2019年4月16日火曜日

第35回宮古島トライアスロン 前日編(2019.4)

 宮古島、滞在2日目。
 夜中に目が覚めてしまい、寝付けなかったので薬を服用した。次に気がついたのは朝7時ちょうど。このお薬は眠剤ではないがぼくには効果絶大だ。
 忘れもしない佐渡トラBに初めて出場したとき、まったく眠れずに困り果た。それをきっかけに外泊するときは薬を常備するようになった。
 朝食を済ませバイクを組み立てる。バイク預託までには時間があるので、試走のついでにゴールの宮古島陸上競技場へ向かう。レース後、バイクを撤収して自走で宿に戻らねばならないので、道を把握せねばならない。

 組み上げたバイクに跨ってホテルを出発。すると早速、宮古島名物のまもるくん人形を交差点にて発見。尽かさず記念撮影。いで立ちと表情がシュール、というか怖いんだが、島の交差点の守護に違いはないのか。
 背高く茂る緑のさとうきび畑、今にも牛が顔を出しそうな牛舎、ときどき現れる背の低い緑の葉はタバコ畑、ブロックで組み上げられた無機質な農作業庫・・・。
 この時期、島は製糖期だそうで、刈り取られたさとうきび畑だろう、赤茶の土がむき出しになって葉がそこいらに落ちている。そこに突然、薄い青やピンク色の鉄筋コンクリートの住宅が現れる。見慣れた瓦葺の木造住宅とは趣は異なっていて、また家並みというような連なりはなく、存分な間隔をあけて建物が点在している。そんな風景に紅の花弁のハイビスカスが鮮やかに映る。that's南国である。


 島の景色を楽しみながら市街地へ漕いだ。しかし方向音痴が炸裂。グーグルマップを使いながら目的地へ向かっているのだが、どういう訳か反対方向へ向かってしまう。
 道行く2人組みの中学生(女子)に道を尋ねたところ「こっちの方が近道ですよ」と、ぼくの指さす方と真逆を教えてくれたその台詞に思いやりを感じずにはいられない。無作為抽出だけど島の民度はすこぶる高いのではあるまいか。

 市街地は築うん十年を思わせる鉄筋コンクリートの建物が居並んでいる。街並みに宣伝広告物のようなものは極めて少ないが、アチコチに立つのぼり旗が目についた。
 トライアスロン開催告知のぼり旗の多さが印象を量増ししているのかもしれないが、風の強い島ならではの、取り外しが容易に出来る利便性がかわれているのかなと勝手な想像を働かせる。
 ところで、こちらではトライアスロンを「トラ」とは言わず、「トライ」と表現している。地元新聞紙面の字ヅラを眺めて気がついたのだが「トライ、トライ」と表現されている。なんだか塾の宣伝みたいに見えてくる。そんなことをつらつら考えながら、午前は市街地を散策、フィニッシュ会場の陸上競技場やバイクラックの位置を確認した。

 午後。自走でバイク預託及びスイム会場へ向かう。またどういうわけか道を会場と反対の方向へと進んでしまうのであった。そんな無駄な時間を要して到着した会場の東急ホテルは、セレモニーで知り合った沖縄トライチームさんのおっしゃる通り長蛇の列。受付してからバイクを所定のラックに掛けるまで30分近く掛かった。
 ラックに掛けたバイクには、補給やシューズを含めてあらかたセッティングをし、あとはバイクボトルを装着するのみとした。これに夜露や雨対策としてバイクカバーをかけて完了。預託会場を退出する前にバイクスタートの道順を尋ねると丁寧に説明してくれた。
バイク預託の東急リゾートホテル

 続いてスイム会場へ。スイムの荷物ラックを確認したのちに浜辺へ向かうと…、そこには見たこともない透明の海が広がっていて思わず息を呑み込んだ。
 うつくしいナァ…と声に出してみた。その声を聴いていたのだろう、背後のご年配のアスリートが満面の笑顔を浮かべながら「そうだそうだ佐渡と比べると雲泥だ」とおっしゃる。「宮古島ブルー」というそうな。ここを泳ぐこともプレミアムなのだと確信する。スイムの準備してくればよかったと後悔するが、手荷物が増えるだけなので単身ではちょっと面倒。次回は前日にレンタカーを借りて移動するのも悪くないのかもしれない。

宮古島ブルー

 参加トラアスリート用の巡回バスを使って宿に戻り、少しばかりランニング。近所の温浴施設で汗を流して、あとは夕食を食べてさっと寝てしまおうと、あらかた準備を済ませる。
 夕食を予約した定食屋さんで一人食事をして勘定をすませると「明日、頑張ってくださいね!」と声を掛けられる。なんでもないひと言が心の琴線に触れるのであった。(続く) 

第35回宮古島トライアスロン 出発~到着編(2019.4)

 空港までは妹から送ってもらった。
「兄貴も好きだねー」とひと言。彼女の息子たちも身体を動かすことに熱心なので、ぼくが宮古島まで出掛けることを特に気に留めてはいない。
 運転をする彼女の、もっぱら家族に関する他愛ないエピソードに耳を傾けていると空港に到着。たまにこういう機会を持つのも悪くないなと思った。

 宮古島へ向かうぼくの出で立ちは、ジーンズにTシャツ、薄手のウインドブレーカー、さらにその上にジャンパーを着込むという、ぱっと見かなり変な格好だ。宮古の最高気温は27℃の予報。きっとTシャツ1枚でも十分だろう。1枚1枚薄皮をはがすように脱ぎ、あちらの気候に合わせるつもりの格好だ。こちらとは15℃の気温差。この差による体調の変化、環境順応が気がかりの一つだった。

 那覇空港の到着は予定より15分遅れる。本を持ち込んだのは大正解で、惰眠と読書を繰り返しながら3時間ちょっとの空の移動は暇をもてあますことはなかった。ちなみに本は伊藤計畫の「ハーモニー」。「虐殺器官」の方が好みだがページをめくる毎に、この作家の構想力に舌を巻くのはどちらでも変わらない。
 さておきこの日、空港は混雑していたようで、軒並み便に遅れが生じていた。ぼくが乗る宮古島便も例外ではなかった。ようやく飛び立つ機内で考えたのだが、やはりスケジュールはタイトに組むべきではない。また次があるならばもう1日前に入るのがベストだろう。
那覇空港

 宮古島空港で荷物を受け取ったのは17:40分を回っていた。空港の建物から出ると暖かくて強い風が吹いている。宮古島ブリーズ、勝手に名づける。
 空港から出てすぐ目の前に現れる、白いドーム状の建物が選手登録の受付会場だった。入り口に無数に立てられたのぼり旗が夕日に照らされ、風に激しく揺れていた。

 左腕にタグを留められ、ゼッケンを受け取る。これでもう逃げられない。果たして、無事に完走できるかどうか。不安はその一点に収束する。
 競技説明会とオープニングセレモニーを待つ。大きなキャリーバッグが加わった手持ち荷物にうんざりしながらも、会場の雰囲気を味わおうと散策した。
 ブースの数は佐渡トラの1.5倍ぐらいで、紹介される物販の種類もそれ相応、トライアスリートが好みそうな、真新しさと品質を謳う品物が陳列されていた。

会場のブース

 説明会の時間が近づくと一気に人が増えた。選手が一堂に会するのだから関係者まで含めると2,000名は近いのか。所狭しと並べられたテーブルの料理には手をつけないようにと再三アナウンスが流れ、プログラムは粛々と進行した。
 まったく未知の空間にひとりぼっちというのは精神的にキツイ。ロング挑戦への不安も増幅する。群衆の中の孤独。いやアスリートの中の孤独だ。時折、LINEで家内にこぼすしてうっちゃっていたが「そういうことは、まるで気にしないと思ったー」のコメントに余計寂しくなる。
 そんなとき「どちらからですか?」と声を掛けられる。側に置いてある大きなキャリーバックのお陰か。いかにもさっき到着したばかり、会場に直行してきました感を演出してくれていた。
 その一言を皮切りに同じテーブルにいる方々に自分から声を掛けることができた。
 結局この日、会場で意気投合した地元のアスリートさん達に上野(うえの)の宿泊先まで送っていただき、なにかあればいつでもどうぞと連絡先を教えていただいた。
 緊張と不安の中、人の優しさに触れる宮古島入り初日となった。(続く)

オープニングセレモニー

2019年4月12日金曜日

出発。トレ☆レポ19.4.8〜4.11

 週末のバイク-ラン練のせいだろうか、週のはじめは強い倦怠や眠気に襲われて2日間を休養に充てる。本番に向けて体調を整えられれば良いので無理はしない。それ以降、いつもやっていることの質を落として汗を流した。
 それから、レースに集中できるようトラ以外の懸案を頭の中から取り除いた。宮古島以外のことは終わってから考えることに。実はこれが一番厄介で面倒な作業だったかもしれない。
 そしてようやく出発の朝を迎えた。今日、現地に赴く。

※ ※ ※ ※ ※  今週のトレーニングなど  ※ ※ ※ ※ ※
8(月) レスト
9(火) アクティブレスト ペダル練
10(水) S1,000m、トレミ走(TR) 10km
11(木) TR10km

【4/11トレーニング(km) …Swim5.0  Bike120 Run60】

2019年4月8日月曜日

宮古島トライアスロン出場に向けて2019 渡航の準備のこと②

 宮古島への渡航手続きについて記しておく。
 当然だが、出場が決まると移動手段と滞在する宿を確保する必要がある。現場は離島でありキャパシティは限定されているハズ。早い者勝ちみたいな心理が働くのか、当選発表の時期は問い合わせは殺到する。
 佐渡トラでは、ゴール近隣の宿泊施設はすでに常連客の事前予約が入っており、利便性の高い宿泊施設はほぼ予約不可能である。それを考慮すると厄介な問題になりそうで不安に駆られる。勝手のわからないぼくは、まず手始めにと大会公式HPに案内があるJALパックに問い合わせをする。
 当然、エキスペンシブ。トライアスリートは時間とお金に余裕のある御仁が多いのは間違いないのだけれど、それにしてもなかなかだった。ぼくはノックするドアを間違ったと諦め、ひとまず羽田から宮古島までの移動と滞在の宿を予約した。新潟から東京へ出て、新橋経由の羽田の往復、それにバイク輸送は別途計上ではあったが・・・。
 これで気持ちがかなり萎えた。だってだって、渡航費用一式で最高級国産カーボンホイールが揃っちゃう予算になるのですよ!
 これは他に手段のないときの保険と考え、新潟から直行できるプランを地元の旅行代理店にリクエストする。しかし最初の段階で、すでに予約で埋まっていて高価な航空券しか残っておらず、公式とほとんど変わらないコストだった。
 それが半月程たち、先ほどのJALの本予約の締め切りを迎える頃、地元代理店から安価なプランが組めました!と連絡をもらう。
 期待しないで欲しいと言われていたのが急転、費用を確認して即予約。バイク輸送を入れても、高級カーボンホイール片側分で収まった。
 世間にはいろんな選択肢が存在するが、タイミングというのはとても重要なのだ。需要が増加する場面いおいて、供給する側の理論でコトは進む。少し熱が冷めた頃、常識的な範疇で契約することができたのはラッキーだった、が、きっとコストの下がる手段は他にあると思われる。余裕があれば現地でヒアリングをしようと思う。
 それにしても、くれよん、カンガルー、バンザイっ!!みなさんのおかげです。

 渡航および滞在の決済、バイクの運送の予約手続きなどは3月中旬に完了。
 バイクはメンテを経て3/31に梱包、4/2の午前中に宮古島へ旅立っていった。
 あとは手荷物。これはいつも作成する自前の工程表と持ち物リストでカバー。

  渡航の準備については、ざっとこんなカンジである。

トレ☆レポ19.4.1〜4.7

 なぜ、宮古島へ行こうと思ったの?と質問されると、ぼくは決まってこう答えることにしている。
 宮古島でそういう催しがあるから、そこへ行かなきゃならないんだ。
 差し当たっての回答はこうだ。そして、ギリギリなんとか完走できそうなトライアスロンがあるから、そこまで出掛けることにしたのだと…。
 レースを想い描く。気力の限界を迎え、前に進むことが出来なくなること想像をしたり、すっかり暗くなったころ、ヘロヘロになってフィニッシュする自分の姿を想像したり。
 …何度も繰り返し考えていたら、そこに至るまでのプロセスの大変さや重要さに気がついた。エントリーからあらゆる準備、そしてトレーニング。この数ヶ月ずっと宮古に想いを馳せて生活してきたのだ。
 そしてようやくその時が近づいてきた。緊張とプレッシャーがセットで押し寄せてくる。ゴールテープを切るに越したことはないが、もしリタイアしたとしても…、どんな現実をしっかりと受け入れようと腹を括るしかない。
 今の自分を根こそぎ注ぎ込んで、もがいてやろう。それができたとき、そのあと、自分に何らかの変化が起きていることを期待しよう。
 とにかくもがく、諦めない。ローケンロー!と自分を鼓舞しながら。


 さて、テーパリングを意識しつつ、スイムトレの割合を増やそうと考えたこの週。月曜日、生まれて初めて屋内プールでインターバルなしの1,500を泳ぐ。
 横のレーンでは、本物のスイマー達がパドルにブイ、それにフィンを装備してスイスイ泳いでいる。そんな彼らの生み出す推進力と機動力に煽られながら、ぼくは必死に水を掻く。ブレスで水を飲むこともしばしば。そして、ぼくの超貧弱な三半規管はフィニッシュ目前にぶっ壊れてしまう。波酔いだ。プールから上がってもまっすぐ立てない。あとにランニングを目論んでいたがとてもとても。這う這うの体で帰路に着く。

 火曜。空腹への対策と酔い止め薬を飲みリベンジの1,500泳。昨日同様、本格スイマーが大波を立て、さらに片側にはスーパースイマーのM氏が加わる。次元の違う両サイドに挟まれながら32分で完泳。本番の半分に過ぎないが少しだけ不安が拭われる。
 そしてサウナに向かおうとするM氏を呼び止めてレクチャーを乞う。下肢の沈みを指摘され、ストリームラインの手ほどきを受けた際の、彼の肩甲骨の柔軟性に舌を巻いた。
 肩甲骨の廻りのストレッチ、これに本格スイマーらに習った練習方法を取り入れること。宮古が終わったら、ゼッタイにやらねばと思った。

※ ※ ※ ※ ※  今週のトレーニングなど  ※ ※ ※ ※ ※
1(月) スイム(S)1,500m
2(火) S1,500m、トレミ走(TR) 10km 後半5kmは’45まで上げ
3(水) S1,100m 500×2本TR5km 気持ちが続かない
4(木) アクティブレスト ペダル練
5(金) レスト
6(土) バイク100km~ロード15km
7(日) ロード10km、S適当

【4/7トレーニング(km) …Swim4.0  Bike110 Run040】

2019年4月4日木曜日

家族が加わることについて

 ツバキ(シベリアンハスキー♀2歳) から生まれた5頭の子犬のうち、一番最初に出てきた(生まれた)シルバーの子犬を我が家に残すことになった。記事のタイトルの通り家族が増えるのだ。
 実は当初、ぼくと息子が反対を表明していた。
 1頭ならまだしも、20kgオーバーともなろう動物を2頭も飼うことを想定して家を建ててはいないワケで、彼らの居場所の問題、過ぎるイタズラによる、さまざまのモノの喪失や劣化について心配でならないし、彼ら生涯に渡るお世話の不安もある。
 ぼくは、ツバキがいてくれれば充分だ。しかし、他はもう1頭家族に迎えたい気持ちを抑えることが出来ないらしい。
 同志だった息子も、子犬を抱っこした瞬間にあっさり飼う派に転向して、反対はぼくひとり。確かに子犬はかわいいし、ツバキも仲間がいれば彼女の犬生はより充実するだろう。
 ・・・仕方ないナ。

可愛いさに本能が瞬殺

 4月、2度の「名前決めミーティング」を経て、彼女の名前は「杏(あんず)」に決定。呼称は「アン」です。反対していたぼくの案が採用になりました。
 これで我が家は4人と2頭家族です。以後、お見知りおきを。

杏(あんず)ちゃんです。

2019年4月1日月曜日

3月のトレについて。トレ☆レポ19.3.25〜3.31

 今月のトレーニングの振り返り。
 デッドリフトを含む筋トレ、スイムからのランと、平日に複数のメニューをこなせるようになったのはジム通いのメリットそのものだ。ジムへ足を運ぶたびに相応の汗(着替え必須)をかき、ほぼ確実に筋肉に爪痕を残せることができるのは大きい。それにトレミを使うことで一定の強度で走れることも同様だ。
 …が、良いことばかりではない。
 大方のメニューが確立し、徐々に身体が馴染んでくれるだろうと思っていたが、平日の質量の変化は、相応の疲労をもたらしたのだ。補給(食事)や回復(お休み)がうまくなかったようで、この月末最終週は疲労からくる倦怠や不調の様子を伺いながら、最後は気力、体力ともに底をついてしまった。日曜の朝、ベッドから起きれなくなるというのは久しくなかったことで、しかも前日のトレ中にかなりの疲労を覚え、予定を切り上げたのに関わらずだ。春眠暁を覚えずならまだしも、そうではなかった。
 宮古の調整として重要なタイミングなだけに口惜しい。が、またもや週末に天候が崩れたこともに多少なり救われ、もう致し方なしと諦めHPの回復に専念(睡眠、読書、映画、バイクのメンテや送り出しのための梱包etc…)する。
 さぁ、宮古まで残り僅か。そこに至るまでの時間を愛おしく過ごさねば!

※ ※ ※ ※ ※  今週のトレーニングなど  ※ ※ ※ ※ ※
25(月) アクティブレスト ペダル練
26(火) 筋(WT)、スイム(S)1,000m、トレミ走(TR) 9km
27(水) レスト
28(木) TR 20km
29(金) TR 15km
30(土) S1,500m、TR5km
31(日) アクティブレスト ペダル練

【3月のトレーニング(km) …Swim7.5  Bike290 Run234】