★トレーニング備忘録

4/22(月) 終業後はジム、スイムへ。月曜は割りと空いているのだがこの日はレーンに2人はいらっつしゃった。①左右のリカバリー肘の意識と入水場所②左右のストレッチング時のグラインド、これらを軸にキックなどのドリルを挟んで50mのインターバル泳。グラインドの感覚を磨くとは左呼吸の練習にも繋がり、左右ブレスを挟んだりもした。50m/50秒、100m/100秒は泳げているときの時計。しばし①②と板キックは外さない。

23(火) 休養。午後県外出張。

24(水) 朝練。ボールクランチ20レップ×5セット、サイドクランチ左右20×3S、デッドリフト70kg 6r×3s、ダンベルフライ7.5kg 10r×3s、スタンドプルオーバー12.5kg 10r×3s
 終業後はジム。ダイナミックストレッチ(D.S)からの500m泳は8分56秒。インターバル泳の100m最速は97秒。①②と板キック。その後、トレミで30分ジョグ。

25(木) 終業後ジムへ。D.Sからエアロバイク。15分ほど漕いでから40秒もがくインターバル(HIIT)を5本、だったかな・・・。目標距離まで漕いで終了。その後、スイムを少し入れるつもりだったけれど紆余曲折あり帰路につく。

26(金) 朝練。ボールクランチ15レップ×3セット、サイドクランチ左右25×3S、ダンベルプレス12.5kg 15r×5s、サイドレイズ7.5kg 10r×3s
 帰宅後、ロード。少しづつ日が長くなっていていて辺りは明るい。気分転換にいつものコースにアレンジを加える。日中、仕事でいろいろあったせいだろうか、妙に身体が重くか感じた。

27(土) 午前中ロードへ。少し気温が高め。気分転換に潟周回コースを5分30前後で15km。午後バイクショップに寄って新装備のバイクを受領してジム、プールへ。500m泳の8分49秒はシーズンベスト。ドリルとインタバール泳の最中、宮古でお世話になったCさんと偶然お会いして話しこんでしまう。キリが良いのでそこでヤメ。

28(日) ロード。今年新潟シティにフル出場の家内と放水路コースをスロジョグから10km、単独でジョグ5km。思いのほか疲労感があったので、十分に休憩を入れてバイクに跨るが、新装備不調のために途中でやめる。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
22(月)  スイム1.7(30)
23(火) 休養
24(水)  筋トレ(18)  スイム1.2(20)、トレミ6(30)
25(木) 夕 エアロバイク20(43)
26(金)   筋トレ(15) 夕 ロード8(45)
27(土) 午前 ロード15(82) 午後 スイム1.0(46)
28(日) 午前 ロード15(100)
4/22~28(km)…S3.9、B20、R44、Re1

2024年4月24日水曜日

2024年4月 宮古滞在記④ バイクからランDNFまで

 スイムアップした浜から、バイクラックまで道程は結構に長い(まことしやかに500mぐらいあった言われているが確かではない)ので、この間を利用し、ぼくはトライスーツのバックポケットに忍ばせておいたCoda(コーダ)とVESPA(ベスパ)2つの補給を入れる。口の塩辛さに耐えられず、砂浜エイドのコーラに手が伸びてしまったが、口の中のをすすいでくれるのは甘い飲み物などではなく水だとシャワーで感じた。

 バイクにたどり着きウエット下を脱ぐ。少し手間取ってしまう。脱ぎにくいのは織り込み済みだが、そろそろ新調した方がよいかもしれない。年齢を重ねたらウェットは少し大きめの方が良いと耳にした。額に大きくベテランの文字が刻まれたような妙齢の御仁がおっしゃっていたのを思い出す。
 やおらスイム用のビニールバックにウエット上下をしまい、バイクをラックから外す。さぁバイクだ。

 バイクシューズはビンディングに固定、輪ゴムがけしているので、素足で乗車ラインまで進む。乗車のすぐ先が上り坂になので、助走でサドルに跨るのを止め、ラインを超えたところでよっこらしょっとサドルに腰をかける。シューズに足を突っ込んでペダルを踏む。沿道からは、早くもヘルメットに装着した造花の感想が聞こえてくる。次々に女性の声を拾う。エグいぐらいに。花の感想がぼくへの応援に聴こえ、気分はすこぶる良かった。ペダル捌きに力がこもる。
 ヘルメットやランキャップに一輪の花を立てる(生ける)というチームテチのドレスコードにはキャプテンのアイデアらしい。
 取り立てて眺めるところもないような緑の生垣に、突如現れる赤いハイビスカス。宮古に訪れてから何度か目撃する風景だ。トライアスロンの観戦で、観客やボランティアの目を楽しませる幾ばくかは専らコスチュームとバイクだろ。歌舞いたド派手な衣装というのは無理だけれど、こういうささやかなのは、ぼくにもできる。目立ちたいということでなく、コミニケーションの手段として活用するところが素晴らしい。

 東急リゾートを出て、ほぼ追い風に押され平良(たいら)、下地(しもじ)といった街を抜ける。このあたりには沿道の声援が多く、スピードに乗っているので妙に心が踊った。ここでも花のおかげで声を掛けてもらえた。サイコンがないのは、まったく問題にはならなかった。自身の脚の感触のままに、少し重目のギアをグイグイ踏んだ。平坦に追い風のバイクコースを楽しむ。
 陽射しが強くなってきた。装備した3本のボトルすべてに補給材を装填したが、やり過ぎだったようで1本は水が正解だった。身体にかける、あるいは口ゆすぎの水として必要だった。熱を帯びた陽射しは身体に応えた。
 
 風はアゲインストとなった。池間島を半周しことを知る。かなりざっくりとした表現となるが、ここから東平安名崎までは概ね向かい風にるのか。コース形状もそこそこの起伏が出てきた。スピードが落ちる。向かい風に抗いながら進んでいくと、副キャプテンとすれ違い、互いに手を挙げて合図する。緩んでいた気持ちが少し引き締まった。ぼくはアゴを引き前を見据えた。
 宮古本島の周回コースの分岐あたりは、コースの起伏と向かい風で、捌くのが難しい地点だと感じた。2周回目もここを通らねばならないのと思うと気持ちが萎える。

 無心でペダルを踏んでいたからだろうか、要所の記憶があまり定かでない。土地勘がないことも手伝って、漠然とした記憶と印象しかない。
 1時間半ほど経過したあたりから気になりだす左の股ずれ、東平安名崎の海岸の景色、いくつもアップダウンを繰り返すアクロバティックなコース、群生するようなリゾートホテル、来間島を示す標識、95kmの里程標などなど・・・。

 100km付近あたりだったか、ふっとバイクフィニッシュでDNFを宣言しようかと思った。涼しい場所で強炭酸のビールを飲む姿を想像して、なぜこんな苦しいことをやっているのだろうと自問する。辛かったのだろうか。もう止めにしようと考えた随分と心が軽くなった。熱中症気味だったのか。体調の良し悪しというのは、直接に気持ちに影響する。水分補給を怠ることはなかったが、後半はかなり危なかった。あと少し、もう少し。そう思ってペダルを踏み続ける。

 バイクフィニッシュ。降車してバイクを押して自らのラックに向かった。ボラの学生たちが誘導してくれる。それぞれに熱が入っていて真剣な表情だった。ぼくはバイクをラックに掛け、ラン用の赤い袋を掴む。さぁランだ、走ろう。バイクトランジションの出口付近に座ってシューレスを結ぶ。空になった袋を近くにいた迷彩服のボラさんに渡した。彼は会釈しながら袋を受け取ってくれた。
 バイクトランジションをでる。すぐ傍に立つエイドで必要な補充を受ける。コーラ、水、氷、スポンジ、オレンジ…。この辺りを手にしたと思う。始めの下り勾配利用して脚を前に出した。陽射しがきつく感じる。手に握る身体を冷やす用のビニール袋の氷はどんどん小さくなっていった。ペースが上がらない。すでにこの辺りから気持ちがかなり後ろ向きだった。

 沿道の応援の方から氷をもらい、ビニール袋に入れて手のひらを冷やす。走り続けようとする気持ちが手に持った氷のように小さくなっていく。立ち止まった。歩く。ぼくはDNFを決意した。
 1週間ほどが経過して思うところはいろいろあるのだが、なんとしても完走しようという気概が足りなかったのかもしれないし、そういう気持ちを担保する体調に不安があったともいえる。DNFは自分自身で選択、判断したのだ。誰に言われたわけでなく、ぼく自身で決めたのだ。
 バイクトランジションに歩いて向かう途中、つまり選手と逆方向を進んでいるあいだは別段、後悔の念はなかった。どちらといえば、かなりすっきりしていた。この大会自体に僕自身が思う以上に大変なプレッシャーを受けていたのかもしれない。

 ぼくはあれこれ考えすぎて遠回りすることが多い人生を送っている。けれどそれが自分なので仕方がない。効率的ではないし無駄が多いのかもしれない。そんな自分がみる光景を言葉に紡いで文字に落とせるのならば、この先、改めてこの文章を読む自分自身や、近しい人々にあるがまま伝わればそれでよと思っている。また来年必ず宮古へ向かおう。そして木曜入りして体調を整えて臨みたいと思う。(了)

2024年4月22日月曜日

2024.4.15~4.21 レース後の週

 さぁさぁ気持ちを切り替えトレーニングに臨もう。身体づくりをベースに3種目それぞれに課題を設けて、ひとつひとつ丁寧に対処しようと思う。具体的な内容は備忘録で触れていきたい。
 ところで、サイコンを紛失し、新しいもを買い替えるにあてってパワーメーター内蔵のクランクを導入することにした。それから、エアロバイクの購入も前向きに検討しようと思っている。ここのハードルは経済的金銭的に高いが楽しみのひとつとして熟考したい。

★トレーニング備忘録

4/15(月) 宮古からの帰路。沖縄で洪水警報が発令、宮古発の飛行機が大幅に遅れる。那覇から新潟には定刻通り。17:00前に空港に降り立った。

16(火) 終業後、宮古で紛失した道具のいくつかを購入して帰宅。少し筋トレ。ボールクランチ、サイドクランチ、ダンベルフライ。

17(水) 終業後ジム。バーベルスクワット60kg 8r×5s。スイムは板キック、ドリルを含め1.0km。

18(木) 終業後ジム。ダンベルプレス、ダンベルフライ、サイドレイズからエアロバイクへ。バイクは10分アップして3本タバタを入れてメリハリでやめ。さらにプールへ。リカバリーの肘、キックの膝などこまかーいところを意識する。途中、左の踝に違和感を感じたのでキリのよいところでヤメ。

19(金) 休養

20(土) 朝、少し早い時間にロード。いつものコースを2周回する。ちょっと左の足首が気になる。帰宅後、宮古の後片付けをした後、バイク持参でバイクショップに赴き、いくつかのお願いをする。
 次いでジム。エアロバイクとスイムで汗を流す。スイムはリカバリーの肘、スイッチ動作のそれぞれのタイミング、かつ適度なグラインドに気を配る。右に傾くのが苦手なのかも。この日の500m泳は8分53秒。この冬、実は9分を切れなかったのに久々のタイム。やはりフォームである。

21(日) ロード。アップジョグから10kmペース走。前半5kmは5分、後半の4分40秒台をキープ。その後、長めにスロージョグ。先週の日曜はDNFなだけ元気だ。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

13(土) 夕 ロード5(30)
14(日) 宮古島トライアスロン DNF S3.0(71)、B123(240)

15(月) 休養
16(火)  筋トレ(10) アクティブレスト
17(水)  筋トレ(10)、スイム1.0(18)
18(木)  筋トレ(12)、エアロ10(22)、スイム1.0(18)
19(金) 休養
20(土) 午前 ロード8(47) 午後 エアロ20(45)、スイム1.0(18)
21(日) 午前 ロード20(110)
4/15~21(km)…S3.0、B30、R28、Re3

2024年4月19日金曜日

2024年4月 宮古滞在記③ レース当日からスイムまで

 宮古島トライアスロンはバイクフィニッシュして、ラン2kmあたりでリタイアを決意しDNFを申告した。

 ある方から’’DNFを含めて最後まで頑張ったんだ’’という言葉を掛けていただいたが、ぴたっと腑に落ちる感覚を得て救われた。時間が経つほど、喉もと過ぎればで後悔の念が肥大しそうになるが、この言葉を思い出して自傷的妄想をとどめている。

4/14(日)

 レースの前夜も大汗をかいて2度着替えた。それに細切れの睡眠となってぐっすり眠れなかった。それでも努めて早く就寝したのでトータルで6時間ぐらいの睡眠時間は保てたか。

 午前4時に起床。前夜に買ったお弁当を朝食として腹にしまった。荷物の確認を行い未明の下地の街に出る。宮古島在住のMさんのブラザーに合流して会場まで送ってもらう。

 現在Mブラザーさんは16頭の牛を飼う農家を営んでおり、今日も仕事だそうだ。生き物に合わせて生活をするのでお休みはない。初対面だったが思い切って牛の取引について質問すると、想像だにしなかったいくつかについて話してくれた。大変勉強になる。乗せていただいた車には飼料や仕事道具も載っていて、彼の生活の一端に触れた気がした。


 未明の東急はトライアスリートでごったがえしていた。ヘッドランプを点けてバイクラックに向かい最後の準備を行う。なにもなければ空のボトルに補給材を入れるだけだった。

 バイクカバーに触れると気温差からくる結露だろう、カバーがしっとりと濡れていた。2019年に使ったカバーを持参したが、荷物になるので次はぼくも使い捨てにしたい。どうせ預託するのだから運営に準備していただいても・・・というのは贅沢か。

 タイヤの空気が入っていることを確認。大きくひと安心。メット、シューズ、村長(アヒルの呼び鈴)を目視する。サイコンは・・・あるわけないか。スイムフィニッシュ用の袋をラックのフックに掛けて支度は完了した。


 あたりはまだ十分に暗い。あっさり準備を終えてランの赤い袋、フィニッシュ後の緑と、荷物ひとつひとつを丁寧に確認してトラックに預け入れ、あらかじめ決めておいた集合場所へ向かった。チームの2人はすでに腰を下ろして待っていた。

 3人の集合写真を近くにいた方に撮っていただく。ちょうど陽がのぼり始める頃で朝日がぼくらを照らした。皆それぞれによい表情の写真だった。


 スイムチェックへ。スイムの会場へ向かう。すでに大勢の選手が試泳をしている。潮が左から右へ流れているのがひと目でわかった。ぼくはスタートする浜から50mの立体型の黄色のブイを目指して泳いだ。ストレッチタイムを長めにとると身体が右へ流されるのがわかる。沖へ出るほどに流れがキツくなることを知るのは本番を迎えてからだった。


 スイムは1,300人の一斉スタートだ。ただしプラカードに示される泳力の目安に応じて整列する。ぼくは完泳1時間以内と1時間後のちょうど境ぐらいに位置を取った。砂浜に座ってスタートを待った。そして定刻7:00、レースがスタートした。

 ついに始まった。海へ駆ける。ぼくはゆっくり海に入り、しばらく歩いてから意を決して海に飛び込んだ。海水は透明に透き通って、波打つ砂底が鮮明に映った。しかし、そんな感慨にふけるヒマなどない。早速バトル開始。なるべくやり過ごそうとするが次々と追い立てるようにやってくるスイマーには無力しかなかった。進行方向を見誤らないよう目印のブイを目視しながら、スイマーの群れに身を置いた。


 潮の流れのおかげで折り返しのリターンの黄色のブイまでは思ったほど時間は掛からなかった。ただし、折り返すと状況は一変し、潮の流れと波で進行を妨げられ、しかも相変わらずのバトルモードでなかなか前に進めない。地元の離岸流のきつい海の練習を思い出した。行きはよいよい帰りは・・・。進行方向の目印を見つけようにも海面が盛り上がって先が見えない。周囲を観察しつつ、こまめに前方確認を入れる。

 スイムコースの形状から復路は左側に寄った方が良いとは思ったが、間違って大きく流されると厄介なので右のブイの位置を把握しながら進んだ。結果1周回コースの真ん中あたりの浜に到達した。


 2周目。給水を済ませコースロープのギリギリを狙って再入水。しかしこれは完全な選択ミスだった。潮に流されてストロークごとに右の掻き手がロープに当たった。何度か試したが潮に身体が右に流されてしまう。諦めてインから離れるが、内側すぎないコースを皆がこぞって狙っていたようで接触が重なった。

 プレッシャーエリアから抜ける頃には左右ともにストレッチタイムを長めにとり、潮の流れに乗るイメージを描き楽をした。すると思いの外早くリターンのブイが現れた。

 

 復路。往路は自由に泳げていたのだが方向転換した途端、周囲にたくさんのスイマーがいることに気がついた。潮に流されて接触が度重なる。それにヘッドアップしても前方が上手く確認できない。他を避け、かつ潮に流され過ぎないようにと、小さいキックを追加して推進力にする。そして心拍をあまり上げないように搔きのピッチにも気を配る。ここまで一定のリズムで泳げていることに安堵を感じ、一刻も早く浜に辿り着くことを願った。進むにつれて海底の景色が変わる。白砂になればあと少しだと言い聞かせた。


 はやる気持ちと裏腹に潮に阻止されてすんなり砂浜には上がれなかった。ギリギリまで泳いで立ち上がると、右のハムと左の脹脛が攣りそうだった。

 前進で重力を感じながら、砂浜を駆け足で進む。時計を確認するとスタートから1時間10分が経過していた。距離が伸びることでの泳力の劣化もさることながら、おそらく潮の流れで余計な距離を泳いでいるのだろう。給水でコーラをもらったが、口にしたシャワーの真水の方がずっと旨かった。(バイクへ続く)

2024年4月 宮古滞在記②

4/12(金)

 17:05分宮古島空港に着陸。この便で訪れるトライアスリートはわずかで、明らかにそれとわかるのは片手程度だった。バイクの受け取り口で待機していると、新潟空港で見かけた方がいたので声をかける。バイク梱包はオーストリッチの肩掛けでとても重そうだった。
 ぼくを空港に迎えにきてくれているチームTechi(テチ)の副キャプテンに事情を話すと2つ返事で大丈夫よ~と4人で会場へ向う。やはり心強い。運転手をしてくださるMさんも超絶の笑顔でお出迎え。みなで再会を喜んだ。2人とは昨年12月の那覇マラソン以来だが、時間を感じさせない。人の手本を心得る人物たちだ。今回の宮古はこの2人と行動を共にする。

 会場に到着。ドーム入口付近に設けられた出店ブースに集う人影はそう多くはなかった。お陰で顔見知りを含め、ご挨拶を差し上げたい人々を次々に発見。はじめましてのご紹介もいただき気分は上がる。
 受付でリストバンド、トランジションの袋、そして参加Tシャツなどを受け取った。場内では、このあと予定している選手説明会や歓迎パーティーの準備やリハーサルが行われていた。
 この日の宮古の夕方は風が吹いていた。2019年のときもそう記憶している。時間につれてすでに夕方なのに陽射しの強さを感じる。新潟との気温の差がそう感じさせるのか。前回の参加ではこの気温変化をなんとか凌ぐことができたが、今回はどうだろう。風邪で体調を崩していたこともあり不安は拭えなかった。

 歓迎パーティーでは地元の料理が振舞われ、皆で腹ごしらえをした。話に夢中になっていてあっという間に時間は過ぎ、ぼくらは会場を後にした。宿は下地(しもじ)のゲストハウス。車で数分の距離の場所だ。
 宮古入りの初日は、期待と不安が入り混じりながらも高揚が抑えられずに興奮してしまった。宿では声が大きかったようでお叱りを頂いた。猛省。それでも懲りないぼくらは、笑い声をおさえながらひそひそと話を続け、宮古の初夜は更けていった。


4/13(土)

 なかなかの寝汗をかいて2度着替えをする。びしょ濡れだ。布団も当然湿っている。着替えが早々になくなったので朝、洗濯機を回す。滞在2日目にして洗濯物を干すとは思いも寄らなかった。完全に想定外だ。
 寝汗は身体の熱を取り除こうとする副交感神経のはたらきのひとつだ。暑さに順応するための反応なのか、それとも風邪を引きずってのことかはわからない。気を張れているので倦怠感や寝不足感は少ないが体調への不安は拭えなかった。

 早い時間に目が覚めてしまったので折角なので、バイクを組み立てて試走に出たが、即迷子になる。土地勘のないぼくにとって今回のお宿は、入り組んだ路地の一角に位置しており、地図の苦手なぼくは寝汗以上に冷や汗をかいた。
 みなで簡単な朝食を済ませた後、バイク預託まで十分に時間があるので宮古プチ観光を2人にお願いする。「伊良部島大橋」を通り、「通り池」や宮古島でもっとも綺麗だといわれる海岸を散策した。おっさん3人だが心の底から楽しい。移動中レース参加とおもわれるロードバイカーを何台かみかけた。宮古を訪れたなら伊良部大橋は誰もが走りたいと考えるコースだ。初めてこの橋を渡った光景は今も忘れられない。
 この伊良部大橋は、伊良部の村長のひとことからはじまったんだよ、と助手席の副キャプテンから聞かされる。島の人びとの熱が橋を架けたらしい。裕福な時代の産物だと思った。
 砂山」へ歩いていく途中、草むらでみた目が蛾のような蝶々(ベニモンアゲハと言うらしい)が、桜の花びらが舞い散るように草叢をハラハラといたるところで舞っている。
 砂山の砂浜の砂の粒は手に触ると粉のように微細で、星の砂が手につくこともあるとMさん。ビーチに寄せては返す波の音が穏やかな時間に規則性を生み、どこからかサンシンの弓の音が聞こえてくる・・・。地元のガイド(Mさんは宮古出身)のお陰でぼくは大いに観光気分を味わうことができた。

砂山ビーチ

 午後、バイク預託会場へ向う。宿から10km程度なのでアップもかねて自走だ。漕ぎだしから滝汗だ。気温に適応できていない。午前中のプチ観光の途中、暑熱順化のはなしを2人にして、車中のエアコンを切って天然クーラー(車窓を半開きで)移動してもらったりしたが、まだ時間が掛かりそうな気配だ。
 そしてこの道すがら、サイコンを紛失してしまった。装着の仕方が甘かったようだ。自分なりに手を尽くしたが見つからない。2人の協力を得たが、やはり見あたらなかった。
 副キャプテンいわく、サイコンないとおもしろくないだろう、それはまさにその通り。ケイデンス、速度が判った方がいい。けれど、ガーミンがあるからたぶん大丈夫、と返答しながら、腹を括った。

 遅い昼食を食堂でとる。宮古ではじめての外食だ(パーティー除く)。微塵の飾り気を感じさせないその食堂は、おばぁ一人が切り盛りしているようで完全セルフ。幼子を連れた夫婦や若い人たちがテーブルに着いていた。ぼくらは小上りに陣取って、皆で味噌汁とご飯を注文。こちら沖縄の味噌汁は具沢山で牛肉や豆腐に野菜などもろもろ入っていて、昆布だしがとても利いている。
 Mさんに、他もだいたいこういう感じなの?と質問すると、具はさまざまと教えてくれた。それがこの味噌汁らしい。想像以上に口に合ったけれど、ご飯は少し残してしまう。

 必要なものの買いだし、ランコースの下見など、宮古を知りつくす2人すべてお任せして、ぼくはくだらない話をしながら、車窓から街並みを眺めたりして観光気分を味わっていた。見るものすべてが興味をひいて新鮮だった。南国の街並みの風情は、低層コンクリート造りの建築物に時間のヤスリが掛かっていて灰褐色の硬質感がある。そこにビビットカラーが施されることで特有の色彩感が生まれるのか。ぼんやりと街並みを眺めていても飽きなかった。このまま宮古観光でもいいぐらいだ。しかし、そうはいかない。翌日はレースだ。それを思うと期待と不安は募るばかり。共に行動する2人も実は似たような感覚なのかもしれない。弱音は禁物。後部座席のぼくは努めて笑いを誘う会話を続けた。

 夕方。ひとりで宿から伊良部大橋に向って30分ほどランニングをした。平良(たいら)港のバイクコースの一部をトレースする。観光と思われる人々や地元の方の散策といった、宮古の何気ない街の光景を垣間見た。そういう何気ない風景の中を走るのはぼくは好きだ。滝汗を流しながら、いつかレース以外で気楽に滞在してみたいと思った。(つづく)