2019年4月16日火曜日

第35回宮古島トライアスロン 出発~到着編(2019.4)

 空港までは妹から送ってもらった。
「兄貴も好きだねー」とひと言。彼女の息子たちも身体を動かすことに熱心なので、ぼくが宮古島まで出掛けることを特に気に留めてはいない。
 運転をする彼女の、もっぱら家族に関する他愛ないエピソードに耳を傾けていると空港に到着。たまにこういう機会を持つのも悪くないなと思った。

 宮古島へ向かうぼくの出で立ちは、ジーンズにTシャツ、薄手のウインドブレーカー、さらにその上にジャンパーを着込むという、ぱっと見かなり変な格好だ。宮古の最高気温は27℃の予報。きっとTシャツ1枚でも十分だろう。1枚1枚薄皮をはがすように脱ぎ、あちらの気候に合わせるつもりの格好だ。こちらとは15℃の気温差。この差による体調の変化、環境順応が気がかりの一つだった。

 那覇空港の到着は予定より15分遅れる。本を持ち込んだのは大正解で、惰眠と読書を繰り返しながら3時間ちょっとの空の移動は暇をもてあますことはなかった。ちなみに本は伊藤計畫の「ハーモニー」。「虐殺器官」の方が好みだがページをめくる毎に、この作家の構想力に舌を巻くのはどちらでも変わらない。
 さておきこの日、空港は混雑していたようで、軒並み便に遅れが生じていた。ぼくが乗る宮古島便も例外ではなかった。ようやく飛び立つ機内で考えたのだが、やはりスケジュールはタイトに組むべきではない。また次があるならばもう1日前に入るのがベストだろう。
那覇空港

 宮古島空港で荷物を受け取ったのは17:40分を回っていた。空港の建物から出ると暖かくて強い風が吹いている。宮古島ブリーズ、勝手に名づける。
 空港から出てすぐ目の前に現れる、白いドーム状の建物が選手登録の受付会場だった。入り口に無数に立てられたのぼり旗が夕日に照らされ、風に激しく揺れていた。

 左腕にタグを留められ、ゼッケンを受け取る。これでもう逃げられない。果たして、無事に完走できるかどうか。不安はその一点に収束する。
 競技説明会とオープニングセレモニーを待つ。大きなキャリーバッグが加わった手持ち荷物にうんざりしながらも、会場の雰囲気を味わおうと散策した。
 ブースの数は佐渡トラの1.5倍ぐらいで、紹介される物販の種類もそれ相応、トライアスリートが好みそうな、真新しさと品質を謳う品物が陳列されていた。

会場のブース

 説明会の時間が近づくと一気に人が増えた。選手が一堂に会するのだから関係者まで含めると2,000名は近いのか。所狭しと並べられたテーブルの料理には手をつけないようにと再三アナウンスが流れ、プログラムは粛々と進行した。
 まったく未知の空間にひとりぼっちというのは精神的にキツイ。ロング挑戦への不安も増幅する。群衆の中の孤独。いやアスリートの中の孤独だ。時折、LINEで家内にこぼすしてうっちゃっていたが「そういうことは、まるで気にしないと思ったー」のコメントに余計寂しくなる。
 そんなとき「どちらからですか?」と声を掛けられる。側に置いてある大きなキャリーバックのお陰か。いかにもさっき到着したばかり、会場に直行してきました感を演出してくれていた。
 その一言を皮切りに同じテーブルにいる方々に自分から声を掛けることができた。
 結局この日、会場で意気投合した地元のアスリートさん達に上野(うえの)の宿泊先まで送っていただき、なにかあればいつでもどうぞと連絡先を教えていただいた。
 緊張と不安の中、人の優しさに触れる宮古島入り初日となった。(続く)

オープニングセレモニー

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